~紅龍の夢~

巻の七 DIES IRAE ─怒りの日─

29.獅子の系譜(2)

「ふむ、その訳とは?」
サマエルに問われた公爵は、自分の眼を示す。
それは、一旦は元の色……深い森の中で満々と水を(たた)える湖のような孔雀石色(マラカイトグリーン)に戻っていたのだが、今は、紫を通り越して柘榴石(ガーネット)の赤紫に(きら)めき、涙でうるんでいた。

「グーシオン家では、この眼を“オルクスの瞳”と呼び、代々世継ぎの(あかし)としております。
しかしながら、ヴァレフォルは母親譲りの紅一色……それでも、我が子と思えばこそ、わたしは……」
彼は声を詰まらせた。

魔界でのみ産出される貴石──オルクスは、色変わりするという点において、人界のアレクサンドライトに似ていたが、色が変わる条件はそれぞれ異なっていた。
人界の石(アレクサンドライト)が、太陽と火──光源の違いで変化するのに対し、魔界の石(オルクス)は、魔力を注がれ蓄えることで紫や赤紫に染まるのだった。
そしてオルクスは、その希少性も相まって魔族の間で珍重され、サマエルも人界にいた頃、宝飾品を兼ねて使用していたこともあった。

実のところ、色変わりする眼を持つ魔族は少なくない。
けれども、オルクスそっくりの瞳を持つ者のみを跡継ぎとする家系は、他に類を見なかった。

ややあって、公爵の感情が落ち着いたのを見計らい、サマエルは口を開いた。
「ところで、レイントは、証のことは知らなかったのか?」
「はい……ヴァピュラを次期公爵として陛下には届け出ている、とだけ話しておりました。
ですが、それで男に(たぶら)かされたというのなら、詳しい理由も教えておくべきでしたか……」
グーシオンは、がっくりとうなだれた。

「いや、お前は悪くないよ。
情夫にそそのかされたとしても、公爵家の血も引かない自分の子を跡継ぎにするべく、正統な世継ぎの殺害を図るなんて、情状酌量(じょうじょうしゃくりょう)の余地はない」
サマエルはきっぱりと言ってのけた。

(ヴァピュラには気の毒だが、早めに事が露見したのは幸いだったな。
さもなくば、公爵家は皆殺しにされ、毒婦に乗っ取られていただろう)
そう彼は思ったが、打ちのめされている公爵に聞かせる気にはなれなかった。

「……仰る通りです。
レイントに面会した際に、たとえ実子であろうと、証がなければ後継者にはなれない旨、申し聞かせて参りました。
本家に該当者がいない場合でも、シンハ様がふわさしい養子を選んで下さる……ゆえに、元よりお前の企みは成功するはずがなかったのだ、とも……」
公爵は歯を食いしばった。

「なるほど、シンハが選ぶのなら間違いないね。
……ただ、彼が王家以外に肩入れするというのは珍しいけれど……」
王子は首をかしげた。
“焔の眸”は代々の魔界王に帰属し、王家に関する重要な事項についてのみ、予知や血筋の判別等をしてきたのだ。
一方、グーシオン家は古い家柄ではあったが、王族ではない。

「それは、ええと……昔、公爵家に獅子頭の双子が誕生し、当時の魔界王様は大層喜ばれて、金獅子の紋章を拝領する名誉に(あずか)った……ということがあったからだと思いますが……」
公爵の話を補うように、シンハが続ける。
『獣面人身の双生児はその後、揃いで成人致した。
今と比しても赤子の死亡率が高い頃合いだったがゆえ、まことに稀有(けう)なる瑞兆(ずいちょう)であると奏上(そうじょう)したところ、当時の魔界王はいたく喜び、公爵家に報奨を授けたのだ』
 
「ふうん、……」
何か釈然とせず引っかかる思いのまま、サマエルはベリルに視線を向けた。
「ああ、そういえば、お前の願い事とは何だい?
今の話と、どういう関係があるのかな」

すると、彼女は頬を赤らめた。
「あ、えっと……ヴァピュラのことで……その、困ったことが……」
「困り事? 容態が悪化、したわけでもなさそうだね……?」
サマエルは横目でライオンを見る。
もしそうなら、責任感の強い彼が、患者の元を離れたりはしないだろう。

シンハは顔をしかめた。
『実を申せば、ヴァピュラの身体に、重大な障害が出来(しゅったい)致してな』
「障害……眼か耳、それとも……まさか、寝たきりになってしまったとか……?」
サマエルも眉をひそめながら、一刻も早く犯人をひっ捕らえ、罪を償わせてやることを誓った。

