TEKKEN SHORT STORIES
仁のいない日~ラースの一番長い日~(4)
河原に続く土の小道を、ラースは歩き出した。
さっきのアスファルト道路とは違い、周囲に草が生えているせいで、心なしか少し涼しい気がする。
歩くに連れて、道はゆるやかな上りになり、やがて川のそばに出た。
土手の上の道路は舗装されて幅も広く、いつもなら人通りも結構あるのだが、この暑い真夏の昼下がり、人っ子一人いなかった。
「さて、と……」
ラースは目の上に手をかざし、周囲を見回す。
左右に続く道の、花郎はどっちに行ったのだろうか。
(さっきは左……ってことは、今度は右か……いや、逆を取ってまた左ということも……)
右へ続く道は真っ直ぐで、遠くまで 見通せるが、人影はない。
左は、途中でカーブしていて、先が見えなかった。
「うーん。とりあえず、曲がった先に行ってみて、花郎が見えるかたしかめてみるか」
ラースは、上流に向かう左の方へ向かった。
カーブしたところに着いてみると、そこから先の道は直線になっていたが、眼を凝らしても、花郎どころか人影一つ、見えなかった。
「……こっちじゃなさそうだな」
考えてみれば、仁と花郎はいつも、下流の方へ向かって散歩をしていた。
仕方なく、ラースは、またも来た道を戻り始めた。
(何やってんだろうな、俺は……)
土手の下を流れている川は、真夏の 太陽を反射し、ぎらぎら光っている。
だが、川がいくら近くても、吹きつけて来るのは、相も変わらず熱風だった。
本当にこの先に花郎がいるのかどうか、確信は持てなかったが、ラースは半ばヤケになって、どんどん進んで行った。
下流に行くに従って、川幅は少しずつ広がっていき、太陽の位置も徐々に下がっていった。
やがて、川の中に人影が見えて、ラースははっとした。
だがそれは、水遊びをする子供達だった。
小学生くらいの男の子が数人、気持ちよさそうに水しぶきを上げて、はしゃいでいる。
ラースは、自分もシャツを脱ぎ捨て、水に飛び込めたらどんなにいいだろうと思った。
しかし 、そんな暇はない。
花郎を捜さなくては。
さらに歩いているうちに、彼は、段々と腹が立って来た。
「くそっ、どうして俺が、こんなことをしなくちゃならないんだ!」
額から流れる汗をぬぐい、ラースは道端の石を蹴飛ばした。
身から出た錆とはいえ、こんな炎天下、どこにいるか分からない相手を捜し求め、ひたすら歩き続けなければならないとは……。
だが、戻る気にもなれない。
「こうなったら、絶対見つけてやるぞ、そして……」
そして。謝るというより、彼は、花郎に文句を言いたくなっていた。
その後、ラースは怒りに任せ、ずんずんと歩を進めた。
もう何も考えず 、ひたすら歩き続けていく。
ふと気づくと、空気はまだ熱いままだったが、夕焼けが空を赤く染めていた。
彼は日本に来て始めて、“真っ赤な太陽”という表現があることを知った。
気候風土の違いだろう、欧米では、夕方でも、太陽はあまり赤くは見えない。
そうして、見事な夕焼けに見とれながら歩くうち、向こうから歩いて来る人影を発見して、彼は、はっと眼を凝らした。
だが、それは花郎ではなく、仕事帰りらしいサラリーマンだった。
それを皮切りに、さっきまで誰もいなかった道は、スーパーの袋を提げた女性、自転車に乗った子供達……など、たくさんの人が行き交うようになっていった。
ラースは、ちらりと腕時計を見た。
「……もうすぐ六時か」
ずいぶん歩き回ったこともあり、彼は空腹を感じ始めていた。
七時まで見つからなかったら、店に戻ってみよう。
ひょっとして、花郎は別の道から、もう戻っているかもしれない。
そう思ったとき。
少し先の河原に、見覚えのある人影を、ラースの眼は捉えた。
花郎だった。今度こそ、間違いなく。
「いた、あんなところに……!」
疲れも空腹も忘れ、彼は駆け足になる。
花郎は、スニーカーを脱ぎ捨てて、川の中に入って行こうとしていた。
まだ暑いし、足を冷やす気だろうと思ったのだが。
(……何だ、様子が変だぞ)
うなだれたその横顔が、なぜか思い詰めているかのように見えて、ラースの足は、一層速くなった。
「花郎!」
叫びながら土手を駆け下り、川に近づく。
その声に、花郎は振り返る。
逃げてしまうかもしれないと思ったが、花郎は川岸近くの浅瀬に立ったままで、彼を見ていた。
ラースは息を弾ませながら、ついに花郎のそばに立った。
「ファ、花郎! 捜した、んだぞ!」
「へっ、ずいぶん遅かったじゃねーかよ、ラース。
もう諦めて、追っかけて来ねーのかと思っちまったぜ」
花郎は、けろりとして言った。
「な、ん、だと……ハア、ハア… …」
「おいおい、大丈夫か? そんなに息荒くして。
あんま無理したら、ポックリ逝っちまうぜ、オッサン」
「だ、誰の、せいだと、思ってる……!」
「へへーん、その様子だと、見事に引っかかってくれたみてーだな」
花郎は、いたずらが成功した子供のように、得意げな顔をした。
「くっ!」
カッとなったラースは、思わず拳を突き出した。
「おっと」
花郎は、ひらりと身をかわす。
「ほら、見ろよ、てめーの殺気でビビって、皆、逃げちまったぜ?
