~紅龍の夢~

番外編 魔界王家の王子達(8)

その日の午後、サマエルは、父王の書斎へと足を運んだ。
魔界王は、午前の謁見が終わった後、たいてい書斎にいて執務をしているのだった。

「……陛下、お仕事中お邪魔しまして、申し訳ありません……。
言いつけるようで気が進まないんですが……兄上が、またイタズラをしたんです……。
今度は、女官のドレスを燃やしてしまって……。
ちょうど私が通りかかって消し止めたんで、大事には至らなかったんですが……」

書斎に通された第二王子がそう切り出すと、魔界王はようやく書類から顔を上げた。
自分とそっくりな眼が、怒りで()色に燃え上がっているのが見て取れ、自分の話などやはり聞いてはもらえないのかと、サマエルは悲しくなった。
しかし、それは、彼の早合点だった。

「すでに聞いておる、ちょうどよい、そなたも呼び出そうと思っておったところじゃ」
「そうでしたか」
サマエルはほっとした。
「……何でもあやつは、またもや悪ふざけを()したのみならず、そなたに罪を着せようと画策致したそうじゃな。
この頃は、そなたと争うこともなく、ようやく分別がついてきたと思い喜んでおったが、まったくもって!
もはや、容赦はせぬわ!!」
サマエルが心の中でにやりとした、ちょうどその時、ノックの音が響いた。

「失礼致します、陛下。タナトス殿下をお連れ申しました」
「入るがよい」
「は」
アスモデウス導師が、第一王子を従え、入室してきた。
途端に、魔界王は怒りを爆発させ、激しく眼を燃え立たせて息子を叱責(しっせき)した。

「タナトス! 悪ふざけも大概にせよ!
本日は、女官が二人も(、、、)被害を受けたとの苦情が参っておる。
弱者を(しいた)げる者に、王たる資格はないのじゃぞ!」
「ぼ……ぼくじゃないよ、サマエルだ! ぼくは、ちゃんと授業を受けてたよ、父様!」

言い返しながら、ある可能性に思い至ったタナトスは、さっと弟に視線を向けた。
対するサマエルは胸を張り、迷いのない瞳で兄を見返した。
落ち着き払ったその態度からは、かつての弱々しさは、微塵(みじん)も感じられない。

「私は無実です、陛下。その証人として、今朝の女官を呼んでいただきたいのですが」
彼はしごく冷静な声で、父王に告げた。
「すでに呼んである。あの者達をここへ」
「は、ただ今」
小姓が礼をして退出する。

「……ミランダと申します、陛下」
「カ、カーリンと申します」
控えの間から呼び寄せられた女官達は、君主の前にひざまずいた。
その二人に、魔界王は命じた。
「儀礼はよい、(おもて)を上げ、本日の出来事を述べてみよ。
まずはミランダ、そなたからじゃ」
「……は、はい、それでは申し上げます……」
うつむいたまま、おどおどと一人目の女官は話し始めた。

「今朝、わたくしが回廊を歩いておりますと、“イグニス”の声と共に服が燃え上がりまして……。
その時に銀髪のお姿を拝見致しましたので、そのときは、サマエル殿下のいたずらと……つい、そう思ったのでございます……。
ですが、直後、本物のサマエル殿下がいらっしゃいまして、火を消して下さいましたので、それは誤りであったと……わかったのでございます……」

「うむ。そなたはいかがじゃ、カーリンよ?」
王は首肯(しゅこう)し、もう一方の女官に尋ねた。
「はい……。わたくしは……タナトス殿下も……サマエル殿下も、お姿は見ませんでした……。
服が燃えただけで……。ですが……」
「この者の話を聞き、てっきりタナトスの仕業(しわざ)と思った……のであろう?」
「はい……」
消え入りそうな震え声で、カーリンは答えた。

「な……なんで、俺、いや、ぼくの仕業なのさ、父上!
そいつは銀髪だったんだろう、サマエルが火を点けといて、知らないふりして走って来たに決まっじゃないか!
だって、こいつ、授業に遅れてきんだって! ホントだよ、先生に確かめてみてよっ!」
第一王子はむきになって叫び、弟王子に指を突きつけた。

「アスモデウスよ、それはまことか?」
御意(ぎょい)
導師は深々と頭を下げた。
「サマエル様は飲み込みがお早く、近頃では水晶占いに興味をお持ちになられておられましたゆえ、占いに()けた我が弟子に教えさせておったのですが、確かに本日、殿下は遅れて参られたとのこと」

