24.龍の宿命(4)
「えっ……」
『息子が母親のことを訊いてきたら、何と答えるのだい?
そもそも、断乳までは城内で育てられるのではないかな、授乳の時にだけ、ライラのところへ連れて行けば……』
「それも考えましたけど、でも、別れは必ず来ます。
この子に角や翼が生えたら、嫌でも……」
リオンはうなだれた。
「魔族としての教育も施さねばならん、どうせ母親から引き離すなら、早い方がよかろう」
タナトスが口を挟む。
『……たしかに、物心ついてからでは可哀想か……。
そうだ、この子を一度、抱かせてもらってもいいかな。
大丈夫、私は実体化出来るから』
「あ、はい、どうぞ」
サマエルは、魔力で赤ん坊を浮き上がらせ、優しく抱いた。
かなり騒がしかったはずなのに、アレンウォルドはすやすや眠っていた。
『……ふふ、最初の息子を思い出すよ。
当時は私も、まだ扱いに慣れていなくてねぇ。
ジルは、ハラハラして私を見上げていたっけ……』
うっとりとサマエルは言った。
『お休み、アレンウォルド』
そっとキスし、赤ん坊をベッドに戻す。
刹那、背中にしがみつかれて、サマエルは面食らった。
『どうした、リオン……?』
「何で死んじゃったんですか!?
父さん、って呼んじゃいけないのかも知れないけど、生きてて欲しかった……!」
『……済まない。私は父親失格だな。好きに呼んでおくれ』
サマエルはリオンを抱き締めた。
すすり泣くその体は縮み始め、角と翼はそのままに、二人が出会った頃の背丈に戻っていく。
「ふん、ガキがガキを作った、ということがよく分かるな」
タナトスは軽蔑したように鼻を鳴らした。
『見ての通り、リオンが大人の体になれるのは一時的だ。
いざという時に全力で戦えるよう、アナテ女神が計らって下さったのだろう。
本来の彼は、まだ子供なのだよ』
「ええ、ぼく、自分でも子供だって思いますもん。
ライラの城でも役立たずだったし……」
リオンはしゃくりあげた。
『そんなことはない、女王の責務を果たせるように彼女を癒やす、それも立派な仕事だよ』
サマエルは優しく言った。
「仕事じゃないですよ、そんなの……」
少年は、力なく否定の身振りをした。
『ならば、職業を賢者にしてみるかい?』
「えっ?」
意外な提案に、リオンはうろたえて彼から離れた。
「いやいや、無理ですって。
ぼくは父さんみたいに知識もないし、とっさに何も浮かばないし……!」
『私だって知らないことはたくさんある、経験を積めば何とかなるものさ。
ライラには、賢者サマエルの後を継ぐため一旦は別れたが、子供も生まれたし、やり直したいと言ってご覧』
リオンは悲しい顔をした。
「でも、ぼくが魔族ってこと、もうバレてるし……」
『先ほども言ったが、父親であるサマエルが魔族の血を引いていると言えばいいよ、本当のことだしね』
リオンは再び首を横に振った。
「違うんです。
ぼくが……彼女の元に戻るのをためらってる、ホントの理由は……敵を……たくさん、殺してしまったからで……」
サマエルは、はっと息を呑んだ。
『しかし、それは……』
「分かってます。戦争だし、仕方なかったんだってことは。
負けたら、魔族は滅ぼされたんだし……」
『それなら……』
「でも、ぼく、誰も殺したくなかった。
なのに、ぼくは人殺しで……こんなぼくが、ライラや子供達といていいのかって……もちろん、一緒にいたいって気持ちも強いですけど……でも、殺した人達が夢に出て来て、うなされて……ああ、ぼく、幸せになっちゃいけないんだなって……」
朱色の瞳から涙があふれ、滴り落ちる。
何日もよく寝ていない少年の目の下には、くまが出来ていた。
『……可哀想に。お前は、本当に私と同じように考えるのだね……』
サマエルは再び彼を抱きしめた。
「ごめんなさい、ぼく、どうしていいか……」
『疲れていると、いい考えも浮かばないよ。
叔母上に頼んでおくから、魔界で心身を癒やし、ゆっくり答えを出すといい。
破滅的思考に囚われてはいけない、私のように』
「はい……」
すると、タナトスが真剣な面持ちで言った。
「さっきは悪かったな、リオン。
だが、養子に関しては真面目な話だ、俺はアレンウォルドを世継ぎにしたい、それとも貴様が王位を継ぐか?
賢者など、聞こえはいいが、浮浪者も同然だぞ」
リオンは朱色の眼を丸くした。
「えっ、ぼくが王様に?
