~紅龍の夢~

巻の七 DIES IRAE ─怒りの日─

25.龍の旅立ち(3)

宝物庫への道すがら、イシュタルは言った。
「そうそう、お前をリオンに引き合わせて、逃してくれた……セエレ、だったかしら?
もし彼がまだ学院にいるのなら、逃げるよう伝えた方がいいわ。
エナジーヴァンパイアは魔力の強い者に()かれるの、お前みたいに粘着されたら大変よ」
「え!? 今、先輩は学院の先生なんですよ!
す、すぐに知らせなきゃ……あ、でも」

「どうしたの?」
「ホントは先輩、卒業したら、私塾で魔法の講師になるはずだったんです。
でも、ネスター先……いや、ネスターが横槍入れて駄目になったんだそうで、すごく怒ってました。
今は我慢してお金を貯めて、うんと遠くの国に行ってやるって……近くだと、また邪魔されるから」

「まあ、あきれた、もうそんなことを。
愚図々々(ぐずぐず)していられないわ、奥方の二の舞いにならないように手を打たないと。
お金がないなら届けましょ。シュネは手紙を書いて。
エマイユ、お使いをお願いね」
イシュタルは猫を振り返った。

「お任せ下さい」
使い魔はひげをぴんと伸ばして会釈(えしゃく)すると、魔法で小卓と椅子、筆記用具一式を出した。
「どうぞ、シュネ様」
「あ、ありがと。えっと……」
シュネは急いで椅子に座り、頭をひねりつつ、経緯を(したた)め始めた。

「簡単でいいわよ、詳しくはエマイユに聞くようにと書いて。
それと、お前の名前を三回呼んでから眠れば、人界と位相がずれていても夢の中で話が出来る、ということもね」
イシュタルは付け加えた。

「へー、便利ですね」
「夢魔には簡単なことよ」
シュネは大急ぎで手紙を書き終え、封筒にも署名して使い魔に渡した。
「これ、お願いね」
「お任せを」

「念のため、渡す相手を覚えさせた方がいいわね。
シュネ、眼を閉じてセエレの顔を思い浮かべて」
「はい」
言われた通りにした彼女の額に、何かが触れた。
それは柔らかで温かく、本当に猫の肉球のようで、とても作り物とは思えなかった。

「……読み取りが完了しました」
さほどかからずに猫は言った。
「もういいわよ。宝物庫には金貨も置いてあるから行きましょ」
イシュタルは歩き出し、シュネと、素早く片付けを終えた使い魔も付いて行く。

「あ、それとね。ネスターのことは何とかするつもりだけれど。
もし……もしもよ、それでもしつこくセエレを追いかけ回すようなら、ウィリディスにかくまってあげたらどうかしら、タナトスに頼んで」
「え、ウィリディスに?
……ってことは、もしかして、先輩も魔族の血を引いてるんですか?」

「まあ、そう言ってもいい、かしらね……。
ただ、かくまうと言っても、あくまでも一時的によ。
他人の世話になってばかりも辛いでしょうし……ね?」
イシュタルは、どこか歯切れの悪い言い方をした。

「魔族なのに、どうしてずっと住んじゃいけないんですか?」
「……いえね、一口に先祖が魔族と言っても、セエレは、お前やリオンほど魔力も強くないし、人間としての資質の方が優勢だから……」
魔界の女貴族は口を濁す。

「ひょっとして、先輩も、サマエルお父さんの血を引いてる、とか?」
ふと頭に浮かんだことを、シュネは口に出していた。
「え!? い、いえ、まさか……」
否定するイシュタルの瞳は、抑えようもなく動揺している。
「何で隠すんですか、悪いことじゃないのに。
あ、お父さんが、先輩には内緒にしてるってこと?」

イシュタルはため息をついた。
「……はぁ。本当に鋭いわねぇ。そういうところ、そっくりだわ。
ええ、サマエルは、知らせるつもりはないそうよ。
ダイアデムが言うには、セエレは人族の血が濃いから寿命も短いのですって。
彼の子か孫の代には、魔族と同じになるようだけれど。
だから、お前も彼に話しては駄目よ」

