25.龍の旅立ち(5)
人界の夜明けの数時間前、魔界の宝物庫にて。
宝飾品になどまるで縁がなかったシュネは、途方に暮れていた。
(ヴァピュラにはああ言ったけど、どうしよう……)
悩んでいた時、サリエルの声がした。
「あれ、こんな所にベッドがあるよ。誰かいるのかな」
「え、ベッド?」
シュネは声の方へ漂って行った。
窓も照明もなく、すべてが闇に沈む中、大きな寝台がぽつんと置いてある。
「それは“焔の眸”様のですよ。宝物庫は、“貴石の王”の居城も同然ですから」
少し離れた所から、ヴァピュラが教えた。
「シンハのお城……ここが?」
シュネは、改めて部屋を見回した。
豪華なベッド以外には、家具らしきものは何一つない。
最奥にある祭壇も、ビロードの黒布が敷かれた上に金と銀の箱が一つずつ置かれているだけで、装飾と呼べるのは、何本もの柱や壁一面に彫り込まれた精巧なライオンのレリーフくらいのものだった。
サリエルも浮き彫りに気づき、あちこち眺め回していた。
「すごいよね、お城って言うより、神殿か何かみたい」
隣に来たリナーシタが相槌を打つ。
「うん、荘厳だよね。それに、何だか懐かしい気がしない?」
「あ、あたしも。汎魔殿より落ち着く感じがしちゃう」
シュネも同意した。
「僕も来たことあるような……おかしいな、初めてなんですけど」
ヴァピュラは首を振った。
「不思議だよね。……ん?」
その時、ベッドの上、枕と周辺に散る深紅の花びらに気づき、シュネは小首をかしげた。
宝物庫の中で花を見かけた覚えはない。
奇妙に思って拾い上げると、それは涙滴型の貴石だった。
(これ、涙だ。シンハの……ダイアデムの)
事実、手にした石から、“焔の眸”の悲痛な感情が流れ込んで来る。
かけがえのない伴侶、サマエルを亡くした悲嘆……それが凝り固まって、この美しい宝石を形成しているのだろう。
「どうなさいました?」
ヴァピュラが近付いてきて尋ねた。
「ううん、何でもないよ」
彼女は首を振り、そっと石を戻す。
(瞳……あ、そっか。ヴァピュラの眼に合うのを選べばいいんだ)
閃いたシュネは、ようやく宝石探しに本腰を入れ始めた。
それでも、中々ぴんとくる物は見つからない。
緑の石はたくさんあるのに、色が薄かったり濃過ぎたり、黄緑に近かったりと、ヴァピュラの眼とは違う感じのものばかりだった。
探し疲れて、少し休もうと床に降りた刹那、彼女はよろけて宝石の小山を崩してしまった。
「あっ、……」
慌てるその足元に、貴石が一つ、ころころと転がって来る。
拾い上げたシュネは顔を輝かせた。
青みがかった緑色、その奥に紫の
「見~つけた!」
「これだ!」
左右から同時に、サリエルとリナーシタの声が聞こえた。
「僕も見つけましたよ」
ヴァピュラの声もした。
「あたしも。ほら、」
シュネが皆に見せようとした時、イシュタルが帰って来た。
「全員探せたようね、そろそろ戻りましょう。
石は後で見せ合えばいいわ、ヴァピュラも夕食を一緒にどう?
お義母様にはわたしから伝えておくわ」
「はい、お言葉に甘えさせて頂きます」
ヴァピュラは会釈した。
四人はそれぞれ石をハンカチで包み、イシュタルに続いて宝物庫を出た。
窓から見える沈みゆく夕日の眩しさに、彼らは眼を
紅龍殿で
「まずはリナーシタ、選んだ石を見せてちょうだい」
「はい」
彼が取り出したのは、球形の貴石だった。
大きさは人差指と親指で作った丸くらい、表面には地形が浮彫りされている。
澄み渡る南国の空を切り取ったようなその色彩は、同じ青でもサファイアなどとは違って蛍光性があり、石みずから光を発しているかのようだった。
「まあ綺麗、パライバ・トルマリンの天体儀ね!
