25.龍の旅立ち(4)
ネスターは、学院の敷地内に建つ屋敷の寝室で目覚めた。
(妙な夢を見た……シュネと、イシュタルとか言ったか……?
それに、ライオン!)
噛みつかれたことを思い出し、急いで腕を見るが傷はない。
(やはり夢か。やけに生々しかったが)
寝たままカーテンを引き開ける。
暗い室内に光が射した瞬間、あり得ない光景が眼に飛び込んで来て、彼は跳ね起きた。
「な、な、何だこれは……!?」
大小様々、色とりどりの宝石が床を埋め尽くし、朝日に照らされて
(ゆ、夢だ……夢に違いない……)
ネスターは頭を振ると両手で頬をたたき、目覚めようと努めた。
だが、状況は変わらず、彼はベッドから手を伸ばし、恐る恐る、輝石一つを拾い上げてみた。
美しい石は見かけより重く、冷たく硬い感触を手に与え、夢の産物とは到底思えない。
「何事だ、これは……」
彼はひとりごちた。
「お早うございます、魔法学院長殿」
その声に、はっと顔を上げると、藍色の猫と目が合った。
「おわぁっ!?」
思わず彼は悲鳴を上げ、石を落とした。
「魔界王タナトスの叔母、イシュタルの使いで参りました。
心ばかりのお礼の品でございます、どうぞお収め下さい」
前足で室内に散らばる輝きを示し、猫は頭を下げる。
「れ、礼……?」
「シュネ様のお命を救い、お育て下さったことへの、です。
昨夜の夢をお忘れですか?」
「むう……やはり、ただの夢ではなかったか……。
だが、贈り物というなら、何かで包むとかくらいするべきだろう。
こんな足の踏み場もないほど撒き散らすとは。盗まれたらどうする気だ」
自失状態から回復したネスターは、礼を言うどころか文句をつけた。
ヒゲをぴんと立て、猫は答えた。
「そのご心配は無用です。
これらの貴石は、エナジーヴァンパイアのあなたへ精気を供給するためのもので、強力な魔法がかけられており、人間には見えず、触れることも叶いませんから」
「失敬な、わたしはそんな怪物ではない!」
その抗議を無視し、使い魔は続けた。
「ここで眠るようにすれば、もうあなたは、誰の精気も奪わず生きていけます。
半月ほどなら旅行も可能ですが、
「い、命だと!?」
学院長は青ざめた。
「エナジーヴァンパイアは、奪えば奪うほど精気を欲するようになります。
人間を襲う怪物として捕えられ、最期を迎えることになってもよろしいのですか、そう申し上げているのですよ」
猫は、金銀の眼を冷ややかに光らせる。
「う、……」
ネスターの額から脂汗が流れた。
「お分かり頂けましたね。こちらは普段使い用の金貨です」
使い魔は革の袋を五つ、ベッドに並べた。
「では、スクライ様へもお届け物がありますので、これにて失礼致します」
再び猫は礼をし、虹色の
「いや、誰かに見られてはまずい、ここに呼ぶから待て」
ネスターは慌てて止める。
「はい」
猫は床に降り、ネスターは念話を送った。
“セエレ、起きているか? 大至急、屋敷に来てくれ”
“何言って……今何時だと……”
寝ぼけた拒絶の念が返って来る。
学院長のしかめ面を見て、使い魔は言った。
「シュネ様の使いが来ているとお伝え下さい」
次の瞬間、屋敷の呼び鈴が鳴った。
ネスターは肩をすくめてガウンを羽織り、玄関に行ってドアを開けた。
「シュネの使いだって!?」
寝癖の髪で飛び込んで来た彼に、藍色の猫はお辞儀をした。
「お初にお目にかかります、セエレ・スクライ様。
わたしは、シュネ様の後見人、イシュタルの使い魔でございます。
主人が、ぜひともあなた様にお礼をと」
「え、俺、大したことしてないけど……あ、たしかイシュタル様って、魔界王様の叔母様だったね、シュネに聞いたよ」
「ご存知でしたか、話が早い」
猫はにっこりした。
「……待っていろと言ったのに」
不機嫌な学院長には構わずに、猫は、淡青色の薄布がかけられた大きな荷物を魔法で出した。
「では、こちらをどうぞ」
布を左右に開くと、金の鳥かごが現れる。
「あ……!?」
セエレは息を呑んだ。
止まり木にとまっていたのは、オウムほどの大きさをした、鮮やかな青色の龍だったのだ。
「残念ながら、本物ではございませんが。
ドラゴンは飼育が難しく、人界では育ちにくいので」
猫は、目覚めを待つ龍を取り出し、透明の小さな巻き鍵と一緒に渡した。
「これを差し込んだ方を主人とし、魔力を頂いて動きます……わたしのように」
猫は自分の背中を示す。
「あ、キミも?」
「はい。さ、どうぞ」
セエレが鍵を差すと、小さなドラゴンはぱちりと眼を開け、羽ばたく。
「……眼に星が入ってるんだな」
「主人の注文で、キュクロプスがスターサファイアを使用しましたので」
「え、これ作ってくれたの、シュネが呼び出したっていう巨人かい?」
「いえ、一族の別の者です」
「ふうん。あ、このドラゴン、名前は?
