24.龍の宿命(3)
「聞こえんのか、貴様。妃になれと言ったのだぞ」
苛立たしげに繰り返すタナトスを、ぽかんとリオンは見上げた。
「え? ……王妃様は?」
「たわけ、貴様は
「ショーヒ?」
彼は眼をぱちくりした。
「ち、分からんのか、側室のことだ」
その言葉に、リオンはソファから転げ落ちそうになった。
「な、何言ってんですか、王妃様に怒られますよ!」
「ふん、ケテルは元は魔族の王子だぞ。
常日頃、俺を独り占めにするのは気が引けると言っているわ」
リオンは自分の胸をたたいた。
「男ですよ、ぼくは!
女の人なら、後宮にいっぱいいるじゃないですか!」
「淫魔の相手に女も男もあるか、くそ親父は男の後宮も持っていたぞ。
それに貴様は、サマエルの若い頃と瓜二つだ……!」
タナトスは、リオンの顎に手をかけ、顔を上げさせた。
「伯父、さん……?」
声が震える。
「俺は今まで、貴様を抱きたいという衝動をずっと抑えていた。
戦が終わったら、サマエルに王位を譲るつもりでいたからな。
なのに、あのたわけめが、勝手に敵陣に突っ込み、死におった。
貴様に譲位するには若過ぎるし、家臣どもの反対も目に見えている、それで、だ」
タナトスは舌なめずりした。
「……」
リオンの背筋を、冷たい汗が流れ落ちた。
「ふ、怯えた顔もうまそうだな。
ヤツと生き写しに生まれて来たこと、運がなかったと諦めろ!」
言うなり、魔界の王は彼をソファに押さえつけ、ローブを脱がしにかかる。
「や、やめて下さい!」
彼は必死に暴れた。
「言うことを聞け、俺は空腹だ!
逆らうなら、ガキごと地下牢にぶち込むぞ!」
「そんな! 赤ちゃんが死んじゃいますよ!」
「ならば、ガキも俺が頂いてやる、ありがたく思え」
彼にのしかかったまま、タナトスはニヤリとした。
「ふ、ふざけないで下さい、アレンウォルドはぼくの……!」
「立場をわきまえろ、そもそもサマエルという後ろ盾があったからこそ、貴様も王家の一員として認められていたのだぞ。
もうヤツはおらんのに、おのれの不始末で出来たガキ共々、居候を決め込む気か、図々しい!
側室かガキを差し出すか、どうせなら両方か、さっさと選べ!」
「どれもごめんだーっ!」
リオンはタナトスをはねのけ、飛び起きた。
「逃がすか!」
「放せ!」
つかまれたローブを脱ぎ捨て、彼は辛くも淫魔の王の手から逃れた。
「待て、この
幸い、息子はすぐ隣の部屋で眠っていた。
「よかった……!」
彼は子供の頬にキスすると、揺り籠ごと移動した。
「……ふう」
着いた先は、戦勝記念公園だった。
墓石が取り払われ、芝生に覆われて闇に溶け込んでいても、彼には分かった。
雲間から覗く月明かりに白く浮かび上がる、移設されたモトの石像……その目線の先に、サマエルの眠る場所があることを。
彼はひざまずき、語りかけた。
「父さん、ぼくの息子、アレンウォルドです。ライラに似て可愛いでしょ?
真の名は、アン・ナスル・ターイル、どっちもシンハがつけてくれたんです。
でも……ね、父さん……ぼくら、魔族の中にはもう……、居場所が……」
涙がこみ上げ、彼が声を詰まらせた時、後ろから声がかかった。
「やはりここだったか。
ウィリディスからは出られんぞ、結界を張ったからな」
リオンは慌てて振り返る。声の主は、魔界王タナトスだった。
「ど、どうして……」
「貴様のことだ、サマエルに別れを告げてから逃げるだろうと思ったが、案の
「こ、この子は渡しませんよ、ぼくも側室になる気はないし!」
リオンは叫んだ。
「甘ったれたヤツめ、嫌だ嫌だで物事は通らんぞ、ガキをよこせ!」
タナトスは怒鳴り返し、ずかずかと近づいて来る。
「やめて下さい!」
リオンが息子をかばい、タナトスともみ合いになったそのとき。
『……やれやれ、騒がしいな。死人も目を覚ますよ』
聞き慣れたその声と共に、闇の中から死霊が姿を現した。
「父さん、助けて!」
「くそ、棺桶で寝ていろ、サマエル!」
『……タナトス。また、私の子孫に無理難題を押し付けているね?』
幽霊の口調は静かだったが、ほつれた銀髪の間から覗く紅い眼は、暗い光を放っていた。
「く……! 俺はただ、……」
『私の後ろ盾を失い、肩身が狭いリオンは、自分の後宮へ……赤ん坊は養子に、か。
だが、それを強制する権利はお前にはないぞ。決めるのは、あくまでリオンだ』
サマエルは、顔にかかる髪をかき上げた。
「ち、それもこれも、血統がどうのこうと家臣どもがうるさいからだ、リオンもシュネも龍に変化出来るというのにな!」
『ふうん……それでお前、彼を追い詰めて赤ん坊を取り上げれば、ライラとよりを戻すだろうと思ったのだね?』
「え?」
リオンは朱色の眼を見開く。
タナトスは肩をすくめた。
「何のことだか」
『リオン、許してやってくれ、タナトスには悪気はないのだ。
お前のことはとても気にかけている……この通り、方向性は大いに間違っているけれどね』
「う、うるさい、うるさい! 貴様が悪いのだ、勝手に死におって、たわけめが!」
タナトスは顔を紅潮させ、怒鳴った。
「えっと……そうなんですか?」
リオンは、改めて伯父を見た。
「知るか、俺は魔界の王だぞ、貴様ごとき、女でめそめそしている男なぞ!」
魔界の王は鼻息荒く言い捨て、そっぽを向いた。
『……相変わらずだねえ。
リオン達のことも、説明する手間を惜しむから、家臣達も納得しないのだろうに』
「必要ないわ、そんなもの!
