イシュタルやベルゼブルの心配をよそに、サマエルは魔力を失うことはなく、一週間後には歩けるまでに回復して、汎魔殿の人々を驚嘆させた。
魔界の住む者達にとって魔力とは、生命エネルギーにも等しい。
そのため魔力を全放出することは、確実に死をもたらすといってもよく、命を取り留めること自体、奇跡に近かった。
また、たとえ生き延びられても、心身ともに衰弱し、廃人同様になるのが常だったのだ。
それはさておき、教育係のアスモデウス導師の
「──イグニス!
……あれ、ヘンだ…な? 今度は点かない……」
魔力の加減というものは、当初思っていたよりも遥かに難しく、一番初歩の火炎魔法でさえも、爆発的に燃え上がってしまったり、あるいはまったく点かなかったりと、なかなかうまく制御できない。
「サマエル殿下、お気を落としにならずに。必ず成功なさいますよ」
「はい。アスモデウス先生、がんばります!」
それでも、念願の“力”を、ついに手に入れた喜びも手伝ってサマエルは
「な~にが、がんばります、だよ。全然上手くならないじゃないか。
先生、いくら教えたって時間のムダだよ、こいつ、超ヘタなんだもん」
「タナトス殿下、お静かに」
「だって、ホントのことだろ」
「お静かにと申し上げましたぞ。弟君の集中のお邪魔でございます」
「ふん、こんなカンタンなこともできないんじゃ、いくら集中したって仕方ないと思うな」
導師にいくらたしなめられても、兄王子は黙るどころか、下唇を突き出して言い返す。
それでも、彼も、最初こそは、責任を感じて弟に教えてやろうとしていたのだ。
しかし、元々わがままな上に、短気と来ては、長続きがするわけがない。
「あーあ、ヘッタクソで見てられないぜ……外で遊んで来よっと」
とうとうタナトスは飽きて、部屋を出て行った。
「ふう。……これでやっと集中できる」
サマエルはつぶやいた。
事実、兄がいなくなってからの方がよほどはかどり、一時間と経たないうちに、彼は初歩の魔法をマスターしていた。
「大変結構です。
さすがは魔界王家のお方、お見事でございますな、サマエル殿下。
この調子でしたら、上級魔法を使いこなせるようになられるのも時間の問題、兄君様よりご上達がお早いかもしれませんな、いや、感服致しました」
満足げにそう口にする相手が、かつては自分にサジを投げていたことを知っていたサマエルの心中は複雑だった。
それでも、今までは処置なしといった表情で自分を見ていた教師が、にこやかに笑いかけてくれること自体には悪い気はしない。
彼は教師に笑みを返した。
「ありがとう、アスモデウス先生。
では、早速ですが、復元魔法を教えて下さい。いつまでも、壊れた壁を放っておくわけにも行きませんし」
しかし、導師は首を振った。
「いやいや、それは、もう少し修養をお積みになってから、ということに致しましょう。
何せ、あれからまだ、たったの十日しか経っておらぬのですぞ。
ご自分で思っておられるより、遥かにお疲れのはず、ご無理をなさってはいけませんな」
「え? 私なら大丈夫ですよ、ほら。
……あ……あれ?」
何気なく立ち上がろうとした彼は、足に力が入らないことに気づいて
「ど、どうしたんだろう、立てない……」
「ご覧なさいませ、本調子に戻られるのには、まだまだ時間がかかるのですぞ」
「………」
サマエルが机の下で拳を握り締めたとき、ノックの音が聞こえた。
「どうぞ」
「失礼致しますわ、アスモデウス導師。
サマエル、お前に必要なのは、本当は休息と栄養分なのですよ、魔法の練習などではなく」
言いながら、叔母イシュタルが、女官達を引き連れて部屋に入ってきた。
女達がてきぱきと机の上を片付け、食事の用意を整えると、彼女は甥の顔を両手ではさみ込んだ。
「やはり顔色が悪いわ。早めに昼食を摂って、その後お昼寝をなさい」
「でも、叔母上、まだ勉強が……」
「──いいから、わたくしの言うことをお聞き、サマエル。
また何日も寝込むのは嫌でしょう?
