~紅龍の夢~

巻の七 DIES IRAE ─怒りの日─

27.偽天帝の最期(1)

サマエルの墓参りを済ませたイシュタルとヴァピュラは、ウィリディスの新王都スリアンヴォスへと足を向けた。
木材の清々しい香り漂う建物が並ぶ市街、その向こうには、真新しくも壮大な魔族の城、シュトラール城がそびえ立っている。

「ここがわたし達の都……ああ、お城も見えるわ……何て素敵なのかしら……!」
思わず、イシュタルは感嘆の声を漏らす。
「街がたくさんの人で一杯になるところを想像すると、今からドキドキしますね」
ヴァピュラも眼を輝かせていた。
 
二人は人気のない広い通りを進み、出来たばかりの城へと足を踏み入れた。
「すごいですね……!」
「本当ね、言葉が出ないわ……!」
城のエントランスは、豪華絢爛という言葉がふさわしい、眼も(あや)な金銀宝石細工で覆われ、高い窓にはステンドグラスがはめ込まれて、様々な色合いの光が大理石の床に差している。

彼らが驚嘆の念に打たれて見回していると、女官が二人やって来て礼をした。
「イシュタル様、執務室にご案内するようにとタナトス様の仰せです。
こちらへどうぞ」
「ヴァピュラ様、グーシオン公爵様がお呼びです、こちらへ」
「それでは、イシュタル様、ここで失礼します」
ヴァピュラはお辞儀をして去り、イシュタルも女官の後について行った。

城の内装もまた、とても素晴らしいものだった。
おそらくは“焔の眸”や“黯黒の眸”の知識や知恵を借りたのだろう、新しいのに不思議と歴史を感じさせる荘厳な彫刻やレリーフ、壁掛けなどが、壁面や回廊を美しく飾っていた。

落ち着いた感じの執務室にいたタナトスは、魔界から呼び寄せた妃……ニュクスと一緒に書類を整理していて、彼女を見ると満面の笑みで立ち上がった。
「叔母上、どうだ、初めて見るウィリディスは? 
この城と新王都も、魔界と遜色(そんしょく)なかろう?」

「ええ、ええ、とても素晴らしいわ。
都もお城も引けを取らないどころか、全部、魔界以上よ」
イシュタルも笑顔で同意する。
「そうだろう」
彼は胸を張った。
「これでゼデキアとミカエルの処刑が終われば、何の(うれ)いもなく皆を移住させられるな」

「あ……、タナトス、その……処刑のことなのだけれど……。
実は……シュネも来られないのよ……ほら、あの子は、魔界で暮らしたこともないし、魔族としての自覚が薄いというか、……」
しどろもどろに彼女が告げても、魔界王の表情は特に変わらなかった。

「ああ、経緯はサマエルから聞いている、別に構わんぞ。
彼らは戦の立役者だが、処刑には関わらせる必要はない、魔界で戦勝の宴に顔を出させればそれでよいはず……とか何とか、いつものヤツの口車にまんまと乗せられてしまったわ」
タナトスは苦笑した。
「あらまあ、そうなの」
イシュタルはほっと息をつく。

「そういえば、神どもの伴侶選びはどうにか終えたのだがな。
てっきり男は売れんだろうと思ったら、何十匹も売れたのには驚いたわ。
魔界の女どもときたら、まったく物好きな」
「あら、いいことではないの。
二つの種族間の理解が、一層早く進むと思うわよ」

「ふむ、そんなものか?
しかし、あぶれたジジイどもが、偽天帝のくたばるところを見ねば死んでも死に切れんとほざき出してうるさくてな。
仕方がないから、処刑に立ち会わせてやることにしたわ」
魔界の王は肩をすくめた。

イシュタルは眼を丸くした。
「まあ……、お前が、敵にそんなことを許すなんて。
っといっても、神々も騙されていたのだったわね。
……でも、正直、子供の頃のお前は行く末が案じられたものだけれど。
今は、お前が王位に就いて良かったと、心底思えるわ」
彼女は、心身ともに成長した甥を頼もしく思い、心からの笑みを浮かべた。

「ふん、褒めたとて何も出んぞ」
タナトスは鼻を鳴らす。
「いや、お主はよくやってきたと思うぞ。
こたびの勝利だとて、おぬしの下、魔族が結束せねば成し遂げられなかったであろう」
そう口を挟んだのは、隣りにいたニュクスだった。

