~紅龍の夢~

巻の七 DIES IRAE ─怒りの日─

29.獅子の系譜(3)

『……何を出し抜けに。我は呪いにより、女子とは……』
言いかけるシンハを、サマエルにしては珍しく、苛々とした口調でさえぎった。
「それはお前の自称だろう。確認は取れない、取りようがない。
お前以外の当時者は、もうとっくに墓の中だ」

ぐっと言葉に詰まるシンハに向かって、サマエルは言い立てた。
「最初に妙だと思ったのは、犯人に対する、お前の怒りの強さだったな。
私にとって、リナーシタは息子も同然だが、お前にとっては私の子の複製にすぎず、思い入れなどあるはずもない。
なのに、あれほど怒ったのは、ヴァピュラ……すなわち、お前の息子が殺されかけたから……そうなのだろう?」

シンハは肩をすくめた。
『我は、汝の意向を忖度(そんたく)したのみ。
加えて、貴族の子弟が危険にさらされたのでは、かつて魔界王家の守護を(つと)めし我が、(いきどお)るも当然のこと』

その反駁(はんばく)も耳に入らないように、サマエルは続けた。
「二度目は、ベリルとヴァピュラの婚約を許した時だ。
異議なしと答えたお前の眼は、この上ない喜びに輝いていたよ。
たしかに、ベリルはお前に()かれ、諦めさせるのに苦労したし、伴侶を見つけられて喜ばしいと思っても不思議はないさ。
けれど、私は気づいてしまったのだ……」

サマエルは言葉を切り、じっとシンハを見つめた。
ライオンは小首をかしげ、揺らぐ炎の瞳で彼を見返した。

「覚えているだろう、ベルフェゴールが謀反(むほん)を企んだ時のことを。
私は、敵を油断させるためと称して、グーシオンとヴァピュラを殺した……無論、“黯黒の眸”に二人の再生を頼んでおき、すべてが筋書き通りにいったけれど……酷いことをしたものだと、胸が痛むよ……」
サマエルは眼を伏せ、シンハは口を開きかけて閉じた。

「気づいたね。死者の蘇生は一回きりのはず。なのに、ヴァピュラが生き返るのは二回目だ……それに気づいた時は、さすがに震えが来たよ。
その時、思ったのさ、彼はお前の息子ではないのかと。
だからこそ、禁忌(きんき)を犯してまで蘇らせた……そう考えれば、すべての辻褄(つじつま)が合うからね」

ライオンは大きく息を吐き、ぶるんと大きく頭を振る。
たてがみから紅い火の粉が弾けて青々とした芝生に跳ね、焦げる匂いと煙がわずかに立ち上った。
『否。そもそも、繰り返しての蘇生は禁忌ではないぞ。
それを望む者が絶えて久しいだけでな』
「ほう。それでは、過去には何度も蘇らせていたというのだね?」

昔歳(せきさい)にはな。
もっとも、黄泉(よみ)がえりの術とて完璧ではなく、最初こそ九割方、息を吹き返すが、二度目は五割、三度目以降はその半分と低下してゆく。
ゆえに、なまじ希望を持たせぬ方が良い場合もあるのだ』
重々しくシンハは答えた。

「だが、二度目でも二分の一の確率で生き返るのなら、ワラにもすがる思いで蘇生を願うのが、遺族の心情というものだろう」
サマエルが食い下がると、シンハは難しい顔をした。

『さもあろう。されど、初回以降の復活は身体健全とはいかぬのだぞ……。
光、声、音を失う、四肢の麻痺(まひ)痿疾(いしつ)壊死(えし)……再生の都度、不具合箇所が増えゆくのだ。
さらには、意識が戻らぬことすらある。とある貴族の子息は、待ちわびる二親が老衰にて死去して後も、目覚めることなく寿命が尽きた。
ヴァピュラの場合は、一見で分かるものでないがゆえ、ある意味幸いとも呼べようが……』

「え、……」
サマエルは慄然(りつぜん)とした。
それは偶然にも、先ほど自分が口にした内容そっくりで、シンハの沈黙の意味をようやく彼は理解した。
得心(とくしん)いったか、ではな』
シンハはくるりと背を向け、去っていこうとする。

慌てて、サマエルは声をかけた。
「あ、待って、まだ半分しか私の質問に答えていないよ。
ヴァピュラはお前の息子なのだろう、なぜ隠すのだい?」
『否。息子ではない』
振り向きもせず、ライオンは答えた。

