「おう、イシュタル、来ておったのか」
魔界王は声をかけたが、相手は無言で、つかつかと彼らに近づいて来た。
長く
その大きく開いた胸元からは、触れる男、すべてを溺れ込ませてしまいそうな、
はっと人目を
気が強そうな美しい顔立ちは、どことなく魔界王にも王子達にも似ている。
やって来たのは、ベルゼブルの異母妹、イシュタルだった。
「おば様、何で、ぼくだけ百たたきなのさ!」
タナトスが、ぷっくりと頬を膨らませるのにも構わず、彼女は
「異母兄上。今日こそは、ハッキリと言わせていただきますわ。
タナトスの種々のいたずらは、この頃、目に余るものがございます。
わたくしのところへも苦情が絶えません。
お分かりですか? かわいがることは、甘やかすこととは別ですのよ!」
そして、王の返事も待たず、今度は第二王子に話しかける。
「サマエル、よくやりましたね。
わたくしは信じておりましたよ、お前に魔力があることを。
魔界の王と、あれほどの力を持った方の血を引いているのですものね。
タナトスだって使えるのだし、
そして彼女は再び、魔界王に向き直った。
「異母兄上、わたくしが以前から申し上げていた通りでございましょう?
後は、サマエルに復元魔法を覚えさせ、皆の前でその力を
親子ほども年の離れた
「待つがよい。まったく、黙って聞いておれば、差し出た口を……!」
「異母兄上」
現に血がつながった妹とは言え、美貌の女性に色っぽく一
「……まあよいわ、構わぬ、そなたの好きに致せ、イシュタル」
「ありがたき幸せでございますわ、魔界の王、ベルゼブル陛下」
ドレスの裾をつまみ、彼女はうやうやしく
「叔母上、お心
分かってくれていた人がいると知ったサマエルは、胸に手を当て、こちらもていねいに頭を下げた。
「まあ……この子は、いっぺんに大人になったようね。わたくしの眼に狂いはなかったわ。
でも、二人とも、お仕置きは、明日。今日は早めに夕食を済ませて、よく眠らなくてはダメよ。
特にサマエルは、ゆっくり休むこと。
それに、まだるっこしいでしょうけれど、ちゃんと初級魔法からマスターしていかないと。
──分かった? 二人とも」
「はい」
「はあい」
「では、部屋に戻りなさい」
まだ渋い顔をしている父王を置いて、叔母に促された王子達は歩き出した。
……いや、歩き出そうとした。
だが、出来なかった。サマエルがしゃがみ込んでしまったのだ。
イシュタルは急いで、銀髪の
「サマエル! 大丈夫?」
「す、すみません、何だか……体に、力が入らなくて……」
「無理もないわ……すべての魔力を使い果たすなんて、下手をすれば死んでいたのよ。
後から、いくら魔力を補っても、すぐには回復できないの。
魔法草のスープを飲んで、ぐっすり眠ることね……」
言いながら、イシュタルは心配そうに、お気に入りの甥を見つめた。
「はい、叔母上。……でも、独りで歩けますから……あ」
再度足を踏み出そうとしてよろめいたサマエルを、今度は魔界王がさっと抱き上げた。
「ち、父上? ……」
「ならば、余が運ぶとしよう。
イシュタルよ、そなたはスープを作るよう、申し付けてまいれ!」
「まあ、お珍しい。今まではサマエルのことなど、眼中になかったというのに!」
茶化すように言った異母妹を、魔界王はぎろりと睨んだ。
「……はいはい、では、わたくしみずからが、スープを作って参りますわ」
「陛下、ご無事ですか!」
「こ、これは一体……!?」
「て、敵の襲撃ですか!?」
「サマエル殿下が、おけがを?」
小走りに厨房へと向かう王妹と入れ違いに、兵士や大臣、小姓達の集団が遅ればせながら到着したのはそのときだった。
「──皆の者、静まれ!
大事無い、これら破壊の痕は、覚醒したサマエルが開けたものだ!
後日当人に修復させるゆえ、手を加えてはならぬ、他の者達にも触れを出せ!
余はサマエルを部屋に連れて参る、大臣らは玉座の間にて、しばし待て!
──さあ、
命令し慣れた者が持つ、よく通る声で命ぜられると、皆驚きながらも一様に従った。
「
「
「さ、さあ、仕事に戻りましょう、皆様」
「……敵の攻撃でなくて幸いでしたな」
「まことに」
「それに致しましても、近年にない驚きでございますなぁ!
サマエル殿下が、魔法を使えるようになられましたとは……」
「……ですが、まことでしょうかな? なにゆえ今頃……?」
「陛下のお言葉をお疑いなさると?」
「いやいや、
「左様。理由なぞ分からずとも、素晴らしいことには違いないでしょうが」
「いや、まったくもって、めでたいことです」
「魔界にとっては非常な
「う~む。これで、サマエル殿下が、お世継ぎになられる可能性も出て参ったわけですな」
「おう、たしかに魔界王家では、第一王子が王位継承なさるとは限りませぬしな……」
「魔力、知力、戦略その他の総合判断で、王位に
「……ふむふむ。両殿下のうち、どちらが王にふさわしいか……これは楽しみになって参りましたな」
ぞろぞろと持ち場へ戻る間にも、たった今聞いた、驚くべきニュースについて声高に家臣達が言い交わす声が、サマエルの耳にも届く。
(……皆が、僕のことを……ほめて、る……?)
父王に抱かれてその場を去りながら、彼は、生まれて初めて感じる、誇らしい気持ちで胸を一杯にしていた。
そんな人々の後ろ姿を見送り、頭の後ろで手を組んでいたタナトスは、不意に整った顔をしかめると、思いっ切り舌を突き出した。
「──ちぇっ、何だよ、皆、サマエル、サマエルってさ──!
べ──────っだ!!」
それから少しうつむいて、つぶやく。
「……何だい、父様まで……俺のこと忘れて……」