~紅龍の夢~

巻の七 DIES IRAE ─怒りの日─

26.獣人の街(3)

イシュタルは、面会に来た三人を、リナーシタとサリエルに引き合わせた。
「黒犬の彼は、ベスティアの(おさ)モーザ・ドゥーグよ。
前の村では長代理を務めていたの。
蛙のオルプネとトカゲのゴルギュラは、補佐役ね」

動物の頭部を持つ街人は深々と礼をし、耳の垂れた黒犬の顔をした男が、緊張した面持ちで口を開く。
「え、えー、お、お初に、お目もじぃ致しますぅ。
こ、このたびはぁ、王子様方を、わ、我が街にぃ、お迎えできる栄誉を……、え、えー、(たまわ)りましてぇ、誠にぃ……」

「あいやー、おらほの街さよくおでんした、でよかべに」
(あーあ、わたし達の街へようこそいらっしゃいました、でいいのに)
大きな目玉をきょろつかせていた蛙女の口から、ため息混じりのセリフが出たのは、その時だった。

トカゲ女は途端に顔をしかめ、相方を叱りつけた。
「じゃじゃじゃ、長がむっためがして都の言葉覚えたっつうに、邪魔したらわがねべじゃ、オルプネ!」
(あらまあ、長が一生懸命に都の言葉を覚えたっていうのに、邪魔したら駄目じゃない、オルプネ!)

蛙女は身を縮めた。
「あんや、やしぇねくて言わさったじゃ、ごしゃがねでけで」
(あらどうしましょ、じれったくてつい言ってしまったの、怒らないで)

「もうはぁ、ほんずなし。
皆様、おもさげながんす、何たらおしょすいごと。
びっきのぶちょっほ、許してくなんせ」
(もう、非常識よ。
皆様、申し訳ないことでございます、何ともお恥ずかしいことで。
蛙の不調法(ぶちょうほう)(=失礼)、お許し下さい)
ゴルギュラは友人の頭を押さえ、自分と一緒に下げさせた。

「皆様、ほんにおもさげながんす。
オルプネ、もうはいいがら、王子様さお渡ししろじゃ」
(皆様、本当に申し訳ないことでございます。
オルプネ、もういいから、王子様にお渡ししなさい)
ぺこぺこ頭を下げる黒犬の長も、方言に戻っていた。

蛙女は顔を赤らめ、手にした植木鉢をおずおずと差し出す。
「……お収めくなんせ。もの()みがいぐなる花っこでがんす。
種っこ街さ植えだら、らずもねぐおがって、皆、いがったいがったって喜んだんでがんすよ。めぇの村だば、ぺっこしか、おがらねかったんで」
(……お収め下さいませ。病気が良くなる花でございます。
種を街に植えたら、とても大きく育って、皆、よかったよかったと喜んだのでございますよ。前の村では、ちょっとしか育たなかったので)

トルコ石色の植木鉢には三本の植物が植えられて、それぞれに黄色い星形の可憐な小花が、縦一列に五つほど咲いていた。
細長い葉、澄んだ芳香は魔法草に似通っているものの、花は、形こそ同じでもモリュは大輪で色は白、一本に一つだけ咲くという違いがあった。

根付くが寝付くに通じるところから、病気見舞いに鉢植えはよくないとされているのだが、辺境の無医村に住んでいた彼らにとっては、モリュと同等の魔力を有するこの植物は最高の見舞い品なのだろう。

それにしても、同郷人と暮らすようになったオルプネ達の(なま)り具合はひどくなり、イシュタルでも話の内容を把握するのに骨を折るほどだった。
話が見えずぽかんとしているリナーシタに、彼女は言った。
「ほら、リナーシタ、お前にお見舞いですって」

「え? あ、ありがとうございます」
慌ててリナーシタは鉢を受け取る。
「ありがとうございます」
サリエルも礼を述べた。

その後、獣人達は、肩の荷を下ろしたように帰って行き、花はリナーシタの寝室に飾られた。

翌日、サリエルが熱を出し、急ぎ汎魔殿からエッカルトが呼び寄せられた。
診察を終えて、イシュタルと共に部屋から出て来た魔法医は、廊下で不安げに待っていたリナーシタ、シュネとヴァピュラに微笑みかけた。

「ご心配はいりませぬ、すぐお元気になられますよ。
緊張から解き放たれたがゆえの発熱でございましょう」
「よかった……!」
一瞬で緊張が解け、子供達は喜び合った。

だがその時、魔法医が手を伸ばし、リナーシタの額に触れた。
「失礼。お顔が紅いと存じましたが、やはりあなた様も熱がおありですな」
「大変、朝は平熱だったのに! エマイユ、彼を部屋に運んで」
イシュタルが命じ、慌ただしく少年は連れられて行く。

