~紅龍の夢~

巻の一 PANDORA'S BOX ─パンドラの箱─

4.白銀の剣士(5)

ある天気のいい日、いつものように、サマエルが村へ買い出しに降りて来た。
ジルは、一時でも長く一緒にいたくて、師匠に付き合っていた。
「賢者サマエル、ついに見つけたぞ!
──インシディアス!」
そんな彼らに、極彩色ごくさいしきの派手な魔法が襲いかかった。

「──リヴォウク」
しかし、慌てることもなく、サマエルは、ただの一語でそれを防いだ。
「逃げ回ったあげく、こんなド田舎にこそこそ隠れているとは、 賢者の名が泣くぞ!」
呪文の主は叫んだ。

「やれやれ……またお前か……」
サマエルは、気が重そうに額に手を当てた。
ジルは、そっと、彼の腕を引いた。
「ね、お師匠様、誰? この人。知り合いなの?」

「イーサと言う魔法使いだよ。
しばらく前から、会うたび魔法勝負を仕掛けてきて、あまりのしつこさにうんざりしてね。
屋敷の周囲にも結界を張り巡らしたのだが、こんなところで会ってしまうとは」
「えっ、最近張ったあの結界って、この人のためだったの?」
ジルは眼を丸くする。
「無論、そのためだけではないが……」

「こら、何をごちゃごちゃ言っている!
賢者ともあろう者が、挑戦者から逃げ回るとは何事だ!
ここであったが百年目、今日こそは勝負、受けてもらうぞ!」

「断る。無益な戦いを避けるからこそ、賢者と呼ばれているのだ、私は。
大体、ケンカ好きの賢者などいないだろうに」
「腰抜けめ! では、勝負したくなるようにしてやる!
──友なる闇よ、我が怨敵(おんてき)を暗き土の下へと葬り、永久とわの眠りにつかせよ!
──リクウィイカート・イン・パーシェイ!」

自信満々に、イーサは上級魔法を繰り出す。
サマエルは顔色一つ変えず、片手を差し出しだだけで、易々やすやすとそれを消滅させた。
さすがは魔界の王子、何の呪文も唱えずに、上級魔法を無力化するその力量は恐るべきものだった。
しかし、相手の魔法使いは、それに気づいた風もない。

「どうした、防御するばかりでは勝てんぞ! 攻撃して来い! 負けるのがそんなに怖いか!」
「……やれやれ、まだ分からないのか。
何度も言っているが、相手の力量もはかれないようでは、最初から勝負はついているぞ。
行こうか、ジル」
サマエルは、弟子を連れ、立ち去ろうとした。

だが、イーサは諦めず、二人の前に回りこんで行く手を阻んだ。
「待て。お前が、実は人間ではなく、賢者の名をかたる、邪悪な魔物だと言う噂は本当か?
あるいは、罪人が、正体が露見せぬよう、賢者の名を盾にして逃げ回っていると!」

「やめて! それ以上お師匠様の悪口言うと、許さないわよ!」
たまりかねて、ジルは叫んだ。
さすがに、今回は自重して、いきなりの平手打ちはよしにしたものの、普段は無邪気な栗色の眼が、怒りの色を浮かべている。

「やっておしまい、ジルちゃん!」
「そうだそうだ! 賢者様の悪口を言うようなヤツは、やっつけてしまいな、ジル!」
いつの間にか三人を遠巻きにしていた村人達が、口々に声を掛ける。

そんなヤジなど耳に入った様子もなく、イーサは、お下げの少女を見据えた。
「何だ、お前は」
「あたしはジル、お師匠様の弟子よ!」
「何……? お前のようなちんくしゃが、賢者サマエルの弟子だとぉ? これはおかしい、
あっはははは……はは、は、は……」

笑い出した刹那せつな、賢者の体から、何か得体の知れないものが湧き上がり、
自分めがけて押し寄せてくるのをイーサは感じ、笑いは尻すぼみになってしまった。

「外見のみで物事を判断する者は、いずれ必ず敗北を喫し、おのれの過ちに気づく頃には、すべてを失っているだろう」
フードの陰に沈むサマエルの表情はさておき、口調だけは、いだ海のように静かだった。
周囲の空気は怒気をはらみ、ぴりぴりと張り詰めている。
それはイーサにも感じられたが、彼は頭を振り、鳥肌が立つような、嫌な感覚を追い払った。