意味深な間を置き、ライオンは、ぶるぶると頭を振った。
『……そのいずれでもない。されど、男としては致命的やも知れぬ……。
かなりの無理押しで、命を戻したのでな……』
「えっ、男として、致命的?」
サマエルは眼を見開いた。

『ヴァピュラは子孫を残せぬ。
ありていに申せば、精巣が機能せぬゆえ、女子(おなご)を妊娠させられぬ体になってしもうたのだ……!』
眼を爛々(らんらん)と燃え上がらせ、たたきつけるようなライオンの言葉は、まるで神託のように、広い墓場に響き渡った。

「あぁ……それは……、気の毒に……。
公爵家としては、非常にまずい事態、だね……?」
サマエルは複雑な表情で、公爵をちらりと見る。

妊娠で女性が死んでしまったら、という恐怖を抱える彼にとっては、子供を作れないことは一種の僥倖(ぎょうこう)のようにも思える。
だが、他人にはそうではなく、特に貴族にとっては家の存続に関わる一大事、ということはよく分かっていた。

「いえ、分家より養子をとれば良いので、さのみ深刻ではございません」
冷静さを取り戻していたグーシオンは答えた。
「ちなみに、今回の件は非公表にして欲しいと、フールフール伯爵に泣きつかれまして……伯はタナトス様にも土下座して許しを得たそうで、こちらとしても渡りに船ですし、了承しました。
そういうことから、レイントの処分は、病の転地療養と称して実際は魔封じの塔に幽閉、という線に落ち着きそうです」

「そんな、二人も殺しかけたのに、幽閉なんかで済んじゃうの?
しかも病気って名目で……」
今度はベリルが顔をしかめた。
「仕方がないのだよ、ベリル。
彼女は貴族だし、タナトスも、家名を守ろうと必死の伯を一蹴(いっしゅう)することは出来ない。
けれど、人の口に戸は立てられないから、単なる噂と、罪人と確定するのとでは差があるけれども、いずれ悪行は汎魔殿中に知れ渡るさ。
……ともあれ、色々と大変だね、グーシオン」
サマエルはねぎらいの言葉をかけた。

「いえいえ、伯爵に恩を売れるという点では、(おん)の字ですよ。
あの御大(おんたい)ときたら、散々わたしを生意気な青二才だのなんだのと……まあ、たしかにそうなのですが、色々と恩着せがましいことを言い立ててくれまして、何度もうんざりさせられましたから」
公爵の表情は清々(すがすが)しかった。
「……そう。公爵さんがいいんなら、いいけど」
ベリルは、まだ完全には納得していない顔でうなずいた。

「ご理解頂けて幸いです」
グーシオンは彼女に会釈し、それから王子に顔を向けた。
「ところで、サマエル様。前置きが長くなりましたが、ここからが本題でございます。
近頃、ヴァピュラに縁談が殺到しておりまして。
まだ幼いのでとかわして参りましたが、はっきりせよと迫る御仁(ごじん)も現れ……かといって今回の件は表沙汰には出来ませんし、良い口実はないかと頭を悩ませておりますと、ベリル様が……」

それを受けてベリルが続ける。
「だったら、あたしと婚約してるってことにしとけばいいわ、って言ったの。
もう相手が決まってれば、堂々と断れるでしょ。
でも、公爵さんは、いくら形だけっていっても、お父さんのお許しを得なくては、って」

「当然でございます。
そもそも、瑕疵(かし)のある男を碧龍様の伴侶になど、(おそ)れ多いことですし、サマエル様にきちんとお許しを頂いてから、でなくてはと」
「……なるほど、そういうことか。
ところで、ヴァピュラ自身は知っているのかい、自分の体のこと」

「……はい、申しました。
そして、息子は、ベリル様のお申し出を知り、お気持ちはありがたいのですが、自分のような欠陥品ではお相手にそぐわないので、ご遠慮申し上げたいと……」
公爵は眼を伏せた。

「ヴァピュラは欠陥品なんかじゃないわ。
婚約って言っても名目だけなんだから、遠慮なんていらないのに。
それに、あたしにも縁談が来てて、イシュタル叔母様が止めて下さってるけど、誰とも結婚する気はないし、子供を産むのだって嫌。
だから、お父さん、いいでしょ、お願い……!」
ベリルは拝むようにして言った。