「リナーシタまで……大丈夫かな」
青ざめたシュネをなだめるように、ヴァピュラが言う。
「お兄様を心配しすぎただけですよ、きっと」
「そうね……」
二人には祈ることしか出来なかった。

ややあって、戻って来た魔法医の表情はにこやかだった。
「ご心配なく、お二方とも、数日ゆっくり休まれれば本復なさいますでしょう。
実は、街人から贈られたという花は、モリュの原種でございましてな。
野生ゆえ魔力も強く、お二方の回復に役立つことと存じますよ」
それを聞いたシュネとヴァピュラは、今度こそ胸をなで下ろした。

一方、イシュタルは浮かない顔だった。
「困ったわねぇ、明日、ウィリディスへ立つ予定だったのよ。
ほら、明後日は処刑でしょ、天帝とミカエルの」
「あ、……」
シュネはどきりとした。

「仕方ないわ、わたし達だけで……あ、ヴァピュラも行くわよね?」
「はい。次の公爵として見届けるよう、父に言われておりますし。
そうでなくても、神族は先祖代々の敵で、ずっと苦しめられて来たのですから……!」
ヴァピュラの瞳は、熱く燃え上がっていた。

「ええ、敵の首領が果てるところを、この眼で見てやるわ。
積年の魔族の恨みが、ついに晴らされるのね……!」
イシュタルも華奢な拳を握り締めた。
日頃静かな藍色の瞳に散った金の粒が、輝きを増す。
「お二人はわたくしにお任せを。心置きなくお出かけ下さいませ」
エッカルトは頭を下げた。

(はや)る彼らとは対照的に、シュネは気が重かった。
リオンやサリエル達の代わりに、敵の最期を見届けなくてはとは思うものの、血を見るのはもう嫌だというのが彼女の本音だったのだ。

(でも、怒られちゃうよね、行きたくないなんて言ったら。
サマエルお父さんも悲しむだろうし……)

義父の命を奪った天帝達を憎いと思う気持ちは、当然、ある。
それでも、人界で暮らし、神族との確執(かくしつ)もない彼女には、宿敵と言われてもぴんと来ないのが正直なところだった。
しかも、サマエルがさらわれたことに関して、自分にも責任があるとまだ思っていたのだ。

ともかくも、次の日、三人は魔界を後にした。
転移門からウィリディスの全景を眼にして、イシュタルは感極まって声を詰まらせた。
「これが故郷……ああ、やっと……! 何て美しいのかしら……!」
以前見ているはずのヴァピュラも、瞳をうるませている。

だがシュネは、初めてのときも今も、そこまで感銘は受けなかった。
やはり、魔族としての自覚が弱いせいなのだろうか。
魔界の女貴族の涙を見るにつけ、彼女は罪悪感を覚えた。

故郷の姿を堪能(たんのう)した後、彼らは墓参りに行くことにした。
ウィリディスへの渡航はまだ制限されており、戦勝記念公園は無人だった。

「ああ、サマエル、可哀想に……!」
教えられた墓所にひざまずき、イシュタルは号泣する。
この時はさすがにシュネももらい泣きし、ヴァピュラも目頭を押さえていた。
すると、彼らの涙に誘われたように、魔界の王子の霊が地中から現れた。
“そんなに嘆かないで下さい、私ごときのために”

「サマエル! だって、わたし、悔しいのよ!
戦が終われば、お前も幸せに暮らせるはずだったのに! そうでしょう!?」
眼を真っ赤に泣きはらし、イシュタルは彼に詰め寄る。
乱れた銀髪、蒼白な顔で、死霊はうなだれた。
“……申し訳ありません、叔母上。無事で帰る約束も守れず……”

「お前は悪くないわ、皆、天帝と神族が悪いのよ!
なのに、処刑はゼデキアとミカエルだけだなんて!
ひ孫娘にはお(とがめ)めもなしだなんて、お前、お人好しすぎるわよ!」
あふれる涙をぬぐいもせず、イシュタルは言い募る。

“フレイアの恋人……天使アスベエルと約束をしましたから。
囚われた私に便宜を図ってくれた彼がいなければ、息子は私とも会えないまま、殺されていたでしょう……”
「サリエルも大事でしょうけど、肝心のお前が死んでしまっては、何にもならないわよ……!」
イシュタルは顔を覆う。白魚のような指の間から、涙が滴り落ちた。

“お使い下さい、叔母上”
サマエルは痛ましげにハンカチを渡し、それから視線をシュネに向けた。
“ベリル、辛そうだね……本当は来たくなかったのだろう?
気持ちは分かるよ、戦は終わったのに、また人の死を見なくてはいけないものね……”
本名で呼ばれた上に図星を指されて、シュネは息を呑んだ。
「お父さん……どうして……」

「まあ、処刑に立ち会わない気!?
義理とはいえ父親の仇なのよ、分かっていて!?」
イシュタルは叫ぶ。
うなだれるシュネをかばって、サマエルは叔母に反駁(はんばく)した。
“私は仇討ちなど望みません。子らの幸せを願うのみです”