「そんな、せっかく親戚って分かったのに……!」
シュネは抗議の声を上げる。
「ええ、たしかに、お前達の従兄か、はとこくらいに当たるのかもしれないわ。
でも、計算上、サマエルの子孫は、かなりたくさんいることになるわよ。
寿命の短い人族は、千年程度で何度も世代交代するのでしょ?」
「でも……」

「では、こう考えてご覧なさい。
自分が人族だと思っていれば、仮にウィリディスで過ごすことになっても、一時的なことだからと、魔族との違いにさほど悩まずに済むでしょう。
けれど、事実を突きつけられたら、どうなるかしら。
同じサマエルの子孫なのに、お前やリオンのようには長く生きられないのよ。
自分だけが年老いて、先に死んでしまうとしたら……?」

「う……それは辛いですね……」
「でしょう?
かといって、人界にも戻れないとなったら、彼は行き場をなくしてしまうわ」
「……分かりました、黙ってます」
「それがいいわ。
さ、これに乗って」
彼女達は、移動用の魔法陣に入った。

「シュネ? どうしたの、ぼんやりして。着いたわよ」
考え込んでいた彼女は顔を上げ、途端に絶句した。
「え、あ、……!」
てっきり倉庫か、せいぜい金庫室のような部屋だと思っていた。
しかし、今、目の前にあるのは、宝物殿と呼ぶ方がしっくり来るたたずまいの建造物だったのだ。

「待たせたわね」
すでに到着していた三人に、イシュタルは声をかけた。
「いえ、僕らも今来たところですから」
ヴァピュラは答えた。
サリエル達もまた、ぽかんと口を開けて宝物庫を見上げているところだった。

扉の前には、独眼の巨大な門番が二人、立っている。
左側の一人に、彼女は見覚えがあった。
「あ、キミ、キュクロプス!?」
シュネが叫んだ時、巨人達の体が縮み始めた。
そうして、イシュタルより少し高い背丈にまで小さくなると、左の一つ目男は深々とお辞儀をした。
「しゅね様、ゴ無沙汰致シテオリマス」

「わ!?」
「小っちゃくなった!」
巨人がいきなり縮んだことに、サリエル達は声を上げた。
「彼、お前が学院から逃げる手助けをしてくれたのですってね。
あ、彼らはキュクロプスで、宝物庫の門番よ。
こちらはマヒトツ、お隣りがアマツマラ」
イシュタルが二人を皆に紹介し、巨人達はうやうやしく礼をした。

「そういえば、あのとき、勝手に持ち場を離れたと、タナトスに大目玉食らったのよね、マヒトツ」
イシュタルは、いたずらっぽく笑う。
「えっ、あたしのせいで怒られちゃったの!?」
「イイエ、ワタシガ勝手ニシタコトデスカラ……」
キュクロプスは頭をかき、穴があったら入りたそうな顔をした。

「ごめんね。でもすごく助かったんだよ、ありがとう、マヒトツ!」
シュネは爪先で伸び上がり、彼の頬にキスした。
「しゅね様……」
巨人は顔を真っ赤にした。
それから彼女は、もう一人の門番にもペコリとお辞儀をした。
「キミもありがとう。一人でお仕事させちゃってごめんね、アマツマラ」
巨人は頭を下げた。
「モッタイナイオ言葉。……コヤツノ無鉄砲ニハ、慣レテイマスカラ」

「ところで、エマイユを創ってくれたのは、アマツマラなのよ。
キュクロプスは皆、鍛冶(かじ)が得意なのだけれど、彼は手先も起用なの」
「イエ、ソレホドデモ。
キチント、オ勤メガ出来テオリマスデショウカ?」
アマツマラは尋ねた。

「とても役に立っているわよ」
「ソレハ良ウゴザイマシタ」
ほっとして、アマツマラは猫の喉をなでる。
エマイユは、うっとりと目を細め、ゴロゴロと喉を鳴らした。

「本物の猫ちゃんみたいだよね、可愛いー」
「ホントだ、僕も欲しーな」
ヴァピュラから話を聞いていたサリエル達は、使い魔に興味津々だった。

猫と創造主のやり取りを、にこにこ見ていたイシュタルは、頃合いを見て言った。
「さて、そろそろ仕事をしてちょうだい、マヒトツ、アマツマラ。
タナトスの許可は、もう取ったから」
「「カシコマリマシタ!」」
声を揃えて答えた途端、元の大きさに戻ったキュクロプス達は、巨大な扉に手をかけた。
地響きと共にそれは開いていき、イシュタルはふわりと浮き上がった。

