~紅龍の夢~

巻の七 DIES IRAE ─怒りの日─

24.龍の宿命(2)

その日の深夜、ライラは無事に出産した。
リオンは再び猫になり、戸口に立つ見張りを眠らせると、音もなく女王の寝室に入り込んだ。
ベビーベッドには、男女の双子の赤ん坊が眠っていた。

変身を解いてから、ミルクの匂いがする頬にキスし、一人を抱き上げた時、声がした。
「やっぱり来たわね、魔物。わたしの赤ちゃんをどうする気?」
(やばい!)
慌てて彼がフードを深くかぶり直すのと、女王が叫ぶのとは同時だった。
「誰か来て! 魔物が赤ちゃんを!」

「騒いでも誰も来ないよ、皆、眠ってる。
この子は連れて行くよ。魔族だから、人界にはいられないんだ」
リオンは、腕の中の息子を抱きしめた。

「じゃあ、お前はなぜ人界にいたの!
どうしてわたしに、子供を産ませたりしたのよ!?
卑怯よ、猫に化けたりして!」
女王は、ガウンを羽織ってベッドから降りた。

彼は、頭を下げることしか出来なかった。
「……ごめん。言い訳になるけど、ぼくは、キミと出会うまで、自分が魔物だと知らずにいたんだ。
キミを愛してしまった後で、真実を知り……生きてる世界が違うからと、別れを決めたのに……子供が出来てたなんて……。
全部ぼくの過ちだ。本当にごめん……謝っても、許してもらえないだろうけど……」

「そんな言い訳、聞きたくないわ! それより、赤ちゃんを返して!」
「言ったろ、この子は魔物なんだ。強い魔力を持ち、寿命も人間より長い。
人の世界で生きてくのは無理だ……』
「いいえ、二人共、わたしの赤ちゃんよ!」
ライラは彼に駆け寄る。

リオンは、赤ん坊の額にある、盛り上がった部分を示した。
『見て、ここには角が隠れてるんだ。
いずれ背中のコブからも、黒い羽が生えて来る……ぼくそっくりのね。
そんな子が、人界の王家で、迫害されずに生きていけると思うかい?』
彼はフードを上げて額の角を露わにし、背中の漆黒の翼を広げて見せた。
「……あ……」
女王は、彼と息子を見比べる。

次にリオンは、ベッドに残った女の子を指差した。
「でも、この子はキミに似て、何もないから大丈夫だよ。
それとね、キミの弟の事もあるし、魔族の特徴があるこっちの子を、ファイディーの民はどう思うだろう?」

「そ、それは……」
女王は言葉に詰まった。
「心配いらない、ぼく達となら、この子も普通に生きていけるから。
母親の愛情は受けられなくても、ぼくが、父親としてありったけの愛情を注ぐよ、約束する!」
リオンは深々とお辞儀をした。

そんな彼をライラは見つめ、訊いた。
「教えて。どうしてわたしは、お前のことを覚えていないの?」
「え、……」
今度はリオンが口ごもる番だった。
記憶が戻るかも知れないから、うかつなことは言えない。

「そ、その……ぼくは、魔物……しかも夢魔だ。
でも、キミは女王……相手にされなかったから……実力行使に出たんだ……キミは、酷いことされた、ショックで……記憶が飛んだんだよ、多分……」
彼の答えは歯切れが悪かった。
「本当に? こうして一緒にいると、わたし、何だか心が温かくなる気がするの。
わたし達、そんなに悪い仲ではなかったような……」

リオンは勢いよく顔を上げた。
「まさか! 酷いことされたのに、心が温かくなるなんて、あり得ないよ!
悪い仲じゃなかった、なんて、どうしてそんなこと……!」
リオンの朱色の瞳から涙があふれる。

その刹那、双子が目覚め、同時に泣き声を上げた。
「ご、ごめん、起こしちゃったね、よしよし」
彼は慌てて息子をあやした。
ライラも娘を抱き上げて母乳を飲ませ、おぼつかない手つきでおむつを替える。
大人しくなった子を、彼女はベビーベッドに戻した。

そして、リオンへ向けて手を差し伸べた。
「返して。その子にもお乳をあげなきゃ」
泣き止まない息子を抱いたまま、リオンは(かぶり)を振る。
「いらないよ。この子はもう、ぼくと行くんだから」