「ほら、王妃様もそう仰っているわよ。
慣れない謙遜(けんそん)などしなくとも、一番の功労者はお前なのだから」
「むう……まあ、そう言われれば、そうかも知れん、な」
二人の女性から賞賛の言葉をかけられたタナトスは、照れながらもまんざらではなさそうだった。

「ええ、魔族が存続する限り、お前は讃えられるでしょう。
ああ、これでもうわたし達、敵に怯えて隠れ住まなくてもいいのね。
ここが、(つい)棲家(すみか)となるのだわ……!」
うっとりと言う叔母を見ながら、タナトスも顔をほころばせ、“黯黒の眸”を引き寄せた。
「ああ。もう、愛する者と離れて暮らす必要もないのだな」

そうして、ついに処刑の朝は来た。
ウィリディスにいる者達は魔族、神族の区別なく、こぞって闘技場に詰めかけて、今か今かとその時を待ち受けていた。

前の晩、慣例に従い、偽天帝とミカエルには豪華な晩餐(ばんさん)が振る舞われたが、死の瀬戸際では食欲もなく、口数も少なかった。
眠れぬ夜を過ごした彼らは、朝食もほどほどに湯浴みをし、王族にふさわしい衣装をまとう。

正午。
ラッパの音を合図に、まずはミカエルが刑場に引き出され、前日まで拷問を加えていた獄吏(ごくり)達……ウリエル、ラファエル、ラグエル、ラジエルの複製達によって、中央の柱に縛り付けられた。

かつては堂々たる美丈夫(びじょうぶ)だった大天使も、敗戦のショックと投獄の屈辱、連日の激しい拷問によって見る影もなくなっていた。
頬はこけ、眼は落ちくぼんで、上質のゆったりとしたローブも、()せさらばえた体の線を隠すには至らない。

恨み重なる元天使長の登場に闘技場が沸き立ち、魔族と神族双方から野次が乱れ飛ぶ。
その様子が生中継されていた魔界でも、人々の反応はウィリディスと大差なかった。

『静まれ!』
その時、貴賓席(きひんせき)のシンハが咆哮(ほうこう)を上げ、場内は一瞬にして静まり返った。

すかさずタナトスが立ち上がり、魔力で闘技場全体に声を響かせた。
「皆の者、時は来た! ついに積年の恨みを晴らす時が!
このミカエルと、偽天帝の処刑が終わった時、このウィリディスは真に我らの故郷となるのだ!
さて、まずはアスベエルが、ミカエルの罪状を申し述べる、聞け!」
その後起こったどよめきに後押しされるように、黒髪黒翼の天使が中央に進み出、深々と頭を下げた。

「我ら神族は、このミカエルと偽天帝とに(あざむ)かれて参りました!
ご承知の通り、偽天帝は、真の天帝陛下を(しい)(たてまつ)って成りすまし、さらにはご一族までも手にかけていたのです!
それから、魔族の皆様にも激しい迫害を行い、憎しみを植え付けて、二つの種族の相互理解を妨げて来たのでした!
このミカエルは、偽天帝の息子であり、我らには理不尽な掟を押しつけておきながら、自分達は倫理にもとる行為を平気で行って来た、許されざる輩、獅子身中の虫でございます!」

彼が声高らかにミカエル達の罪状を申し述べると、観衆の怒りは頂点に達して怒号が飛び交い、死刑囚目掛けて色々な物が投げつけられた。

そのとき、突如、喧騒(けんそう)を裂くように、ぬうっと空から覗き込んで来たものがあった。
それは、紅龍……、いや、それの幽鬼と呼ぶべきもの、だった。
ミカエルは眼を見開いて固まり、人々も度肝を抜かれ、沈黙が場を支配した。

しわぶき一つ聞こえない静寂の中、タナトスの声だけが響く。
「聞け、皆の者!
本来なら俺がすべきだが、こいつに殺されたサマエルが、みずから仇を打ちたいと申し出たゆえ許可した、異論は認めん!」
刹那、誰かが拍手を始め、それは闘技場中に広がっていく。
「よし、サマエル、やれ」
タナトスは、巨大な龍に手を振った。

紅龍は軽く頭を下げ、それから禍々しい紅の瞳で大天使を見据えた。
“ミカエルよ。お前に命を奪われた数多(あまた)の魔族、並びに神族達に成り代わり、私、『カオスの貴公子』がお前を成敗する。
何か言い残したいことはあるか”

