TEKKEN SHORT STORIES
仁のいない日~ラースの一番長い日~(1)
「何、ボケてんだよ」
目の前に、麦茶のコップを手荒く置かれて、ラースは眼を瞬しばたいた。
「え、ああ……」
「ふん、どーせ、仁のことでも考えてたんだろ」
花郎は肩をすくめ、くるりと後ろを向く。
「……キミだって気になってる癖に。一緒に行けばよかったんじゃないか?」
ラースの言葉に、花郎は勢いよく向き直り、ラースをキッと睨みすえた。
「しゃーねーだろが!
日本人は、ボンだかトレーだかにゃ、皆そろって墓参り行くから、花屋閉めたらおとくいさんが困る、だから一人で行くしかねーって、仁のヤツが言ったんだからよ!」
「ボン? ……トレーって……ああ、『お盆』のことか。
キミの国にもあるんだろう、たしか……秋夕チュソッだったかな」
花郎は肩をすくめた。
「そういや、ンなもんあったっけな、俺にゃ関係ねーけど。
コップ、戻しとけよっ」
流しを指差しそう言い捨てて、花郎はサンダルをつっかけ、店番に戻っていった。
花郎一人に留守を任せて、仁は、昨日の朝から出かけていた。
それでもラースは、いつもの習慣でぶらりと店に立ち寄り、喉が乾いたから何か飲ませてくれと、 花郎に頼んだのだった。
仁のいない花屋は、がらんとして静かだ、そう、ラースは思う。
普段は人一倍おしゃべりで元気はつらつな花郎が、黙りこくり、じっとしているせいもあってか、 店いっぱいに咲き誇る花々も、いつもより鮮やかさを失い、匂いさえ弱くなったように感じられる。
風間 仁の母親、準は、仁が高校生だった頃に死んだと、ラースは聞いていた。
仁は、母親についてあまり話したがらず、無理に聞き出すのもどうかと思われて、ラースも深くは追求しなかった……花郎には、話しているのかもしれないが。
そして、ここ何年か、墓参りに行けなかったから、今年はどうしてもと言って、出かけて行ったのだった。
「……しかし、暑いな」
ラースはつぶやき、汗をぬぐう。
冷房のお陰で、外よりよほど涼しいはずなのだが、それでも何かの弾みで、じわりと汗が出て来る。
「お前なぁ。いつまで油売ってんだよ、しかも花屋で。ヤクザって、そんなに暇か?」
花郎は腰に手を当て、ラースを睨んだ 。
仁がいるときにもまして、彼が突っかかって来るのは、気のせいだろうか。
ラースは肩をすくめた。
「そういうわけでもないが、こうも暑いと、何もする気が起きないだろう」
「……はん。ま、ヤクザが暇なら、世の中も平和ってもんだな。
けど、おめーみてぇな人相の悪いのに入り浸れられちゃ、商売上がったりだぜ」
「……そうかな」
ラースは、亜麻あま色の髪をなでつけた。
寝癖なのか、それともわざとなのか、彼は、かなり独特なヘアスタイルをしている。
容貌は、イケメンといってもよかったが、体は鍛えて あるだけにたくましく、黒いスーツを着こなした姿は迫力満点で、極道の若頭にふさわしい威圧感があった。
実際、近所の小さな女の子に、泣かれてしまったこともある。
その日はちょうど母の日で、いつもはそれほど忙しくないこの店も、カーネーションを買いに来る客で、 珍しく立て込んでいた。
いつものようにやって来たラースに、構いつける間もないほどで、そんなに暇なら店を手伝えるだろうと言った花郎の言葉を真に受けた仁が出して来たエプロンを着せられ、ラースまで店に立つ羽目になったのだった。
そして、夕方、忙しさが一段落いち だんらくした頃、幼い女の子が一人でやって来た。
いつも母親と店に来ている、人見知りの激しい少女は、案の定、彼を見て怯おびえ、泣き出してしまった。
花郎は、少女を指差した。
「あーあ、これどーすんだよ、ラースってば、女、泣かしちまってー」
「人聞きの悪いことを言わないでくれ、俺のせいじゃない」
「てめーのせい以外の何物でもねーじゃんか。
ンなおっかねー面のオッサンが、なじみの店にいたんじゃよぉ」
「何を言う、花郎、元はと言えば、お前が手伝えと言ったんじゃないか」
言い合う二人を尻目に、仁は、女の子の前にしゃがみ込み、頭をなでた。