「そんな、お腹が空いて泣いているのに、可哀想よ。
それに、わたし、あなたが悪い魔物だなんて、とても思えない。
もう少しお話ししましょう」
「分かったよ……」
リオンは渋々、乳飲み子を女王に返した。

ほっとしたライラは我が子に頬ずりし、乳首を含ませた。
おむつも取り換え、息子を娘の隣に寝かしつける。
幸せそうな様子を見て、リオンは、赤ん坊を取り返す気が失せてしまった。

「……今日は大変だったのに、起こしちゃって、ごめんね。
キミも眠った方がいいよ」
「わたしが寝たら、この子を連れていく気ね?」
「い、いや……それは」
「あなたは正直ね。すぐ顔に出る」
「また言われたなぁ……あ」
リオンは口を押さえたが、遅かった。

「ほうら、やっぱり。初対面で無理矢理なんて、嘘でしょう?
わたし達、知り合い……いいえ、恋人同士だったのね?」
「ち、違う……」
「教えて、あなたの名前を。なぜだか思い出せないの」
「駄目だよ……」
「どうして」
「どうしてもさ……」

「わたしね、猫に変身したあなたを初めて見たとき、呼びかけようとした名前があるのよ、きっとそれが、……」
「駄目だ、思い出さないで!」
「だから、どうして?
……もしかして、わたしを捨てたの?
他に好きなひとが出来て、わたしが邪魔になって?
それで、忘れさせてしまったの?」
ライラは畳みかけるように訊いた。

「そうだよ、ぼくはキミを捨てた。
そして、ぼくのことを覚えてたら、キミが苦しむと思って……。
だから……」
「何か理由があったのね?
……あなたはまだ、わたしを愛してくれている、そうなのでしょう?」

「そうだよ、他のすべてが嘘だとしても、ぼくがキミを愛してることは本当だ、今すぐ、さらって行きたいくらいに!
……けれど、それはぼくの勝手な思い込みさ……嫌がるキミを……力尽くで自分のものにした……その結果が……」
リオンは打ちひしがれた。
元々嘘は得意ではないし、洗いざらい話してしまいたくなっていた。

「あなたが淫らな魔物だなんて思えないわ。
力に訴えなくても、難なくわたしを(とりこ)に出来るはずよ?
それに、夢魔は女性を誘惑するのが当たり前なんでしょ、なぜ、否定するの?
やはり何か、わけがあるのね。わたし、あなたのことをもっと知りたい。
忘れてしまったのなら、思い出したいの……」
彼を見つめ続けるライラの深い緑の瞳から、涙が一粒、こぼれ落ちる。

「泣かないで、ライラ。ぼくが悪いんだから。
キスしたいけど、やめておくよ……抑えられなくなるから……赤ちゃんを産んだばかりのキミに、手荒なことはしたくない……。
……さあ、ぼくの眼を見て。さよならだ、ライラ。
キミが産んだのは、女の子、一人だけだよ……」
彼は瞳に力を込め、女王の記憶を改変しようとした。

「あなたはわたしを妊娠させた……だったら今も、体のことなんかお構いなしに、無理矢理押し倒すのも平気でしょう? なぜ、そうしないの?
……やはり嘘なのね、力尽くだなんて」
「違う、……」
思わず、彼は眼を()らしてしまった。

「覚えていなくても、あなたのことが好きだったのは分かるわ。
ね、もう一度初めからやり直さない?」
「ラ、ライラ……」
彼女が差し出す白い手を、思わず、リオンは取ってしまいそうになる。

「やっぱり駄目だよ。この子はもらって行く。
ぼくは、キミに悪夢を見せに来た夢魔だ。女性の悪夢がぼくの糧……ぼくは自分の同類を増やすためだけに、キミを……」
リオンは必死の形相で、赤ん坊を抱き上げると呪文を唱えた。
「ムーヴ!」
「待って! 行かないで、──ペマウ!」
彼の名を、ライラは思い出せない。

憔悴(しょうすい)し切って、リオンはウィリディスに戻った。
不機嫌そうなタナトスの機先(きせん)を制し、シンハが口を開く。
『よりは戻さなんだのか、ヴァーミリオンよ。
我は以前、申したはず、ライラの手を決して離してはならぬと』
それには答えず、彼は暗い声で言った。
「シンハ、お願いがあるんだけど」

