~紅龍の夢~

巻の七 DIES IRAE ─怒りの日─

23.天帝の罪(4)

神々は汎神殿の再建を懇願したが、タナトスは語気も荒く却下した。
「たわけ! 貴様らがお情けで生かされているのを忘れるな!
敵の象徴の復元なぞ、誰が認めるか!」

それでも、堕天使達の取り成しもあり、市街の再建は認められた。
一方、魔族達は荒野に城都を築くこととし、その過程で見つかった先祖の骨は、まとめて小高い丘に埋葬され、慰霊碑が建立された。

半月ほどして、戦後処理も一応のめどがつき、魔界王は地下牢を訪れた。
『来たね、タナトス、ご覧。
積年の恨みが晴らせて、アナテ女神様もお喜びさ』
悪霊は、薄暗い牢屋の汚れた床に這いつくばる、痩せこけた大天使を示した。
「も、もう……ひ、ひと思いに、殺し……どう、か……」
魔力封じの枷をはめられた腕を弱々しく伸ばし、ミカエルは憐れみを乞う。

「ふん、無様だな、貴様」
平素は残虐な行為を好まない魔界王も、眉一つ動かさなかった。
『お前も来たことだし、今日は趣向を変えてみよう』
サマエルは、大天使の体を魔力で浮かせ、壁に手首を固定した。
「あ、あ……ど、うか……こ、これ以上、は……!」
小刻みに震え、大天使は哀願する。

『おやおや、最初の勢いはどうした?』
魔界の王子の霊は、青白い頬に笑みを浮かべて指を鳴らし、床で気を失っていた偽天帝を魔法で浮かせ、大天使の向かいの壁に固定した。
「ち、父上、しっかりなさって下さい!」
ミカエルは叫ぶが、ゼデキアは目覚める気配もない。

死霊は、もがく天使の顔を覗き込んだ。
『ずっと観客がいなくて、張り合いがなかったね。
今日こそ、お前の恥ずかしい姿を、タナトスにしっかり見てもらおう』
「う……」
「たしかにそれは楽しみだな」
タナトスは、にやりとした。

『ご期待に添えるよう鋭意務めさせて頂きますよ、魔界王陛下』
うやうやしく、サマエルがお辞儀したとき、ゼデキアが正気づいた。
「う……余は……」
「父上!」

『ようやくお目覚めか。
ご覧、今日はタナトスもいる、念を入れて可愛がってやるからね。
悲鳴を上げ、命乞いするがいい。お前達に安息が訪れるのは、死ぬときだ……!
敵の血と苦痛と死を、アナテ女神はご嘉納(かのう)される。
ふふ、でも安心おし、今は殺さないよ。お前達の命もあと半月。処刑は皆の前で行うから、楽しみにしておいで……』

“カオスの貴公子”の幽鬼は、気味悪く赤みを帯びた唇で、にたりと笑った。
紅い魔眼に闇の炎が燃え上がり、狂気を宿して禍々しく輝く。
「ひっ!」
「く!」
震え上がり、恐怖の対象から逃れようとする囚人達を、冷たい手枷が音を立てて阻む。

魔界王もまたひやりとし、それを振り払うように頭を振った。
「気が変わった、俺にもやらせろ、やはり見るだけではつまらん。
俺とて出来のいい君主とは言えんが、こいつらは下衆の極みだ、同じ支配者として腹が立つ」
『……では、お前はゼデキアを』
「よし」
魔界王は檻に入った。

「疾く我らを解放せよ、汚らわしい悪鬼ども!」
ののしるゼデキアを無視して、サマエルは大天使に尋ねた。
『さて、どうして欲しい?』
「くっ……!」
ミカエルは唇を噛み締め、死霊は肩をすくめた。
『楽にしてほしい、か?
残念。生きていた時ならともかく、今の私に優しさなど求められてもね』

「やめろ、息子に触れるなっ!」
偽天帝の叫びを歯牙にもかけず、魔族の王子は話を続けた。
『怯えなくていい、これから私が与えるのは快感だよ……この世のものとも思えないほどの、ね。
──ヴェサーナ・ドロリ』
サマエルは、冷たい手で大天使の頬に触れ、震える青ざめた唇に唇を重ねた。

