25.龍の旅立ち(3)
宝物庫への道すがら、イシュタルは言った。
「そうそう、お前をリオンに引き合わせて、逃してくれた……セエレ、だったかしら?
もし彼がまだ学院にいるのなら、逃げるよう伝えた方がいいわ。
エナジーヴァンパイアは魔力の強い者に
「え!? 今、先輩は学院の先生なんですよ!
す、すぐに知らせなきゃ……あ、でも」
「どうしたの?」
「ホントは先輩、卒業したら、私塾で魔法の講師になるはずだったんです。
でも、ネスター先……いや、ネスターが横槍入れて駄目になったんだそうで、すごく怒ってました。
今は我慢してお金を貯めて、うんと遠くの国に行ってやるって……近くだと、また邪魔されるから」
「まあ、あきれた、もうそんなことを。
お金がないなら届けましょ。シュネは手紙を書いて。
エマイユ、お使いをお願いね」
イシュタルは猫を振り返った。
「お任せ下さい」
使い魔はひげをぴんと伸ばして
「どうぞ、シュネ様」
「あ、ありがと。えっと……」
シュネは急いで椅子に座り、頭をひねりつつ、経緯を
「簡単でいいわよ、詳しくはエマイユに聞くようにと書いて。
それと、お前の名前を三回呼んでから眠れば、人界と位相がずれていても夢の中で話が出来る、ということもね」
イシュタルは付け加えた。
「へー、便利ですね」
「夢魔には簡単なことよ」
シュネは大急ぎで手紙を書き終え、封筒にも署名して使い魔に渡した。
「これ、お願いね」
「お任せを」
「念のため、渡す相手を覚えさせた方がいいわね。
シュネ、眼を閉じてセエレの顔を思い浮かべて」
「はい」
言われた通りにした彼女の額に、何かが触れた。
それは柔らかで温かく、本当に猫の肉球のようで、とても作り物とは思えなかった。
「……読み取りが完了しました」
さほどかからずに猫は言った。
「もういいわよ。宝物庫には金貨も置いてあるから行きましょ」
イシュタルは歩き出し、シュネと、素早く片付けを終えた使い魔も付いて行く。
「あ、それとね。ネスターのことは何とかするつもりだけれど。
もし……もしもよ、それでもしつこくセエレを追いかけ回すようなら、ウィリディスにかくまってあげたらどうかしら、タナトスに頼んで」
「え、ウィリディスに?
……ってことは、もしかして、先輩も魔族の血を引いてるんですか?」
「まあ、そう言ってもいい、かしらね……。
ただ、かくまうと言っても、あくまでも一時的によ。
他人の世話になってばかりも辛いでしょうし……ね?」
イシュタルは、どこか歯切れの悪い言い方をした。
「魔族なのに、どうしてずっと住んじゃいけないんですか?」
「……いえね、一口に先祖が魔族と言っても、セエレは、お前やリオンほど魔力も強くないし、人間としての資質の方が優勢だから……」
魔界の女貴族は口を濁す。
「ひょっとして、先輩も、サマエルお父さんの血を引いてる、とか?」
ふと頭に浮かんだことを、シュネは口に出していた。
「え!? い、いえ、まさか……」
否定するイシュタルの瞳は、抑えようもなく動揺している。
「何で隠すんですか、悪いことじゃないのに。
あ、お父さんが、先輩には内緒にしてるってこと?」
イシュタルはため息をついた。
「……はぁ。本当に鋭いわねぇ。そういうところ、そっくりだわ。
ええ、サマエルは、知らせるつもりはないそうよ。
ダイアデムが言うには、セエレは人族の血が濃いから寿命も短いのですって。
彼の子か孫の代には、魔族と同じになるようだけれど。
だから、お前も彼に話しては駄目よ」
「そんな、せっかく親戚って分かったのに……!」
シュネは抗議の声を上げる。
「ええ、たしかに、お前達の従兄か、はとこくらいに当たるのかもしれないわ。
でも、計算上、サマエルの子孫は、かなりたくさんいることになるわよ。
寿命の短い人族は、千年程度で何度も世代交代するのでしょ?」
「でも……」
「では、こう考えてご覧なさい。
自分が人族だと思っていれば、仮にウィリディスで過ごすことになっても、一時的なことだからと、魔族との違いにさほど悩まずに済むでしょう。
けれど、事実を突きつけられたら、どうなるかしら。
同じサマエルの子孫なのに、お前やリオンのようには長く生きられないのよ。
自分だけが年老いて、先に死んでしまうとしたら……?」
「う……それは辛いですね……」
「でしょう?