「床は宝石で一杯で、歩くのが難しいのよ。
あ、リナーシタは飛べる?」
「えっと……」
複製の少年がためらうと、サリエルがその手を取った。
「僕が連れて行くので大丈夫です」
「では、ついてらっしゃい」
イシュタルは浮いたまま、宝物庫の中に入って行った。

四人と一体もその後について入る。
内部は文字通り、宝石箱をひっくり返したような(きら)びやかさだった。
「うわあ、すっごく綺麗……!」
「綺麗な石がいっぱいだ……!」
「何でこんなにあるの……?」
シュネとサリエル、リナーシタは、ぽかんと口を開け、きょろきょろしている。
「すごい……噂以上ですね……」
ヴァピュラもその眺めには圧倒されていた。

「全部、“焔の眸”が創り出した宝石よ。
この辺りはまだ序の口。奥に行くほど石の等級も上がっていくわ」
イシュタルはさらに進んで行き、皆も急いで後を追う。
内部には灯りはなく、入り口から遠ざかるほどに闇が周囲を覆っていく。
それでも、夜目の利く五人には、すべての貴石の(きら)めきが見えていた。

やがて一番奥の部屋に着くと、貴石達の(まばゆ)さは一段と増した。
最高級の輝きに囲まれて、イシュタルは口を開く。
「リナーシタ、ここで自分に合う石を見つけなさい、サリエルもよ。
シンハがね、それを常に身につけていれば、心身共に(すこ)やかになる可能性があると言っていたわ。
ここの石には、神族と魔族の力がバランスよく宿っているのですって」

「えっ、ホントですか?」
「よかったね、リナーシタ」
「うん」
二人は顔を見合わせて喜んだ。
「“焔の眸”のお墨付きよ、頑張って」
イシュタルもにっこりした。
「でも、どうやって見つけたらいいんでしょう」
リナーシタが尋ねる。

「気になる石を持ってみれば、それで分かるはずよ。
あ、せっかくだから、シュネとヴァピュラも探してご覧なさい。
宝石は貴人の必需品よ、いくつあっても困らないわ」
「いえ、僕は遠慮しておきます。父上に怒られますから」
ヴァピュラは首を横に振る。

「では、シュネ、お前が選んであげなさい、さっきのお礼にね。
そしてヴァピュラは、シュネに合うと思う石を選ぶの。
助けたお礼に頂いたと言えば叱られないわ、いい考えでしょ?」
イシュタルは片目をつぶって見せた。

「ですけど……」
「ね、お礼させてよ、ヴァピュラ。
それとも、あたしからはもらいたくない?」
シュネは訊いた。

「そんな、まさか。こ、光栄です……!」
毛皮で見えないヴァピュラの顔色は、人なら真っ赤になっているところだとシュネには察しがついた。
青みがかった緑の瞳が色変わりし、紫水晶のように(きら)めいていたから。

「ふふ。わたし達は用があるから、ゆっくり選んでいてね」
イシュタルは猫と引き返して行く。
「ねぇ、ここは石が少ないから、降りても大丈夫そうだよ。
別々に探して、後で見せ合いっこしない?」
リナーシタが提案した。
「それいいね」
サリエルは彼を降ろし、四人は宝石探しを始めた。

マヒトツ/アマツマラ 天目一箇神(あめのまひとつのかみ)

鍛冶の神。天津彦根命(あまつひこねのみこと)の子。
天照大神(あまてらすおおみかみ)の天の岩戸隠れの際に、刀や斧・鉄鐸(てつたく)を造った天津麻羅(あまつまら)と同じ神とも考えられている(『古事記』)
筑紫国・伊勢国の忌部(いんべ)氏の祖(『古語拾遺』)。
高皇産霊尊(たかみむすび)により、出雲の神々を祀るための作金者(かなだくみ=鍛冶)に指名された(『日本書紀』)。
「目一箇」(まひとつ)は「一つ目」(片目)という意味。
鍛冶が鉄の色で温度をみるのに片目をつぶっていたことから、または片目を失明する鍛冶の職業病からとされる。
これは、天津麻羅の「マラ」が、片目を意味する「目占(めうら)」に由来することと共通している。
  ウィキペディアより抜粋