~紅龍の夢~

巻の七 DIES IRAE ─怒りの日─

23.天帝の罪(3)

タナトスは、居並ぶ神々をじろりと見た。
「女神達は戦利品だが、男どもはいらん、魔界へ送致して、……」
「お待ち下さい、タナトス陛下!」
フレイアは、必死の面持ちで話に割り込んだ。

「た、たしかに天界と魔界は長年敵対して来ました、それも、元はと言えば、わたくし達の先祖が、この星を奪ったことに起因していることは、存じ上げておりますわ。
それに関しましては、幾重にもお詫び申し上げます」
彼女は深々と頭を下げ、神々や天使達もそれに倣った。
「く、安っぽい謝罪一つで、貴様らの罪を帳消しにしろと言うのか!」
魔界の王は女神を睨みつけた。

フレイアは(かぶり)を振った。
「いえ、簡単に消せるほど、軽い罪だとは思っておりません。
ですが、情状酌量(じょうじょうしゃくりょう)の余地は残されているのではないでしょうか……わたくし達も騙されていたのですから、この男に」
彼女は、気絶した天帝のホムンクルスを示す。

「そうですよ、タナトス様。
もし、こいつに彼女の祖父母や両親が殺されてなければ、とっくに和平が実現して、今回の戦での犠牲者も、出なくて済んだかも知れませんし」
アスベエルも口を添える。
「ふん、今の今まで君主が偽者と気づかずにいたなど、貴様らが間抜けなだけだろうが!」
タナトスは軽蔑しきった顔をした。

『まあ、そう言うな、タナトス』
間に割って入ったのはサマエルだった。
『フレイア、心配しなくていい、我らは神々を処刑する気はないよ。
魔界に連れて行き、住まわせる考えでいた……魔族がどんな過酷な環境で生き延びて来たか、それを知らしめるためにね』
「まあ、何て慈悲深い……」

「そんな、サマエル様、甘すぎます!」
女神の感謝の言葉をかき消すように、声が上がる。
それを皮切りにして、不服を申し立てる者が相次いだ。
「そうです、ご再考を!」
「今まで受けてきた仕打ちを、お忘れになったのですか!」
「タナトス様も、何か仰って下さい!」

「うるさい、黙れ!」
タナトスが一喝し、周囲が静まると、何事もなかったかのように、サマエルは続けた。
『ところで、褒章(ほうしょう)としての女神の分配法について、私から提案があるのだが。
彼女達自身に、魔族の中から伴侶を選ばせる、というのはどうかな?
そして、最低五年は婚姻を継続、どうしてもうまくいかない場合に限り離婚も許すが、次の相手も魔族から探す、というのは』

「むう……だが、男にも好みがあろうし、あぶれた男はどうするのだ」
『ホムンクルスを与えればいいさ……元々神族の女性は、天使を含めても数が少なすぎるしね。
複製には気の毒だが、選択の自由はやれないということで』
タナトスは肩をすくめた。
「ふむ、そういうことなら……」

『……と、ここまでは、前から考えていたのだが。
この条件を、神族の男にも当てはめたらどうかと思ってね』
サマエルはにっこりした。
「何ぃ、ふざけるな! 女ならともかく、男まで甘やかしてどうする!
罪は償わせねばならんのだぞ!」
タナトスは眉間にしわを寄せ、叫ぶ。

『それはそうだが、魔族の女性達にも褒章が必要だろう?
神々の求婚に女性が応じた場合のみ、婚姻が成立することにしたらいい、あぶれた神々は魔界に封じる……天使達も同様。
こうすれば、種族間の混血も早く進むと思うよ。どうかな、タナトス』
そして、サマエルは念話に切り替えた。

“こう言っておけば、神族に恩が売れるし、フレイアの顔も立てられる。
心配ない、天使達はともかく、神々は年寄りばかりだ。指名される者なんて、ごくごく一部さ。
女神達だって、自分で選んだと思えば不満も抑えられ、結果、婚姻が長続きして、子供も生まれやすくなるはずだ。
……とは言え、魔界王はお前だし、取り入れるかどうかはお前次第だがね”
「ふん……」
タナトスは考えるふりをし、魔族達はざわついたが、王自身と第二王子が周囲を睥睨(へいげい)すると、静かになった。