ンな鬼瓦おにがわらみてーなおっかねーツラして、すっげー剣幕で突進して来るからよ」
「そ、そんな、わけ……」
そう言いつつも、土手をちらりと見る。
たしかに一時、たくさんいた人々は、いつの間にか、姿を消してしまっていた。
「ば、晩飯時だから、家に帰っただけだろう!」
また殴りかかろうとした刹那せつな、苔で靴が滑り、ラースは尻餅をついてしまった。
「うあっ!」
びしょ濡れの彼を見下ろし、花郎は毒づく。
「おいおい、もう足に来てんのかよ、マジ、オッサンだなぁ」
「くそ!」
忌々いまいましげに悪態をついたそのとき、聞き覚えのある着メロが流れた。
「ん……あ、よかった、無事だ」
ラースはどうにか立ち上がり、シャツの胸ポケットに入れていて、濡れずに済んだケータイを手に取った。
「もしもし」
『あ、若頭、今、どちらに? 花屋ですか?』
「東郷か? い、いや、ちょっとな……」
『ともかく、事務所に戻って下さい、組長……じゃなかった、社長がお呼びです』
「社長が? 緊急の用か?」
ラースの顔に、さっと緊張が走る。
『いえいえ、昨日の件、予想以上にフォローがうまく行ったんで。
ねぎらいを兼ねて、打ち上げをしようって話ですよ』
それを聞いて、ラースはほっとした。
「……なんだ、そうか。どこでだ?」
『いつもの店で、八時に』
「分かった。ちょっと気分転換にトレーニングしていて、今、汗だくなんだ。
部屋に戻って着替えてから行く、そう伝えといてくれ」
『この暑い中、徹夜明けに、ですか? さすがですね……分かりました、伝えておきます』
「ああ、頼む」
ラースはケータイを切る。
「トレーニング、ねぇ」
花郎が、にやにやしながら言った。
「今日は、体がなまっているのを痛感したよ……それにしても、花郎」
ラースが、今度こそ文句を言おうとしたとき。
花郎が、ずかずかと近づいて来た。
思わず構えるラースの顔を、覗き込む。
そして。
ラースの首の後ろを捕まえ、花郎は、いきなり唇を合わせて来た。
「……!?」
次の瞬間、花郎は、ぱっと体を離し、しかめ面で言った。
「これで、あいこだぜ」
「え……?」
「お前が無理矢理キスしたんだから、俺もし返してやったんだ、これでチャラにしてやる……
うー、ぺっぺっ」
言いながら、花郎は唾を吐き、拳で口をぬぐった。
「……」
意外な成り行きに、ラースは、怒りも忘れてぽかんと花郎を見る。
「何ボケっとしてんだ よ、呼ばれたんじゃねーのか」
「そ、そうだった、行かなくては」
河原に上がろうと歩き出したとき、ラースは、仁の電話のことを思い出した。
「あ、忘れてた、仁の伝言があったんだ」
「え、どうしてお前が……」
「ケータイ忘れてったろう。
“風間 仁”って表示されたから、つい、出たんだが……」
「で、何だって?」
花郎は、顔をしかめて腕を組む。
「もう台風が行ったから、頑張れば、今夜遅く帰れる……」
「やった!」
話の途中で、花郎は拳を振り上げ、飛び上がった。
一飛びで川から出ると、スニーカーに足を突っ込み、
「店も心配だし、早く帰らなきゃ、だな!」
すごい勢いで土手を駆け上がる。
「やれやれ……」
一人残されたラースは、重い足取りで川から上がり、土手の道に戻った。
花郎の後ろ姿が、みるみる小さくなっていく。
「元気だなぁ……」
ため息混じりに彼を見送るラースには、走るだけの気力はすでになく、大きな通りに出て
タクシーを拾い、自分のマンションに戻った。
しかし、ラースの長い一日は、まだ終わってはいなかったのだ。
ちょっと顔を出すだけのつもりでいた飲み会で、組長に、知り合いの娘だという女性を紹介され、
ラースは、すぐに帰ることができなくなってしまった。
そして、寝不足と疲れもあり、いつの間にか、眠ってしまったのだ。
「若頭、起きて下さい、若頭、タクシーが来ましたぜ」
東郷に揺り起こされて、ラースは眼を覚ました。
「ん……? ああ、眠っちまったのか。組長は?」
「帰りました。……でも、あの娘こ、がっかりしてましたぜ」
「がっかり……?」
眠い眼をこすり、ラースはぼんやりとオウム返しする。
「ええ。若頭が寝言で、何度も、『花郎、行かないでくれ』って言うんで。
花郎、ってあの、花屋の生意気な小僧ですよね、あいつと何かあったんですか?」
それを聞いたラースは、いっぺんに眼が覚めた。
「俺、本当にそんなことを言ってたのか?」
「ええ、眼に涙を溜めて……っていうのは嘘ですがね」
「……」
ぎろりと、ラースは東郷を睨んだ。
「そう睨まないで下さいよ、こっちだって困ったんですから。
あの娘、若頭は、故郷くににファランって恋人でもいるのかと思ったみたいで。
花郎ってのは男だ、なんて言うのもなんだか……とりあえず、若頭にゃ恋人なんていないって、フォローはしときましたけど……」
「それでいい、帰る」
ラースは、不機嫌な顔で立ち上がった。