「では、どうして復活させたのだ、そんな危険があると知っていながら」
『グーシオンに、涙ながらに哀願されたゆえだ』
「……ということは、彼は、二度目でも蘇生出来ると知っていたのだね」
それは質問ではなく、確認だった。

『……かくなる上は、包み隠さず語らねばなるまいか』
シンハはつぶやき、戻って来て彼と眼を合わせた。
『ならば、応えよう。よく聞くがよい、ヴァピュラは息子ではなく、玄孫(げんそん)(やしゃご)なのだ。
これを知るは、今は我のみとなった。されど、公爵家の家訓にはその名残があり、「重ねての再生を求むる時には、“焔の眸”に懇請(こんせい)せよ」と記されているそうでな』

「え、ええ……!?」
一旦絶句したサマエルは、まだ混乱しながらも矢継ぎ早に尋ねた。
「で、では、グーシオンが曾孫(ひまご)
あ、でも、お前は女性とは……それにいつ……あ、呪いをかけられる前に?
そ、それで、お相手は? グーシオン家の女性だったのかい?」
『否。我が(つれあい)は、女王ディーネだ』

サマエルの眼はまん丸になった。
「ディーネ……大伯母様? お前との情事に溺れて、王位を剥奪された……?」
『いかにも。我との(たわむ)れに(かま)けて(まつりごと)(おろそ)かにし、重臣の(いまし)めや(とが)めにも耳を貸さず、あまつさえ子まで(はら)み……それと知った我の、暗澹(あんたん)たる心持ちたるや……』
ライオンは悄然(しょうぜん)とうなだれた。

「たしかに、女王としては失格だね……まあ、幾度となくお前に抱かれた私には、彼女の気持ちも分かるけれど……あの、めくるめく陶酔をなかったことにするなんて、女性には出来なかったのだろうな……」
サマエルは熱くなった頬を押さえた。
とろりとうるんだ紅い瞳と唇が、ひどく(なま)めかしい。
シンハは、落ち着かなく身じろぎして話を続けた。

『……我は仕様(しよう)ことなく、当時のグーシオン公爵やフールフール伯爵と示し合わせ、強制退位を敢行(かんこう)致した……我に、王の任命と退位の権利があるのは存じておろう。
されど、幽閉された女王は正気を失い、生んだ子に乳を含ませる事も出来ず……衰弱した赤子を救うためには、母親から引き離すしかなかった。
女王は怒り、我を呪詛(じゅそ)して、みずからの炎で果てていったのだ。
裏切り者、子殺しと我をののしりながら……』

シンハの瞳の炎は激しく揺れる。
そこには、火蜥蜴(サラマンダー)(ひとかげ)の女王が、自身で創り出した紅蓮(ぐれん)業火(ごうか)の中、悶え苦しみながら彼に呪いをかけ、焼け死んでいく情景が映っているかのようだった。

一瞬で、サマエルの顔から血の気が引いた。
「何と……そんなことが……。
で、でも、お前のせいではないよ、自分を責めない方がいい。
それで、その子をグーシオン公爵家の養子にしたのだね?」

『うむ。赤子をいかにすべきか、我も苦慮し、生まれて来てはならぬ子ゆえに、死なせてやるが慈悲かと迷いもした……』
──死すべき、生まれてはいけない子供。
自分のことを言われたかのように、サマエルは眼を伏せた。
それと気づいたシンハは、急いで続けた。

『その時、公爵が申し出てきたのだ。
いかなる事情があろうとも、尊い王子には変わりがない、ちょうど生まれたばかりの息子は獅子頭、双生児として養育させて欲しいと。
王子を世継ぎに据え、実子は分家として独立させ、後に双方の子孫を(めあわ)せれば、公爵家の血の存続も叶うであろう、と』

「……ふうん、利口だね。
王家と姻戚(いんせき)関係も結べるし、公爵家は安泰というわけだ」
『何の。すべて秘密裏に事を運び、王家断絶の危機を回避するための隠れた血統とすべきと、公爵は申したぞ』
「おや、グーシオン家の先祖も謙虚なことだね。
なるほどねぇ……、そんな経緯があって、ディーネ女王は歴史から抹消されたのか……自業自得とはいえ、子供のことは少し気の毒だな」

シンハは嘆息した。
『……死の床にあった王バアル・ベリトに切願され、ディーネ王女を王位に()けることを承諾したは、我が一生の不覚であったわ。
ともあれ、残されたは弟のカスピエルただ一人……後にバアル・ゼブルの父となる王子だが、当時はまだ幼く、フールフール伯爵を摂政として急場をしのいだのだ』

