その夜。
「わぁん、痛い、痛いよぉ……!」
『明日、余、みずからが治してやる。それまでは尻の痛みに耐えているがよいぞ。
自力で回復などすれば──わかっておろうな、今一度、百回打たれるのを覚悟せよ!』
魔界王は、いたずらが過ぎる息子にお
「ちっくしょう、くそったれ、サマエルのヤツ! 今に見てろ、絶対──!」
魔界の王族にはふさわしくない悪態をつきながら、第一王子がシーツをわしづかみにした、そのとき。
「絶対──どうするわけ?」
悔し涙でかすむ目の前に、ふっと憎い弟の姿が現れた。
「サマエル! お、お前のせいで俺はこんな目に──!!」
「……痛む?」
「当たり前だろっ!
父様は、日頃のストレス解消に、ここぞとばかり散々ぶつんだからっ!」
心配そうに尋ねる弟に向かって、タナトスは
「それくらい元気なら大丈夫だね、よかった。
でも、自分のしたことでもないのに罰を受けるってどんな気持ちだい、タナトス?
まあ、半分はお前のしたことだけれどもね」
弟に優しく声をかけられても、タナトスは反省する様子もなく、眼を燃え上がらせた。
「このぺてん師め、覚えてろ! 絶対、仕返ししてやるから!
今に見てろ! みんなの前で大恥かかせてやるからな、父様に二百回ぶたれて泣きわめけ!!」
かみつきそうな勢いで言い返されて、サマエルは大きくため息をついた。
「ふう……もういい加減によさない? タナトス。
ぼくはもう、誰ともケンカしたくないんだよ。
……ね? 仲良くしようよ」
「うるさい! 一人でいい子ぶりやがって! 殴ってやる!」
タナトスは痛みも忘れて弟につかみかかったが、身軽によけられ、ベッドに倒れ込んでしまう。
「痛ててててて! ち──ちくしょう!」
「やれやれ……しょうがないな……」
第二王子は再び息をつき、兄の顔を覗き込んだ。
「タナトス、お前がその気ならそれでもいい……だけど、これだけは言っておくよ」
「ふん……弱っちいお前が、何を言うんだって?」
タナトスは顔をそむけた。
「ぼくが言いたいのは、もう一度、今日みたいなことをするつもりなら──今度は、お尻の百たたきくらいじゃ済まないかもしれない、ってことさ……!」
言いながらサマエルの声は徐々に鋭く、氷も同然に冷たくなっていく。
「……お前が手を出さなければ、ぼくも何もしない。
だけど、お前が、次に何かをするときは──覚悟するんだね……その時はぼくも、全力を出すよ……!!」
「え……」
日頃、弱さしか感じない、優しい弟の声を聞き慣れていた第一王子は驚いて顔を上げ、途端に背筋が凍りついた。
サマエルの両眼は常と異なり、激しく燃える暗い炎を宿して闇色の宝玉と化し、かなり伸びてきた髪が、何百もの蛇が鎌首をもたげているかようにうねうねとのたうち、異様な紅さを帯びた唇には、冷酷極まりない笑みが張り付いている。
その背後に、オーラのごとく広がるのは……ただ、暗黒。
星も月もなく、喜びも楽しさも生命の息吹さえも、すべて飲み込んでしまいそうな真の闇が、ぽっかりと口を開け待ち構えている……。
これまでは、正反対の印象を与える兄弟だったのだが、今サマエルは兄そっくりに見えた。
もし、ここに彼らを見慣れている者がいたとしても、二人を区別することはできなかっただろう。
彼もまた、魔族の王子──暗黒の
タナトスは言葉を失い、そんなサマエルをただ見つめるばかりだった。
彼がまったく知らない弟が、そこにいた。
そして、このとき第二王子は、またしても
“──クッククク……
新たなる『
漆黒の魔眼もて人々を惑わし、身も心も
狂気と苦痛、死と恐怖を
──アハハハ、アハハッハ、ハッハハハハハ──!”
だが、その不気味な声は以前ほどサマエルに恐怖を与えず……それが逆に彼を怖がらせ、体はいつまでも小刻みに震え続けた。
彼は、心のどこかで気づいていたのかもしれない……
THE END.