「──あーっ!」
幸いタナトスの魔法にはさほどの威力はなかったものの、防御できないサマエルは直撃を受けてしまい、壁にたたき付けられた。
「な、何するんだ、タナトス……」
「うるさい、取り替え子じゃなくたって、母様を殺したのはお前だ! だから、魔法も使えないんだ!」
立ち上がりかける弟に向かって、兄王子はさらに
「………!」
その瞬間、第二王子は殴られたかのようによろめき、再び膝をついた。
紅い眼から光が消え、頬から血の気が引いていく。
「それに──それに父様だって、お前を憎んでる!
こいつが生まれてこなければ、母様は死なずにすんだって思ってるの、俺はちゃんと知ってるんだから!」
「と、父様……が? う、嘘……だ……」
サマエルは必死に声を振り絞ったが、タナトスの言葉が、そんな彼にとどめを刺した。
「嘘だと思うんなら聞いてみろ、この母親殺し! 弟なんかいらなかったのに!
母様の代わりに、お前が死ねばよかったんだ! 父様だって、そう思ってるに決まってるさ!」
兄に手荒く指を突きつけられ、サマエルの体は小刻みに震え出した。
肩で息をしながら、唇の端から滴る血をぬぐい、
(ぼくはずっと……いつか必ず、魔法が使えるようになると……信じてた……。
でも、それは叶わぬ夢だったんだ……ぼくは人殺しだから……ぼくが、母様を、殺してしまったから……!
魔法が使えないのは、その罰だった、なんて……。
──ああ……でも……なぜ、どうしてぼくだけ、こんな……)
心の中に深い絶望と悲しみ、行き場のない
(な、何? どうなちゃってる、の……?)
どくどくと、心臓が脈打ち始めて次第に激しさを増し、しまいには口から飛び出しそうになってゆく。
それを落ち着かせようと、彼は幾度も深呼吸をした。
しかし、その
(い、嫌……何で……? く、苦……しい……!)
「ど、どうしたんだ、こいつ……!? な、何か知らないけど、やばいぞ……」
兄王子の目前で、弟の紅かった眼が、暗黒の炎で闇色に染め上げられていく。
本人の意思とは関わりなく、禍々しく鎌首をもたげる恐るべき力を、否応なくタナトスも感じ取っていた。
「いや……嫌だ……誰……か……」
兄の動揺に気づく余裕もなく、弟王子は、おのれの体内から溢れ出してくる強大な何かに対抗しようともがくものの、何の効果もない。
押し留めようもなく膨れ上がり、すさまじい勢いで魔界の王子の心身を包み込んでいくもの──それは、今まで抑えつけられていた圧倒的なパワー……彼が欲してやまなかった、“魔力”だった。
ついに、第二王子の覚醒の時が、やって来たのだ。
直後、彼は意識を失い、眼はうつろに見開いたまま、見えざる力に操られた手がすうっと動いて兄を指差す。
『“闇の貴公子”よ、
この者……“
蒼白な顔の中で、そこだけが異様に紅い唇からこぼれ出す声は、どこか遠くから響いてくるようで、口調さえも、いつものサマエルとは、まったくかけ離れてしまっていた。
「な、何……? お前、何言っているんだ……!?」
『漆黒の……深き闇の中より生まれ出で……
その呪文に覚えがあったタナトスは、ぎくりと身を硬くした。
「バ、バカ、よせ、サマエル!」
『汝の凍れる焔もて……我に
「──ダメだったら! いきなりそんな上級魔法使ったら、体が持た……」
『……マレフィック』
彼の叫びは間に合わず、サマエルは呪文を唱え終えた。
刹那、第二王子を取り巻いていた荒々しい力が、猛烈な
「あ、──うわあああああ──っ!!」
防御する間もなくタナトスは火だるまになった上、跳ね飛ばされて天井に激突したかと思うと、まりのように弾んで床にたたき付けられた。
しかし、サマエルの底知れぬ絶望、怒り、悲しみをすべて飲み込んだ
それでも勢いは止まらずに、数ある部屋々々を破壊しながら汎魔殿を突き抜けて外へと飛び出していき、しまいには魔界を守護する強力な結界に激突して、それすらも貫くすんでのところで辛くも減衰し、四散したのだった。
それは魔界の外から見れば、一瞬だったが、巨大な打ち上げ花火のようにも見えただろう。
……あ、兄様……は、どこに……?」
魔力が完全に消滅してから、ようやく正気に返ったサマエルは、何が起こったのかまったく理解できなかった。
周囲の惨状に呆然とし、兄を探そうとしたものの、不意に全身の力が抜けて彼もまた倒れていく。
彼が唱えたのは、以前、父の魔法書を盗み見て密かに覚えた、“凶星”を意味する上級魔法、“マレフィック”だった。
何の準備もなく、いきなり高度な呪文を使ったことで、力を使い果たしたサマエルの前で、宇宙の虚無から呼び出された暗い炎が、禍々しい火の粉を上げて乱舞する。
“──アハハハ、ハハ、アーハハハハ……!
──ついに
おうおう、待ちきれぬわい、
(何、この……声? 気味の悪い……声……。
怖い……!)
その時、誰かの
地獄の底から響いて来るような、暗い、いかがわしい声の
(でも、こっちの眼は、温かいや……。
僕を、優しく見ててくれている……みたいな、この眼は、誰……なんだろう……?)
一方で、彼を見守るかのごとく温かい視線もあり、それをぼんやりと