24.龍の宿命(5)
リオンが人界に行った翌日、体調を崩したリナーシタを連れ、サリエルとシュネは魔界に向かった。
魔法陣で汎魔殿の前庭に着くと、真っ先にシュネは尋ねた。
「リナーシタ、大丈夫?」
「ええ、何とか。わあ……汎魔殿って大っきいんですね」
「うん、カッコイイね、すごいや」
彼とサリエルは手に手を取って、そびえ立つ魔界の城の偉容に見とれる。
ほっとして、シュネは汎魔殿の両側にある建造物を示した。
「ほら、左にあるのがお父さんのお城、紅龍城ね。
で、右側のがタナトス伯父さんのお城よ」
「わあ、すごい、お城が三つもあるんだ!」
サリエルは歓声を上げ、リナーシタは青ざめた顔でつぶやいた。
「……行きたいな、父上のお城」
そのとき人影が現れ、胸に手を当て、深々とお辞儀をした。
「皆様、ようこそ、魔界へ。
案内役を仰せつかりました、グーシオン公爵の長子、ヴァピュラと申します」
「あ、どうも、初めまして。僕はサリエル、こっちがリナーシタです」
「……初めまして」
サリエル達は礼をする。
「シュネ様、戦場ではお話しする機会もありませんでしたが、
彼は再び、ていねいに頭を下げた。
「あ……ど、どうも……」
紅いたてがみのライオン……ヴァピュラの顔から眼が離せずにいたシュネは、ようやく我に返り、どうにか礼を返した。
なぜか頬が熱い。魔族には、猛獣の顔を持つ者も珍しくないというのに。
「リナーシタ様、お加減はいかかですか?」
ヴァピュラの方は何も気づかず、尋ねた。
「……そういえば、呼吸が楽ですね。さっきまでの息苦しさが嘘みたいに」
リナーシタの頬には少し赤みが差して、サリエルの顔も明るくなる。
「うん、魔界の空気って、僕らに合ってるのかも」
ヴァピュラはにっこりした。
「それはよかった。
皆様がおいでと分かると汎魔殿中が大騒ぎになりそうですので、紅龍城の方へご案内致するようにと、イシュタル様から仰せつかっております」
「わー、お父さんのお城に行ける!」
サリエルは無邪気に喜び、リナーシタも笑みを浮かべた。
そんな中、再び次期公爵の眼を覗き込んだシュネは、息を呑んだ。
(これ、似てる……どこかで……何だっけ……?)
気づくと、シュネはベッドに寝かされていた。
「あら、眼が覚めた? 大丈夫?」
金の粒を散りばめた摩訶不思議な藍色の瞳が、彼女を覗き込む。
「あれ、イシュタル様……あたし……?」
そこは、戦が始まる前のごく短い間寝泊まりしていた、紅龍城の一室だった。
「気分はどう? お前、着いた途端に倒れたのよ。
エッカルトは、少し休めば回復すると言っていたけれど」
「平気です。でも、そんなに疲れてる感じは……ん?」
違和感を覚えてシュネが額に触ると、硬い物に触れた。
「え、何、これ……」
「落ち着いて聞いてね、シュネ。お前、角と翼が生えたのよ。
倒れたのはそのせいかも」
イシュタルは手鏡を差し出す。
「ええっ!?」
飛び起きて受け取った鏡には、見慣れない白い角と、コウモリ状の黒い翼が映っていた。
「こ、これって……」
「ええ、第二次性徴期に入った証よ。
お前のは、サマエルやリオンにそっくりね……驚いた? 嫌かしら」
「えっ、いえ、嫌だなんて。
逆にほっとしてます、やっぱりあたし、魔族なんだって」
「そう、よかったわ」
イシュタルはにっこりした。
「あれ? でも、……やっぱり、何か変……」
シュネは再び鏡を覗き込んだ。
眼や髪は変わりなかったが、顔は一回り小さくなっている。
寝間着もサイズがまるで合っておらず、ぶかぶかだった。
「どうしたんだろ……まさか、体が縮んじゃった、とか……」
「半日眠っている間に、体が元に戻ったのよ」
イシュタルは、落ち着いた声で教えた。
「え……?」
「エッカルトの見立てでは、お前は、一時的に大人の体になっただけらしいわ。
きっと、子供のままではうまく力を制御出来ないのでしょうね」
シュネは眼を丸くした。
