~紅龍の夢~

巻の七 DIES IRAE ─怒りの日─

23.天帝の罪(1)

『実は、ゼデキアには余罪があるのだよ。神族、すべてに見限られてしまうような、ね』
サマエルは、凄艷(せいえん)な笑みを浮かべた。
「で、でたらめを申すな、この悪霊め!
余は、や、やましいことなど……!」
そう言いつつもゼデキアの眼は泳ぎ、声も震るえていた。

『まずは外に出よう。さ、ゼデキアを捕らえて』
死霊は、にこやかに手を振った。
「や、やめよ……!」
後ずさるゼデキアに、天使達が飛びかかっていく。
アスベエルが加勢しようとしたときには、ゼデキアは魔力封じの首輪をはめられ、太い縄でがんじがらめにされてしまっていた。

「うぬ! その方ら、恩義を忘れたか、この恥知らずどもめが!」
こうなると、さすがの天帝も、悪態をつくのが関の山だった。
『往生際が悪いな、諦めろ。俺達は、ミカエルも捕らえているのだぞ』
タナトスの声に、ゼデキアは、はっと顔を上げた。

画面の向こうには、同様に縛り上げられ、さるぐつわを噛まされた、元天使長の姿があった。
「ミ、ミカエル!」
父帝の叫びを聞いたミカエルは、必死の形相でもがくも、唸り声が漏れるだけだった。

『ふふ、哀れだな、天界の権力者も落ちぶれたものだ。
さあ、行こう、皆』
サマエルが促し、天使達は出口に向かったが、フレイアは、不安そうにアスベエルを見た。
「だ、大丈夫よね……?」
しがみつく手にも力がこもる。
「もちろんですよ、必ず俺がお守りしますから」
アスベエルは、安心させるようにうなずいて見せた。

「そうですよ、僕らもついてます」
サリエルも言った。
『心配いらないよ、フレイア。
タナトス。彼に植え込んでいたメッセージを聞いたろう?』
サマエルは、画面に映る兄に念を押す。

『ああ、聞いた。
約束は守るぞ、アスベエル。魔界の王は俺だ、誰にも文句は言わせん。
それより、さっさと出て来い、早くゼデキアの面を拝ませろ!』
タナトスは苛々と叫ぶ。

『分かったよ、行こう、皆』
サマエルは促す。
元天帝を引っ立てたウリエルを先頭に、彼らが脱出艇から出ると、どよめきが起きた。
魔族の怒号が飛び、石を投げつける者もいて、タナトスが静めようとしたとき。

『静かに。皆、落ち着いて』
黒衣の死霊が最後に現れて、人々は静まり返った。
昼日中だというのに、辺りが急に薄暗くなり、気温さえ何度か下がったように感じられた。
虚空に漂う弟を見上げ、魔界の王は悲しげにつぶやく。
「……貴様、霊体か……。やはり、本当に死んだのだな」

『済まない……死の誘惑に、打ち勝つことが出来なかった……。
地獄に落ちる前に、一目だけでもシンハに会いたかったけれど……嫌われてしまったね……。
約束を守れなかった……』
死んだ王子はうなだれた。

「違うの、彼はここにいますよ、サマエル父さん」
タナトスの陰から現れたシュネは、大人の拳二つ分もある、巨大な紅い宝石を大切そうに抱き締めていた。
「シンハは、汎神殿の爆発から逃げ遅れた人達を、結界を張って守ったんです。
その後で、ケガした人も大勢治したから、力を使い果たしちゃって……」
「敵味方関係なく、全員助けてくれたんですよ、彼」
リオンも付け加えた。

『そうか……』
サマエルは、魔界の至宝を覗き込もうとして、やめた。
記録されている二人の思い出を眼にすることは、今の彼には辛すぎた。
代わりに、ひんやりとした深紅の結晶面に触れ、眼を閉じた。