……けど、王妃様に赤ちゃん出来たらどうするんです?」
「心配無用だ、俺には子供が作れん。
無論、養子など名目に過ぎんし、真の父親は貴様だ、子育てはやらせてやる。
本当のところは、こいつを王にしたかったのだがな!」
タナトスは、弟王子に指を突きつけた。
『……やれやれ、その話なら断ったろうに。
リオンだって、王族の生活にはなじめないと思うよ、今さら。
しかし、賢者を浮浪者呼ばわりとはね』
サマエルは眉をしかめた。
「ふん。愛した女一人、幸福に出来んような男に、王など務まらんか」
タナトスにじろりと見られて、リオンは小さくなる。
「済みません……」
『気にしなくていいよ、リオン。
女性と別れる辛さを、タナトスも一度ならず味わっている。
だから、お前には同じ思いをさせたくなかったのさ』
「え……実はいい人なんですね、伯父さん……!」
魔界王の気まぐれに振り回されていると思っていた彼は、感激した。
「うるさい、さっさと魔界へ行け!」
タナトスが怒鳴った時、リオンは、自分でもよく分からない衝動に駆られ、魔界王に歩み寄った。
そうして、爪先立ちになり、その唇にキスした。
「ありがとう、タナトス」
「何……」
唇に指をあてがい固まるタナトス、それを見ていたサマエルもまた、動けずにいた。
そんな第二王子にリオンは近づき、同じように……。
「さよなら、サマエル。
──ムーヴ!」
遥かな昔、王子達が愛した人、そっくりの笑みを彼らに向けると、リオンは揺り籠と共に魔界へと去った。
魔界王家の兄弟は、驚きの眼差しを交わし合った。
「な、何だ、今のは……ま、まるで……」
『ジル──のような……』
「どういうことだ?」
『……一時的に、ジルが憑依したようにも思えるね。
ひょっとして、彼女は今までずっと、女神に力を貸してくれていた……?』
サマエルは考え込みながらつぶやく。
「水臭いな、それならそうと早く言ってくれれば」
『……何か理由があったのだろう。
そして、考え過ぎかも知れないが、二人は、私の幼い頃の願望も叶えてくれていたような気もする……』
「貴様の願望?」
『幼少の頃、私は、人界で母と人間として暮らすか、もしくは女性に生まれていたなら……、今より幸せだったに違いない、そう思っていた。
リオンとシュネの生い立ちは、その想いを体現したかのようで、かねがね不思議に思っていたが……』
サマエルは天を仰いだ。
さっきまで輝いていた月も星も雲に隠され、大気は湿り気を帯びて、遠くから雨の匂いがして来ていた。
「ふむ。貴様が出来なかったことを、わざわざ複製で叶えてくれたということか」
タナトスは感慨深げだった。
『そういうことだね。
……ありがとうございます、アナテ女神様、そして、ジル、ありがとう』
サマエルは胸の前で指を組み合わせ、
「──おう、アナテと言えば。
不意にタナトスが言い、サマエルは顔を上げた。
『え? お墓があったのかい?』
「墓標と言えなくもないが……ともかく、遠目にも目立つ巨岩があってな。
どうも気になり見に行こうとすると、危険だとシェミハザに止められた。
何と、あれは、アナテを封印し損じた岩だというのだ。
半端に力を奪われたアナテの怒りが瘴気となって吹き出し、上空を飛ぶ鳥までも殺すほどのすさまじさで、市街を造るにあたり、岩からかなり距離を取らざるを得なかったという。
──まったく、たわけた話だ」
タナトスは険しい顔をした。
『……なるほど。力の大部分を封じられて、女神は身動きが取れなくなってしまったのか。
そこで、ジルの力を借り、色々画策したのだね、魔族を守るために』
「では、さっき彼女が現れたのは……」
『私達が勝ったから、安心して別れを告げに来てくれたのだよ。
姿を見せれば、私が経緯に気づくと思ったのだろう。
そうと分かれば、後は女神の封印を解くだけだね』
「待て」
行こうとしたサマエルの腕を、タナトスは捕らえた。
『どうした?』
「後にしろ、俺はまだ貴様に用がある」
『用とは?』
聞き返す弟を、タナトスはいきなり殴りつけた。
『何をする!』
サマエルは頬を押さえる。
その唇から一筋、生きている時のように紅い血が流れた。
「今のはリオンの分だ! そして、これはシュネの分!」
タナトスは再び、拳を振り上げた。
力一杯殴られて、サマエルは地面に倒れ込んだ。
『よせ、なぜこんなことを……!』
「なぜ、だと!? 分からんのか、貴様!
皆がどれほど貴様の身を案じ、その死を悲しんだか!
なのに、貴様ときたら、生きているような面でフラフラしおって!」
「これは叔母上の、それと、“焔の眸”、あいつがどれほど嘆き悲しんだか、貴様に分かるか!」
言いながら、タナトスは弟を殴り続けた。
サマエルはその場にうずくまり、甘んじて兄の鉄拳制裁を受けた。
「そして、これは俺の分だ!
タナトスは弟を引きずり起こし、拳を握り固めた。
サマエルは眼を閉じた。
死に憧れ、どうしても死んでみたくて、必ずや自分を殺すであろう敵に身を
しかし、殴られることはなく、代わりに彼は唇を奪われた。
噛みつくような口づけ……ひどい暴力を受けるものと覚悟していたのに。
さらに、意外な言葉が、彼の耳元にささやかれた。
「だが、サマエル。俺が死ぬまで、昇天することは許さん。
“焔の眸”や天国へ逝くジルにはついて行くことも叶わん地獄の底の底まで、俺が付き合ってやる。
そうすれば、貴様も淋しくなかろう」
『え……?』
サマエルは、あっけにとられて兄を見た。
「何だ、嫌か」
『嫌なものか。とてもうれしいよ、でも……』
「よし」
タナトスは、弟を芝生に押し倒して漆黒のローブを乱暴に剥ぎ、青のシャツの前を開く。
黒いズボンに手をかけたところで、サマエルが待ったをかけた。
『今、こんなところで? 天気が悪くなりそうだよ……』
事実、雨粒が一つ二つ、二人に打ち付け始めていた。
タナトスは無造作に結界を張った。
『それに、誰か来るかも……』
「黙れ、もう観念しろ!
真夜中の雨の墓場に、俺達以外のどんな阿呆が来ると言うのだ!」
兄の本気が流れ込んで来る。同時に、タナトスにも弟の心が読めた。
「貴様、今頃後悔しているのか、死なねばよかったと」
『……ああ。馬鹿なことをしてしまったと、ひどく悔やんでいるよ……』
「たわけめが。罪滅ぼしをさせてやる、大人しく俺に抱かれろ!」
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しゅう‐う【驟雨】
急にどっと降りだして、しばらくするとやんでしまう雨。にわか雨。夕立。《季 夏》
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