23.天帝の罪(2)
「この影武者め、本体はどこにいる!」
ざわめきの中、タナトスは、ついさっきまで天帝と思われていた男の襟首をつかみ、吊るし上げた。
「は、放せ……、余は本物じゃ、影武者などでは……」
ゼデキアそっくりの男は、額から滝のように汗を流し、弱々しくもがく。
「何と、替え玉だったとは」
「初耳だ……」
「わたしもです」
「初めて知りましたわ」
ラファエルを始めとした七大天使のホムンクルス達は口々に言った。
ウリエルαは、男の顔をじろじろと眺め回した。
「わたしも初耳だな。
ふむ……それでも、ここまでそっくりなら、複製か、こやつは」
「やっと捕まえたのに……でも、いつ、すり替わったんだろう? 全然気づかなかった」
「「僕も……」」
困惑するアスベエルとサリエル達、だが、それ以上に動揺していたのは、フレイアだった。
彼女は、震える指で、ついさっきまで天帝……曽祖父だと信じ込んでいた老人を差した。
「影武者……複製ですって!?
じゃ、じゃあ、本物のひいお祖父様はどうしたの、どこ!?」
「フ、フレイア、悪霊ごときの
声を振り絞る男の、ゼデキアにそっくりな顔を、タナトスはひっぱたいた。
「うるさい、黙れ! 死にたくなければ、本体の居場所を吐け!」
『それは無理だよ、タナトス。本物は、すでにこの世に存在していない』
サマエルが静かに言った。
「何だとっ!?」
「ええっ!?」
フレイアは真っ青になった。
『ウリエルの言う通り、こいつはゼデキアの複製だが、影武者や替え玉という表現は正しくないな。
本物がいない現在、こいつこそが天帝なのだから。
そして、すり替わったのは、フレイア、キミの祖父の時代さ』
「そ、そんな昔から!?」
女神は眼を丸くする。
『そう。複製は本物と見分けがつかないはずだったが、息子であるキミの祖父は感づいた。殺されたのは、それも理由の一つだよ。
その後、万が一にも見破られないよう、古参の神を遠ざけて来たのだ。
本物のゼデキアは、霊廟の奥深く、名前のない棺に葬られている。
後で探してみるといい、それがキミの本当の曽祖父だ』
「ああ……ひいお祖父様……」
フレイアは顔を手で覆った。
「何ということだ、我らは長年、
叫んだのは、火の神ヤヴィシュタだった。
他の神々の間からも、驚きと怒りの声が上がっている。
「すべて
かすれ声で、老人は叫んだ。
サマエルの瞳が、すっと細くなる。
『……本当にそうかな?
神族の寿命は魔族とほぼ同じ、そしてお前は、公称二十万歳余だったな。
通常の二倍だよ? いくら長寿でも、さすがに不自然だろう』
「ふん、何かよからぬこと……くそベルフェゴールのように黒魔術でも使っておらん限りはな」
タナトスが口を挟む。
『……ふふ、神々の長たる者が、黒魔術など使ういわれもないさ。
ゼデキアの子は六人、末子であるフレイアの祖父以外は、死産もしくは早世した。
当時、すでに八万歳だったゼデキアは、将来を案じておのれの複製を創ったが、こいつは本体に反旗を
「人聞きの悪い!
い、いや、余は天帝ゼデキア、
『──ディスイリュージョン!』
そのとき、業を煮やしたようにサマエルが唱えた。
「……!」
ゼデキアが声なき叫びを上げた刹那、計り知れないほど年を取った老人の姿は、劇的に変化した。
灰色の髪や眼はそのままに、深いしわや老人性のシミは消え去り、背筋もしゃんと延びて、ミカエルより少し年上……人間で言えば、四十代半ばくらいになったのだ。
「ふん、これが、こいつの真の姿か」
タナトスが言い、サマエルはうなずく。
『ゼデキアは、かなり若い状態の複製を創った……だが、見た目瓜二つで記憶を共有していても、こいつは、オリジナルとは違った考えを持っていた。
そして、意に逆らう者達を、次々消して行ったのだ。
フレイア、火の神が言った通り、こいつは一族の仇、キミや神々……すべての神族を騙し続けて来た極悪人、なのだよ』
「……何てこと……何てことなの……」
顔面蒼白の女神は、そう繰り返すことしか出来なかった。
「ち、違う、フレイア、これは、こやつの
「いいえ、違わないわ! サマエルが唱えたのは解呪の呪文だったじゃない、わたくし、ちゃんと聞いたわ!
つまり、その姿が真実ということよ、やっぱり偽者なのだわ!
お前が、わたしから家族を奪ったのね、この人殺し!」
フレイアの瞳から涙があふれ出し、アスベエルは慰める言葉も見つからず、彼女をぎゅっと抱きしめることしか出来なかった。
「い、いや、それは誤解じゃ、フレイア、そちは、間違いなく余のひ孫……」
ゼデキアの弱々しい抗弁を、女神は聞いている風もない。
「……そうよ、わたし、不思議に思っていたわ、両親のことは。
流行り病で亡くなったなんて。
だって、この天界に、治癒出来ない病やケガはないって聞かされて来たもの。
そう言うことだったのね、お前、ひいお祖父様の振りをして……嘘つき!」
フレイアは、涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、複製を睨みつけた。
「違うのじゃ、フレイア、こ、これには訳が……、聞くのじゃ、余の話を!
我はゼデキアを殺してなど……我が殺したのは、そちの両親のみで……!」
天帝の複製は、必至の形相で言い訳をしようとする。
「何ですって! やはりお前は両親の仇なのね!」
「あ、いや、そ、それは……」
「黙れ!」
タナトスは拳を振り上げたが、サマエルの眼差しに合うと、頬を膨らませながらも腕を下ろした。
『諦めるのだな、ホムンクルス。
私はお前の夢にもぐり込み、心をあますところなく観察させてもらった……数百億年にも渡る、代々の天帝達の記憶もな。
神族の壮大な歴史の大パノラマも、わずかに残っている私の正気は、
……やはり、お前達は悪魔だ。
遙かなる太古、失策から故郷を失い放浪の民となって、行く先々の生命体を滅ぼしては星を奪い、住めなくなると破壊する、それを繰り返して来たのだから……』
「く、悪魔とは何たる言いがかり、我らは神じゃ。
そちら下劣な魔物どもに、神の壮大な計画など理解できようはずもないがな。
争いで破壊される世界を見て来た我らは、理想の王国を築いたのじゃ、飢えも貧困もない、平和な理想郷を……!」
『ふ、笑止な。天帝一族という狼の群れ、そのための理想郷だろう。
他の者は強制された平和のために、搾取されるだけの家畜に落ちぶれている。
カオスの闇を司る魔界女神アナテは、お前の醜悪で汚れた魂をいたく気に入られ、
メネ・メネ・テケル・ウ・パルシン……今こそ
息子共々、その魂に見合った醜い死をくれてやる』
サマエルは、兄に合図を送った。
「よし!」
「ま、待て、……」
待ちかねていたタナトスは、ホムンクルスのみぞおちに、思い切り拳をめり込ませた。
「うう……!」
一声唸り、天帝の偽者は気絶した。
ぶこく【誣告】
《「ふこく」とも》故意に事実を偽って告げること。