~紅龍の夢~

番外編 魔界王家の王子達(7)

父王に念を押されたせいもあり、その後しばらくはタナトスも神妙(しんみょう)にしていた。
だが、それも長くは続かない。
長年の習慣もあり、サマエルが元気になるにつれ、再びちょっかいを掛けるようになっていった。

ある昼下がり、タナトスは、勉強を終えたばかりの弟の部屋にやって来た。
「なあ、お前、魔法どこまで覚えた? やって見せろよ」 
サマエルは眼を見開いた。
「……え? でもアスモデウス先生は、むやみに授業以外で使うなって……」
「ほんのちょっとだけなら、わかんないさ!
それとも、お前、覚えたのは復元魔法だけなのか? ホント、ノロマだなあ」

「ぼくはノロマじゃない、もっと覚えたよ」
「ほんとかあ? 口で言うだけなら何だって言えるだろ、もったいぶらずに、やってみせろって!」
「でも……」
「へっ、腰抜け。先生がそんなに怖いのかよ」
「……そんなに言うなら見せてやるさ!」

初めは躊躇(ためら)っていたサマエルも、やはりまだ子供、しつこく言われているうち、ついつい兄の挑発に乗ってしまった。
「じゃあ……いくよ……。
──イグニス!」
第二王子は意識を集中させ、机の上にある燭台のろうそくに火を点けて見せた。

「ふん。なんだよ、そんな小さな火」
兄王子は、小バカにしたように鼻を鳴らした。
「え、だって、こんなトコで、大きな火なんか出したら危ないよ」
「臆病者。見てろよ!
──イグニス!」
タナトスの指先から、勢いよく紅い炎が放射される。

「わっ!」
とっさによけたサマエルをかすめて炎は机に襲いかかり、あっという間に包み込んだかと思うと、さらにカーテンを伝い上がって天井にまで達しそうになった。
火炎のすさまじい勢いに、二人の顔が熱く火照る。

「危ないよ、タナトス! 火事になっちゃう!」
「──クゥエンチ!」
叫ぶ第二王子をしり目に第一王子が再び唱えると、激しい火炎は一瞬で凍りつき、消えた。

「あーあ……ぼくの机、燃やしちゃって! どうしてくれるのさ……先生にも怒られるよ!」
「ふん! そんなもん、すぐ直してやるさ!
──我が力によりて破壊されしものどもよ、元の姿に戻れ!
──エクス ポウスト ファクトゥ!」

燃え尽きた机や焦げた天井が、みるみる復元されてゆく。
タナトスは、魔法を見せびらかすのが楽しくてしょうがない、と言った様子だった。
「へへん──どうだ、すごいだろう? 俺の魔法!
お前のへなちょこ魔法じゃ、何年かかってもできっこないな!」

(──負けるもんか、ぼくだって……!)
サマエルは唇を噛んだ。

そんなことがあってから、第二王子は、正規の授業以外にも密かに練習を繰り返し、やがて、初級どころか中級の魔法も、ほとんどマスターしてしまった。
もともと素質はあったのだ。上達は早く、あっと言う間に兄以上の腕前になっていた。
だが、それを知らないタナトスは自慢したり、からかったりするのをやめなかった。

不用意に喧嘩などして、仕置きを受けるなんて真っ平と我慢していたものの、兄王子のしつこさにはいい加減うんざりしていた、そんなある日。
弟王子は、いい手を思いついた。

「……だってぼく……後に始めたんだから、そんなに早く、上達なんてできっこないよ……」
「いいから、お前が習った一番強い魔法を使ってみろって!」
「……それじゃあ、やってみるよ。……でも、上手くいかなくても、文句言わないでくれよ」
「わかったから、早くしろ」
「う……うん」

その日もタナトスはやって来て、うるさくサマエルにまとわりついていた。
そこで、気弱そうに答えながら彼がこっそり唱えたのは──例の呪文、“マレフィック”。
もちろん威力は、初めて使ったときより遥かに抑えてある。
それくらいの力の加減は、彼はもう完璧にできるようになっていた。
「!? ──うわあああっ──!?」
哀れ兄王子は、またもや派手に吹き飛ばされた上、服や髪までちりちりに焦がされてしまった。

