~紅龍の夢~

番外編 魔界王家の王子達(4)

「おう、イシュタル、来ておったのか」
魔界王は声をかけたが、相手は無言で、つかつかと彼らに近づいて来た。

長くつややかな銀髪に宝石をいくつも星のように編み込み、ドレスは魔界の宵闇よいやみ色。
その大きく開いた胸元からは、触れる男、すべてを溺れ込ませてしまいそうな、白磁はくじのごとくなめらかな肌が覗く。
はっと人目を柘榴石ガーネットの唇、中に金の粒がきらめ摩訶まか不思議な金青石ラピスラズリの瞳。
気が強そうな美しい顔立ちは、どことなく魔界王にも王子達にも似ている。
やって来たのは、ベルゼブルの異母妹、イシュタルだった。

「おば様、何で、ぼくだけ百たたきなのさ!」
タナトスが、ぷっくりと頬を膨らませるのにも構わず、彼女は異母兄あにに向かって言った。
「異母兄上。今日こそは、ハッキリと言わせていただきますわ。
タナトスの種々のいたずらは、この頃、目に余るものがございます。
わたくしのところへも苦情が絶えません。
お分かりですか? かわいがることは、甘やかすこととは別ですのよ!」

そして、王の返事も待たず、今度は第二王子に話しかける。
「サマエル、よくやりましたね。
わたくしは信じておりましたよ、お前に魔力があることを。
魔界の王と、あれほどの力を持った方の血を引いているのですものね。
タナトスだって使えるのだし、義姉あね上様が生きていらしたら……もっと早く、どうにかして魔法を使えるように出来たと思うのだけれど……」
そして彼女は再び、魔界王に向き直った。

「異母兄上、わたくしが以前から申し上げていた通りでございましょう?
後は、サマエルに復元魔法を覚えさせ、皆の前でその力を披露ひろうさせれば、色々とうるさい中傷から、この子を完全に解放してあげることができますわ、そうお思いになりませんこと?」

親子ほども年の離れた異母妹いもうとにまくしたてられて、気を飲まれたように沈黙していたベルゼブルは、その時ようやく、おのれを取り戻した。
「待つがよい。まったく、黙って聞いておれば、差し出た口を……!」
「異母兄上」
現に血がつながった妹とは言え、美貌の女性に色っぽく一にらみされると、眉間みけんに険悪なものが走りかけていた魔界王も力を抜き、純白のあごひげをなでつけた。

「……まあよいわ、構わぬ、そなたの好きに致せ、イシュタル」
「ありがたき幸せでございますわ、魔界の王、ベルゼブル陛下」
ドレスの裾をつまみ、彼女はうやうやしく淑女しゅくじょの礼をした。
「叔母上、お心づかい、痛み入ります」
分かってくれていた人がいると知ったサマエルは、胸に手を当て、こちらもていねいに頭を下げた。

「まあ……この子は、いっぺんに大人になったようね。わたくしの眼に狂いはなかったわ。
でも、二人とも、お仕置きは、明日。今日は早めに夕食を済ませて、よく眠らなくてはダメよ。
特にサマエルは、ゆっくり休むこと。
それに、まだるっこしいでしょうけれど、ちゃんと初級魔法からマスターしていかないと。
──分かった? 二人とも」

「はい」
「はあい」
「では、部屋に戻りなさい」
まだ渋い顔をしている父王を置いて、叔母に促された王子達は歩き出した。
……いや、歩き出そうとした。
だが、出来なかった。サマエルがしゃがみ込んでしまったのだ。
イシュタルは急いで、銀髪のおいを助け起こした。

「サマエル! 大丈夫?」
「す、すみません、何だか……体に、力が入らなくて……」
「無理もないわ……すべての魔力を使い果たすなんて、下手をすれば死んでいたのよ。
後から、いくら魔力を補っても、すぐには回復できないの。
魔法草のスープを飲んで、ぐっすり眠ることね……」
言いながら、イシュタルは心配そうに、お気に入りの甥を見つめた。

「はい、叔母上。……でも、独りで歩けますから……あ」
再度足を踏み出そうとしてよろめいたサマエルを、今度は魔界王がさっと抱き上げた。
「ち、父上? ……」
「ならば、余が運ぶとしよう。
イシュタルよ、そなたはスープを作るよう、申し付けてまいれ!」
「まあ、お珍しい。今まではサマエルのことなど、眼中になかったというのに!」
茶化すように言った異母妹を、魔界王はぎろりと睨んだ。
「……はいはい、では、わたくしみずからが、スープを作って参りますわ」

「陛下、ご無事ですか!」
「こ、これは一体……!?」
「て、敵の襲撃ですか!?」
「サマエル殿下が、おけがを?」
小走りに厨房へと向かう王妹と入れ違いに、兵士や大臣、小姓達の集団が遅ればせながら到着したのはそのときだった。

「──皆の者、静まれ! 
大事無い、これら破壊の痕は、覚醒したサマエルが開けたものだ!
後日当人に修復させるゆえ、手を加えてはならぬ、他の者達にも触れを出せ!
余はサマエルを部屋に連れて参る、大臣らは玉座の間にて、しばし待て!
──さあ、く(=早く)各自持ち場へ戻るがよい!」

命令し慣れた者が持つ、よく通る声で命ぜられると、皆驚きながらも一様に従った。
御意ぎょい!」
おおせのままに」
「さ、さあ、仕事に戻りましょう、皆様」
「……敵の攻撃でなくて幸いでしたな」
「まことに」

「それに致しましても、近年にない驚きでございますなぁ!
サマエル殿下が、魔法を使えるようになられましたとは……」
「……ですが、まことでしょうかな? なにゆえ今頃……?」
「陛下のお言葉をお疑いなさると?」
「いやいや、滅相めっそうもございませぬ」
「左様。理由なぞ分からずとも、素晴らしいことには違いないでしょうが」
「いや、まったくもって、めでたいことです」
「魔界にとっては非常な瑞兆ずいちょうですぞ」

「う~む。これで、サマエル殿下が、お世継ぎになられる可能性も出て参ったわけですな」
「おう、たしかに魔界王家では、第一王子が王位継承なさるとは限りませぬしな……」
「魔力、知力、戦略その他の総合判断で、王位にかれる方が決まるわけですから」
「……ふむふむ。両殿下のうち、どちらが王にふさわしいか……これは楽しみになって参りましたな」

ぞろぞろと持ち場へ戻る間にも、たった今聞いた、驚くべきニュースについて声高に家臣達が言い交わす声が、サマエルの耳にも届く。

(……皆が、僕のことを……ほめて、る……?)
父王に抱かれてその場を去りながら、彼は、生まれて初めて感じる、誇らしい気持ちで胸を一杯にしていた。

そんな人々の後ろ姿を見送り、頭の後ろで手を組んでいたタナトスは、不意に整った顔をしかめると、思いっ切り舌を突き出した。
「──ちぇっ、何だよ、皆、サマエル、サマエルってさ──! 
べ──────っだ!!」

それから少しうつむいて、つぶやく。
「……何だい、父様まで……俺のこと忘れて……」