~紅龍の夢~

番外編 魔法学院に潜むもの (6)

問題の鏡(ウェリタース)を、学院長が真剣な眼差しで隅から隅まで調べ上げるのを、セエレは息を詰めて見守った。
「うむむむ……してやられた……!」
よほど経ってからネスターは、うなるような声を上げると彼に向き直り、深々と頭を下げた。
「すまん、許してくれ、セエレ。うかつだった、ワシとしたことが、贋物を見抜けなかったとは。
たしかにお前は潔白(けっぱく)だ、無論、復学も認めよう」

「──ホ、ホントですか、学院長先生!? 」
「本当だとも。戻って来てくれるかな?」
「はい、もちろんです!
──やった、やったぁ!
賢者様にレグナム、ありがとう! 俺、これでまた魔法が使えるよ!」
感激のあまり、セエレは拳を突き上げ、部屋中飛び跳ねた。

「おいおい、落ち着けよ、バカ。少しは脳みそ使って、誰がそのニセモンを作ったか考えてみろよ」
彼の浮かれた様子に、あきれかえってレグナムが言った。
サマエルの顔も、厳しいままだった。
「そう、まだ終わってはいないよ、セエレ。むしろ、これからだと言ってもいい。
真犯人を捕まえ、“禁呪の書”を取り戻さないことには、この件は終息しないのだから」

「あ、そ、そうですよね、すみません、俺、あんまりうれしくて……」
セエレは頬を紅くし、飛び跳ねるのを止めた。
賢者は表情を和らげ、彼に微笑みかけた。
「気持ちは分かるよ、セエレ。疑いが晴れてよかった」
「賢者様のお陰です、ありがとうございました!!」
少年は深々とお辞儀をした。
「頑張っていい魔法使いにおなり」
「はい!」

それからサマエルは、学院長に視線を戻した。
「──さて、ネスター。
盗み出されてから一年半も経っているのでは、“禁呪の書”のありかを探し出すのは難しいな。
たとえ犯人が学院内に残っているとしても、“書”は遠くに持っていき、厳重に隠した上で、密かに
解呪法を研究していることだろうし。
あれは、高位の魔物でもそう簡単に解呪できるような代物ではないが、もしされてしまったら、厄介だ。
そうなる前に、“書”だけでも取り上げることができればいいのだが……どんなささいな事でもいい、何か犯人につながりそうな事に、心当たりはないか?」

「……うーむ……」
腕組みをして考えていたネスターは、ややあって顔を上げた。
「いや、残念ながら今のところ、犯人に直接結びつくような事柄には思い当たりませんな。
ただ、“書”が、まだ学院内にあることだけは確かです。念のためにと、結界に触れると反応して警戒音が鳴り、かつ外に持ち出せば、“書”が破壊されるという封印を施してあったのですが、どちらも作動してはおりませんので。
おそらく犯人は、“書”を学院内に隠し、ほとぼりが冷めるのを待っていると思われますが」

賢者は微笑んだ。
「ほう、それは不幸中の幸いだな。さすが用意周到だね、ネスター」
「お褒めに預かり光栄です。
しかし、どれほど用心しようとも、結局は盗まれてしまった上に、無実の者を罰する失態を犯してしまいました……胸を張れたものではございません」
学院長は頭を下げた。

「外に持ち出されていない……ということは、犯人もやはり、まだ内部にいる確率が高いということだな。
今でこそ魔法は、かなり珍しがられてしまうようになったが、学院では毎日、当然のように生徒も教師も魔法を使う。呪文の研究をしていても、褒められこそすれ、誰も怪しまない」
考え込みながら賢者は言い、ネスターは眼を見張った。

「……と申しますと、生徒……いやいや、いくら優秀な生徒でも、厳重に封印された“書”を見つけ出し、その上ウェリタースの贋物を創るなど、到底無理……では、教師の中に犯人がいると仰るので!?」
「いや、そう断定するのはまだ早い。あの“書”を扱えるのは魔物だけではなく、()かれた人間もだからね、
……アンドラス前王のように。
いずれにせよ、早く捕らえなければ危険、という点では同じことだが」

学院長はうなずいた。
「同感ですな。……おお、そうだ、学院は、夏期の休みに入ったばかりで、寮にも生徒はおりません。
その上、先ほどまで職員会議をやっておりましたので、教師が全員揃っております、彼らをまず調べては」
「それは好都合だな、何かあっても、せいぜい建物の被害で済む。
教師の中にいないと分かったら、休みのうちに、生徒達を一人ずつ呼び出して、調べることにすればいい。
……ああ、その前に、学院の結界を強化する必要があるな。
逃げられては元も子もない。先ほどはまるで抵抗を感じなかった」

たしかに、ついさっきセエレが驚かされたように、結界は何の障害にもならず、彼らを通した。
あれは、サマエルの力だったのだ。さすが賢者と呼ばれるだけのことはあると、少年は深く感銘を受けた。

学院長も彼と同じ考えのようだった。
「賢者殿ほどの使い手にとってはそうでもございましょうが、並みの魔法使いでは、結界に触れることも叶いませんよ」
サマエルは否定の身振りをした。
「今度の敵は手ごわいぞ、油断は禁物だ。念には念を入れた方がいい」
「……左様ですか、分かりました、少々お待ちを」
ネスターは、ローブの内側にしまい込んでいた杖を取り出し、念を集中させ始めた。