「──くっそぉ、サマエル、卑怯だぞ! “マレフィック”だろ、今の!」
「……え? ううん、違うよ、マレフィックじゃない。
でも、ごめん。強くなりすぎちゃった。やっぱりぼく、まだ下手だね」
弟王子は首を横に振りながら、心の中で舌を出していた。
「この大嘘つき! 先生に言いつけてやる!」
怒ったタナトスは、そのままの格好で飛び出して行った。

「──先生、サマエルがひどいんだよ!」
いきなりドアを開けて、ずかずかと部屋に入って来た第一王子にアスモデウスは面くらい、本を閉じて棚に戻すと、その哀れな姿を見つめた。
「……いかがなされたのですかな、タナトス殿下?
それにですぞ、いかに臣下の者と言えど、他人の部屋に入るときにはノックをなされ」

「そんな悠長(ゆうちょう)なこと言ってる場合じゃないよ!
これ、見て! サマエルが、魔法でぼくの髪や服を燃やしたんだよ!
それも、前にお城を壊しちゃった”マレフィック”を使ったんだから!!」
「……弟君が左様なことを……まことでございますか?」
「嘘なんかついてないよ、あいつをうんと叱ってやって!」
「むう……それはいけませんな」

そこで導師は第一王子を連れ、第二王子の部屋へと向かった。
「サマエル殿下、兄君様のおっしゃることは本当なのでございますかな?
あれほど、授業以外では使ってはいけません、と申し上げておきましたのに」
「ご……ごめんなさい、先生……。
ぼく……早く上達したくて……つい、使ってしまいました……!
でもまだ…あまりうまくはできなくて……そんなに……ひどく燃やすつもりなんか……なかった……。
ごめんね、タナトス……どんな罰でも受けるから……許して……」

言いながら、サマエルは胸の前で祈るように手を組み合わせて、うなだれた。
必死に笑いをこらえているので肩が震え、今にも泣き出しそうに見える。
すると、気弱だった頃のサマエルの印象が強い教師は、ころりとだまされてしまった。

「……いやいや、それほどお気になさることはございませんよ、サマエル殿下。
今にきっと、お上手になられます。
タナトス殿下、今回のことは大目に見て差し上げてください。
弟君は、魔法に関してはまだ、初心者でいらっしゃるのですからな」

タナトスは顔を真っ赤にした。
「嘘だっ! こいつ、ホントはもう、魔法を上手に使えるんだ!
──サマエルの嘘つき!」
「……嘘じゃないよぉ……信じて……タナトス、先生ぇ……」
サマエルは涙をぬぐうふりをして、声を震わせた。

それは、魔法が使えるようになる以前の、彼の仕草そのものだった。
しかしタナトスは、弟の眼が涙で濡れてなどいないことをしっかりと見破っていた。
「こいつ! 化けの皮を()がしてやる!」
タナトスは弟につかみかかろうとしたが、教師に腕をつかまれた。

「何すんだよ!」
「いけませんな、殿下。ご自分の思い通りにならないと、すぐそうやってお手をお出しなさる。
弟君を許して差し上げなさいませ。偶然、効き目が強くなり過ぎた……それだけのことなので
ございますから」
「──くう──! 先生、俺のこと信じてくれないの!?」

「お気持ちはわかりますが、誰にでもあやまちはございますゆえ、今回はわたくしに免じて、
この件はお忘れなさるがよいと心得まするぞ、タナトス殿下」
「ええ──!? そんなのないよ!!」
いくら抗議しても相手にされない悔しさにタナトスは歯噛みしたが、教師にそう言われてしまうと引き下がるしかなかった。

「……ちっくしょう、サマエルのヤツ、いい子ぶって──!!
いつか必ず、絶対絶対、やっつけてやるからな──っ!」
彼は自室に戻ってからも、幾度となく地団太(じだんだ)を踏んだ。

そして、数週間たったある朝、弟へ仕返しするチャンスが、ついに第一王子に巡って来た。
サマエルが初めて魔法を使えるようになった日、二人の悪口を言っていた女官が、独りで回廊を歩いているところを見かけたのだ。

(あ、この女! 
あの時は、ベラベラと俺達の悪口並べやがって、ホント、ムカついたんだよな……!
──そうだ、いいこと考えたぞ!
この女を、豚みたいに丸焼きにして、サマエルがやったことにしてやれ!!
……くっくっく……ああ、想像するだけで愉快だっ!)

