「……おい、こいつ、生きてんのかぁ? 全ー然、動かねーけど」
「よほど疲れているのだろう。自然に眼が覚めるまで、そっとしておいておやり」
どれくらい経ったのか、耳元でぼそぼそとささやかれる声に、セエレは眠りを破られた。
「う~ん。あ……あれ? お前は……」
「やーっと起きたな。死んでるかと思ったくらい寝てたぞ、お前」
そばかすだらけの少年が、彼の顔を覗き込んでいた。
隣りには、相変わらず黒いローブを着込んだ長身の魔法使いが、影のようにひっそりとたたずむ。
今何時かと尋ねようとしたときだった。
(……? な、なんだ……どうしたんだ、俺……!?)
不意にセエレは、金縛りにあったように動けなくなってしまった。
そして、金髪の少年のアメジスト色をした瞳だけが、
(うっ、な、なんなんだ、こいつ……!? 宝石みたいな、この眼、輝き……!
う、動けない……い、息が……でき……ない!)
懸命にもがこうとしても身動きはとれず、呼吸も、ごくわずかにできるだけ、その上、意識が遠のいていく。
するとロティオンが、そっとレグナムをたしなめた。
「これ、お前がそんな風に見つめたら、刺激が強すぎて彼はまた
「あ、そっか。悪りー悪りー。すっかり忘れてたぜ」
レグナムが頭をかいた途端に呪縛は解けて、セエレは激しく息をついた。
「はあ、はあ、……な、何したんだ、お前……!?」
「べっつに~」
「と、とぼけるな、死ぬとこだったぞ!」
「とぼけてなんかねーよ。オレが見つめると、大抵の魔、……いや、ヤローはそーなるんだ。
どうしてなんだか、オレにゃ、さっぱり分かんねーんだけどなー」
可愛らしく小首をかしげる、無邪気なその様子からは、悪意はまったく汲み取れない。
セエレはどう考えていいか分からず、呼吸を整えながらロティオンを見上げた。
「……本当なのか?」
「ああ、本当だとも。すまなかったね、セエレ。
彼はちょっと、……その、まあ……なんというか、特異体質……とでも言ったらいいかな。
私も時折、彼の瞳に魅せられてしまうことがあるくらいだから、普段人前では、なるたけローブを着せているのだが……。
それはそうと、もう日暮れも近いよ。そろそろ起きて支度をしても、いいのではないかな?」
「ええっ、もうそんな時間なのか、起きなきゃ!
わっ、め、眼が回る……」
慌てて上体を起こした途端、めまいに襲われ、セエレは倒れるように、再び枕に頭をつけた。
「おそらく空腹のせいだな。食事をとれば治まるだろう。ゆっくり起きなさい」
ロティオンは彼を助け起こし、粥の器とスプーンとを持たせてくれた。
「あ、ありがと。いただきま…す」
食べ始めると、自分がいかに空腹だったかに気づき、セエレはむさぼるように粥を口に運んだ。
昨夜同様、量はさほど多くはないが、腹がふくれると同時に、気力が体の内側からみなぎってくる。
元気になる魔法がかけられていたのかもしれない。
しかし、湧き上がるその気力に
「ごちそうさま。すっかり世話になっちまったな、ありがとう……。
でも、学院のことは遠慮しとく。とっくに諦めてるから、もういいんだ。
スリはやめて、これからはちゃんと働くよ。“普通の人間”としてさ……」
この二年近くというもの、絶望のどん底にいた少年は、希望を持つことにすっかり
そんな彼に、優しく言い
「簡単に諦めてはいけないな、セエレ。希望を捨てなければ、道は必ず開けるよ。心配いらない、私達と一緒に行こう。
そして濡れ衣を晴らしたら、ちゃんと勉強して、立派な魔法使いになればいい」
「……そう、うまくいくかなぁ……」
セエレはまだ、半信半疑だった。
「あ、そーだ、忘れてたぜ。服出してやるんだったよな!
すっげーいいヤツ、出してやるからなー、期待してろよ、セエレ!