「……!?」
相手の体が反応すると、サマエルは唇を離す。
途端に、天使は苦痛に(さいな)まれ、足をばたつかせた。
「ぐあっ! 体が、体が裂けるっ!」
『……ふふ、いいだろう?』
「う、くううっ! やめ、……!」

ミカエルの抵抗も気に留めず、悪霊は、淫らな手つきで天使の体をなで回す。
さらに体を押しつけ、その首筋に舌を這わせた。
『苦痛ばかりが拷問とは限らない……そう言ったのは誰だったかな。
ふふ、お前が感じれば感じるほど、後の苦痛は大きくなるのさ』
「あ、ああっ……うあっ!」
相手の肉体が反応すると、淫魔はすっと離れ、天使は再び激しい苦痛に身をよじらせた。

「いいザマだな、くそ天使。
おい、こっちも見てみろ、この間抜け面を。ひげを剃り落としてやった」
サマエルは、兄の獲物へ視線を移した。
『ぷっ、これはこれは。天界の王の威厳も形無しだね』

「くっ……邪悪な蛇どもめが、地獄へ堕ちよ!」
ひげがない分、外見がかなり若くなったホムンクルスは、魔物達を睨みつけた。
「ふん、負け犬の遠吠えなど、益体(やくたい)もない。
次は……そうだな、丸坊主というのはどうだ」
『面白いね。こういう連中には拷問と同じくらい効くと思うよ、どうせなら、一緒に』

「よせ!」
偽天帝が叫んだときには、捕虜達の頭は両方共、見事に剃り上げられていた。
「はっはっは!」
『あーははは!』
揃って顔をのけぞらせ、魔界の王族達は大笑いをした。

散々笑った後、タナトスは言った。
「くっくっく、笑いすぎて腹が痛いわ。
そうだ、これを記録に残し、皆にも見せてやろう。
この笑える姿を見れば、多少の不満など吹き飛ぶぞ」

『そうだね。私も、最近はずっと暗闇に潜んでばかりいたから、すっとしたよ。
さて、これから、腕によりをかけいたぶってやるとしよう。
こいつらときたら、私の服を剥ぎ取って光の檻に放り込んだのだよ、その上……』
「言わんでいい、アスベエルの心を読んだ」
タナトスは鼻にしわを寄せた。

『そう。……まあ、返り討ちにしてやったけれどね。
そのせいで、こいつは、私に感じやすくなっているのさ……こんなにもね』
サマエルは、天使の汚れたローブを脱がせながら、喉元から徐々に下に向け、舌と唇、指を使って煽り立てて行った。
「や、やめ……あ、はぁ……あ、ああッ……!」
天使の肉体は、淫らな刺激にどうしようもなく反応し、息遣いが早くなる。

そうして魔物が体を離すと、またも耐えがたい苦痛が、つま先から脳天に向かって突き上げ、ミカエルは苦悶の表情を浮かべて身をよじった。
「ぐわああっ! か、体が、引き裂かれる! た、助けてくれ!」
『おやおや、情けないねぇ、かつて天使の長になったほどの男が、そんな悲鳴など上げて。
次はどこにしようか。ここか?』
「ああ……やめろ、やめ、……」
再び、大天使の息は荒くなっていく。

「息子より離れよ! この、悪鬼、羅刹(らせつ)めが!」
かつて天界の支配者だった男に出来るのは、自分と息子を捕らえている相手をののしることだけだった。
しかし、サマエルは、もう周りの雑音に注意を払うことはなくなっていた。
『一番感じやすいところを、じっくりと責めてみようか? 
長く深く快感を与えられた後は、苦痛も長引くのだよ……それとも、短く繰り返す方がいいかな?』

「ど、どっちもごめんだ、早く殺せっ!」
ミカエルはじたばたするも、縛めが解かれるわけはない。
『わがままだな、選択肢を与えてやったのに。
まあいいか、続けよう。
素敵だろう? 地獄の苦悶と天国の快楽とを、交互に味わえるのだから』
「く……ああ、父上、お助け下さいっ……!」
ミカエルは、ゼデキアに助けを求めた。

「ミカエル! やめよ、サマエル! 汚い淫魔め──うぐうっ!」
途端に、魔界王の拳が顔に飛び、偽天帝はうめき声を上げた。
「弟を呼び捨てにしていいのは、俺と叔母上と妃達だけだ、この無礼者め!」
そして、タナトスは、ゼデキアが失神するまで殴打し続けた。
ミカエルも、強制的に天国と地獄を往復させられたあげく、意識を失った。

