~紅龍の夢~

番外編 魔法学院に潜むもの (3)

「そうだ。あんな悲劇を未然に防ぐためにも、話してはもらえないかな?
……それに、これはファイディー国だけの問題ではない、人界すべてに関わる一大事なのだよ」
ロティオンは穏やかに言った。
今までの経緯(いきさつ)と、相手が下手に出たことが、セエレを答える気にさせた。
彼は粥の皿を置き、唇をぬぐうと口を開いた。
「分かった、教えてやるよ。あんたのいう通り、盗まれたのは“禁呪の書”さ」

二人の魔法使いは、顔を見合わせた。
「何と、“禁呪の書”が、まだ人界に残っていたとは……!」
「ヤベーぜ、魔物が使ったら!」
セエレは、その反応に興味をそそられた。
「なあ、古代の魔法って、そんなにヤバイものなのか?」

「無論、威力はそれぞれ違う。
しかし中には、使い方を誤ると世界が一瞬で滅んでしまうような、危険極まりないものもあるのだ……」
ロティオンの声は低く、そして暗かった。
「……えっ、そんなに危ないやつもあるの?」
「そう、だから、所有者は“書”を注意深く隠した上、厳重に封印するはずなのだ、悪用されないようにね。
魔法学院でも当然そうだったはずだが。
……ともかく、詳しい経緯を話してくれるかい」

促された少年はうなずき、話し始めた。
「うん。……えっと、あの日はたしか、授業の最中、学院長室に呼び出されたんだ。
なんだろって思って、急いで行ったら、先生達がずらっと並んでて、そんで、いきなり責められたんだよ、盗んだ物を返せって。
今すぐ返したら、罰は軽くて済むからって。
俺、何のことだかさっぱり分かんなくって、ぽかんとしちまった。
だって、“禁呪の書”なんてものがあること、そん時初めて知ったんだぜ、学院に封印されてたってのもさ。
……なのに、どうやったら盗めるってんだか……」
セエレは、ため息をつき、首を振った。

「……ふむ。では、証拠は?」
「え……?」
少年は戸惑い、ロティオンを見上げた。
「教師達がキミを犯人としたその根拠は、何だったのだね?」
「……ああ、学院にはさ、真実だけを映し出す魔法の鏡が伝えられてて……って言うか、それも俺には初耳だったんだけど。
とにかく、そいつに、俺が犯人として映し出されたって言うんだ」

ロティオンはうなずいた。
「“真実の鏡”ウェリタースだね、知っているよ」
セエレは顔をしかめた。
「あんた、何でも知ってるんだな。でもそれって、ホントに真実しか映さないのか?
だって、俺、全然覚えがないんだぜ! 部屋や荷物も散々探されたけど、そんな本、出て来なかったんだ!
なのに……」
「……なるほどね……物証はなくとも、“(ウェリタース)”のせいで、状況はキミに不利だったわけだ……」
魔法使いは考え込んだ。

「けどな、誰が何て言おうと、俺は盗んでなんかないぞ!
今は、しょうがないからスリやかっぱらいやってるだけで、学院で泥棒なんて、絶対やってない!」
セエレは、固くこぶしを握り締めた。
うっすらと涙が浮かんでいるその青い瞳は、一点の曇りもなく澄み切っている。

黒衣の魔法使いと金髪の少年は、うなずき合った。
「分かった。そういうことなら善は急げだ、今すぐキミの濡れ衣を晴らしに行こう」
「犯人見っけて、ぶん殴ってやろーぜ!」
「し──信じてくれるの!?」
ぱっと少年の顔が明るくなったが、それも一瞬だった。
すぐに瞳の輝きは失せ、うなだれて彼はつぶやいた。
「……あれからもう、二年近くも経ってんだぜ、今さら行ったって……」

「なんだよ、軟弱者。ンな気弱なコトでどーすんだ」
そう言った金髪の少年を、セエレは暗い眼で(にら)みつけた。
「お前に、お前に何が分かるんだよ……!
あんとき──必死になって無実だって言ったのに、誰も信じてくれなかったんだぞ!
それどころか、嘘ついたから罪は倍だとかって、魔力まで封印されちまったんだ──何も持ってない俺の、唯一の取り()だったのに! 
今頃、ノコノコ出てって何が変わるんだよ、また(ひど)いこと言われて、放り出されるのがオチ──もう……もう、あんな悲しくて辛い思いなんか、したくないんだ!」

「──けっ」
レグナムは鼻にしわをよせた。
「ダメだな、こいつ。いじけちまって、救いようがねーぜ、ったく。
こんなバカ放っといて、もー寝ようぜ、ロティオン」
「ああ、放っといてくれ。もういい。何もかも、もうどうだっていいんだ。
……どうにもなりゃしないんだから……」
セエレは背中を丸め、足を引きずるようにして、戸口に向かった。
それでもドアノブに手を掛けると、彼は小さな声で言った。
「……お粥、うまかったよ、ありがとう。あんたらのこと、忘れない……」

再びロティオンとレグナムとは目配せし合った。
「待てよ、セエレ。悪りぃ、今のは言い過ぎたな。そーカンタンに諦めんじゃねーよ」
金髪の少年が引き止めると、魔法使いも続けた。
「ともかく今日はもう遅い、泊まっていきなさい。疲れているのだろう?」