「……そういうことか。分かったよ、ベリル。キミは自由をつかんだばかりだ。
貴族連中の思惑など気にかけなくていいし、大人になってからどうするかは、二人でそのとき決めればいい」
王子はそう答えた。
自分の分身とも言える彼女が、養父のしがらみから解放された今でも、結婚も子供も不要と考えるのは当然のように、彼には思えた。

「ホント? ありがとう、お父さん!」
ベリルは、ぱっと顔を輝かせた。
「大変ありがたいお話ですが、本当によろしいのですか、サマエル様?」
公爵は心配そうに念を押す。

「無論だとも。ベリル本人が望んでいるのだから。
ヴァピュラだって、内心はうれしいに決まっているさ。
……シンハ、お前はどうだい、この話?」
『異議はない』
ぶっきら棒に答えるライオンの瞳が、この上ない喜びに輝いているのを眼にした瞬間、様々な事柄が頭の中で一気に結びつき、サマエルは違和感の正体にたどり着いた、と思った。

だが、彼は何食わぬ顔で会釈した。
「では、グーシオン、ベリルをよしなに頼む」
「こちらこそ、愚息(ぐそく)をよろしくお願い申し上げます」
公爵もまた、胸に手を当て深々と礼をした。

「よかったね、公爵さん!」
ベリルは、今までになくはしゃいでいた。
ここに来てグーシオンの顔も、ようやくほころんだ。
「はい、ヴァピュラも喜びましょう。
これでもう、どこからの縁談話でも、胸を張ってすでに婚約が相整っておりますと断れますよ」

「そうだね。今まで来た縁談の返事には、王子(わたし)の喪が開けてから婚約を公表する予定だったと、さらには、どうか内密に、と(したた)めれば、速攻で汎魔殿中に広まるだろう。
秘密というのは、誰かに話したくなるのが常だからね」
サマエルは皮肉な笑みを浮かべる。
「心得ました」

「じゃあ、あたし、お許しが出たこと、ヴァピュラに教えて来るね。
きっと元気が出るわ。
お父さん、本当にありがとう」
ベリルはぺこりと頭を下げ、足取りも軽く墓地から出て行った。

「それでは、サマエル様、わたしも失礼致します。
(こころよ)くご了承頂き、まことにありがとうございました」
公爵も、うやうやしくお辞儀をし、墓前から去って行く。

二人が見えなくなると、ライオンはおもむろに、細い鎖で首から下げていた黄金の筒を外してサマエルに渡した。
『リナーシタよりの書簡(しょかん)だ。
遠距離の念話も、指もまだよく動かぬゆえ、サリエルが代書した』

「そう、ありがとう」
開けてみると、『お父さん、心配かけてごめんなさい、僕はもう大丈夫なので安心して下さい』と幼い字で書かれていた。

けなげな手紙を沈んだ気分で読み終えたサマエルは、紙とペンを魔法で出し、さらさらと返事を(したた)めて筒に入れ、彼の首に戻した。
「頼む」
『心得た。それでは……』

「ところで、ヴァピュラはお前の息子だろう?
なぜ、ずっと教えてくれなかったのかな」
王子の問いかけに、立ち去りかけていたライオンは、ぎくりと動きを止めた。

おん‐の‐じ【御の字】

《江戸初期の遊里語から出た語。「御」の字を付けて呼ぶべきほどのもの、の意から》
1 非常に結構なこと。望んだことがかなって十分満足できること。

おん‐たい【御大】

《「御大将」の略》 仲間・団体の首領、一家や店の主人などを親しんで呼ぶ語。

ご‐じん【御仁】

人を敬っていう語。おかた。現在では、ひやかしの気持ちを含んで用いることもある。

か し 【瑕疵】

1.きず。欠点。
2.法的に人の行為、権利または物に何らかの欠陥・欠点のあること。
通常、一般的には備わっているにもかかわらず本来あるべき機能・品質・性能・状態が備わっていないこと。
法概念としても用いられる。

じょうじょう-しゃくりょう【情状酌量】

裁判官などが諸事情を考慮して、刑罰を軽くすること。
また、一般にも過失をとがめたり、懲罰したりするときに、同情すべき点など諸事情を考慮することをいう。

け う 【希有・稀有】

めったにないこと。非常に珍しいこと。また、そのさま。

ずい ちょう 【瑞兆】

めでたい前兆。吉兆。瑞徴。

そう じょう 【奏上】

天皇に申し上げること。申奏。進奏。上奏。(この場合は魔界王にですが)

ぐ そく 【愚息】

自分の息子をへりくだっていう語。豚児(とんじ)。