27.偽天帝の最期(2)
魔界王の声の余韻も消えぬうち、四大天使に担がれた檻が入場し、中から見る影もなく老いさらばえた偽天帝が引き出される。
人々の興奮は最高潮に達し、闘技場は地鳴りにも似たどよめきに包まれた。
手枷をはめられた偽ゼデキアは、死んだ魚のような眼をしていたが、
「おお、ミカエル……く、放せ、無礼者!」
「心配いらん、貴様もすぐに息子の後を追わせてやる」
『積もりに積もった魔族の
「くっ、
死刑囚は怒りの
「ふん、魔族が
そういうのを
天界を支配していた男を見下ろし、魔界の王は冷ややかに応じた。
「く、
余をかような目に遭わせしこと、必ずや後悔させてくれるわ、くたばれ、薄汚い淫魔ども!」
激高した偽天帝は、恥も外聞もかなぐり捨て、口汚く
『さても、統治者とは思えぬ浅ましさよ』
シンハは鼻にしわを寄せた。
「俺達に噛み付くのはお門違いだぞ、貴様。長年味方殺しを
それより、同族に処刑される寸前の気分はどうだ、ええ?」
魔界王は顎を突き出し、ニヤリとした。
「くうう……我らの温情で生き延びおった虫けらの分際で……!」
ゼデキアは眼を血走らせ、ギリギリと歯噛みする。
「おうおう、干からびた負け犬がよく吼えよるわ。
さて、死に損ないのたわごとも聞き飽きたな」
さっとタナトスは手を振る。
直後、見事な連携で、グーシオンとシュトリが囚人に猿ぐつわを噛ませた上、ミカエルの隣の杭に縛り付けた。
「うぐ、むぐう……!」
こうなっては、ゼデキアはうめく外ない。
『恨み
ライオンは感慨深げにつぶやく。
「まさしくな」
魔界王は同意し、二人の公爵も頭を下げて賛意を示した。
その時、アスベエルがフレイアと進み出て来た。
「タナトス様、そろそろよろしいでしょうか」
「いいぞ。やれ」
タナトスは首を刈る仕草をする。
「お任せを」
天使は会釈し、顔面蒼白の女神に声をかけた。
「フレイア様、大丈夫ですか?」
「え、ええ……」
気丈に振る舞っていても、少女の声は震えている。
「お辛いなら、俺が代わりに……」
フレイアは激しく首を振った。
「いいえ、わたくしがやるわ、やらなくては駄目なの!」
「……分かりました、では」
アスベエルは大きく息を吸い、声を張り上げた。
「皆様、裁きの時がやって参りました!
魔界王タナトス陛下のお許しを得まして、本日、この男、偽天帝ゼデキアを処刑致します!
フレイア女神様、ひいては神族の仇である裏切り者の死をもって、この戦は終息するのです!」
大音響の拍手喝采の中、青ざめたフレイアは震える手で短剣を構え、ホムンクルスに向かい合った。
アスベエルとアザゼル、四大天使達も後ろに控え、いよいよ処刑が始まる。
それまで沈黙を守っていた弟に、タナトスは念話を送った。
“ようやくここまで来たな、サマエル。やっとお前の仇を討てるぞ”
“……そうだね。
でも、何だかちょっと虚しいな……この時を待っていたはずなのに……”
幽霊の声は湿り気を帯びていた。
“目的を達成して気が緩んだのだろうさ。
ところで、お前、フレイアを操っているのか?
戦の経験もない小娘が仇を討つと眼を血走らせているのは、見て気分のいいものではないぞ”
“いや、何も……あ、もしかして、私の精神に感応しているのかな。
死んだ直後、しばらく彼女の中に隠れていたから。
……ふむ、それで、偽者と信じ込ませやすかったわけか”
“む、まさか、あれは本物の天帝なのか?”