魔力で動くんなら、餌はいらないんだよね?
他に必要なものとかある?」
セエレは矢継ぎ早に質問を浴びせる。
「特に必要とするものはありません。
名は、青を意味するアズゥです」
すると、龍は返事をするように、ぴいと鳴いた。
「へぇ、小鳥みたいな声だな」
「はい。歌えと命じれば、自慢の喉を
「そっか。アズゥ、歌え」
青いドラゴンは、小鳥のようにさえずり始めた。
うっとりと聞き
“スクライ様、念話で失礼致します”
“何? 学院長に聞かれちゃまずいこと?”
打てば響くように返事が来た。
“お察しの通りです。シュネ様よりお手紙を預かっております。
誰もいないところで、アズゥに手紙を渡すよう命じ、その後、わたし……エマイユを呼ぶよう命じて下さい、詳細はその時に。
くれぐれも、悟られないようにお願い致します”
“了解”
セエレは答え、普通の会話に戻した。
「エ、えっと……猫……くん、シュネは元気にしてるの?
キミが来たところをみると、戦は魔族が勝ったんだよな?」
「もちろんです。
シュネ様は
「そっか、よかったな」
「よくはない。シュネは魔物などではないのに。
しかも後見人などと……わたしが保護者だぞ」
ネスターは不服そうに口を挟む。
「学院長は差別主義で、とても教育者とは思えませんね。
シュネだってもう大人だし、保護者なんて不要でしょ」
セエレは
「だが、昨日の夢では子供だったぞ!」
ネスターはムキになる。
「ふ、夢と現実の区別もつかないんですか?
子供と結婚なんて犯罪ですよ」
事情を知らない彼は鼻で笑った。
「いや、だから、そのときは保護者に……」
「そんなに未練タラタラなら、連れ戻しに行ったらどうです?
まあ、間違いなく処刑されますけどね、魔界王様に。
本気で、シュネが妻という名の奴隷やりたがってるなんて思ってんなら、頭、沸いてますよ」
つけつけとセエレは言ってのける。
ネスターはむっとし、猫は、にやにや笑いを前足で隠した。
「よし、アズゥ、歌は終わりだ」
セエレは龍を鳥かごに戻した。
「じゃ、猫くん、シュネによろしくな。
イシュタル様には、とても気に入りましたとお礼を言ってくれ」
「かしこまりました、失礼致します」
猫は会釈し、ふっと消えた。
「さて、俺も戻ろっと。朝飯もまだだし」
「待て、」
止める学院長の鼻先でドアを閉め、セエレは移動呪文を唱えた。
「──ムーヴ!」
次の瞬間、彼は教員宿舎に戻っていた。
早朝の澄んだ空気の中、回廊は静まり返っていた。
自室に張った結界を通り抜け、鳥かごをテーブルに置いて彼は命じた。
「アズゥ、手紙を渡せ」
ドラゴンが巣からくわえ出した封書に、彼は目を通す。
「……なるほどね……」
彼はつぶやき、再び命じた。
「エマイユを呼べ」
龍は、人間には聞こえない周波数の鳴き声を発した。
直後、結界をもろともせず、使い魔は現れた。
「お邪魔致します。いいお部屋ですね」
「ありがとう。詳しく聞かせてくれる?」
セエレはシュネの手紙を示す。
エマイユは経緯を話した。
「道理で、やたらあいつの使い魔がうろうろしたり、呼び出し食らうと思った。
嫌がらせかと思ったら、そういうことか」
セエレは肩をすくめた。
「エナジーヴァンパイアごとき、成敗しても問題ないと思いますが。
一応はシュネ様の恩人、養父ですし、主人は熟慮の末、生かしておくことにしたのですよ」
「ふふ、床一面に宝石をぶちまけたって?