『何だ、もうおしまいか、惰弱(だじゃく)な。
魔族の女性だって、もう少し耐えられると思うのに』
サマエルは魔法で水を呼び出し、捕虜達に浴びせかけた。
「うっ、ゲホ、ゲホッ!」
ミカエルだけが意識を取り戻し、タナトスは偽天帝を足蹴にしたが、ぴくりともしない。
「何だ、つまらん」

『そいつは結構、年寄りだからねぇ。
フレイアも捕虜に出来たらもっと楽しめたのに、惜しかったね』
「ふん、あの女か。
顔はともかく、もう少し熟してからでないと、喰いでがなかろう」
「貴様……フレイアに、手を出したのか?」
ミカエルは悔しげに訊いた。サマエルは首を横に振った。

『いや、私は基本的に、初物には手をつけないことにしている。
例外は三人のみ……妻にと望んだ女性だけだ。
乙女に一角獣は従うのさ……それに、フレイアはアスベエルのものだからね』
「綺麗事を! 薄汚い淫魔の分際で!」
ミカエルは吐き捨てる。

幽霊は冷ややかな顔になる。
『見境のないお前にだけは言われたくないぞ。
そんな悪態がつく元気があるなら、もっとひどくしてあげようか』
サマエルは、天使の裸体に腕を回し、耳元に息を吹きかけた。

「あ、よ、よせ、やめ、ろ……」
嫌がりながらも、ミカエルの息は上がり、どうしようもなく体はほてる。
サマエルはにやりとし、天使の最も感じやすい場所をもてあそび始めた。「やめろ、ああっ、嫌だ……はぁ……あ、ああ、あああ……!」
哀れな獲物の肉体は、淫らな攻撃に耐え切れず、快感に酔いしれてゆく。
『ふ、いい声で()くね。
そう、憎まれ口などたたかずに、大人しくし玩具にされていればいい……淫魔の王子に抱かれる悦びを、心ゆくまで味わい尽くすがいいよ……』
魔物の幽霊は、舌なめずりしながら、猫が獲物をもてあそぶように、あらゆる手練手管を使って大天使をいたぶり、責め苛んだ。

「あああ、い、嫌……はぁ、駄目、はぁ……も、もう……やめ……あ、ああ、はぅあ、ああ、あん、ああん……!」
そうして、犠牲者がもうすぐ上り詰めるという寸前で体を離す。
刹那、ミカエルの体には、中と外から幾千幾万の針を打ち込まれるような激痛が走るのだった。

「ぐわああ! くう、ああっ、た、助け……助けてくれっ……く、苦しい、痛、死ぬ、死んでしまうぅ……!」
のたうつ、苦悶に満ちた大天使の顔を覗き込み、魔物はにっこりした。
『いい表情、いい声だ……褒美に、もっともっと、ひどくしてやろう』
「嫌だ、許して、くれ、もう嫌だ、殺してくれ……ううう……!」

泣いて懇願する天使の言葉に耳も貸さず、冷酷なインキュバスは、その肉体をまさぐり続けた。
『くく。ご覧、体は正直だ。もっと欲しいと言っているぞ?』
「あああっ、いっそ八つ裂きにしてくれ!
ひ、火あぶりでもいい、今すぐ殺せ……!」

『それは駄目。犠牲者が甘美な痛苦にあえぎ、身悶え、堕ちてゆく……最近は、ちっとも目にする機会がなくて、飢えていたのだよ、私は。
私をご所望の女神もいて、少しは解消出来たけれど……この際、男でもいいと思っている自分が哀しいね』

「哀しーのはこっちだぜ、まったく」
突然、少女めいた声がして、サマエルはぎくりとした。
全員が眼をやると、小柄な少年が闇の中に立ち、紅い瞳を燃え上がらせていた。

益体(やくたい)もない

何の役にも立たない。つまらない。また,とんでもない。

だじゃく【惰弱/懦弱】

1 気持ちに張りがなく、だらけていること。意気地のないこと。
 また、そのさま。柔弱。
2 勢力や体力などが弱いこと。また、そのさま。