『何だ』
「この子を連れて来るとき、ライラに気づかれちゃってさ。
他の人達の記憶は操作したのに、彼女のは出来なくて……だから、記憶を、消して来てくれない?
ぼくはもう彼女に会えない……離したくなくなってしまうから……」

ライオンは顔をしかめた。
『それでよいのか、ヴァーミリオン。まこと、忘れられるのか。
赤子の母親を奪うことにもなるのだぞ』

「……仕方ないよ。ぼくだけじゃなく、この子も人間じゃないもの。
どっちみち、角や翼が生えたら、お城じゃ暮らせない。
それにね、子供は男と女の双子だったんだ。
女の子は、外見に魔族の特徴がなかったから置いて来た……二人共取り上げたら、ライラが可哀想だろ……」
『ふむ……』
獅子は、痛ましげに、第二王子の血を引く青年を見た。

「ほう、男子か、どれ」
興味を惹かれたタナトスは、眠っている赤ん坊の顔を覗いた。
「ふん、金髪か。ライラに似ているな」
「瞳の色も彼女と同じですよ。
……残して来た子は、銀髪に紅い眼でしたけど」

女の童( め    わらわ)はルキフェル似か。
ともあれ、()く、乳母を見つけねばなるまい。
さても、赤子の名は?』
シンハは訊いた。
「色々考えて、まだつけてないんだ。えっと、アルとかアルノとか……」

「ち、つまらん名だな」
タナトスは舌打ちした。
『アルとは(わし)を意味するゆえ、眇々(びょうびょう)たる名ではないぞ』
擁護(ようご)されたリオンは、逆に眼を丸くした。
「そうだったの、知らなかった……」

『ふむ。人界の織女と牽牛(けんぎゅう)の伝承から取ったのではないのか』
彼は首を横に振った。
「ううん、ただ、響きがいいなって。
あ、そういや、ライラは琴座って意味だったね」
「ふん。それなら娘はヴェガか?」
タナトスは鼻を鳴らす。
「……それも可愛いと思いますけど」

『ならば、アレンウォルドという名はいかがか。
鷲の力、すなわち、権力や支配力を意味するのだが』
シンハの言葉に、魔界の王はうなずいた。
「うむ、いいぞ。王家にふさわしい。後は真の名か」
『アン・ナスル・ターイルでは。飛翔する(わし)を意味するが』
「よし、それで決まりだな」
タナトスは勝手に断定する。

『ヴァーミリオン、よいのだな?』
そこで、シンハは念を押した。
「うん、両方いい名前だと思うよ、ありがとう」
久しぶりにリオンは笑顔になった。
「ところで、息子を紹介したいんだけど、シュネやサリエル達はどこに?」

『魔界へ行っておる。
実はリナーシタが体調を崩してな。元より、サリエルの寿命も短いらしいが。
それゆえ、死ぬる前に是非とも魔界を見たいと申して、シュネが付き添った』
「……そっか。心配だね。大丈夫かな」

『汝も休養を取るがよい。その間、赤子は女官に預ければよかろう』
「たしかに、くたびれた面をしているぞ、貴様。
おい、誰か!」
タナトスが女官を呼び、赤ん坊の世話を言いつける。

『我はこれより、人界へ参る』
「ライラのこと、よろしく頼みます」
リオンが頭を上げた時には、シンハの姿はもうなかった。
「……ふう」
気が抜けてソファにへたり込む彼に、魔界王が声をかける。
「リオン、俺の妃になれ」
「は?」

女の童 め‐の‐わらわ

1 おんなの子。少女。
2 そば近く召し使う少女。

眇眇(びょうびょう)たる (眇々たる、眇たる)

とても小さく、取るに足りないさま。または、遥か遠くに見えるさま。渺渺。

機先(きせん)を制する

相手より先に行動して、その計画・気勢をくじく。 「機先を征する」と書くのは誤り。

リオンの息子の名について。

真の名「アン・ナスル・ターイル」は、鷲座の一等星アルタイルのアラビア語から。
普段の名「アレンウォルド」は、古代ドイツ語 arn-wald (または arin-vald)「鷲」-「権力,支配力」で構成された名、Arnold(アーノルド)に由来。
  「さらに怪しい人名辞典」より