かといって、人界にも戻れないとなったら、彼は行き場をなくしてしまうわ」
「……分かりました、黙ってます」
「それがいいわ。
さ、これに乗って」
彼女達は、移動用の魔法陣に入った。
「シュネ? どうしたの、ぼんやりして。着いたわよ」
考え込んでいた彼女は顔を上げ、途端に絶句した。
「え、あ、……!」
てっきり倉庫か、せいぜい金庫室のような部屋だと思っていた。
しかし、今、目の前にあるのは、宝物殿と呼ぶ方がしっくり来るたたずまいの建造物だったのだ。
「待たせたわね」
すでに到着していた三人に、イシュタルは声をかけた。
「いえ、僕らも今来たところですから」
ヴァピュラは答えた。
サリエル達もまた、ぽかんと口を開けて宝物庫を見上げているところだった。
扉の前には、独眼の巨大な門番が二人、立っている。
左側の一人に、彼女は見覚えがあった。
「あ、キミ、キュクロプス!?」
シュネが叫んだ時、巨人達の体が縮み始めた。
そうして、イシュタルより少し高い背丈にまで小さくなると、左の一つ目男は深々とお辞儀をした。
「しゅね様、ゴ無沙汰致シテオリマス」
「わ!?」
「小っちゃくなった!」
巨人がいきなり縮んだことに、サリエル達は声を上げた。
「彼、お前が学院から逃げる手助けをしてくれたのですってね。
あ、彼らはキュクロプスで、宝物庫の門番よ。
こちらはマヒトツ、お隣りがアマツマラ」
イシュタルが二人を皆に紹介し、巨人達はうやうやしく礼をした。
「そういえば、あのとき、勝手に持ち場を離れたと、タナトスに大目玉食らったのよね、マヒトツ」
イシュタルは、いたずらっぽく笑う。
「えっ、あたしのせいで怒られちゃったの!?」
「イイエ、ワタシガ勝手ニシタコトデスカラ……」
キュクロプスは頭をかき、穴があったら入りたそうな顔をした。
「ごめんね。でもすごく助かったんだよ、ありがとう、マヒトツ!」
シュネは爪先で伸び上がり、彼の頬にキスした。
「しゅね様……」
巨人は顔を真っ赤にした。
それから彼女は、もう一人の門番にもペコリとお辞儀をした。
「キミもありがとう。一人でお仕事させちゃってごめんね、アマツマラ」
巨人は頭を下げた。
「モッタイナイオ言葉。……コヤツノ無鉄砲ニハ、慣レテイマスカラ」
「ところで、エマイユを創ってくれたのは、アマツマラなのよ。
キュクロプスは皆、
「イエ、ソレホドデモ。
キチント、オ勤メガ出来テオリマスデショウカ?」
アマツマラは尋ねた。
「とても役に立っているわよ」
「ソレハ良ウゴザイマシタ」
ほっとして、アマツマラは猫の喉をなでる。
エマイユは、うっとりと目を細め、ゴロゴロと喉を鳴らした。
「本物の猫ちゃんみたいだよね、可愛いー」
「ホントだ、僕も欲しーな」
ヴァピュラから話を聞いていたサリエル達は、使い魔に興味津々だった。
猫と創造主のやり取りを、にこにこ見ていたイシュタルは、頃合いを見て言った。
「さて、そろそろ仕事をしてちょうだい、マヒトツ、アマツマラ。
タナトスの許可は、もう取ったから」
「「カシコマリマシタ!」」
声を揃えて答えた途端、元の大きさに戻ったキュクロプス達は、巨大な扉に手をかけた。
地響きと共にそれは開いていき、イシュタルはふわりと浮き上がった。
「床は宝石で一杯で、歩くのが難しいのよ。
あ、リナーシタは飛べる?」
「えっと……」
複製の少年がためらうと、サリエルがその手を取った。
「僕が連れて行くので大丈夫です」
