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TEKKEN SHORT STORIES

仁のいない日~ラースの一番長い日~(2)

翌日も、朝から暑かった。
昼近くになって、ラースは花屋を訪れた。
「お早う。仁は、まだ帰ってないみたいだな」
「何がお早うだ、もう昼じゃねーか。
……っていうか、また来たのかよ、てめー」
うんざりしたように、花郎は言った。

「だって、仁が戻って来ても、教えてくれないんだろう?
だったら、店で待っていた方が確実だと思ってね。土産話も楽しみだし」
ラースは、澄ました顔で言ってのけた。
「土産話だぁ!? よく言うぜ」
花郎があきれた顔をしたとき、ドアが開いて、店内に女性客が入って来た。

「あ、いらっしゃい……どうでもいいけど、仕事の邪魔 すんなよ」
「分かってるって。ほら、お客さんが待ってるぜ」
「ふん……」
花郎はラースを横目で見ながら、客のそばへ行く。
「えっと、何を差し上げます?」

その後、数人の客が立て続けに店を訪れ、花郎は接客に追われた。
しかし、時計が正午を回ると、計ったように客足が途絶えた。
静まり返った店内で、花の手入れをしながら時間を潰していた花郎は、やがて、端に置いた椅子に腰をかけ、
暇そうに足をぶらぶらさせ始めた。
「もう昼過ぎだな、何か食わないのか、花郎」
台所でダイニングテーブルの椅子に座っていたラースは、花郎に声をかけた。

「ふん、腹減ったから メシ食わせろの間違いだろう、ずうずうしい。
……んじゃまあ、そうめんでも煮るか」
憎まれ口をたたきながらも、台所に上がった花郎は、鍋に水を張り、火にかけた。
昨日よりも、機嫌がやや持ち直しているのは、もうすぐ仁が帰って来る予定だからだろう。

無言のまま二人でそうめんをすすり、花郎が食器を洗い終わった頃、静まり返った店内に、ロックのリズムが
鳴り響いた。
花郎の携帯電話の着信音だった。
「……っ!」
飛びつくようにして、花郎は携帯を手にする。

「もしもし! もう空港に着いたのか、予定より早……え? いや、こっちはピーカンだぜ……ええっ!? 
……ああ 、そっか……うん、それじゃあ、しゃーねーな。
ああ、そんじゃ」
見るからにがっかりして、花郎は通話を終えた。

「仁から? 何だって?」
「……台風で、船も飛行機も欠航して、今日明日にゃ帰って来れねーんだとさ!」
携帯をテーブルに投げ捨てて、ぷいと席を立ち、花郎は店に戻っていく。
「この天気で台風? あ、そういえば、天気予報で言っていたな……」
店に来る途中、車内のテレビで天気予報が流れていたのを、ラースは思い出した。
運転中のこと、何気なく聞き流していたが、仁が行った地方は、折悪しく台風が通過中だったのだ。

「ちぇっ、くそっ……!」
花郎は店の中 央で、不満そうに、何もない空間を蹴る。
「おい、気持ちは分かるが、花に当たるなよ」
ラースが言うと、花郎は彼を睨みつけた。
「うるさい、俺がいつ花に当たったよ、大事な商売もんだぞ、バーカ!
っつうか、何で店にいんだ、てめー!」
「はいはい。退散しますよ、オジサンは」
苦笑いして、彼は店を出る。

だが、その晩、部下のミスで起きた事態を収拾するため、ラースは朝まで、処理に追われることとなった。
事務所の中も殺気立ち、席を立つのも気兼ねするほどだった。
徹夜の後、それでも、昼過ぎになるとようやく手が空き、ラースは食事を口実に、一人車を運転して
花屋を目指した。

「ふう……やれやれ、やっと解放されたよ。徹夜明けなんだ。
世間は皆、盆休みだって言うのにな」
店内に入っていくと、花郎は、さっきまでのラースに負けず劣らず、忙しく立ち働いていた。
「おや、忙しそうだな、手伝おうか?」
彼の提案は、花郎の無言の一睨みで却下された。
ラースは仕方なく、近くのコンビニで買い込んで来た弁当とカップ麺を、台所で一人黙々と食べた。

「はあ、忙しーと思ったら、近所の花屋が急に休みやがって、開いてる店がここしかねーってんで、
客が流れて来たみてーでよ。
あー、喉渇いた」
ようやく客がさばけて、台所に戻った花郎は、コップに麦茶を注 ぎ、一気飲みしたが、勢い余って
こぼれてしまった。

「ち、濡れちまったぜ、めんどくせー」
Tシャツを脱ぎ、放り捨てると、さすがに疲れたのか、花郎は台所の隣の和室に倒れ込むように
寝転がった。
「大丈夫か?」
呼びかけても返事がない。
見ると、花郎は寝そべったまま、寝息を立てていた。

声をかけようとして、ラースはやめた。
日頃、体を鍛えている花郎が、これしきの事でへばるとは考えられない。
とすれば、昨夜、よく眠れなかったのだろう。
その理由は……。

