29.獅子の系譜(2)
「ふむ、その訳とは?」
サマエルに問われた公爵は、自分の眼を示す。
それは、一旦は元の色……深い森の中で満々と水を
「グーシオン家では、この眼を“オルクスの瞳”と呼び、代々世継ぎの
しかしながら、ヴァレフォルは母親譲りの紅一色……それでも、我が子と思えばこそ、わたしは……」
彼は声を詰まらせた。
魔界でのみ産出される貴石──オルクスは、色変わりするという点において、人界のアレクサンドライトに似ていたが、色が変わる条件はそれぞれ異なっていた。
そしてオルクスは、その希少性も相まって魔族の間で珍重され、サマエルも人界にいた頃、宝飾品を兼ねて使用していたこともあった。
実のところ、色変わりする眼を持つ魔族は少なくない。
けれども、オルクスそっくりの瞳を持つ者のみを跡継ぎとする家系は、他に類を見なかった。
ややあって、公爵の感情が落ち着いたのを見計らい、サマエルは口を開いた。
「ところで、レイントは、証のことは知らなかったのか?」
「はい……ヴァピュラを次期公爵として陛下には届け出ている、とだけ話しておりました。
ですが、それで男に
グーシオンは、がっくりとうなだれた。
「いや、お前は悪くないよ。
情夫にそそのかされたとしても、公爵家の血も引かない自分の子を跡継ぎにするべく、正統な世継ぎの殺害を図るなんて、
サマエルはきっぱりと言ってのけた。
(ヴァピュラには気の毒だが、早めに事が露見したのは幸いだったな。
さもなくば、公爵家は皆殺しにされ、毒婦に乗っ取られていただろう)
そう彼は思ったが、打ちのめされている公爵に聞かせる気にはなれなかった。
「……仰る通りです。
レイントに面会した際に、たとえ実子であろうと、証がなければ後継者にはなれない旨、申し聞かせて参りました。
本家に該当者がいない場合でも、シンハ様がふわさしい養子を選んで下さる……ゆえに、元よりお前の企みは成功するはずがなかったのだ、とも……」
公爵は歯を食いしばった。
「なるほど、シンハが選ぶのなら間違いないね。
……ただ、彼が王家以外に肩入れするというのは珍しいけれど……」
王子は首をかしげた。
“焔の眸”は代々の魔界王に帰属し、王家に関する重要な事項についてのみ、予知や血筋の判別等をしてきたのだ。
一方、グーシオン家は古い家柄ではあったが、王族ではない。
「それは、ええと……昔、公爵家に獅子頭の双子が誕生し、当時の魔界王様は大層喜ばれて、金獅子の紋章を拝領する名誉に
公爵の話を補うように、シンハが続ける。
『獣面人身の双生児はその後、揃いで成人致した。
今と比しても赤子の死亡率が高い頃合いだったがゆえ、まことに
「ふうん、……」
何か釈然とせず引っかかる思いのまま、サマエルはベリルに視線を向けた。
「ああ、そういえば、お前の願い事とは何だい?
今の話と、どういう関係があるのかな」
すると、彼女は頬を赤らめた。
「あ、えっと……ヴァピュラのことで……その、困ったことが……」
「困り事? 容態が悪化、したわけでもなさそうだね……?」
サマエルは横目でライオンを見る。
もしそうなら、責任感の強い彼が、患者の元を離れたりはしないだろう。
シンハは顔をしかめた。
『実を申せば、ヴァピュラの身体に、重大な障害が
「障害……眼か耳、それとも……まさか、寝たきりになってしまったとか……?」
サマエルも眉をひそめながら、一刻も早く犯人をひっ捕らえ、罪を償わせてやることを誓った。
意味深な間を置き、ライオンは、ぶるぶると頭を振った。
『……そのいずれでもない。されど、男としては致命的やも知れぬ……。
かなりの無理押しで、命を戻したのでな……』
「えっ、男として、致命的?」
サマエルは眼を見開いた。
『ヴァピュラは子孫を残せぬ。
ありていに申せば、精巣が機能せぬゆえ、
眼を
「あぁ……それは……、気の毒に……。
公爵家としては、非常にまずい事態、だね……?」
サマエルは複雑な表情で、公爵をちらりと見る。
妊娠で女性が死んでしまったら、という恐怖を抱える彼にとっては、子供を作れないことは一種の
だが、他人にはそうではなく、特に貴族にとっては家の存続に関わる一大事、ということはよく分かっていた。
「いえ、分家より養子をとれば良いので、さのみ深刻ではございません」
冷静さを取り戻していたグーシオンは答えた。
「ちなみに、今回の件は非公表にして欲しいと、フールフール伯爵に泣きつかれまして……伯はタナトス様にも土下座して許しを得たそうで、こちらとしても渡りに船ですし、了承しました。
そういうことから、レイントの処分は、病の転地療養と称して実際は魔封じの塔に幽閉、という線に落ち着きそうです」
「そんな、二人も殺しかけたのに、幽閉なんかで済んじゃうの?
