~紅龍の夢~

巻の七 DIES IRAE ─怒りの日─

24.龍の宿命(3)

「聞こえんのか、貴様。妃になれと言ったのだぞ」
苛立たしげに繰り返すタナトスを、ぽかんとリオンは見上げた。
「え? ……王妃様は?」
「たわけ、貴様は妾妃(しょうひ)だ」

「ショーヒ?」
彼は眼をぱちくりした。
「ち、分からんのか、側室のことだ」
その言葉に、リオンはソファから転げ落ちそうになった。
「な、何言ってんですか、王妃様に怒られますよ!」

「ふん、ケテルは元は魔族の王子だぞ。
常日頃、俺を独り占めにするのは気が引けると言っているわ」
リオンは自分の胸をたたいた。
「男ですよ、ぼくは!
女の人なら、後宮にいっぱいいるじゃないですか!」

「淫魔の相手に女も男もあるか、くそ親父は男の後宮も持っていたぞ。
それに貴様は、サマエルの若い頃と瓜二つだ……!」
タナトスは、リオンの顎に手をかけ、顔を上げさせた。
「伯父、さん……?」
声が震える。

「俺は今まで、貴様を抱きたいという衝動をずっと抑えていた。
戦が終わったら、サマエルに王位を譲るつもりでいたからな。
なのに、あのたわけめが、勝手に敵陣に突っ込み、死におった。
貴様に譲位するには若過ぎるし、家臣どもの反対も目に見えている、それで、だ」
タナトスは舌なめずりした。

「……」
リオンの背筋を、冷たい汗が流れ落ちた。
「ふ、怯えた顔もうまそうだな。
ヤツと生き写しに生まれて来たこと、運がなかったと諦めろ!」
言うなり、魔界の王は彼をソファに押さえつけ、ローブを脱がしにかかる。
「や、やめて下さい!」
彼は必死に暴れた。

「言うことを聞け、俺は空腹だ!
逆らうなら、ガキごと地下牢にぶち込むぞ!」
「そんな! 赤ちゃんが死んじゃいますよ!」
「ならば、ガキも俺が頂いてやる、ありがたく思え」
彼にのしかかったまま、タナトスはニヤリとした。

「ふ、ふざけないで下さい、アレンウォルドはぼくの……!」
「立場をわきまえろ、そもそもサマエルという後ろ盾があったからこそ、貴様も王家の一員として認められていたのだぞ。
もうヤツはおらんのに、おのれの不始末で出来たガキ共々、居候を決め込む気か、図々しい!
側室かガキを差し出すか、どうせなら両方か、さっさと選べ!」

「どれもごめんだーっ!」
リオンはタナトスをはねのけ、飛び起きた。
「逃がすか!」
「放せ!」
つかまれたローブを脱ぎ捨て、彼は辛くも淫魔の王の手から逃れた。

「待て、この穀潰(ごくつぶ)し!」
罵声(ばせい)を背中に浴びながら廊下に飛び出し、気配で我が子を捜す。
幸い、息子はすぐ隣の部屋で眠っていた。
「よかった……!」
彼は子供の頬にキスすると、揺り籠ごと移動した。

「……ふう」
着いた先は、戦勝記念公園だった。
墓石が取り払われ、芝生に覆われて闇に溶け込んでいても、彼には分かった。
雲間から覗く月明かりに白く浮かび上がる、移設されたモトの石像……その目線の先に、サマエルの眠る場所があることを。

彼はひざまずき、語りかけた。
「父さん、ぼくの息子、アレンウォルドです。ライラに似て可愛いでしょ?
真の名は、アン・ナスル・ターイル、どっちもシンハがつけてくれたんです。
でも……ね、父さん……ぼくら、魔族の中にはもう……、居場所が……」
涙がこみ上げ、彼が声を詰まらせた時、後ろから声がかかった。

「やはりここだったか。
ウィリディスからは出られんぞ、結界を張ったからな」
リオンは慌てて振り返る。声の主は、魔界王タナトスだった。
「ど、どうして……」

「貴様のことだ、サマエルに別れを告げてから逃げるだろうと思ったが、案の(じょう)だったな」
「こ、この子は渡しませんよ、ぼくも側室になる気はないし!」
リオンは叫んだ。

