~紅龍の夢~

番外編 魔法学院に潜むもの (8)

サマエルは深くうなずいた。
「なるほど、キミは魔界の掠奪侯爵(りゃくだつこうしゃく)、シャックスの縁者(えんじゃ)か」
「ま……魔界だって!?
ウソ! だって……せ、先生は魔物なんかじゃないよね!?」
セエレは眼を見張り、思わず大きな声を上げる。
「え……ええ、わたし、は、人間よ……」
彼の問いに答えるアルナの語尾がかすれて、口の中に消えた。

ネスターが首をかしげる。
「シャックスですと……? 
どこかで……ああ、たしか……そう、十年前、前国王に取り憑いた魔物が、そんな名ではなかったですかな」
「いや、魔物は二人いて、王に憑いたのは別の魔物だよ。
どちらにせよ、魔界王タナトスは、大層立腹していたが。両方とも退治されて当然だとね」

それを聞いたアルナの瞳が燃え上がった。
「だから、父を殺したと言うの!」
「……ふむ、キミはシャックス侯の息女か、たしかに面影がある。
しかし、聞いていないのかな、キミは。侯爵はともかく、もう一方のベルフェゴールは王家に対して陰謀を企み、失敗して魔界から逃亡したということを。
そんな謀反人に加担したとなれば、キミの父上も同罪と見なされてしまうのだよ」

「そんなこと、わたし達には関係ないわ!
あの日初めて、父が魔物であり、しかもお前に殺されたことを知った病弱な母は、そのショックで亡くなってしまった、だからお前は両親の仇なのよっ!
……ああ……この十年、長かったわ……お前を殺すことだけを心の支えに、わたしは生きてきた。
古代呪文を解呪したところに仇が現れるなんて、これも父の導きね!
──思い知るがいい。わたし達親子の恨みの念を!」
滴るような憎悪を込めて、彼女は叫んだ。

仇討(あだう)ち……か。
やめた方がいい。そんなことをしても、死者は帰らないのだから」
賢者は悲しげに言った。
「ご主人様の仇、覚悟!」
そのときだった、アルナとは違う声が聞こえ、頭上から魔法の攻撃が加えられたのだ。
サマエルはごくわずか体を傾け、その攻撃を軽くいなした。

「だ、誰だ!?」
ネスターが周囲を見回しても、部屋には五人以外の姿はない。
「……あ、あそこだ、あそこにいやがるぜ、サマエル!」
レグナムが、何もない空間を指差す。
「──ブロンテー!」
間髪入れず、賢者は、その場所目がけて魔法を投げつけた。

「ぎゃっ!」
空間を眼も眩む稲妻が走り抜け、悲鳴と共に、何かが落ちたような音がした。
「やったぜ!」
レグナムが走り出す。
「気をつけて、レグナム」
サマエルは滑るように、彼の後を追う。

「平気さ、もう死にかけてて、大したこたできねーよ。
見てみな、こいつ、フィンズーズだぜ」
レグナムは、床を示した。
ここに来ても、謎の敵の姿はネスターやセエレには見えない。
ただ、紅い血糊が広がっていくのが眼に入り、やはり敵はそこに倒れているのだと思われた。

「……ああ、本当だね。
ベルフェゴールを倒した時にいなかったから、どうしたのかと思っていたが。
主人の敵討ちとは殊勝(しゅしょう)な心がけだ。
──ディスイリュージョン」
サマエルが呪文を唱えると、ようやく敵の本体が現れた。
魔法攻撃を受けた脇腹から大量の血を流し、長い藍色の髪は乱れ、息は荒く、黄色に輝く眼で賢者とレグナムを睨みつけていた。

「サマエル殿、その女性をご存知で?」
「ネスター、フィンズーズは前王アンドラスに憑いた魔物、ベルフェゴールの使い魔で、女性ではないよ。
いや、この者には元から性別がないのだ」
「ほう、てっきり女性かと。……ふむ、使い魔が、主人の敵討ちをしようとしたのですか」
「そのようだね。さて……」

賢者が、虫の息のフィンズーズに手を伸ばした時。
「逃げて、フィンズーズ!
──イグニス!」
アルナが声を上げ、攻撃を仕掛けてきた。
「サマエル殿!」
「手を出すな」
慌てるネスターを尻目に、賢者は平然と炎を片手で受け止め、握りつぶした。

それから彼は、フィンズーズに尋ねる。
「フィンズーズ。お前が彼女を焚きつけたのだな?」
唇から血を滴らせ、使い魔はにやりとした。
「その通りさ。アルナが学院の教師で、しかも、ここに“禁呪の書”が封じられていたのは望外の幸運。
彼女が解いた“書”は群を抜いて強力だぞ、貴様でも(かな)うまいさ、カオスの貴公子……くくく。さらばだ。
──ベルフェゴール様──っ!」
断末魔の絶叫と同時に、フィンズーズの体は爆発した。
「──セイブルヴェイル!」
サマエルは、さっと結界を張り、レグナムをかばう。