「泣かないで、マミちゃん。この人は怖くないよ。 ラースは、俺の叔父さんなんだ」
「おじ、さん……?」
しゃくり上げながら、少女は仁を見た。
「そうだよ。
マミちゃんにも、親戚のおじさん……ほら、お正月に、お年玉をくれるような人、いるんじゃないかな?」
少女は、こっくりとうなずいた。
「うん、いる。タツヤおじちゃん」
「……ね? 今日は母の日で忙しいから、手伝ってもらってたんだ。
ラース叔父さんは、ちょっと体は大きいけど、怖い人じゃないよ」
「……そう、なの」
少女は上目遣いにラ ースを見たものの、まだ半べそをかいたままだった。
「ほら、デクノボー、子供の目線まで降りろよ。てめーが無駄にでけーから、ビビってんじゃんか」
花郎は、無理矢理ラースをしゃがませる。
子供はびくっとするが、目の前のラースが、不器用に微笑みかけると、少しほっとしたような顔になる。
「ごめんなぁ、マミちゃん。
このおぢちゃんは、腹いっぱーい食って、元気よーく暴れてたら、こ~んなにでっかくなっちゃったんだよ~」
花郎は、馴れ馴れしく、ラースの頭をぴしゃぴしゃたたく。
「や、やめろ、花郎、痛いじゃないか」
ラースが振り払うと、眼を丸くしてそれを見ていた少女は、ついにくすくす笑い始めた。
「やあ、やっと泣きやんでくれたね、マミちゃん。それで、ご用は何かな?」
仁が改めて尋ねると、少女は眼をこすり、それから、握り締めていた拳を開いて差し出した。
「お花、下さい。カーネーション、赤いの」
汗ばんだ掌には、十円玉が七、八枚、乗っていた。
「毎度あり。花郎、頼む」
仁は、花郎を見上げる。
「んー、でも、八十円じゃな……」
花郎は頭をかいた。
「それに、もう売り切れちまったぜ、カーネーションの赤いヤツは」
「えっ!?」
少女は声を上げ、その瞳がまたうるんでいく。
「いや、大丈夫だよ、マミちゃん。お店の奥にね、少し残ってるんだ」
安心させるように、仁は微笑む。
「ホント!?」
少女の顔が、ぱっと明るくなった。
「ああ。そうだよな、花郎」
「……あ、あれか。今、取って来る、待ってな」
花郎は、急いで店の奥に行き、つっかけを脱いで台所に上がる。
テーブルの上には、赤いカーネーションが数本、コップに差してあった。
少し痛んでいて売り物にはならないが、捨てるのももったいないと、程度のいいのを選んで、
仁が飾っていた花だった。
花郎はそれを持って駆け戻ると、素早くラッピングし、赤いリボンをかけて差し出す。
「はいよ、マミちゃん、お待ちどう。今回は特別サービス、 ってことで。毎度あり!」
小銭と花束を交換し、少女は満面の笑みを浮かべた。
「ありがとう、花郎お兄ちゃん!」
「じゃあね、マミちゃん、またお母さんとおいでね」
仁は優しく手を振る。
「うん、仁お兄ちゃん!」
手を振り返し、喜び勇んで少女は歩き始めたが、すぐに振り返り、引き返して来た。
「どうしたの、何か忘れ物?」
「ううん。あの……あのね、おじちゃんに」
ポケットから取り出したのは、一枚の絆創膏だった。
立ち上がりかけていたラースは、慌てて膝を折る。
「俺に?」
「うん、おじちゃん、ケガしてるみたいだから、あげる!」
「……ケガ?」
ラースは、けげんな表情で、可愛い模様のついた、ピンク色の絆創膏を受け取った。
「うん、ここ」
「ああ、そういえば……」
少女が触れた眉のところには、たしかに古い傷痕があった。
「じゃあ、おじちゃん、バイバイ!」
手を振り、少女は元気よく、外へ駆け出してゆく。
「車に気ぃつけろよ~!」
その背中に、花郎は声をかけた。
「マミちゃんのことか。でもあの子だって、結局は俺になついてくれたじゃないか」
「あのな、あんな騒ぎは、もうごめんだっつーの。
ガキが来るたびに泣かれたらどーすんだよ、めんどくせー。
とっとと帰れ、麦茶飲んだんだろ」
花郎は不機嫌な顔で、ドアに向かって、しっしっと手を振る。
「分かったよ、仁が帰って来るのは明日だったな」
「さぁな。戻ったって教えてやんねー」
ふくれっ面で、花郎は顔を背ける。
「やれやれ、帰るとするか」
苦笑いして、ラースは店を後にした。