大天使は、濁った灰色の眼で龍を見返し、かすれ声で答えた。
「い、今さら……何を、言おうとも……ま、負け犬の遠吠え……。
もはや、覚悟は、できて、いる……」“殊勝な心がけだ……と言いたいが、お前がおのれの所業を悔いたとしても、容赦はしないぞ、ミカエル。
『紅龍の裁き』を受けよ、愚天使!”
龍の瞳が深紅に燃え上がり、ミカエルの体は闇色の霧に覆われていく。

「何だ、これは……ぐわっ!」
天使の体が大きくのけぞり、激しく痙攣(けいれん)した。
「く、苦し……あ、熱い、体が、さ、裂ける……!」

“苦しむがいい、ミカエル。それを女神アナテは加納される。
お前の魂が闇に堕ち、カオスの暗黒と同化するまで、それは続く。
抵抗するほど苦痛は強まり、お前は気を失うこともできず、息絶えるまでただひたすら耐えるしかないのだ。
さて、皆、こやつが果てるまでどれほどかかるか、じっくりと眺めてやろうではないか!”

場を揺るがす拍手喝采(かっさい)の中、サマエルはするすると人型に戻り、魔界王の後ろに陣取るライオンのそばに行ってささやいた。
“シンハ、今だけここに……お前の隣に座ってもいいだろうか……?”
『それは、無論、構わぬが……』
青ざめた幽鬼は、もの問いたげな獅子に何も返さず、顔を背けて席に着き、苦痛に身悶えするミカエルに視線を据えた。
 
“ふん、こんな風にいたぶるところを、ガキどもに見せたくなかったということか?”
タナトスは振り向くことなく、念話で弟に尋ねた。

“……そうだね。皆優しい子達だ、こんな刑戮(けいりく)を眼にしたら、気分を悪くするだろう……ことに、シュネとリオンは、直接ミカエルに何かされたわけではないからね。
でも、私は違う。本当なら、一寸刻みになますにしてやりたいくらいだよ。
お前だってそう思うだろう?”
サマエルは、憎い仇から眼を離すことなく答えた。
静かな(おもて)とは裏腹に、心の声は燃え上がる怒りを抑えかねている。

その間にも、死刑囚は血の涙を流し、苦しみもがいていた。
縛られていなければ、絶叫を上げながら、広い闘技場中をのたうち回ったに違いなかった。
しかし、この場にいるのは、直接間接を問わず被害をこうむった者達ばかりで、誰もミカエルに同情するわけもなく、むしろその様子を見て全員が溜飲を下げていた。

それでも数刻の後、ミカエルは長く尾を引く断末魔を上げ、ようやく永遠の安息を得た。
どす黒く変色し苦痛に歪んだ顔、紫になった舌はねじれた唇から飛び出し、凄まじい死に顔だった。
人々は喜びを爆発させ、死んだ大天使をこき下ろしたり、やんやと紅龍をほめそやしたりもした。

「ふん、もうくたばったか。ずいぶん楽に死ねたものだ。
先祖の恨みだけではなく、ヤツの魔族狩りで命を落とした、数え切れぬ者達の苦痛と遺族の悲しみを思えばな。
おまけに同胞の命まで、気まぐれに奪っていたとはあきれたクズめ」

タナトスは吐き捨て、それから声を張り上げた。
「──さて、次はいよいよ本日の目玉興行だぞ!
長い間、我々を(だま)くらかして来た詐欺師の処刑だ!
さあ、偽ゼデキアを引きずり出せ!」

スリアンヴォス

ギリシャ語  勝利

シュトラール

ドイツ語 (太陽や星の)光、光線、電光、稲妻、天才のきらめき、希望の光

目もあやな

まばゆくて目も開けていられないほどに美しく。目もあやに。
転じて、目もあてられないほどひどい様子を言う場合もある。「目も綾な」と書く場合もある。

しゅしょう【殊勝】

1.心掛け・行いなどが、けなげで感心なこと。奇特。

ごくり【獄吏】

監獄の役人。刑事施設の職員を意味する古い用語。牢役人。

けいりく【刑戮】

刑罰に処すること。死刑に処すること。出典:デジタル大辞泉

しわぶき【咳き】

1 せきをすること。また、せき。
2 わざとせきをすること。せきばらい。