それが最高潮に達したとき、彼は力強く呪文を唱えた。
「──ベルガー!」
魔力を持つ者だけが感知できる、違和感……かすかだったそれが、ビリビリと肌を刺激するほどにまで高まったのを、その場にいた全員が感じ取る。
「これでいかがでしょうか」
「ああ、大丈夫だろう」

賢者のお墨付きをもらうと、彼は再び鏡を見つめた。
「……ふ~む、女性……でしょうか、この姿は。心なしか髪が長いような。
しかし男性教師でも、伸ばしておる者もおりますが」
「もう一度貸してくれないか」
「はい」

サマエルは鏡に顔を近づけた。
歪み、ちらつく画像から、元の姿を想像するのは難しい。
しかしサマエルは、人間には見えないものを見、感じられないものを感知することができる。
彼の鋭い感覚は、贋の鏡から立ち昇る、微量の女性の気を捉えていた。
「これは女性だね、間違いなく。
……この画像だけではなく、ほんのわずかだが、鏡にも女性の念が残っている……」

「どれどれ」
その時、レグナムが横合いから出てきてぱっと鏡を手に取り、動物のようにくんくんと匂いを嗅いだ。
「うんうん、間違いねーな、創ったのは女だよ。しかもこりゃ……あ、」
言いかけたレグナムは、サマエルに目顔で制され、口を濁した。
「どうしたんだい、レグナム?」
セエレが尋ねると、金髪の少年は首を振った。
「な、なんでもねーよ。ともかく、女にゃ違いねーってこと。それも若いねーちゃんだな、こりゃ」

「女性教師ですか……学院には三十人ほどおりますが、若いとなると、十人ほどかと」
学院長が言った。
「んじゃあ、片っ端から呼べばいいじゃん。何か口実つけてさ……ほい」
ネスターに鏡を返したレグナムは、はっと気づいたようにセエレを指差した。
「そーだ、こいつをネタにすりゃいいんだ!」
「え、俺を?」
「それはいいね。彼を学院に戻したいが、意見を聞きたい、とでも言えば警戒されずにすむだろう」
賢者も少年に同意する。

「なるほど。分かりました。では、誰かに呼びに行かせ……」
言いながらネスターがドアを開けると、廊下にはまだ、先ほどの男性教師が居残っていた。
名高い賢者サマエルがどんな用件で学院に来たのか、気になっていたのだろう。
「おう、セーグル先生、ちょうどよかった。
実は……賢者殿の口添えで、このセエレを学院に戻してはどうか、という話になりましてな。
その件で、個別に先生方のご意見を伺ってみようと思い立ったところだったのですよ。
セーグル先生はいかがお考えですかな?」
男の教師に尋ねる必要はなかったのだが、話を通すため、学院長はそう切り出した。

「セエレを? しかし……」
教師は困惑した表情で、ネスターとセエレを見比べる。
そのとき、サマエルが口を挟んだ。
「彼は身寄りがないのですよ。冷たく放り出してお仕舞いにするのではなく、手元に置いて反省をさせたり、性向を矯正(きょうせい)するのも教育ではないでしょうか? 身元保証人が必要というなら、私がなります」
「……ご高説、ごもっともです、賢者殿。そういうことでしたら、無論わたくしも賛成致しますよ」
セーグルはすぐに同意した。

ネスターがうなずく。
「左様ですか、ありがたい。
では、レディファーストで、女性の先生方に一人ずつ、ここに来るよう呼びかけて下さらんか、セーグル先生」
「……ああ、その際、私のことはどうぞご内密に。あなた同様、先生方をびっくりさせたいのでね」
にやりと笑って賢者は付け加え、茶目っ気たっぷりに片目をつぶって見せた。
つられて教師も微笑んだ。
「分かりました。名簿順でよろしいですか」

「ダメだ、若い順にしろ!」
いきなりレグナムが手を上げ、話に首を突っ込んだ。
「──は?」
セーグルは、ぽかんと口を開けた。
「なーに、鳩が豆鉄砲食らったみたいな顔してんだよ、お前。
若い順にねーちゃんを連れて来い、っつってんだろ。年よりは後回しでいーからよ」
溌剌(はつらつ)とした金髪の少年は、元気よく言ってのける。

「……彼の、たっての希望のようだ。若い女性から、ということにしてもらっていいかな?
あ、もちろんご当人達には、若い順などとは……」
肩をすくめてサマエルが取り成す。
「分かっていますとも、口が裂けても言いませんよ。では、呼びに行って参ります」
笑いをかみ殺しながら、セーグルは去っていった。

「なんだよ、今の。ふざけてさ」
あきれてセエレは、少年を睨んだ。
「いーじゃんか、これで目当ての、若い女の教師が来るんだから」
けろりと答えて、レグナムは髪をいじり始めた。

「それに、さっきの先生に本当のことを聞かせたら、緊張し、行動が不自然になって、犯人を警戒させるかも知れないからね。
“敵を(あざむ)くにはまず味方から”ということさ」
「あ、なるほど」
賢者の説明に、セエレは感心してうなずいた。
「さーて、どんなねーちゃんが来るのかな~。やっぱ、美人がいーよな~」
うきうきした口調で、金髪の少年は紫の眼を輝かせ、ドアを見やった。