「……なるほどね。でも、どうせならもっと早く教えて欲しかったな。
夫婦間で隠し事なんて、水臭い」
『されど、我にとっては辛き記憶であり、蜜月の甘き(しとね)の語らいにも、そぐわぬ話題と思うたのでな。
無論、いずれ話すつもりではあったが、我らが共に暮らせたはわずか半年ほど……戦が始まり、そうして、汝は……。
我は汝と、いついつまでも共にいられるものと思うておったに……』

シンハは、(えん)ずるように、彼を凝視する。
勝手に敵地に乗り込み、一人死んだ事を思えば、サマエルはぐうの()も出なかった。
それに、ベッドで話してくれようとしても、シンハに夢中な自分は、後にしてくれと取り合わなかったかも知れなかった。

「……済まない。知らぬこととは言え、お前の子孫を手にかけてしまった。
その上、辛いことまで思い出させて……。
私は……本当に、自分勝手で、救いようがない男だ……」
感情が抑えられなくなり、サマエルは顔を覆った。
生前には出ることのなかった涙があふれて、白い指の間を伝い、芝生に滴る。
彼は地に膝をつき、さめざめと泣いた。

こうして女々しく涙に暮れていたら、シンハは去ってしまうだろう。
さっきも帰ろうとしていたし、何より自分が悪いのだ。
それに、彼はリナーシタの看護をしなくてはいけないのだから。

ひとしきり泣いて顔を上げると、涙にかすむ視界は昼間のように明るかった。
もう暗くなる刻限のはずと不思議に思い、眼をこすったサマエルは、光の源が太陽ではなく、燃え上がるライオンのたてがみと気づいて、はっとした。

「シンハ……帰ったのではなかったのか……。
ああ、せめて最後に、別れの口づけを……それが済んだらもう、墓参りなどしてくれなくてもいいから、どうか……」
彼は思わず彼にすがり、懇願していた。

『案ずるな、たとえ汝が()ねて姿を現さずとも、必ずや命日には……』
「もういいよ。言葉は嘘をつく。態度で示してくれれば、それで……」
唇を震わせるサマエルを、ライオンは前足で抱え込むようにして引き寄せ、口づける。

ややあって、シンハは彼を放し、涙に濡れた頬をそっとなめた。
『リナーシタの看護に(おもむ)くが、必ず戻る、しばしの別れぞ。
──ムーヴ!』
ライオンの姿はかき消えて、公園は闇に沈み込み、残された彼は芝生に倒れ伏した。
「ああ、ああ、シンハ……愛している、のに……」
そして、再び子供のように泣きじゃくる。

真夜中すぎになってから、ようやく彼は起き上がることが出来た。
幼少期の人格が統合されてから、自分がひどい泣き虫になった気がする。
(まあいいさ、やっと涙を流せるようになったのだから。
誰に遠慮がいるものか……)
そうつぶやいて濡れた頬をぬぐった時、声が届いた。

“おい、サマエル、聞こえるか? 
実は……少々、面倒なことが持ち上がってしまってな……”
“……タナ、トス? こんな遅くに、何……?”
それは兄からの念話で、珍しく歯切れが悪かった。

“こっちは朝だが。
そんなことより、くそ親父がお前の墓参りをさせろとうるさくてな。
叔母上も、それくらい許可しろと言い出して、まったく……”
“……陛下が? 今頃? 何のために?”
サマエルは思わず聞き返していた。

きん‐ぴ【禁秘】

1 堅く秘密にして、決して見せないこと。2 宮中の秘密。

そんたく【忖度】

他人の気持をおしはかること。

(音読み)レイ(訓読み)ならぶ・つれあい
(意味)つれあい。ともがら。夫婦。

せき さい 【昔歳】

むかし。以前。昔年。

い‐しつ 【痿疾】

手足などがしびれて感覚を失い、動作が自由にならなくなる病。しびれやまい。

とく‐しん【得心】

よくわかって承知すること。納得すること。

こん‐せい【懇請】

心を込めてひたすら頼むこと。また、その頼み。

げん‐そん【玄孫】

曽孫の子。孫の孫。やしゃご。

あん‐たん【暗澹】

2 将来の見通しが立たず、全く希望がもてないさま。

えん・ずる【怨ずる】

うらみ言をいう。うらむ。