「甘ったれたヤツめ、嫌だ嫌だで物事は通らんぞ、ガキをよこせ!」
タナトスは怒鳴り返し、ずかずかと近づいて来る。
「やめて下さい!」
リオンが息子をかばい、タナトスともみ合いになったそのとき。

『……やれやれ、騒がしいな。死人も目を覚ますよ』
聞き慣れたその声と共に、闇の中から死霊が姿を現した。
「父さん、助けて!」
「くそ、棺桶で寝ていろ、サマエル!」

『……タナトス。また、私の子孫に無理難題を押し付けているね?』
幽霊の口調は静かだったが、ほつれた銀髪の間から覗く紅い眼は、暗い光を放っていた。
「く……! 俺はただ、……」

『私の後ろ盾を失い、肩身が狭いリオンは、自分の後宮へ……赤ん坊は養子に、か。
だが、それを強制する権利はお前にはないぞ。決めるのは、あくまでリオンだ』
サマエルは、顔にかかる髪をかき上げた。

「ち、それもこれも、血統がどうのこうと家臣どもがうるさいからだ、リオンもシュネも龍に変化出来るというのにな!」
『ふうん……それでお前、彼を追い詰めて赤ん坊を取り上げれば、ライラとよりを戻すだろうと思ったのだね?』

「え?」
リオンは朱色の眼を見開く。
タナトスは肩をすくめた。
「何のことだか」

『リオン、許してやってくれ、タナトスには悪気はないのだ。
お前のことはとても気にかけている……この通り、方向性は大いに間違っているけれどね』
「う、うるさい、うるさい! 貴様が悪いのだ、勝手に死におって、たわけめが!」
タナトスは顔を紅潮させ、怒鳴った。

「えっと……そうなんですか?」
リオンは、改めて伯父を見た。
「知るか、俺は魔界の王だぞ、貴様ごとき、女でめそめそしている男なぞ!」
魔界の王は鼻息荒く言い捨て、そっぽを向いた。

『……相変わらずだねえ。
リオン達のことも、説明する手間を惜しむから、家臣達も納得しないのだろうに』
「必要ないわ、そんなもの!
俺の話に耳を傾けた試しがないくせに、ぐだぐだ言いおって!」
『それは、お前の日頃の行いが悪いからだろう』
「何だと、貴様!」

「ちょっと待って下さい。何か言われてるんですか、ぼくら」
リオンは二人の間に割って入った。
『いや、それは……』
サマエルがためらうと、タナトスが言った。
「戦に勝利にしたことで、気が早い連中が世継ぎの話を始めているのだ。
貴様とシュネは他人の空似に過ぎん、よって資格なしとか、ほざいている」

「え、……」
リオンは返答に(きゅう)した。
『彼に話す必要は……』
「黙れ、そのうち嫌でも耳に入るわ!」
タナトスは弟をどやしつけ、続けた。
「そこで、二人の遺伝子検査を天使に依頼し、数日前にその結果が出た」

「で、ぼくらはちゃんと、父さんの血を引いてるんですよね?」
勢い込んでリオンが訊くと、魔界の王族達はちらりと眼を合わせた。
「まさか、……」
彼の顔から血の気が引く。

『いやいや、もちろん、血のつながりはあったよ。
……というか、あり過ぎたと言うべきかな』
今度はサマエルが答えた。
「何ですそれ?」

『検査の結果、私とお前の遺伝子は、ごく一部を除いてほぼ同一だったのだ。
さすがに、シュネは女性だから、性染色体は違っていたけれども』
「……それって、どういうことですか?」
「つまり、貴様らはこいつの子孫ではなく、複製ということだな」
サマエルが答える前に、タナトスが口を出した。

「ええ!? け、けど、ぼくには母がいたし、シュネにだって、両親が……」
「ふん、血のつながりなどない、育ての親かも知れんぞ?」
「じゃ、ぼくらは、神族に創られたホムンクルスってこと!?」
リオンは青くなった。