(……仁のことを考えていて、か)
ラースは、まじまじと、花郎の寝顔を 見つめた。
(ヤバイ、何だか俺も……)
「ふぁあ……」
彼は大きなあくびをした。
昨夜から、ろくに食事もとらずに働き詰めだったところへ、腹一杯詰め込んだのだ。
睡魔には勝てず、花郎の横に横になり、とうとう一緒に寝てしまった。

はっとラースが目覚めると、時計の針は、一時をほんの少し回ったところで、三十分ほどしか
経っていなかった。
それでも、気分はかなりすっきりしている。

(あー、よく寝た)
彼は、ごろんと寝返りを打ち、眠り続ける花郎の顔を覗き込んだ。
(男の俺から見ても、イケメン、だな)
ラースは思わず一人ごちる。
(たった 一晩、一緒にいられなかっただけで、夜も眠れないとはね)

大柄だが優しい物腰の仁と、少し乱暴で口も悪いが気のいい花郎、この二人は中々いいコンビらしく、
常連もついていた。
大概が女性客だったが、元々花を買うのは、比較的女性が多いのだから、当たり前のことかも知れない。

(……しかし、俺のそばで寝るなんて、かなりの進歩だよな)
彼は苦笑しながらつぶやく。
初対面の花郎は、『どうも』と言って頭を下げはしたが、警戒しているのは明らかで、態度もよそよそしく、
にこりとさえしなかった。

自分の叔父だと知っているから、あの程度で済んでいるのだと、後でこっそり、仁が教え てくれた。
さもなければ、喧嘩っ早い花郎のこと、絶対、一戦交えようとしただろうと。

そこで、ラースは訊いてみた。
「俺が極道だと知っていてもか?」
仁は肩をすくめる。
「関係ないさ、彼は、強いヤツを見ると闘いたくなるんだ。俺と会ったときもそうだったからな」
「……なるほどね」
ラースは一応、相槌(あいづち)を打ったが、彼が自分を敬遠する理由は、それだけではない気がした。

(野性の勘、だろうな)
花郎の身のこなしは、敏捷びんしょう性と、獰猛ど うもうさを兼ね備えた野生動物のそれを思わせる。
本能的に自分を恋敵と認識し、対抗意識を燃やしているのだろう。

(まあ、仁に手を出す気はないが……)
ラースはつぶやく。
仁の泣き顔は見たくなかった……今のところは。
(しかし、よく寝ているな……まるで眠り姫だ)
からかい半分に、花郎の頬を指でつついてみる。

「う~ん、仁……?」
花郎は寝言をつぶやき、そして、ラースに抱きついて来た。
「う、花郎……!?」
ラースはもがくが、花郎は離さない。
(仁と間違えてるんだな……と)

二人の顔が近づく。
(ちょっとだけ……一度っきりなら、いいよ、な)
誘惑に負けて、ラースは彼の唇に自分の唇を重ねた。
正直、仁が夜、花郎とどう過ごしているのか、気になっていたのだ。
きっと、こんな風に抱き合って、そして……。

ラースが思わず、花郎のズボンに手をかけた、そのとき。
ぱちりと花郎が眼を明けた。
「う、うう……!?」
慌ててラースは唇を離す。

「な、何しやがんだ、てめー!」
花郎は跳ね起き、唇を拳でこする。
「あ、いや、これには訳が……」
「何が訳だ、この変態野郎!」
「ご、誤解だ……」
言い訳も聞かず、花郎はラースに蹴りを入れた。

「う、ぐっ……!」
不意打ちを食らい、ラースは腹を押さえてうずくまる。
その隙に、花郎は、さっとサンダルを突っかけて、脱兎のごとく、店から走り出して行ってしまった。
「く、花郎……!」
ようやく立ち上がり、ラースが彼を追いかけようとした、そのとき。
テーブルの上の携帯電話が、再び、ロックのリズムを響かせ始めた。

とっさに眼をやると、携帯の画面には、「風間仁」の文字が浮かび上がっていた。
「仁……」
気づくと、ラースは電話に出ていた。
「もしもし……」
『あれ? ラース? 俺、花郎にかけたはずだけど……?』
携帯から、戸惑ったような仁の 声が聞こえた。

「あ、いや、花郎は、ちょっと、出てて……その、ケータイ、忘れて行ったから……」
もぐもぐと、ラースは弁解する。
『そうか、配達に行ったんだ?』
「そ、そうなんだ、急ぎの配達で……そのとき、俺がいたから、留守番を頼まれて……」
『ああ、悪いね、ラース』

「いや、構わないさ。それで、用件は……?」
『あ、じゃあ、花郎が帰ったら伝えてくれる? 
台風がやっと通り過ぎて、船が出られるから、頑張れば今日の夜中には帰れそうだからって』
「……分かった、伝えておくよ」
『よろしく。じゃ』

電話を切って、ラースはため息をついた。
ともかく花郎を探し出し、謝って、仁が帰って来る前に、事を収めておかなくては。
「やれやれ……昨日から、マジ、ついてないな」
ラースは、二、三度首を振ると、靴を履いて店の外に出た。