「では、ついてらっしゃい」
イシュタルは浮いたまま、宝物庫の中に入って行った。
四人と一体もその後について入る。
内部は文字通り、宝石箱をひっくり返したような
「うわあ、すっごく綺麗……!」
「綺麗な石がいっぱいだ……!」
「何でこんなにあるの……?」
シュネとサリエル、リナーシタは、ぽかんと口を開け、きょろきょろしている。
「すごい……噂以上ですね……」
ヴァピュラもその眺めには圧倒されていた。
「全部、“焔の眸”が創り出した宝石よ。
この辺りはまだ序の口。奥に行くほど石の等級も上がっていくわ」
イシュタルはさらに進んで行き、皆も急いで後を追う。
内部には灯りはなく、入り口から遠ざかるほどに闇が周囲を覆っていく。
それでも、夜目の利く五人には、すべての貴石の
やがて一番奥の部屋に着くと、貴石達の
最高級の輝きに囲まれて、イシュタルは口を開く。
「リナーシタ、ここで自分に合う石を見つけなさい、サリエルもよ。
シンハがね、それを常に身につけていれば、心身共に
ここの石には、神族と魔族の力がバランスよく宿っているのですって」
「えっ、ホントですか?」
「よかったね、リナーシタ」
「うん」
二人は顔を見合わせて喜んだ。
「“焔の眸”のお墨付きよ、頑張って」
イシュタルもにっこりした。
「でも、どうやって見つけたらいいんでしょう」
リナーシタが尋ねる。
「気になる石を持ってみれば、それで分かるはずよ。
あ、せっかくだから、シュネとヴァピュラも探してご覧なさい。
宝石は貴人の必需品よ、いくつあっても困らないわ」
「いえ、僕は遠慮しておきます。父上に怒られますから」
ヴァピュラは首を横に振る。
「では、シュネ、お前が選んであげなさい、さっきのお礼にね。
そしてヴァピュラは、シュネに合うと思う石を選ぶの。
助けたお礼に頂いたと言えば叱られないわ、いい考えでしょ?」
イシュタルは片目をつぶって見せた。
「ですけど……」
「ね、お礼させてよ、ヴァピュラ。
それとも、あたしからはもらいたくない?」
シュネは訊いた。
「そんな、まさか。こ、光栄です……!」
毛皮で見えないヴァピュラの顔色は、人なら真っ赤になっているところだとシュネには察しがついた。
青みがかった緑の瞳が色変わりし、紫水晶のように
「ふふ。わたし達は用があるから、ゆっくり選んでいてね」
イシュタルは猫と引き返して行く。
「ねぇ、ここは石が少ないから、降りても大丈夫そうだよ。
別々に探して、後で見せ合いっこしない?」
リナーシタが提案した。
「それいいね」
サリエルは彼を降ろし、四人は宝石探しを始めた。
マヒトツ/アマツマラ 天目一箇神(あめのまひとつのかみ)
鍛冶の神。天津彦根命(あまつひこねのみこと)の子。
天照大神(あまてらすおおみかみ)の天の岩戸隠れの際に、刀や斧・鉄鐸(てつたく)を造った天津麻羅(あまつまら)と同じ神とも考えられている(『古事記』)
筑紫国・伊勢国の忌部(いんべ)氏の祖(『古語拾遺』)。
高皇産霊尊(たかみむすび)により、出雲の神々を祀るための作金者(かなだくみ=鍛冶)に指名された(『日本書紀』)。
「目一箇」(まひとつ)は「一つ目」(片目)という意味。
鍛冶が鉄の色で温度をみるのに片目をつぶっていたことから、または片目を失明する鍛冶の職業病からとされる。
これは、天津麻羅の「マラ」が、片目を意味する「目占(めうら)」に由来することと共通している。
ウィキペディアより抜粋