『いや、それはない。連中が創ったのなら、とっくに利用しているはずだし、お前達が人界にいたことの説明もつかないよ』
サマエルは即座に否定した。
「そ、そうですよね……」
彼は胸をなで下ろした。

『元々、私の複製は創るのがかなり難しいらしいし、性別まで変えるとなると、さらに難易度は上がる。
天界の技術とはまた別の、特殊な術が使われたのではないかと思うが』
「特殊な術?」
「そんなものがあるのか?」
タナトスは疑い深そうに尋ねた。

『私はジルと結ばれ、四人の子を(もう)けた。
ここは人界、その子孫は代を重ねるごとに人族と同化し、魔族としての特質は影を潜めていくはず……だった。
だが、もし、一旦分散した遺伝子を長い時をかけて集約させ、再構築させる術が施されていたとしたら……?』

タナトスは首をかしげた。
「そんな術、仮にあったとしても、誰が使った?
なぜ、そんな遠回りなやり方で、貴様の複製を創る必要があったのだ?」
『そう……これほど遠大な計画を、実行に移すことが出来る者と言えば……思い当たるのは、一人だけだね……』
サマエルは遠い眼をした。

「誰だ、そんな暇人」
「誰ですか?」
二人が同時に尋ね、サマエルは彼らに視線を戻した。
『アナテだよ。女神なら、膨大な時を使える。
紅龍の適合者は中々現れないし、私が失敗した場合に備え、神族に感づかれないやり方を模索した結果ではないかな』

「じゃあ……ライラはやっぱり、ぼくじゃなくて、オリジナルの父さんの方を……」
リオンは唇を噛んだ。
『それは違うよ。サリエルとリナーシタをご覧。
同じ遺伝子を持っていたところで、やはり別人だ。
そして、彼女はお前を選んだのだ、自信を持ちなさい、リオン。
まあ、私達は一卵性の双子……いや、シュネも合わせると、三つ子のようなものだね。
戦は終わったのだし、お前は自由だ、心のままに生きていいのだよ』
サマエルは優しく言った。

「……もう遅いですよ。
ぼく、シンハに、ライラの記憶を消してくれって頼んじゃったし……」
リオンはうなだれた。
『大丈夫。さっき彼に念話で相談されたから、知恵を授けておいたよ。
お前は、重大なことをし忘れて戻って来たからね』

「重大なこと?」
はっと彼は顔を上げた。
『赤ん坊の父親が何者か、周知させておくことさ』
「そ、それは……ぼくです、けど、……」

『双子を共に連れ帰ったのなら、皆の記憶を消すだけで、懐妊自体をなかったことに出来たのだがね。
今のままでは、父親の不明な子を世継ぎにせねばならず、女王に対する家臣達の忠誠心が揺らぐ事態にもなりかねない……』

「そっか、どうしよう……」
リオンは、初めて自分のうかつさに気づき、頭を抱えた。

『そこで、私はシンハに言ったのさ。
子供の父親は賢者サマエルで、彼は隠遁(いんとん)の身のため、けなげにもライラは身を引き、懐妊も知らせず、一人で産み育てることを決意した……という記憶を植え付けておいで、とね』

「え?」
リオンは眼を丸くした。
「何だそれは」
タナトスは眉を寄せる。

サマエルは肩をすくめた。
『もちろん、ライラ以外の者にだよ。
アンドラスの件でも私が女王を助けたことになっているし、賢者との娘が世継ぎなら、異議も出ないだろう。
そして、ライラには真実を。
賢者サマエルは魔族の血を引いていて、リオンはその生き別れの息子であると……』

「ふん。それでは、女王の記憶がないことの説明がつかんではないか」
タナトスは鼻を鳴らす。
『彼女自身が魔法で封じたか、別れが辛すぎて記憶が飛んだ、とか適当に、とシンハには言っておいたけれど。
やはり、リオンが正直に、自分が消したと告白すべきかな?』
サマエルは穏やかに問いかけた。