しかも、それを誰にも自慢出来ないと来てる、見栄っ張りには地味に効くな。
びっくり顔を見れなかったのが残念だけどさ」
溜飲を下げたように、セエレは笑みを浮かべた。
「それはさて置き、お支度を願います。
迅速に行動を起こせばネスターの裏をかけるでしょう、主人がそう申しておりました」
「え、もう出るの?
せめて、生徒や同僚に一言……あ、そうだ」
セエレは自分の髪を一本抜き、息を吹きかけた。
現れた分身に彼は命じた。
「今日の授業は自習にして、迷惑かけるけど俺は学院をやめるって皆に伝えろ。
理由は学院長に聞けと言え。
放課後ここへ戻り、俺に関するものをすべて消すまで、結界は張ったまま、ネスターにも捕まるなよ」
「ほう、さすがですね」
「まあね。一日しか持たないけど、時間稼ぎにはなるだろ」
「半日あれば、地の果てへもお連れしますよ。
これはお小遣いです、お収め下さい」
使い魔は、金貨を五袋取り出す。
「え、ありがたいけど、そんなにいらないよ、重いし」
「いえ、多くて困るものではありませんし、こうして……」
使い魔は、鳥かごの底に袋を並べた。
「アズゥにペンダントになるよう命じますと、持ち運びに便利ですよ。
盗難除けの魔法もかけてありますが、ドラゴンは、宝を守るものと決まっていますしね。
そうだろう、同輩?」
声をかけられた龍は、羽をばたつかせ、紅い小さな炎を吹いた。
「わ、火も吐けるんだ!」
セエレは眼を丸くした。
「ロウソクに着火できる程度ですが。
それと、こちらもどうぞ。女性関係のもめ事から身を守ります」
「いかがなさいました?」
「何でそこまで、親身になってくれるんだ?
ちょっと助けただけなのに、ホント、魔族って義理堅いよな。
それに比べて人間は、ネスターみたいな、くそったればっかで……」
「いえいえ、エナジーヴァンパイアは、もはや人間ではありませんから。
それに、人界には悪人しかいないのですか?
あなたはまだお若い、これからきっと、良い出会いがたくさんありますよ」
使い魔は優しく
「……そっか。そうだよな」
セエレは自分に言い聞かせるようにうなずき、魔法で真新しい服に着替える。
アズゥが姿を変えた、金と青のペンダントを首から下げると、準備は整った。
(やっと出られる。この、息が詰まるようなトコから。
俺の新しい生活が始まるんだ……!)
セエレの胸は高鳴った。
とうりゅう【逗留】
旅先で、ある期間とどまること。滞在。
どうはい【同輩】
地位・年齢・身分などが同じくらいの人。等輩。
つけ‐つけ
1 遠慮や加減をしないで、思ったことをはっきり言うさま。ずけずけ。
(注)イシュタルが、セエレに、歌うことしか出来ないちびドラゴンを贈ったのは、サマエルの子孫ではあるけれど、人界で平穏に生きて欲しい、という思いからです。
アズゥはさらに、彼の子孫に次の碧龍(シュネの予備)が生まれたら、魔族の元へ導く役目も持っています。
おそらく魔力が強すぎて、人界では暮らせないと思われるので。
先に書いた番外編(魔法学院に潜むもの)の時からすでに、セエレは、サマエルの子孫という設定でした。
でも、彼専用の龍の書はないし、仮に蒼龍(そうりゅう=青いドラゴン)に変身できたとしても、シュネ達に比べると力は劣る(子供並)でしょう。
当初は本編の方に出すつもりはありませんでしたが、中々活躍してくれています。
この話も、寝室を宝石まみれにされたネスターが唖然としてるところを想像したら面白くて、つい、書いてしまいました(笑)。