笑いをこらえ、弟の姿を強く心に思い浮かべながら、彼は小声で呪文の詠唱(えいしょう)を行う。
「──千変万化(せんぺんばんか)なる幻影(マーヤー)よ、我が風姿(ふうし)を、魔界の第二王子サマエルとして(かたど)れ。
──ファンタズ・マ・ゴーリア……。
……お、うまくいったな」
首尾よく弟そっくりに変化(へんげ)した第一王子は、にやりとし、猫のように音もなく女官の背後に忍び寄っていく。
ついに女の真後ろに到達した彼は、大きく息を吸い、(うら)みを込めて呪文を唱えた。
「──イグニス──!」

とたんに薄青いドレスから真紅の火の手が上がり、女は悲鳴を上げた。
「──きゃあああああっ!」
「あっははは、いい気味だ! 黒焦げになっちゃえ!」
「サ……サマエル様!?」
「──ムーヴ!」

わざと女官に姿を見せつけてからタナトスは自室に移動し、元の姿に戻ると何食わぬ顔で教師を迎え、退屈な授業を我慢して受けた。
兄王子にとって一つ誤算だったのは、そのとき、サマエル本人が近くを通りかかっていたことだった。
叫びを聞いた弟王子は、すぐ現場に駆けつけて女官を助けた。

「……ふう、消えたね、火傷(やけど)はしてない?」
「はい、何とか……あ、ありがとうございました、サマエル殿下……」
「でも、なんで、こんな何もないところで火が点いたの?」
尋ねられた女官は、ぽかんと口を開けた。

「……なぜ…とお尋ねで……?
ですが…先程、呪文をお唱えになったのは、サマエル殿下……では……?」
「なんだって? 火を付けたのは、私だと言いたいのか?」
サマエルが怒りよりも驚きで眼を丸くすると、女官はあわてて頭を下げた。

「お、お許しください! 
銀髪のお姿が目に入りましたので、つい、そう思ってしまったのでございます、失礼致しました!」
「わかってくれればいいんだよ。
誓ってもいいけれど、私はそんなことはしていないからね」
「はい……申し訳もございません……。
ですが……それでは、さっきのお方は……」

その先を口に出していいのか迷い、口ごもる女官の顔を改めて見て、彼は気づいた。
(おや、この女官は、あの時の一人じゃないか。
……そうか、タナトスのヤツ、ぼくに罪をかぶせるつもりなんだな!
よぉし、そっちがその気なら……!)
第二王子の紅い眼が、きらりと光る。

「なるほど……わかったよ、父上には私から申し上げておこう。
後で聞かれたら、正直にお答えすればいい。私も証人になってあげるから。
あっと、ごめん……気づかなくて」
ボロボロのドレスを気にしている様子に気づくと、サマエルは急いで呪文を唱えた。
「──力によりて破壊されしものどもよ、元の姿に戻れ!
──エクス ポウスト ファクトゥ!」

あっという間に元通りの姿になった女官は、深々とおじぎをした。
「ありがとうございます!
こともあろうにサマエル殿下を疑ってしまったわたくしをお許しくださった上、直々に魔法をお使い下さる
など、身に余る光栄でございます……!」
「いいんだよ、それよりごめんね、タナトスが迷惑かけて」
「……ああ……もったいないお言葉でございます、殿下……」
女官は眼をうるませた。

(ふうん……ちょっと使っただけで、こんなに感謝されるのか、魔法って……。
いや、ぼくが“王子”だから、この人は大げさに感激して見せてるだけかもしれない……)
サマエルはどこか冷めた眼差しで、女の態度を観察していた。

「それより、キミはどこへ行くところだったの?」
「あ、大変、急ぎの仕事の途中でございました……!
それでは、サマエル殿下、これにて失礼させていただきます」
「うん、気をつけてね」
「はい、ありがとうございました」

再び深々と礼をして、足早に去っていく女官をその場で見送り、サマエルは考えを巡らした。
その眼は、かつての泣き虫だった頃とは、まったく違う光を帯びている。

「……さて、と……もう一人の女官は、今、どこにいるだろうな?
彼女にも、役立ってもらわなくては……ね」
彼はつぶやくと、微妙な色を湛えた瞳で、ちょうどよく(たずさ)えていた水晶球を覗き込んだ。