魔界王は、杭に縛り付けられてもがく囚人を凝視した。
“いいや、正真正銘ホムンクルスさ”
否定の身振りをしたサマエルは、アスベエルのそばに寄っていく。
“「何も知らなかった」が免罪符になるとまだ思っているのかな?
仇を討ったと思った瞬間に、フレイアは尊属殺しの罪を負うのだよ”
“え? 何のことで……”
アスベエルが訊き返そうとした時。
「うぐっ!」
必殺の気合いを込めた鋭い輝きが、ホムンクルスの胸に深々と突き刺さり、死神の鎌のようにその命を刈っていた。
“おめでとう、フレイア。
キミは立派に、実の曽祖父を
皆が喜びを爆発させている中、幽鬼の
“え、実の、って……?”
返り血にまみれたまま、フレイアはきょとんとする。
“ど、どういうことです?”
アスベエルは慌てて尋ねる。
“彼は、フレイアの実の曽祖父なのさ。
オリジナルのゼデキアは、その男が創られる以前に、老衰で死んでいる。
さらに言うと、そいつは彼女の家族を手にかけてはいない”
淡々と死者は語る。
「ええっ!? じゃ、じゃあ、わたしは……」
女神の手から力が抜けて、曽祖父の血を吸った剣が地に落ちた。
“そう、つまりキミは、尊属殺しの王位
青白い燐光を放つ幽鬼は、血のように紅い唇で、にたりと笑いかけた。
“う、嘘! だって、あなたは……あなたが、ひいお爺様を殺したと言ったのじゃない……!
だ、だから、わたくしは仇を討とうと……”
フレイアは、震える体を手で抱きしめた。
“人の上に立つ者が、他人の話を鵜呑みにしてはいけないな。
知らなかったと頭を下げるだけでは、取り返しのつかないこともある……一つ利口になったね”
幽霊は平然と言ってのける。
「そ、そんな……」
へなへなと地面にくずおれた女神は、死人の彼よりも青ざめていた。
“どうした? 恋路の邪魔者が消えたのは喜ばしいことだろう。
アスベエルとお幸せにね。女帝フレイア”
亡霊は胸に手を当て、いんぎんに頭を下げた。
“ひどい、どうして……”
女神を支える青年のつぶやきを背に、第二王子の霊は兄の元へ行く。
“実のところ、天帝と複製とのすり替わりは、ずっと昔から継続して行われていたのだよ”
まるで中断などなかったかのように話す弟を、タナトスはけげんそうに見た。
“何だと?”
“ゼデキアが帝位に就いてから、数百万年は経過している。
だが、我ら同様、神族の寿命は十万年程度のはず、どうやって、それほどの長寿を実現できたのだろうね?
“むう、複製に記憶を移し替え続けてきたのか。
俺はまた、ゼデキア本人が、うろんな黒呪術で生き永らえて来たのだとばかり思っていた”
“私もそうだよ。囚人となるまで、天界の内実など知りようもなかったし。
……それはそうと、愛人にしたいほど可愛いがっていた曽孫娘に殺されることとなった、あの複製の心境は、いかばかりだったろうね……?”
サマエルの瞳が暗く
“ふん、ざまを見ろだ。何があろうと、同情の余地など一切ないわ”
タナトスは吐き捨てた。
“……ゼデキアの前の代までは、天帝の座も、きちんと世襲されて来たのだよ。
しかし、長く続く専制政治の果て、
“ふむ。ならば、あれがフレイアの親を殺したと言うのも嘘か?”
寿命が尽きる前に、非業の死を迎えた男を、タナトスは示す。
“……そうだね、少なくとも、直接手を下してはいないな。
彼らは、『金蚕』を植えつけられるのを拒み、自害したのだよ”
“何、血族にまであの虫を?”