「ふむ、ならば……」
言いかける主の言葉を察し、家臣は否定の身振りをした。
「いえ、陛下。弟子を召喚(しょうかん)致すまでもございません。
殿下が遅れて参られた理由は、専用の水晶球を創らせるため、セウトゥスの工房へお行きいただいたゆえにございます。
……ご承知の通り、あやつめは、持ち主の波動に合った魔法具を創らせれば、魔界随一の腕を誇っておりますが、決して依頼主の許へは来ようとせぬ、偏屈な変わり者でございますゆえ……」

「さようか。それゆえ遅れたのじゃな、サマエル」
父王の問いに、第二王子は静かにうなずいた。
「……はい、陛下。
セウトゥス殿に水晶球を創ってもらい、部屋に戻る途中で、女官の叫びを聞いて、走っていったんです。
そしたら、火が出てて……」
「ふむ……時間的には符合しておるな」

魔界王がつぶやき、あごひげをなでつけたその時、一人目の女官が口をはさんだ。
「あ、あの、わたくしをお助け下さいましたとき、サマエル殿下は確かに、水晶球をお持ちになられておいででした。
それに……あ、失礼致しました、差し出口をお許しください、陛下……」
「何じゃ、遠慮はいらぬ、申してみよ」

「は、はい……。
わたくしがあのとき、最初にお見かけしました銀髪のお方は、水晶球はお持ちになっておらず、また、黒いお洋服をお召しでございました。
ですが、そのすぐ後に来られたサマエル殿下は、青いお召し物を……」
「しかと、相違ないか」
重々しい口調で、魔界の王は念を押した。
「……間違いございません」
伏し目がちだったものの、女官の答えははっきりしていた。

「……なるほど。
つまるところ、たとえサマエルが一人二役を演じたとしても、わざわざ、さような細かいところまで変えたりはすまい……そう、そなたは申したいのじゃな」
「はい、さようでございます」
ミランダは今度は顔を上げ、君主の眼をまっすぐに見ながら返事をした。
元々、彼女は乱暴な兄王子はあまり好きではなかったし、今度のことですっかりサマエルびいきになっていたのだった。

その様子を心に留めて、魔界王は再び教育係に問いかけた。
「アスモデウスよ、そなたはいかに考える?」
「……は。
タナトス様が、弟君様に成りすまされる……それ自体は、幻覚魔法をご習得済みですので、比較的たやすいことと存じ上げます。
……それゆえ、今回のことは……」
アスモデウスは、ちらりと第一王子に視線を走らせた。

「な、何で決めつけるんだよ、ぼくは、やってないってば!」
反射的にぎくりとしてしまったタナトスは、それを打ち消そうと大きな声を上げた。
「今少し黙っておれ、タナトス。異議あらば、後でゆっくり聞こうぞ。
アスモデウス、続けよ」
魔界王は息子をたしなめ、家臣を促した。

「……は。では、続けさせていただきます、陛下。
それに引き換え弟君様の方は、兄君様よりかなりお遅れになっておいでゆえ、一瞬にして衣服を替える、あるいはそれと見せかけるなどという中級以上の呪文は、到底お使いになれぬことは明白でございます」

長年王子達を教えてきたアスモデウスだったが、第一王子タナトスには心底、手を焼き通しだった。
対する第二王子の方は真面目で、これまでは子供らしい悪ふざけ一つ、したことがない。
……となれば、兄王子の仕業に違いないと、彼が思ってしまうのは至極(しごく)当然の成り行きだった。
そしてベルゼブルもまた、同様の結論に達した。

「ふむ、さようか。
──タナトス、これでもまだ、やっておらぬと申すつもりか?
魔族の第一王子ともあろうものが、恥ずかしくはないのか!」
父王に真正面から見据えられ、タナトスは、ついに観念した。
「……ちぇっ、わかったよ、ごめんなさい、ぼくがやりました、こっちの女はね!
でも、もう一人は知らない、ホントだよ、信じてよ、父様!」

「黙れ! まだ白を切るつもりか!? しかも、弟に罪をなすりつけようとするとは!
もうよい、お前の罰は、尻百たたきじゃ!!」
「えええ──! そんなぁ!」
気の短い魔界王は、息子の言い訳をわざわざ聞く耳など持たず、無慈悲に裁定を下した。

その刹那、サマエルの紅い唇の端が、かすかに持ち上がったことに気づいた者は誰もいなかった。