「むっ、何じゃ、この力の爆発は!?
一体誰の……? 感じたことのない力じゃが……」
その時、魔界王ベルゼブルは玉座の間で、汎魔殿が破壊される振動と同時に、強力な魔力の波動をも感じ取り、眉を寄せていた。
今日の予定を読み上げていた大臣の一人が言葉を途切らせ、顔を上げる。
「おお、これは、また……すさまじい力でございますが、いかが致したのでしょうな……?
……おや? この力の主は、ひどく弱っている様子……。
ああ、おそらく、一挙に全魔力を使い果たしたのでございましょう。
されど、かような無茶をするとは。いかなる力の持ち主であろうと、死んでしまいますぞ。
──ふむ、この気配は、タナトス殿下のような……いや、やはり、違いましょうか……?」
ベルゼブルは不意に激しい胸騒ぎを感じ、すっくと立ち上がった。
「むう……嫌な予感がする、ここは頼むぞ、大臣!」
「何ですと!? 危険です!」
「陛下、我らが様子を見てまいります」
「よい、その方らはここで待っておれ!
──ムーヴ!」
引き止める家臣達を振り切り、魔界王は、みずからは
「いかがしたことじゃ、これは!?」
問題の場所に着いてみると、美しかった汎魔殿の回廊は、ものの見事に崩れ、ガレキの山と化していた。
焦げくさい臭いと砂煙がもうもうと立ち込めている中で、最初に見つけ出したのは、ひどい
「やはりタナトス、そなたか! しっかり致せ!」
「う……」
抱き上げてみると、ほっとしたことに、息子にはまだ息がある。
「回復せよ、──リストール!」
大急ぎで魔界王は、治癒の呪文を唱えた。
見る間に少年の体は元に戻っていき、やがてぱちりと眼を開けた。
「あれ……父様? ……俺……?」
「タナトス、一体何があったのじゃ? これは、そなたがやったことなのか?」
「え……?」
タナトスは周囲の惨状を見回し、何が起こったかを思い出した。
「ち、違うよ、俺じゃない。サマエルが……」
「何、サマエルじゃと!?」
ベルゼブルは、紅い眼を見開いた。
「あやつは魔法なぞ……いや、それよりも、いずこにおるのじゃ? そなた同様、火傷を……」
彼はタナトスを抱き下ろし、もう一人の息子の姿を捜し求めた。
「サマエル、どこじゃ──っ!!」
「あ、あそこだよ、父様!」
「おう、そこか!
──カンジュア!」
タナトスが目ざとく弟を見つけると、魔界王は素早く魔法でガレキをどけた。
助け出された第二王子もまた、虫の息だった。
「しっかりせよ、サマエル!
む……やはり魔力をかなり使ったのじゃな……。
──オルゴン!」
「う、ん……」
強い力が流れ込んで来るのを感じ、サマエルは弱々しく眼を開いた。
目前に、誰かの顔があった。
瞬きをすると焦点が合い、それは父親だと分かった。
自分は、父に抱きしめられていたのだ。
しかし、物心ついてから父親に抱かれたことはおろか、頭をなでてもらったことすらなかった彼は、自分の眼が信じられず、これは夢なのだろう、と思った。
夢でもいい、確かめたいことがある……。こんなにいい夢を見ている最中なら、自分が望んでいる答えが聞けるかもしれない……。
彼は、懸命に唇を動かした。
「……とう、さま……。
ぼく……ぼくは、取り、替えっ子なんか、じゃない……よね……?」
「何!? 誰が左様なことを申したのじゃ!? そなたは余の子ぞ、間違いはない!」
「ホ、ントに……?」
「まことに決まっておる! そなたは正真正銘、魔界王家の血を引く、余の息子じゃ!」
「で、も……とう……さま、は……ぼくを、憎んでる……でしょ、う……?」
息子の問いに、ベルゼブルは眼を
「何じゃと!? 何ゆえ、そなたを憎まねばならぬ?」
「……だ、だ……って……ぼく、のせい、で……母様が……。
ぼ、ぼくさえ……生まれな、ければ……」
「ふむ、左様に考えておったか……。
いいや、そなたを生んだ後、すぐにアイシスが亡くなったからと申して、おのれを責めてはならぬぞ、サマエル。
それが……そなたの母の運命だったのじゃからな……」
父の声は優しかった。
「そ……う……」
その答えに第二王子は笑みを浮かべ、力尽きたようにぐったりとなる。
「サマエル!? しっかりせい、サマエル!