「えっ、な、なんで!? 俺、あんたのサイフ、すろうとしたんだぜ!」
勢いよく振り向いた少年に、魔法使いは優しく言った。
「仕方なくスリをやっている、キミはそう言ったろう?
一晩ぐっすり眠れば気力も回復するさ。学院のことはそれから考えよう」

「え、で、でも……」
セエレはまだためらっていたが、レグナムは浴室を指差して言った。
「けど、お前、寝る前にフロ入った方がいいな、すっげー臭うぞ。よく洗ってこい」
「遠慮はいらないよ、ゆっくりしておいで」
ロティオンもさらに促した。

「……う、うん、ありがと」
突っ張っていてもまだ子供、二人の言葉に救われた気分になり、セエレはそれ以上は逆らわず、入浴することにした。
「そろそろ暗くなるから、これを」
ロティオンが、ランプに火を点して彼に渡す。
「うん」
それを受け取り、彼は浴室の扉を開けた。

ランプを頭上のフックにかける。
「ふーん、なかなかじゃん」
さすがに観光を売り物にしているだけあって、揺らぐ灯りに映し出された風呂場は、さっきのみすぼらしい部屋よりも数段力を入れて作られているように見えた。
脱衣する場所こそ狭かったものの、浴室自体は思ったよりもゆったりとしており、岩を組んで作ってある広い浴槽には、四角い(とい)から常時、もうもうと湯気を上げながら白濁した温水が流れ込んでいる。

「さて、と……」
一通り室内を見渡した彼は、手早く服を脱いでカゴに入れ、(あか)とほこりにまみれた体と髪を洗い始めた。
備え付けの石けんが、見る間に小さくなっていく。
汚れがすっかり落ちると、体が少し、軽くなったような気がした。
その後、ほどよい温度の湯にゆったりと体を沈め、彼は大きく息を吐いた。
「……はあぁ~、い~い気持ちぃ……! 温泉なんて何年ぶりだろ……」
夏には、時たま川や池で水浴することはあったものの、ちゃんと風呂に入ったのはいつだったか、思い出せないほどだったのだ。

しばらくして。
久方ぶりの入浴を堪能(たんのう)したセエレは、湯から体を引き上げ、服を着ようとカゴに向かった。
しかし、伸ばしかけた手がぴたりと止まり、彼は顔をしかめた。
ついさっきまで身に付けていた着衣は、汚れ、破れているだけでなく、ひどい臭気が立ち昇っていて、もはや服とは呼べないような代物だということに、そのとき初めて気づいたのだ。
「……うっへえー、せっかく綺麗になったのに、こんなもん着たら……」

洗ってみようかとも思ったが、触る気も起きない。
それに、この服は一年以上前のもので、彼にはかなり小さくなっていた。
「やーめた」
彼は鼻にしわを寄せ、汚れ放題の物体に背を向けた。
「後は寝るだけだし。裸でも毛布にくるまってれば、風邪も引かないさ」
そうつぶやいてタオルを腰に巻き、さっぱりした気分で浴室から出た途端、少年は息を呑んだ。

「こんなボロ宿のフロでも、気分いいもんだろ?
そらよ、これ着な」
ベッドに長々と寝そべっていたレグナムが、彼目掛けてバスローブを放る。
しかし、セエレはそれを受け取ったまま、呆然としてしまっていた。
「……どしたぁ? 口、ぽかんと開けてよ」

彼があっけに取られるのも、無理はなかった。
先ほど浴室に入っていくまでは、お粗末としか言いようがない安宿の一室だったはずが、今は王侯貴族も眼を見張るほどの絢爛(けんらん)豪華な部屋へと変貌を遂げていたのだ。
広さは、それまでの三倍ほどになり、天井は高く、シャンデリアが眩いばかりの光を投げかけている。
窓には厚手のカーテンがかけられ、床には一面、落ち着いた色合いの絨毯(じゅうたん)が敷き詰められて、その上に天蓋(てんがい)付きの大きなベッドが三台、各々少し離れた場所に据えられていた。

「驚かせてしまったかな、セエレ。
慣れたベッドで眠りたいから、どこに泊まっても、夜はこうしているのだよ」
真ん中のベッドに腰かけ、さりげなくロティオンが言ってのける。
寝る間際だと言うのにローブを脱がず、フードも深く引き下げたままの姿だったが、もはやセエレは、まったく気にならなくなっていた。
「す……すごい、どんな呪文を使ったんだ!?
あんた、上級魔法使いだったんだな!」

「知りたければ、後で教えてあげるよ。
……さあ、もう夜も()けた、そろそろ寝よう」
「う、うん」
バスローブに手を通したセエレは、またも眼を見張った。
「こ、これ、シルク……?」

「朝になったら新しい服、出してやるからよー、それで我慢しろ」
レグナムが、またも手を振る。
「あ、新しい服くれんの? このバスローブだって、すごいのに!
……でも、寝られるかな、こんなすごいトコで……」
「大丈夫、寝心地はいいはずだよ。私の屋敷の来客用ベッドで悪いが」

「わ、悪いわけがないだろ!
──ああ、初めてだよ、俺!
すべすべのバスローブに、ふかふかのベッド!」
少年はスプリングの利いた寝台に飛び込み、次の瞬間、溺れるように深い眠りに落ちていた。