『……済まないね、“焔の眸”。
兄上、シュネ、リオン……そして、皆にも謝らなくては……』
幽霊は改めて頭を下げた。
陶器のように滑らかな、死してなお美しい顔、乱れた銀水晶の髪はその動きに合わせ、青白い燐光を周囲に振りまく。
鮮血を塗りつけたようだった唇は色褪(いろあ)せ、瞳の光も今はかすんで、闇に閉ざされつつあった。

やはり第二王子は亡くなっていたという事実に、魔族達は打ちのめされ、シュネやリオンは涙ぐむ。
タナトスでさえ、唇を噛み締めて何も言えずにいた。

そのとき、火の神がゆっくりと進み出た。
「魔族の方々。お取り込み中、申し訳ないが、天帝……、いや、ゼデキア殿と話をさせて頂きたい。
いかに逆らったとて、ご子息、お孫様までを(あや)めたというのは……、どうも我にはまだ、合点がゆきませぬでな」
しかし、虜囚(りょしゅう)に落ちぶれた天帝は答えず、そっぽを向いた。

「そういえば、サマエル。こいつには余罪があるとか言っていたな?」
兄の問いかけに、第二王子は我に返った。
『あ……、ああ、そうだ。
ゼデキアは、自分の(たくら)みや秘密が明るみに出れば、天帝の位から引きずり降ろされ、処刑されると分かっていた……だからこそ、フレイアの祖父母や両親、そして、マトゥタも殺してしまったのだよ』

「ええっ!?」
「母上も!?」
リナーシタとサリエルは眼を丸くした。
「その秘密って、一体何なのですか!?」
勢い込んで、フレイアは身を乗り出す。
『……少し長くなるが、いいかな』
「はい、もちろんです」
心から聞きたがっている女神と対象的に、ゼデキアはふてくされ、横を向いたままでいた。

『……では。知っての通り、神族は、進化の袋小路に入り込んでしまっていた。
それを助長したのが、厳格な身分制度だ。
大天使しか婚姻の自由はなく、女神との子も神に列せられることはない……人族の女性との間にも子は生まれず、このままでは滅亡は避けられない。
そこでゼデキアは、子供の不要な社会を構築しようと考えた……』

「年寄りだけの社会だと!? いずれ皆、年老いて死ぬだろうに、」
タナトスの話の途中で、アスベエルは気づいた。
「そうか! 神々を全員、複製にする気なんだ!
前に、神々の複製を創ることを提案したら、もう出来てるって言われて、やけに手回しがいいなと思ったんですよ!」
それを聞いた神々の間に、ざわめきが広がる。

『さすが頭の回転が速いね、アスベエル。
死んだら順に複製と取り替えて、社会を維持していけばいいと考えたのさ、この男は』
かつての天帝を、サマエルは指差す。
「ふん、いかにも老害が好みそうな、つまらん社会だな!」
タナトスがののしっても、ゼデキアは沈黙を守り続けた。

『……まったくだね。
フレイアの祖父母は、今は背に腹は代えられないが、自然に逆らう行為ゆえ、子孫を残すための研究は続けるべきだと主張した。
だが、ゼデキアは一蹴し、複製には虫を植えると決め、反対した二人を殺し、病で死んだと偽った。
何も知らずにいたフレイアの両親は、非人道的な人体実験を見かねて意見したゆえに殺され……そして、マトゥタは、神々の複製化計画を知ってしまったために……』

「何てこと……!」
これには、フレイアだけでなく、神族達全員が絶句してしまった。
魔族達も眉をひそめ、あきれと侮蔑(ぶべつ)が入り混じったののしり声が、あちこちから上がる。

少しして驚愕から覚めると、フレイアは曽祖父に詰め寄った。
「ひいお祖父様、今の話、本当なのですか!? ひどいわ!」
『すべて真実さ、フレイア。
そして、そんな非道なことが出来たのは、この男が、ゼデキアではなく、真っ赤な偽者だからなのだよ』
黙秘を続ける男の代わりに答えたのは、青白い死霊だった。