「フィンズーズ! 畜生!」
悔しげに悪態をついたアルナは、杖を振り上げ、呪文を唱えた。
「──クレプスクルム!」
紅蓮(ぐれん)の火炎が杖の先から生まれ、賢者に向かって放出される。
またも賢者は、それを軽々と跳ねのけた。
「……そう、それに、古代魔法は術者にも危険が及ぶ場合もある、ひどく厄介(やっかい)な代物だよ。
それゆえ“禁呪”と呼ばれるのだが」
彼の声も表情も、普段と変わらずあくまでも穏やかだった。

「何よ、その態度!
あんた、賢者とかおだてられていい気になって、正義の味方を気取ってるんでしょう!
狩られる立場の魔物の気持ちなんか、全然知らずに!」
サマエルは肩をすくめた。
「別に正義の味方を気取っているつもりはないよ、注意を促しただけさ。
それに私は、魔物の気持ちもよく分かっているつもりだ」

「白々しい、まったくムカつくわね! 命乞いでもするつもり!? 無駄よ、今さら!
──出でよ、“禁呪の書”、ユーメニデス!」
アルナの叫びに呼応して、手の中に黒ずんだ革表紙の本が現れ、見るからに禍々(まがまが)しい“気”を発し、生き物めいて脈打つ。

「ほら、ごらん、サマエル! 今からこれでお前を、跡形もなく粉々に砕いてやるわ!」
彼女は意気揚々と、分厚い書物を差し上げた。
「……およしと言うのに」
どこか悲しげな賢者を(かえり)みることもなく、アルナは本を開くと勢いよく杖を振り上げ、唱えた。

「──その姿荘厳にして光を(むさぼ)り、闇中にて(くら)き呪術を育む魔神ユーメニデスよ!
封じられし(とき)の彼方より来たりて、我に力を与えよ!
魔界侯爵シャックスが娘、アルナの名に於いて汝の封印を解く、我が仇を打ち滅ぼせ!
──メメントゥ・モリ!」
呪文に応え、さらに禍々しく“禁呪の書”が輝いたと見るや、巨大な闇色の矢がいくつも生まれ、次々に賢者めがけて突き進んでいく。

「サマエル殿!」
「大丈夫だ」
強力な魔法攻撃を眼にして狼狽するネスターを、サマエルは再び制した。
そして、執拗(しつよう)に追いすがる黒い矢を踊るようにかわしながら、呪文を唱える。
「──聞き届け給え、最高神アナテ、我が名はサマエル、汝が司祭にして“混沌の貴公子”なり!
我は願い(たてまつ)る、()の魔神ユーメニデスが力を、我が剣と成し、盾と成さんことを!
──エンシュライン!」

彼の杖が光り輝くと同時に、漆黒の矢はそのすべてが空中で消滅し、
「……き、消えた!? どうして……あ!」
次の瞬間、戸惑うアルナの鼻先に出現した。
よける間もなかった。
禁じられた闇魔法は女教師に襲いかかり、すさまじい閃光と音を発して炸裂(さくれつ)した。
「きゃああああ……!」
彼女はすさまじい勢いで吹き飛ばされ、激しく床にたたき付けられた。

「言ったろう、危険だと。“禁呪の書”に封じられた魔法は、仕損じると術者に跳ね返るのだ。
キミの魔力が強かったから、即死を免れたのだよ。
……しかし、同じことだ。これ以上、わたしのせいで他に迷惑はかけられない……」
サマエルの声が暗く沈む。

セエレは、それまで呆然としていた。
いきなり突きつけられた事実と、目まぐるしい展開に頭の働きがついて行かなかったのだ。
賢者の声の不吉な響きに、遅まきながら我に返った彼は、両手を広げて二人の間に立ちふさがった。

「や……やめて下さい、賢者様! 先生を殺さないで!
俺は追い出されただけなんだから、命までは……」
しかしサマエルは最後まで言わせず、彼の額に軽く手を触れ、金縛りの術をかけた。
「──ヴォクテム!
こうなった以上、仕方ないのだよ、セエレ。だが、苦しませるつもりはない、一気に息の根を止めるから。
──」

呪文を唱えかけた瞬間、腕を捕まれる感触に、はっとして彼は振り返った。
そこに立っていたのは、金髪の少年だった。
「似合わないことはやめとけよ、サマエル」
「あ……レグナム。いや、しかし……」
「だからぁ、ムリすんじゃねーよ。ホントのこと知ったら、彼女だって考えるさ、な?」

しばし、二人の視線が絡み合う。
先に眼を逸らしたのはサマエルだった。
レグナムは彼の肩をぽんと一つたたき、倒れたままでいるアルナに近づいていく。