しかも病気って名目で……」
今度はベリルが顔をしかめた。
「仕方がないのだよ、ベリル。
彼女は貴族だし、タナトスも、家名を守ろうと必死の伯を
けれど、人の口に戸は立てられないから、単なる噂と、罪人と確定するのとでは差があるけれども、いずれ悪行は汎魔殿中に知れ渡るさ。
……ともあれ、色々と大変だね、グーシオン」
サマエルはねぎらいの言葉をかけた。
「いえいえ、伯爵に恩を売れるという点では、
あの
公爵の表情は
「……そう。公爵さんがいいんなら、いいけど」
ベリルは、まだ完全には納得していない顔でうなずいた。
「ご理解頂けて幸いです」
グーシオンは彼女に会釈し、それから王子に顔を向けた。
「ところで、サマエル様。前置きが長くなりましたが、ここからが本題でございます。
近頃、ヴァピュラに縁談が殺到しておりまして。
まだ幼いのでとかわして参りましたが、はっきりせよと迫る
それを受けてベリルが続ける。
「だったら、あたしと婚約してるってことにしとけばいいわ、って言ったの。
もう相手が決まってれば、堂々と断れるでしょ。
でも、公爵さんは、いくら形だけっていっても、お父さんのお許しを得なくては、って」
「当然でございます。
そもそも、
「……なるほど、そういうことか。
ところで、ヴァピュラ自身は知っているのかい、自分の体のこと」
「……はい、申しました。
そして、息子は、ベリル様のお申し出を知り、お気持ちはありがたいのですが、自分のような欠陥品ではお相手にそぐわないので、ご遠慮申し上げたいと……」
公爵は眼を伏せた。
「ヴァピュラは欠陥品なんかじゃないわ。
婚約って言っても名目だけなんだから、遠慮なんていらないのに。
それに、あたしにも縁談が来てて、イシュタル叔母様が止めて下さってるけど、誰とも結婚する気はないし、子供を産むのだって嫌。
だから、お父さん、いいでしょ、お願い……!」
ベリルは拝むようにして言った。
「……そういうことか。分かったよ、ベリル。キミは自由をつかんだばかりだ。
貴族連中の思惑など気にかけなくていいし、大人になってからどうするかは、二人でそのとき決めればいい」
王子はそう答えた。
自分の分身とも言える彼女が、養父のしがらみから解放された今でも、結婚も子供も不要と考えるのは当然のように、彼には思えた。
「ホント? ありがとう、お父さん!」
ベリルは、ぱっと顔を輝かせた。
「大変ありがたいお話ですが、本当によろしいのですか、サマエル様?」
公爵は心配そうに念を押す。
「無論だとも。ベリル本人が望んでいるのだから。
ヴァピュラだって、内心はうれしいに決まっているさ。
……シンハ、お前はどうだい、この話?」
『異議はない』
ぶっきら棒に答えるライオンの瞳が、この上ない喜びに輝いているのを眼にした瞬間、様々な事柄が頭の中で一気に結びつき、サマエルは違和感の正体にたどり着いた、と思った。
だが、彼は何食わぬ顔で会釈した。
「では、グーシオン、ベリルをよしなに頼む」
「こちらこそ、
公爵もまた、胸に手を当て深々と礼をした。
「よかったね、公爵さん!」
ベリルは、今までになくはしゃいでいた。
ここに来てグーシオンの顔も、ようやくほころんだ。
「はい、ヴァピュラも喜びましょう。
これでもう、どこからの縁談話でも、胸を張ってすでに婚約が相整っておりますと断れますよ」
「そうだね。今まで来た縁談の返事には、
秘密というのは、誰かに話したくなるのが常だからね」
サマエルは皮肉な笑みを浮かべる。
「心得ました」
「じゃあ、あたし、お許しが出たこと、ヴァピュラに教えて来るね。
きっと元気が出るわ。
お父さん、本当にありがとう」
ベリルはぺこりと頭を下げ、足取りも軽く墓地から出て行った。
「それでは、サマエル様、わたしも失礼致します。
公爵も、うやうやしくお辞儀をし、墓前から去って行く。
二人が見えなくなると、ライオンはおもむろに、細い鎖で首から下げていた黄金の筒を外してサマエルに渡した。
『リナーシタよりの
遠距離の念話も、指もまだよく動かぬゆえ、サリエルが代書した』
「そう、ありがとう」
開けてみると、『お父さん、心配かけてごめんなさい、僕はもう大丈夫なので安心して下さい』と幼い字で書かれていた。
けなげな手紙を沈んだ気分で読み終えたサマエルは、紙とペンを魔法で出し、さらさらと返事を
「頼む」
『心得た。それでは……』
「ところで、ヴァピュラはお前の息子だろう?
なぜ、ずっと教えてくれなかったのかな」
王子の問いかけに、立ち去りかけていたライオンは、ぎくりと動きを止めた。
おん‐の‐じ【御の字】
《江戸初期の遊里語から出た語。「御」の字を付けて呼ぶべきほどのもの、の意から》
1 非常に結構なこと。望んだことがかなって十分満足できること。
おん‐たい【御大】
《「御大将」の略》 仲間・団体の首領、一家や店の主人などを親しんで呼ぶ語。
ご‐じん【御仁】
人を敬っていう語。おかた。現在では、ひやかしの気持ちを含んで用いることもある。
か し 【瑕疵】
1.きず。欠点。
2.法的に人の行為、権利または物に何らかの欠陥・欠点のあること。
通常、一般的には備わっているにもかかわらず本来あるべき機能・品質・性能・状態が備わっていないこと。
法概念としても用いられる。
じょうじょう-しゃくりょう【情状酌量】
裁判官などが諸事情を考慮して、刑罰を軽くすること。
また、一般にも過失をとがめたり、懲罰したりするときに、同情すべき点など諸事情を考慮することをいう。
け う 【希有・稀有】
めったにないこと。非常に珍しいこと。また、そのさま。
ずい ちょう 【瑞兆】
めでたい前兆。吉兆。瑞徴。
そう じょう 【奏上】
天皇に申し上げること。申奏。進奏。上奏。(この場合は魔界王にですが)
ぐ そく 【愚息】
自分の息子をへりくだっていう語。豚児(とんじ)。