一呼吸置いて、魔界の君主は、意識のないホムンクルスの背中を踏みつけて宣言した。
「よかろう、だが、この偽天帝とミカエルは断固処刑するぞ、文句はあるまいな!」
「もちろんですわ、ありがとうございます」
「ありがとうございます」
フレイアとアスベエルを始めとした神族は一斉に礼を述べ、深々とお辞儀をした。

『ふう。これでようやく、我らは故郷ウィリディスに帰って来れた、そう実感出来るな……』
感慨深げにサマエルは言い、あちこちから同意の声が漏れる。
『ところで、フレイア。サリエルの話は真実だったろう?』
「左様でございますわね……」
女神はうなだれ、眼にハンカチを押し当てた。

「よし、後はこいつの首を……」
剣の柄に手を置いた兄を、サマエルは制した。
『いや、お待ち、タナトス。
魔界にいる者達も処刑は見たいだろうし、戦の勝利を知らせるのが先だよ』
「むう、そうだな」

『雑事は明日以降に回して、今は休もう。
皆、今夜は、戦勝祝いの宴だ!』
マエルが宣言する。
魔族が上げる歓声の中、ウィルディスの太陽は沈んでいき、美しい夕焼けが空を(いろど)った。

翌日の会議で、偽天帝とミカエルの処刑は一月後に決まり、サマエルが看守を買って出た。
疲れを知らない幽霊に終日監視されては、脱走も不可能……。
杭に縛りつけられ、口もふさがれた元天使長と偽天帝は、ただ絶望の眼差しを交わし合うだけだった。

『ふふ、これから一ヶ月、ゆっくりと楽しませてもらおう。
殺してくれと哀願するお前の顔を想像すると、今から興奮が抑えられないよ』
青ざめる大天使に注がれる死霊の眼差しは、舌なめずりしながら獲物を見る蛇のそれだった。

その後、フレイアが、自分の手で偽者を処刑すると言い出したときには、皆が驚き、アスベエルも慌てた。
「フ、フレイア様、それはさすがに……」

「だって、ひいお祖父様だと信じていたのに、あいつは偽者で……それだけだけならまだしも、一族の仇だったのよ……!
皆がお墓の中でどんなに情けない思いをしていたかと思うと、悲しくて悔しくて、居ても立ってもいられないの……!」

そう言うと、女神は魔界の君主に懇願した。
「タナトス陛下、どうぞ、わたくしにけじめを付けさせて下さいませ……!」
『譲っておやりよ、タナトス。お前はミカエルをやればいい』
青ざめた死人の唇には薄笑いが貼り付き、口調も穏やかだったが、その紅い眼には、温かみはまったく宿っていなかった。

背筋がぞくりとするのを感じながら、タナトスは答えた。
「ち……俺が首を()ねてやりたかったが、まあいい。偽ゼデキアは譲ってやる」
「ありがとうございます!」
フレイアは何も気づかず、再び礼をする。
その胸元には、金で粧飾(しょうしょく)された紅い宝石……ブリーシンガメンが、悪霊の瞳の冷酷な輝きに呼応するように、邪悪な光を放っていた。

じょうじょう-しゃくりょう【情状酌量】

裁判官などが諸事情を考慮して、刑罰を軽くすること。
また、一般にも過失をとがめたり、懲罰したりするときに、同情すべき点など諸事情を考慮することをいう。
「情状」は実際の事情や状態。刑事手続きで訴追を行うかどうかや、量刑に影響を及ぼすべきすべての事情。
「酌量」はくみはかる。事情をくみ取って、同情のある扱いをすること。  出典:新明解四字熟語辞典

しょうしょく【粧飾】

美しくよそおうこと。飾ること。装飾。 出典:デジタル大辞泉