素晴らしい石を選んだわね、リナーシタ」
イシュタルはにっこりした。
リナーシタは頬を染め、会釈した。
「ありがとうございます。あ、ところでこの地形、魔界ですよね?」
問われた彼女は、宝石の天体儀を手に取って確認し、首を振った。
「いいえ、違うわね。というか、今まで見たどんな天体でもないわ」
「え、僕、てっきり魔界だと……じゃあ、これ、どこなんでしょう」
「そうねぇ……」
「あ、あの、お話中すいません。
僕が選んだの、色は緑ですけど、それとそっくりなんです。
やっぱり、どこのか分からない地図が掘ってあって」
サリエルが出したのは、色違いと言っていい石だった。
形も大きさもほぼ同じ、
「本当、瓜二つね。パライバは青も緑もあるけれど、こちらも見事だわ。
でも、地形は全然違うわね……こちらも見覚えがないわ。
あなた達も見てちょうだい、どこか分かる?」
イシュタルは、二つの球体をテーブルに並べた。
「いいえ、残念ですが」
ヴァピュラは否定の身振りをする。
シュネも首をひねった。
「うーん……どっちも人界じゃない、ってことだけは分かりますけど」
「そうだわ、シンハに訊いてみましょう」
イシュタルは念話を送った。
四人が待っていると、やがて彼女は口を開いた。
「サリエルが選んだ緑のパライバに刻まれているのは、大昔、神族が攻めて来た頃のウィリディスの地形だそうよ。
そして、リナーシタの方は、今はもう存在しない神族の故郷、母星の姿なのですって」
「えっ!?」
皆は異口同音に驚きの声を上げた。
「で、でも、シンハは、何で神族の星を知ってたんですか?」
シュネは尋ねた。
「さあ……侵攻してきた神族の記憶を読んだのかもね。
ともあれ、二人共、良い石を選んだと言ってたわ。
特にリナーシタは弱っているから、故郷の力を必要としているのですって」
「……これが神族の故郷……」
リナーシタは、自分が選んだ球体を手に取り、じっと見詰めた。
その手元を、サリエルも真剣に覗き込む。
「常に身につけていなさいね」
イシュタルは、呪文を唱えてそれぞれに金の鎖をつけ、彼らの首に下げた。
「さ、今度はシュネの番よ」
「あ、は、はい、」
慌ててシュネは、宝石の包みを取り出す。
「あたしのは、ヴァピュラの眼とそっくりで……あれ?」
彼女は絶句した。
見つけた石は青っぽい緑色だったはずなのに、ハンカチの中の石は、アメジストのような紫色に輝いていたのだ。
「え、何これ!? さっきは緑だったよ!?
お、落としちゃった? じゃ、この石は? あれ、あれれ?」
シュネは、立ち上がってドレスのあちこちを探ってみる。
しかし、緑の石などどこにもない。
「ない、ないよ……どこ行っちゃったの……!」
泣きそうになっている彼女に、イシュタルは優しく声をかけた。
「シュネ、落ち着いて。それは“オクルス”という魔界の石なの。
人界のアレキサンドライトに似て、色が変化するのよ。
よくご覧なさい、お前が選んだものと、大きさもカットも同じでしょう?」
「え……あ、ホントだ」
ほっと息をついた瞬間、シュネは、初めてサマエルと会ったときのことを思い出した。
「そういえば、サマエルお父さんは昔、こんな石を使って、角や翼を隠してたっけ……」
「ああ、そういう使い方もあるわね。
オクルスには魔力が貯めておけるのよ。身に着けているうちに、お前の魔力が移って色変わりしたのでしょう。
カットも素敵ね、マーキーズと言うのよ。
知らずにふさわしい石を選ぶなんて、さすがだわ」
「い、いえその……ホント、たまたまで……」
シュネは頭をかいた。
「へえー、すごい綺麗」
「色が変わる石って初めて見たね」
サリエルとリナーシタは石を覗き込み、口々に言った。
「あ、ヴァピュラは知ってた? オクルスのこと」
シュネは訊いてみた。
「はい。僕の眼とそっくりな石があるってことは」
「そっか、貴族なら、宝石もたくさん持ってるよね……」
彼女は眼を伏せた。
「いえ、僕はあんまり。
それに、持ってたとしても、やっぱりうれしいです。ぴったりなもの、選んで頂けて」
少年はライオンの顔をほころばせた。
「い、いや、偶然だけど……でも、喜んでもらえてうれしいな。
さっきはどうもありがとう。これ、お礼です」
シュネは真っ赤になりながら、紫色の石を渡す。
「ありがたく