「一時的に? ……魔族って、そういうこと、よくあるんですか?」
「まあ、あまり一般的ではないわね。
でも、お前とリオンが大人でないと戦に勝てない、ということだったのなら、仕方なかったのではなくて?」
「……う、たしかにそうですけど。
じゃあ、あたし、いつホントの大人になるんでしょう」
「そぉねぇ……」
イシュタルは小首をかしげた。
「魔族は二万歳で成人するから……多分、一万年くらい先になるのかしらね」
「ああ……」
突如、シュネの眼から大粒の涙がこぼれ、イシュタルは慌てた。
「だ、大丈夫よ、泣かないで。
角も翼も生えたのだし、人族の尺度では長く感じてしまうでしょうけれど、必ず大人になれるわ、だから心配いらないのよ、ね?」
魔界の貴婦人は、シュネを優しく抱きしめ、頭をなでた。
柔らかい胸、花のように甘い芳香。彼女はどこか懐かしい思いに包まれていた。
「いえ、そうじゃないんです、まだ子供なら、結婚しなくて済むって思ったら、急に……」
イシュタルは、はっとして、少女の顔を覗き込んだ。
「お前、誰かに求婚されているの? まさか、タナトスではないでしょうね」
「……は? い、いえ、伯父さんじゃないですよ。
あたしの養い親で、魔法学院の院長してる、ネスターっていう人で……」
「まあ、相手は人間?
そうよね、いくらお前がサマエル似でも、今のタナトスは“黯黒の眸”に夢中だし。
でも、養父ですって? 恩着せがましいわねぇ。
そもそも、いくつなの、その男」
「んー……たしか、五十ちょっと前、だったかな……」
「人間の五十歳……魔族に換算すると……あらまあ、もう色々と役に立ちそうにもない年なのねぇ。
それで魔族の
イシュタルは
「え、あの……」
「ともかく、お前は泣くほど嫌なのよね。いいわ、この際、はっきり断りましょう。
ちょうど今、人界は夜中だから、夢に入り込めるわ。
体はもう大丈夫ね?」
「ええっと……」
恐る恐る、シュネはベッドから降りてみた。
ふらつくこともなく、足元もしっかりしている。
「大丈夫みたい、です。
……けど、わざわざ夢の中にまで行って、断る必要あるんですか?
学院に帰らなきゃ、それで済むことだし……」
「そうかしら?
今のままだと、お前はいつまでも養父のことを引きずって、結婚も出来なくなってしまうと思うけれど」
「でも、あたし……」
元々誰とも結婚する気はないが、ネスターには絶対会いたくない、そう言いかけてシュネは口ごもった。
たしかに、諸事情あったとはいえ、何の恩返しもせずに逃げ出したことには負い目がある。
だからこそ、求婚を断り切れずにいたのだが、『嫌々結婚しても幸せになれない、人界に帰る必要もない』とリオンに言われて安心していたのに……。
「わたしね、サマエルとタナトスの母親代わりだったのよ。
でも、タナトスの気持ちは分かってあげられなかったし、サマエルだって、完全には守ってあげられなかったわ。
だから、あの子は、自分から神族に捕まりに行ってしまったのね……」
イシュタルは声を詰まらせた。
「ち、違いますよ、それはあたしのせいで……」
「いいえ、サマエルは機会に飛びついただけよ、気に病む必要はないの」
魔界の貴婦人はきっぱりと言い、シュネの説得にかかった。
「お前はサマエルそっくりね、顔だけでなく性格も。
だから、今、逃げてしまうと、ずっと尾を引いて、そのことばかり考えてしまうようになる気がするのよ。
だって、人界に帰らなければ、大人でいても平気なはずでしょ?
なのに、子供でいられるって、泣いているくらいなのだもの」
「……」
たしかに彼女の言う通りで、シュネは返す言葉がなかった。
「お節介だと思うでしょうけど、わたしもう、出来るはずのことをしなかったせいで後悔したくないの。
お前の心に刺さった棘を見過ごすなんて出来ないわ、抜いてあげたいのよ」
(あーあ、無視でいいと思ったのに。これも運命ってヤツ……?)