「う、うるさい! ならば見せてもらおう、その小娘が本当に強いかどうかを!」
「いいわよ! あんたなんかに、絶対、負けないから!」
元気よく、ジルは言い返す。
「ジル、いけない……」
「いいから、あたしに任せて。お師匠様は、手出し出来ないんでしょ」
「しかし……」

「お願い。だって、このヒト追っ払わなきゃ、晩ご飯、一緒に食べれなくなっちゃう……」
栗色の瞳がうるむ。
口にこそ出さないものの、彼女がどんなに、自分との晩餐を楽しみにしているか知っていたサマエルは、結局、折れた。
「分かったよ、ジル。
大丈夫、大した使い手ではない。キミの敵ではないよ、落ち着いてやれば、必ず勝てるから」
「うん」
少女は、にっこりした。

「ふん、オレも見くびられたものだ。だが、子供だろうと容赦はせん!
こいつに勝った暁には、オレと勝負をしてもらうぞ!
貴様に勝ち、オレの名を世に知らしめ、この世界を手中に収める第一歩とするのだ!」

「おのれの分もわきまえない、愚かな男よ。
お前は、決して彼女に勝てず、また、世界を手にすることもないだろう」
神託を告げる預言者のように、重々しくサマエルは言った。

「ご、御託(ごたく)はいい、ハンデをくれてやる、そっちが先攻でいいぞ、
さあ、どこからでもかかって来い!」
トサカそっくりな金色の髪を振り立て、黄色いマントに緑の服、というけばけばしい出で立ちのイーサは叫び、杖を握り締めて身構えた。

「よく見ると、すごいカッコよねー、あれで、いいと思ってるのかしら?」
あまりに派手な外見にあきれ果て、ジルは眼を丸くしていた。
サマエルは肩をすくめた。
「まあ……ヒトの好みは、それぞれだからねぇ。
さて、まずは小手調べと行きたいところだが、さっさと済ませてしまおうか、ジル」
「うん。早くしないと、晩ご飯が遅くなっちゃうものね。
じゃあ、いくわよ、イーサ!」

彼女は意識を集中して魔力を高め、習ったばかりの上級魔法を唱えた。
「──神聖なる光よ、生きとし生くるものに希望を与える輝かしきものよ、邪悪なる者を打ち砕く力を我に与えよ、
──フォルトゥナ・ボナ!」
「なにぃ! 聖魔法だと!?
──ディセイ・クレライズ!」
次の瞬間、眼もくらむ閃光が走り、イーサは吹き飛ばされていた。
たったの一撃ですべては終わり、彼は、立ち上がれないほどのダメージを受けていたのだ。
とっさに唱えた対抗呪文が間に合わなければ、命さえ落としていたかも知れない。

サマエルは、表情も変えずに言った。
「ジルは、大天使にも匹敵する、闇を払う聖なる光を宿す女神だ。
相手が邪悪であればあるほど、その力は強まり、真価を発揮する。
イーサよ、覚えておくがいい、お前の中に邪悪なものが存在する限り、お前は、彼女には勝てない……。
彼女は、最強の破邪の女神なのだ」

「そ、そんなバカな……このオレ様ともあろう者が、こんな小娘に……くそ、覚えておれ!」
魔法使いは鬱金うこん色のマントに身を包み、消えた。

それでりたかと思いきや、イーサは、しばしば村に現れて、ジルに勝負を挑んでくるようになった。
同時に、賢者サマエルの噂はあっという間にファイディー国中に広まり、弟子入り志願者や、腕試しをしたいと思う者、ただ一目見てみたいという野次馬までが、大挙して村に押しかけるようになってしまった。
村はにぎわったものの、サマエルは屋敷から出られなくなり、ジルは再び、やつれていった。

こうなっては仕方なかった。
ジルの安全のためにも、屋敷に戻すべきだとイナンナは主張し、タナトスも渋々、それを受け入れた。
ジルはもちろん喜んだが、師匠を困らせてはと、不必要な接触は避けるようにした。