──カンジュア!」
レグナムは、元気よく指を鳴らす。
一瞬のうちにバスローブに替わり、新しい服が少年を包んでいた。
「あ……こ、これ……?」
「どうだ? 気に入ったか?」
「ベッドから出て、見てごらん」
そろそろと寝台から降りる。もうめまいはしなかった。
ほっとして、セエレは自分の服装を観察した。
ベージュのシャツに薄茶色をした上着、濃紺のズボンは、足がすらりと長く見える。
レグナムの魔法で作り出された服と靴は、彼の好みを訊いて作られたように、何もかもがぴたりと合っていた。
「すごいや。とってもいいよ、これ。ありがとう、レグナム」
セエレは満面の笑みを浮かべ、礼を述べた。
「気に入ったか?」
「うん、とっても」
「よ~し。これで学院に乗り込む準備はできた、ってわけだ」
「え?」
「そんじゃ行くぞ。
──ヴェラウェハ!」
金髪の少年は、彼に何も言う隙を与えず、遠方への転移呪文を唱えた。
直後三人は、夕日を浴びて輝く大きな門の前に立っていた。
「──ああっ!? お、俺、学院に行くなんて一言も言ってないのに!」
セエレは驚愕して叫ぶ。
「はん? なーに言ってんだ、もう着いちまったぜ。今さらわめいたって、戻ってやんねーからな」
「嫌だ、俺は帰る!」
くるりと背を向けた彼の手を、乱暴にレグナムはつかんだ。
「てめー、そんなに負け犬になりてーのかよ」
生意気な言い草が
「俺は負け犬なんかじゃないっ!」
「あっそ。じゃ、学院に行くよな?」
「──ああ、行くとも、行ってやるさ!」
売り言葉に買い言葉、彼は勢いで答えていた。
「よしよし、その意気だ。ガキんちょは、そんくらい元気なくっちゃな」
レグナムは、にっと笑って彼を解放した。
「なにがガキだよ、お前の方が年下じゃんか。
……もう、仕方ないなぁ。こっちは心の準備も、全然できてないってのに……」
乗せられてしまったと気づいたセエレは、諦めのため息をつき、門の向こう側に視線を投げた。
夕闇迫り来る中に、巨大な魔法学院の
「けど、すごいよな。カミーニから王都アロンまではあんなに遠いのに、たった一度唱えただけで……。
俺だったら絶対、いっぺんじゃ来れないよ。
でもさ、これからどうするんだい? 暗くなると、周囲に結界が張り巡らされて、部外者は入れなくなるんだぜ。
学院には色んな貴重品があるから、特に夜の警備は厳重なんだ。今から忍び込むのは無理だと思うけど……」
そう言ってセエレが振り返ったときには、すでにロティオンは門に歩み寄っていた。
「心配無用だ、堂々と正面から行くさ」
「わっ、バカ、やめろ!
結界が張ってあるって言ったろ、弾き飛ばされるぞっ!」
だが彼の懸念は外れて、なぜか結界は何の反応も見せず、しかも門までが音もなく開いて魔法使いを迎え入れ、金髪の少年も平然と後に続いた。
「セエレ、急ぎなさい。学院長に会わなくては」
「が、学院長に!? けどなんで結界が……あっ、ま、待ってくれよ!」
面食らっていた彼はロティオンの言葉に我に返り、ともかくも門をくぐると、小走りで彼らを追った。
門の中は、広い中庭になっている。
ようやく二人に追いつく寸前、ただならぬ気配を感じて顔を上げたセエレの眼に、のしかかるようにそびえ立つ、巨大な姿が飛び込んできた。
全身を覆う、
セエレの顔から血の気が引いた。
「げ、まずい! そいつは侵入者よけの魔物だ、夜だけ中庭に放されるんだ!
くそっ、すっかり忘れてた!」
眼を持たぬこの魔物は、その敏感な
魔法学院の番犬とも呼ぶべき怪物は、地響きを立てながら、凄まじい勢いで先行する魔法使い達に肉迫する。
(ヤバイ、このままじゃ二人共、食われちまうっ!)
焦ったセエレは辺りを見回し、眼に留まった棒切れを素早く拾い上げて、走りながらそれをかざした。
「そいつはたしか、光に弱いんだ! これに火をつけて! 早く!」
叫びながら彼はさらにスピードを上げたが、少年の足よりも怪物の移動速度の方が、格段に早かった。
モンスターは、たやすくロティオンとレグナムを追い抜いて進路をふさぐと、声なき雄たけびを上げて周囲の空気を鳴動させる。
「ダメだ、間に合わない──!」
セエレは、次に起こる惨劇を想像し、思わず顔を覆った。