シュネはため息をついた。
背中の翼を羽ばたかせてみると、意外と思い通りに動く。
(けどまあ、ここまで魔族っぽくなったら、さすがに先生も諦めるよね……いや、どうだろ。
そもそも、魔族嫌いのくせに、何であたしをお嫁さんにしたがるの?
やっぱ先生って、訳分かんないや)
「うーん、やっぱり、ちゃんと断らなきゃ駄目ですか?
マジに会いたくないんだけど……」
気が進まないまま、シュネは答えた。
「直接会うわけではないから大丈夫よ。さ、まずは着替えましょ。
こちらにいらっしゃい」
イシュタルは、壁に作りつけられた等身大の鏡の前へ彼女を招き、呪文を唱えた。
「どう? いいでしょう?」
パジャマと取り替えられたのは、ウグイス色と金とで大きな花の模様がいくつも織り込まれたドレスだった。
胸元には、イブニング・エメラルドとも呼ばれる貴石、ペリドットのビーズが龍の姿に縫い込まれ、
さらには、純白の生地一面に金糸で小花が刺繍されたオーバースカートが、ドレスを一層、豪華に見せていた。
首には、星の輝きを宿した大粒のルビーと、その周囲にメレダイヤを散りばめたチョーカー、イヤリングにも小ぶりの同じ貴石が
「う……、あ、あの、ちょっとゴージャスすぎやしませんか、これ」
あまりの
「いいえ、ドレスは女の勝負服よ、気合で負けてはいけないわ。
それに、何よりお前によく似合っていてよ。
やっぱり女の子はいいわねぇ、いくらサマエルが美人でも、男にドレスを着せる訳にはいかないもの」
イシュタルは一人、苦笑した。
「えっ……?」
「
「え、それはないです……あ、でも、夢飛行はやっちゃいました、無意識に」
「まあ、さすがね。
さ、ここに来て。わたしが導いてあげるから大丈夫よ」
イシュタルはベッドに座り、彼女を招く。
隣に腰掛けると、イシュタルは彼女の手を取った。
「眼を閉じて、ネスターを思い浮かべて。
何が起きても、夢だから大丈夫よ。力を暴発させないように注意して。
夢が壊れれば、相手の心も壊れるわ」
「分かりました……」
眼をつぶったシュネは、養父の顔を思い出せないことに驚いた。
忘れようと努めていたからかも知れない。
そこで仕方なく、魔法学院の学院長室に座っている姿を思い描いた。
すると、視界がミルク色の霧に覆われた。
「ここはもう、ネスターの夢の中よ。相手が見えたら……」
イシュタルの話が終わらないうちに、声がした。
「そこにいるのはシュネか? 今までどこにいたのだ?
なぜ、帰って来なかったのだ」
霧の中から中年の男が現れ、ずかずかと近づいて来る。
しし‐ふんじん【獅子奮迅】
獅子がふるい立って暴れまわるように、激しい勢いで物事に対処すること。
ペリドット(perido)
和名 橄欖石(かんらんせき) 8月の誕生石。石言葉は夫婦の幸福・信じる心。
暗くなっても見ることができるため、ローマ人は「イブニングエメラルド」と呼んだ。
オーバースカート(overskirt)
スカートやドレスなどの上から、さらに重ねて着るスカート。また、二重に作られたスカートの外側のもの。
丈は下にはくものと同じにしたり,差をつけたりする。色や素材の組み合わせでさまざまな着こなしが可能となる。
メレダイヤ
小粒のダイヤモンドのこと。メレ(melee)はフランス語で「小粒石」。
欧米では0.25ct(カラット)以下、日本では0.18ct(1/6ct)以下、一般的には0.2ct未満を指す。メインの宝石を引き立てる脇石として使われることが多い。
メレを複数敷き詰めたものをパヴェ、リングの周りに一列に並べたものを、エタニティリング、またはエターナルリングと呼ぶ。
ct(カラット)
宝石類の質量を表す単位。1ctは0.2g。宝石の種類により比重も違うため、同じctでも大きさが変わる。
例えば、色味が似ていて1ctあたりの値段もさほど変わらない、トパーズ(比重3.50-3.57)と、シトリン(=黄水晶、比重2.56)の場合、シトリンの方が比重が軽いので、同じ値段でより大きい石を買える。
これを悪用し、シトリンを「シトリントパーズ」と呼び、トパーズの値段で売りさばいて儲けた業者もいたらしい。