心配しなくても、汎魔殿は結界の中なのだから、穴が一つ二つ開いていたところで、どうと言うこともないわ。
お前が王子などでなければ、もう少しゆっくり休ませて上げられるのだけれど……お前が弱っていることは皆知っているし、焦らないことね」
「……はい……そうですね、叔母上」
歯がゆい思いを抱きながらも、彼は叔母の言葉に従った。
その後の魔法の授業は、タナトスとは別にしてもらうことで順調に進み、さらに二週間後、復元魔法をサマエルは覚えた。
それに伴い、魔界王は、第二王子サマエルの魔法
そして、いよいよその当日。
サマエルの魔法で破壊された回廊は、さすがに通行に支障のある大きな破片はどけられていたものの、相変わらず壁にはぽっかりと、大穴が口を開いたままになっていた。
そこにずらりと居並ぶ重臣達、貴族達に向かい魔界王は口を開いた。
「──さて、ごく異例なことではあるが、本日第二王子サマエルの魔法披露を行なうことと
何ゆえサマエルの魔力が眠ったままになっていたのかは定かではない、今後の調査を待つこととなろう。
されど現在、何よりも重要なのは、サマエルにも魔力が備わっており、それを首尾よく使いこなすことが可能であるという事実じゃ。
──では、サマエル、前へ」
「はい、陛下、並びに皆様、それでは始めさせていただきます」
サマエルは進み出てまず父に頭を下げ、家臣達にも軽く
眼は内なる炎の輝きで紅く燃え上がり、服や髪までもが力の波動を受けて、激しくはためき始める。
汗がこめかみから滑り落ち、第二王子の体を包む強大な魔力が、そこにいる全員の眼にしっかりと映った。
人々は、思わずざわめき始めた。
「ほう……これは想像以上」
「さすがは魔界王家の王子殿下」
「……強大すぎて、恐いほどのお力ですな」
「なんの、魔界王となられる可能性のあるお方のお力が、大き過ぎて困るなどと言うことはありますまい」
「さよう、すばらしい魔力ではございませんか」
「しかし……今まで、何ゆえこれほどのお力が、発現されなかったのか……」
「──皆様、ご静粛に! 陛下の御前ですぞ!」
魔界王の下、魔界を4つに分割統治するうちの一人である“南のデーモン王”、マンモンの一声で、辺りは静まり返る。
しかし、当のサマエルは、そんな周りの雑音にはまったく注意を払っていなかった。
一回ではすべての復元は無理とアスモデウスに言われていた彼は、それに反発し、一度で決めることだけを念頭に置いて、“気”を最大限にまで高めようとしていたのだ。
そして、ついに“気”は最高潮に達し、サマエルは呪文を唱えた。
「──我が力によりて破壊されしものどもよ、元の姿に戻れ!
──エクス ポウスト ファクトゥ!!」
「──おおっ…!」
人々はどよめいた。
魔法の民である彼らには、目前の壁はもちろん、ふさがった穴の奥にある壊された多数の部屋もまた、唱えられた呪文により復元されていっていることが、直接眼にすることがなくとも感じ取れたのだ。
すべてが終わると、息を凝らして息子の様子を見守っていた魔界王は、晴れ晴れとした表情になった。
「よし、成功したな。よくやった、サマエル」
「はい、ありがとうございます、陛下。
皆様にも、多大なるご心配とご迷惑をお掛け致しましたことを重ねてお詫びし、生まれ変わった私をお導き下さいますよう、改めてお願い申し上げます」
サマエルは、父、そして周囲の貴族達に深々とおじぎをした。
「おめでとうございます!」
「サマエル殿下万歳!」
盛大な拍手と歓呼の声が巻き起こる。
「──よし! 皆の者、大広間へ参れ。これより祝宴を始める!!」
その
サマエルも、父王と共に大広間の
延々と続く家臣達の祝辞が一段落ついたところで、彼は父王に念話を送った。
“父上、申し訳ありませんが、少し疲れました。
せっかく、私のために、お祝いの席を設けて頂いたのですが、お先に失礼して、部屋で休んでも、よろしいでしょうか……?”
まだ体調が万全ではないことをうかがわせる、顔色の悪さ、心に伝わってくる念にも力がない。
“相わかった、無理はするでない。ゆるりと休め。
心配はいらぬ、もはやそなたを悩ます者はおるまいて”
魔界王は息子の身を案じ、優しく答えた。
“イシュタル、サマエルを部屋に連れ帰ってはくれぬか、疲れたようじゃ”
彼は、一段下に座っていた異母妹に心話を送り、家臣達には声に出して言った。
「皆の者、祝いの席上、相済まぬが、サマエルは未だ本調子ではない。
一通りの挨拶も済んだゆえ、下がらせることとする。
サマエル!」
「はい、陛下。では皆様、まことに申し訳ないのですが、お先に失礼致します」
第二王子は叔母に支えられて立ち上がり、礼をした。
二人がそのまま退出しようとすると、タナトスも腰を浮かせた。
「それじゃ、ぼくも行こっと」
「待つがよい、タナトス。そなたまでもが抜けてしまっては示しがつかぬ。
今少し、ここに残るがよいぞ」
「え~~、どうしてあいつがほめられるのを、ぼくが代わりに聞いてなきゃいけないのさ!
絶っっ対、ヤだよ!」
タナトスはいつものように唇をとがらせ、口答えした。
息子に甘い魔界の王は、しばし頭を巡らせた。
「ならば……そうじゃな、仕置は今回は特別に許す。その代わり、ここに残るのじゃ。
──よいか、タナトス」
そう申し渡されてはどうしようもない。
「はあい」
しぶしぶ、タナトスは座り直し、しばらくの間は大人しくしていた。
しかし、それも長くは続かない。
歯の浮くようなお世辞の羅列にうんざりし、とうとう第一王子は叫んだ。
「もうやだよぉ、つまんない! やっぱり、帰る! ぼくも部屋に帰る!」
ベルゼブルはため息をついた。
「……仕様のないやつじゃな、では戻るがよい。されど、弟とはもはや争うでないぞ。
悪ふざけも厳禁じゃ、次回からは容赦はせぬ。わかっておろうな!?」
「わかってるよ、父様。ぶたれるの、もう、やだもん」
そう答えて、タナトスも大広間を後にした。