回復せよ、──リストール!」
急ぎベルゼブルは、再度呪文を唱えた。
弟王子の方は、見たところ大きな傷はなかったものの、魔力を使い果たした直後とあっては、呪文にもすぐには反応を示さない。
魔界の王は厳しい表情を崩さず、治癒魔法が利き目を現すのをひたすら待った。
しばらくのち、ようやく息子の呼吸は落ち着きを見せ、安堵したベルゼブルは、改めて第一王子に向き直った。
「さて、何があったのじゃな、タナトス」
「サマエルは? 父様……」
さすがに弟が気になって、タナトスは尋ねた。
「心配はいらぬ、じきに目を覚ますじゃろう、怒りはせぬゆえ、何があったか申してみるがよい」
「え、あの……」
「いかがした、タナトス。そなたらしくもない」
「はい……あ、あのね、……俺、いや、僕は……ごめんなさい、父様!」
タナトスは、ぺこんと頭を下げた。
「よいよい、さ、申せ」
「はい。
僕、作文書くの嫌で逃げ出して……そしたらサマエルもついて来て……捜しに来た女官から隠れて、……それから、えっと……サマエルとケンカになっちゃって……。
あいつが……ええと……マレフィック、とかって唱えたら、ぼく、吹っ飛ばされたんだ……」
日頃やんちゃなこの兄王子も、父王の前で、勉強をサボったことや弟とケンカしたことなどを白状するのはさすがに気が重いとみえ、答えはしどろもどろだった。
「何、“マレフィック”じゃと!? しかとそう申したのか、タナトス?」
「う、うん……あいつ、そう言ったよ」
「たしかに、この有り様からいけば、あの呪文以外にはあるまい……じゃが、
……いや、それよりも、サマエルに──これほどの魔力があったとはのぉ……!!」
ベルゼブルは、感慨深げに白いあごひげをなでつけながら、無残な破壊の
宮殿の中心部に程近い回廊の壁に、ぽっかりと口を開けた大穴は、一直線に外へと向かって伸びているため、そこから空が顔を覗かせているのだ。
それは、覚醒したサマエルの”力”のすさまじさを、これ以上ないほど明瞭に伝えていた。
「父……様? 怒って、る……?」
哀れっぽい声に、魔界王は我に返った。
「いやいや、怒ってはおらぬ、ただ、あの破壊力に感服致しておるのみじゃ。
……それはさておき、”取り替え子”などとサマエルに申したのはそなたか、タナトス?
それゆえ、争いになったのであろう?」
「ちっ、違うよ、違います、ぼくじゃない! 最初に言ったのは……」
「違いますよ、父上」
焦ったタナトスが女官達に責任転嫁しようとしたとき、それをさえぎったのは、魔界王に抱かれていたサマエルだった。
「おう、サマエル、気づいたのか、大事無いか?」
「はい、お手数かけました、もう平気です、下ろしてください」
彼は抱き下ろされると続けて言った。
「最初に言ったのはタナトスではありませんし、陰では私のことを皆がそう呼んでいたようですし……ですが、それももう過去のこと。
私は魔法を使えるようになったのですから、言い出したのが誰であれ、罰するのは正しくないと思います。
──いかがですか、父上」
きっぱり言い切ったサマエルには、先ほどまでの気弱な少年の面影は、まったくなかった。
紅い眼は強い意思を秘めてきらきらと輝き、唇には、自信にあふれた笑みが浮かんでいる。
──永い眠りから目覚めた
「ふむ……。そなたがそう申すのならば、良しとせねばならぬじゃろう、無理には聞かぬ。
なれど、ケンカは
罰として……何がよいであろうな……」
ベルゼブルが考え込んだときだった。
「タナトスはお尻百たたき、サマエルは復元魔法を覚える、というのはいかがですか?」
突如現れた人影が、口を挟んだのだ。