タナトスは顔をしかめた。
“ああ。だから、ヤツが殺したと言えなくもないのさ……”
「ならば、そう教えればよかったではないか」
“いや……それでは、尊属殺しをフレイアに犯させることが出来ないから……。
さすがに実の曽祖父と知れば、処刑は他の者にさせるだろうし。
私は『死の呪文』を唱え、天帝の魂とヤツの腐り切った王国を、女神アナテに捧げると誓約した。苦痛に満ちた、最も醜い死をくれてやると。
そうして、呪いは
魔界の王は顔色を変えた。
“『死の呪文』だと!? 危ないものを使いおって!
神族どころか、ウィリディスまで危険に
“……私は『カオスの貴公子』だ、そんな失態、犯すはずがないよ”
“そうではない!
貴様はいつもいつも、不必要な危険を犯し過ぎだと言っているのだ!”
魔界王は弟を怒鳴りつけた。
“自分の手で私を殺せなかったことを、まだ不満に思っているのか……?”
尋ねる死霊の口調は暗かった。
タナトスは大きく
“まさか。俺は、地獄の底まで一緒に付き合うと言ったはずだぞ”
“そう。……本当のところ、私個人は、あの二人はお似合いだと思っているよ。
でも、私の中にある先祖達の無念が、私を解放してくれなくてね……”
幽霊は胸に手を当て、首を振った。
“サマエル……”
“でも、偽りの王は死に、その王国も崩壊して、ついに私の役目も終わった。
私は一人で地獄の門をくぐるよ、お前はゆっくり生きて、天国に行くといい。
だって、私は極悪人だ……生まれ落ちた時……いや、母の体内に宿った瞬間から、罪人となる運命だったのだから……”
弟王子は顔を覆った。
“いいや、お前は何も悪くない!
俺は必ず共に逝く、お前を一人にはさせん!”
兄の声も耳に入った様子はなく、サマエルは哀願するように言った。
“……お願いです、どうか、墓は暴かないで下さい。
私の体を汎魔殿に改葬するのはおやめ頂きたい……私は、このウィリディスの地で眠りたいのです……”
“無論だ、サマエル!
女神アナテに誓って、お前の眠りは誰にも邪魔はさせん!”
タナトスは荒っぽく誓約する。
“ありがとうございます、兄上。
けれど、無理に同情して下さらなくとも結構ですよ。
『焔の眸』をお返しできなかったことだけが、心残りですけれど……”
タナトスは、眉をしかめてライオンを示す。
“たわけ、こいつはお前のものだ、生死にかかわらずな。
それより、敬語を使うのはやめろと何度言ったら分かる”
“……分かったよ、タナトス。
たまには、感謝の念を表してみようと思っただけだ。
そら、皆、お前の言葉を待っているぞ”
タナトスは舌打ちし、それから声を張り上げた。
「──皆の者、恨み重なる天界の長とその息子は、苦しみ悶え死んだ!
今こそ、勝利の美酒に酔いしれよう!
さあ、祝宴の始まりだ!」
魔界王の宣言とそれに続く大歓声が、後味の悪い処刑の終わりを告げた。
【塗炭の苦しみ】
塗炭の「塗」は「泥水」、「炭」は「炭火」のこと。
泥水や炭火にまみれるような、ひどい苦しみをたとえていう。
出典は中国の『書経(仲キ之誥)』で、「有夏昏徳し、民塗炭に墜つ(王の不徳により、人民は泥水や炭火に落とされたような苦難を味わった)」という故事に由来する。 - 語源由来辞典
【比ぶべくもない】
「比べるべくもない」は誤りとされる。
比べることもできないほど差が大きい。格段に違っている。比べ物にならない。
【針小棒大】しんしょうぼうだい
針ほどの小さいことを棒ほどに大きく言うこと。物事をおおげさに言うこと。
【恨み骨髄に徹する】うらみこつずいにてっする
人をうらむことが深く激しい。非常に強いうらみの形容。恨み骨髄に入る。
しぎゃく【弑逆】
主君や父親を殺すこと。
がんめい-ころう【頑迷固陋】
頑固で視野が狭く、道理をわきまえないさま。
また、自分の考えに固執して柔軟でなく、正しい判断ができないさま。頭が古くかたくななさま。