「でもね、サマエル、……」
“彼女は魔族の自覚もないまま、戦うことを強制されたのですよ。
なのに、意に沿わないことをまだ強要するのですか?”
「強要だなんて、そんな……」
イシュタルは口ごもる。

“ベリル、キミの思う通りにすればいいよ”
義父の声は、彼女の記憶通りに優しかった。
「……ホントにいいんですか?」
すがるように彼女は尋ねた。

“ああ。キミは自由だ。
リオンにも、子育てに専念するように言っておいたよ。
──叔母上、よろしいですね?”
訊かれたイシュタルは力なく、うなずく。

シュネは頭を下げた。
「イシュタル様、ごめんなさい。でも、あたし……」
「いいえ、わたしこそ悪かったわ。
もしかして、シュネ、あなた、人界に帰りたかったの?」
「いえ、それはないです。
あ、これからはベリルって呼んで下さい。ヴァピュラもね」
……いいですよね、お父さん」

幽霊は微笑んだ。
“もちろんさ、ベリル”
「じゃ、イシュタル様、ヴァピュラ、ごめんなさい。
あたし、魔界でサリエル達の看病してます」
ベリルは再びお辞儀をし、去っていった。

サマエルは深々と頭を下げた。
“叔母上、わがままを言って申し訳ありません。
ですが、彼女は私と同じなのですから……”

イシュタルは悲しげに微笑んだ。
「分かっているわ、気にしないで。
あ、そろそろタナトスの所に行かなくては。また後でね」

“そうですね、夜にでも。
ヴァピュラ、私の子達と仲良くやっておくれね”
「はい。失礼致します」
ヴァピュラはていねいに礼をし、イシュタルは何度も振り返りながら、墓地を後にする。

それを見送る幽鬼の唇に、歪んだ笑みが浮かんだのはその時だった。
瞳も先ほどまでの夕焼けのような物悲しさとは打って変わって、ギラギラと物騒な光を帯びていく。
白銀の髪が逆立って数多(あまた)の蛇となり、威嚇(いかく)するようにうごめき始めると、輝かしい日差しが(かげ)って、空気もひやりと冷たくなっていった。

(これでいい、闇は私がすべて持って行こう。
何があろうと、叔母上は味方になって下さる。
よしんばタナトスに見限られたとしても、私が一人で地獄の門をくぐればいいだけ……)

モーザ・ドゥーグ

Moddey Dhooドゥー(グ)はケルト語系で黒色(ドッグ(犬)ではない)。モディ・ドゥー、マーザ・ドゥーとも。
(マン島語: moddey dhoo; 音写: "mauthe doog"; 発音: /mauthe dhow/ ;/moor tha doo/)
ケルト語系 マン語で「黒い犬」を意味し、マン島の西岸に建つピール城(英語版)に出没したといわれる伝説の毛深い黒妖犬をさす。
 Weblio英和対訳辞書

(注)街人の言葉に、岩手の方言を使ってみました。
でも、南部弁(昔の南部藩)、盛岡弁、伊達弁(昔の伊達藩、一関、奥州市など)、三陸弁(沿岸地区、宮古、釜石市など)等、地域ごとに違ってるので、一筋縄ではいきませんが(笑)。

やしぇね がまんできない。じれったい
おでんした  おいで下さいました
じゃじゃじゃ 驚いたとき出る言葉(盛岡周辺)
(NHKあまちゃんの「じぇじぇじぇ」は久慈市小袖地区の海女さんが使う)
わがね  駄目だ、いけない
あんや、あいや これも驚いたとき。あらま、おやまあ、どうしましょ、等
ごしゃぐ  怒る 「後世(ごせ)を焼く」の転訛(てんか=言葉の元々の音が、なまって変わること)
ほんずなし 間抜け、浅はか、思慮を欠く、常識がない。「本地なし」の転訛
びっき  蛙
おしょす(しょす) 恥ずかしい 「笑止」の転訛
むっためがす  物事を懸命にやる、一心不乱、がむしゃらに
おもさげながんす 申し訳のないことでございます/ありがとうございます
ぺっこ  ちょっと、少し
らずもね すごく、とても 「埒(らち)もない」の転訛?
おがる  大きくなる。成長する。

以上、盛岡周辺ではお年寄りしか使いませんが、若い人でもよく使うのは、「~(さ)さる」ですね。
意味は「故意でなく~してしまう、できる」です。
オルプネも、「言わさった」と使ってます。
(例)
 最近、嫌なニュースばかり見ささる(見たくもないのに目に入る)
 そんな大声、隣りの家でも聞かさるわ(嫌でも聞こえて来る)
 このペン、まだ書かさるかな? もう書かさらないよ(書ける、書けない)