ヴァピュラは、立ち上がってオクルスを受け取り、深々と頭を下げる。
その眼は、深みのある葡萄酒色の貴石そっくりに輝いていた。
「では、それもペンダントにしましょうね」
イシュタルは魔法を使い、金の鎖をつけて次期公爵の首から下げた。
「ありがとうございます」
ヴァピュラは宝石を手に取り、うれしそうに眺める。
「それで、お前が選んだ石は?」
イシュタルは、獅子頭の少年に尋ねた。
「はい。僕はこれを……」
彼が出したのは、緑色をした半球状の貴石だった。
石の中央から放射状に伸びる六条の黒いラインが印象的で、龍の眼のようにも見える。
イシュタルは眼を見張った。
「あらまあ、トラピッチェ・エメラルドね。これも珍しい石だこと。
ほら、この黒い線が六角形の歯車に似ているから、トラピッチェと呼ばれるのよ」
「あ、これ、エメラルドなんですね。
綺麗な模様だし、色もシュネ様にお似合いかなって思ったんです」
「ふふ、二人共、
「シュネ様、これをどうぞ。お気に召して頂けるといいんですが」
ヴァピュラは、うやうやしく宝石を差し出す。
「ありがとう、素敵な石ね」
にこやかに、シュネは、自分の名でもある
そして、龍眼めいて妖しく輝く緑の貴石は、魔界の女貴族により装身具に変えられて、少女の華奢な首を飾った。
「これでいいわ、よく似合うわよ」
「ありがとうございます」
その後、四人は笑顔で貴石を見せ合った。
微笑んでその様子を見ていたイシュタルは、急にはっとした。
「あらいけない、忘れるところだったわ。
リナーシタ、明日にでも、ベスティアという街へ行ってみないこと?
レテ河のほとりに、タナトスが最近造らせた街なの。
辺境ほどではないけれど瘴気が濃いから、お前の療養に適しているのではとエッカルトが言うのよ」
「城外に出ていいんですか!?
僕、魔界の色んな所、見てみたいと思ってたんです!」
リナーシタは声を弾ませる。
「あの、僕も行っていいでしょうか」
遠慮がちにサリエルが言った。
「もちろんよ。シュネと、ヴァピュラも、街に慣れるまで二人と一緒にいてあげて。
公爵家には、正式に文書でお願いするから。
明日は、エマイユを
街の代表者にも知らせておくわ」
「「ありがとうございます」」
リナーシタとサリエルは、声を揃えてお辞儀をした。
パライバ・トルマリン
トルマリンの中でもひときわ異彩を放ち、「南国の海の色」「地球の青色」に例えられる、天然宝石とは思えない独特の蛍光色、鮮やかなネオンブルーの色彩と輝きを持つ。
人気の高さに反して産出量は極めて少なく、カラーストーンでは最も高価とも言われる。
宝石言葉 ルーツ(根、起源、始祖、原点、由来)、血縁上の出自、精神的な故郷
https://www.feelsogood.jp/paraiba.html
http://www.dujour.jp/jewelry-knowledge/587
マーキーズカット(Marquise cut)マーキス・カット、マーキース・カット
Marquiseの意味は侯爵もしくは候爵夫人。
ラグビー(アメフト)ボールのように楕円の両端を尖らせたカット方法。
通常は58面体、輝きが強くなるよう18面体の場合もある。
http://www.cgl.co.jp/museum/f2/e3.html
オクルス
ラテン語。目。
アレキサンドライト 変彩金緑石(へんさいきんりょくせき)
太陽光下では青緑に、人工照明下では赤や紫に見える宝石。6月の誕生石(アメリカのみ7月)
宝石言葉 秘めた想い、高貴、情熱、安らぎ、誕生、出発
意味 隠れた才能を開花させる、情熱と安らぎの二面性を持つ
http://www.kyocera-jewelry.com/story/jewel_knowledge/574.html
トラピッチェ(Trapicho)
スペイン語
サトウキビ搾り機の歯車の形に似ていることから、「六条の放射状の結晶模様」または「六条の結晶形」を示す特異結晶を意味する宝石用語。エメラルドの他、ルビーやサファイア、トルマリンなどにもトラピッチェ・タイプがある。
http://www.rejou.jp/?mode=grp&gid=1107184&sort=n
http://www.dujour.jp/jewelry-knowledge/129
しんび‐がん【審美眼】
美を的確に見極める能力