俺の話に耳を傾けた試しがないくせに、ぐだぐだ言いおって!」
『それは、お前の日頃の行いが悪いからだろう』
「何だと、貴様!」
「ちょっと待って下さい。何か言われてるんですか、ぼくら」
リオンは二人の間に割って入った。
『いや、それは……』
サマエルがためらうと、タナトスが言った。
「戦に勝利にしたことで、気が早い連中が世継ぎの話を始めているのだ。
貴様とシュネは他人の空似に過ぎん、よって資格なしとか、ほざいている」
「え、……」
リオンは返答に
『彼に話す必要は……』
「黙れ、そのうち嫌でも耳に入るわ!」
タナトスは弟をどやしつけ、続けた。
「そこで、二人の遺伝子検査を天使に依頼し、数日前にその結果が出た」
「で、ぼくらはちゃんと、父さんの血を引いてるんですよね?」
勢い込んでリオンが訊くと、魔界の王族達はちらりと眼を合わせた。
「まさか、……」
彼の顔から血の気が引く。
『いやいや、もちろん、血のつながりはあったよ。
……というか、あり過ぎたと言うべきかな』
今度はサマエルが答えた。
「何ですそれ?」
『検査の結果、私とお前の遺伝子は、ごく一部を除いてほぼ同一だったのだ。
さすがに、シュネは女性だから、性染色体は違っていたけれども』
「……それって、どういうことですか?」
「つまり、貴様らはこいつの子孫ではなく、複製ということだな」
サマエルが答える前に、タナトスが口を出した。
「ええ!? け、けど、ぼくには母がいたし、シュネにだって、両親が……」
「ふん、血のつながりなどない、育ての親かも知れんぞ?」
「じゃ、ぼくらは、神族に創られたホムンクルスってこと!?」
リオンは青くなった。
『いや、それはない。連中が創ったのなら、とっくに利用しているはずだし、お前達が人界にいたことの説明もつかないよ』
サマエルは即座に否定した。
「そ、そうですよね……」
彼は胸をなで下ろした。
『元々、私の複製は創るのがかなり難しいらしいし、性別まで変えるとなると、さらに難易度は上がる。
天界の技術とはまた別の、特殊な術が使われたのではないかと思うが』
「特殊な術?」
「そんなものがあるのか?」
タナトスは疑い深そうに尋ねた。
『私はジルと結ばれ、四人の子を
ここは人界、その子孫は代を重ねるごとに人族と同化し、魔族としての特質は影を潜めていくはず……だった。
だが、もし、一旦分散した遺伝子を長い時をかけて集約させ、再構築させる術が施されていたとしたら……?』
タナトスは首をかしげた。
「そんな術、仮にあったとしても、誰が使った?
なぜ、そんな遠回りなやり方で、貴様の複製を創る必要があったのだ?」
『そう……これほど遠大な計画を、実行に移すことが出来る者と言えば……思い当たるのは、一人だけだね……』
サマエルは遠い眼をした。
「誰だ、そんな暇人」
「誰ですか?」
二人が同時に尋ね、サマエルは彼らに視線を戻した。
『アナテだよ。女神なら、膨大な時を使える。
紅龍の適合者は中々現れないし、私が失敗した場合に備え、神族に感づかれないやり方を模索した結果ではないかな』
「じゃあ……ライラはやっぱり、ぼくじゃなくて、オリジナルの父さんの方を……」
リオンは唇を噛んだ。
『それは違うよ。サリエルとリナーシタをご覧。
同じ遺伝子を持っていたところで、やはり別人だ。
そして、彼女はお前を選んだのだ、自信を持ちなさい、リオン。
まあ、私達は一卵性の双子……いや、シュネも合わせると、三つ子のようなものだね。
戦は終わったのだし、お前は自由だ、心のままに生きていいのだよ』
サマエルは優しく言った。
「……もう遅いですよ。
ぼく、シンハに、ライラの記憶を消してくれって頼んじゃったし……」
リオンはうなだれた。
『大丈夫。さっき彼に念話で相談されたから、知恵を授けておいたよ。
お前は、重大なことをし忘れて戻って来たからね』
「重大なこと?」
はっと彼は顔を上げた。
『赤ん坊の父親が何者か、周知させておくことさ』
「そ、それは……ぼくです、けど、……」
今のままでは、父親の不明な子を世継ぎにせねばならず、女王に対する家臣達の忠誠心が揺らぐ事態にもなりかねない……』
「そっか、どうしよう……」
リオンは、初めて自分のうかつさに気づき、頭を抱えた。
『そこで、私はシンハに言ったのさ。
子供の父親は賢者サマエルで、彼は
「え?」
リオンは眼を丸くした。
「何だそれは」
タナトスは眉を寄せる。
サマエルは肩をすくめた。
『もちろん、ライラ以外の者にだよ。
アンドラスの件でも私が女王を助けたことになっているし、賢者との娘が世継ぎなら、異議も出ないだろう。
そして、ライラには真実を。
賢者サマエルは魔族の血を引いていて、リオンはその生き別れの息子であると……』
「ふん。それでは、女王の記憶がないことの説明がつかんではないか」
タナトスは鼻を鳴らす。
『彼女自身が魔法で封じたか、別れが辛すぎて記憶が飛んだ、とか適当に、とシンハには言っておいたけれど。
やはり、リオンが正直に、自分が消したと告白すべきかな?』
サマエルは穏やかに問いかけた。