~紅龍の夢~

巻の七 DIES IRAE ─怒りの日─

22.戦の帰結(6)

「な、何をしておる、その方ら!
疾くリピーダを捕らえ、死霊を追い払うのじゃ!」
ゼデキアが叫ぶのと時を同じくして、サマエルがさっと手を上げた。
『お前達、もう猫をかぶる必要はない!
今こそ解放の時だ!』

「こ、これは……何としたこと……!?」
ゼデキアは色を失った。
魔物の号令一下、天使達の汚れなき翼が、闇に覆い尽くされたのだから。
純白の翼を持つのは、今や、天帝たる自分とその曾孫、そして、死んだ息子に瓜二つの大天使、アスベエルだけだった。

「え、これ、どういうこと? アスベエル……」
フレイアは、すがるような眼差しで、彼を見つめる。
「よしよし、アスベエルよ、裏切り者どもを成敗するのじゃ!」
ひ孫に便乗し、ゼデキアは命じる。

「いいえ、俺も命令には従いません!
フレイア様をミカエルの妻になんて、絶対させない!」
一気にまくし立て、アスベエルも自分の翼を黒く染めた。
「え……!?」
女神は眼を丸くし、天帝は歯噛みした。
「く……正気か! 彼奴(きゃつ)らに捕まれば、フレイアも処刑されるのじゃぞ!」

「いいえ、俺がお守りします、そういう約束になってるんです!」
アスベエルは、やけくそ気味に言い返す。
『そうとも、私達は約束を守るよ、どこぞの君主と違ってね』
サマエルはにっこりした。

「……く、夢魔に(たぶら)かされおって。
見よ、フレイア、アスベエルは反逆者じゃ!
敵に寝返った大逆人めに、そちはついて行くつもりか!?」
「……ひいお祖父様……」
詰問されて女神はためらい、唯一の血縁と、最愛の人とを交互に見た。

『フレイア。キミの迷いも分かるが、いくら曽祖父でも、こんな頑迷固陋(がんめいころう)な老人に従っていては、この先、いいことはないよ。
ほら、勇気を出して。恋しい人と、添い遂げたくないのかい?』
サマエルは、アスベエルを手で示した。

「騙されるな、フレイア、アスベエルもじゃ!
悪魔めが約束など守ろうはずがない! 退け、悪霊!」
天帝は、勢いよく十字を切る。

「いいえ、父上は、嘘なんてつきません!」
「フレイア様、アスベエル、父上を信じて下さい!」
サリエル達は叫んだ。
「もちろんさ。フレイア様も、俺を信じて下さいますよね?」
アスベエルは、女神に向かって手を伸ばす。

「……ええ」
少しためらったものの、彼女は、ついに恋人の手を取った。
「ええい、たわけ者どもめ!
何ゆえ逆らうのじゃ!
余が示す道をゆけば、永久(とわ)に幸福な人生を送れるのじゃぞ!」
天帝は、激昂(げっこう)して声を(あら)らげた。

「そんな人生、御免こうむりますわ、ひいお祖父様。
他人に決められる生活なんて、まっぴらです。
わたくしは、自分の足で、自由な道を歩いて行きとうございます」
女神は、きっぱりと言い切った。

「く……そちの物言いは、スプリウスそっくりじゃな!
かような事態になると分かっておったら、早々に虫を埋め込んでやったものを!」
ゼデキアは、ミカエルそっくりに地団駄を踏んだ。
「ええっ!?」
フレイアは耳を疑った。

『ふ、ついに本音が出たな、ゼデキア。
永久の安息についた子を蘇らせてまで利用する非情な親、それがお前の正体だ。
可愛がるのは従順な間だけ。ひ孫さえも、まるっきり愛玩動物扱いだ』

「そ、そんなわけ……」
女神は首を横に振る。
「ふん、死んだ子孫どもは皆、出来損ないじゃったわ。
余が天界のため粉骨砕身(ふんこつさいしん)、政務を執り行っておるというに、自由だの権利だのと、下らぬことを言い立ておってな!」
天帝は吐き捨てた。

『だから、抹殺したのか? フレイアの祖父、そして両親までを』
サマエルの声は冷ややかだった。
「何ですってぇ!?」
女神の声は上ずり、天界人達は全員、凍りついたようにゼデキアを見た。

「何を申すか。皆、流行り病で死んだわ」
平然と答える天帝に、アスベエルは訊かずにはいられなかった。
「ほ、本当に殺したんですか!?
いくら言うこと聞かないからって、血を分けた息子や孫を!?」

そのとき、リピーダが言葉を挟んで来た。
「つまり、天帝様は、わたしだけでなく、フレイア様の仇でもあるのですわね」
「え……?」
はっとして、フレイアは女天使に視線を移す。
「スプリウス様の主治医だったわたしの父は、真実を知ったために口を封じられたのですわ、天帝様、いいえ、この男、ゼデキアに!」
リピーダは、すんなりとした指を、老君主に突きつけた。

「何のことか……」
「とぼけても無駄! 証拠があるわ、父の遺書がね!
責任を感じて、自害したなんて大嘘!
仇を取るため、わたしは、今まで従順な振りをしていたのよ!」

『私も、彼女から助力を請われて驚いたよ。まあ、こちらにとっても好都合だったが。
気の毒にね、フレイア。
ゼデキアの夢を探ったから、真実だと自信を持って言えるが』
サマエルは肩をすくめる。

「ふん、魔法医めも、事実を公表するなどと言い立ておって。
余に逆らう者など不要、それゆえ成敗致した、何が仇か、笑止千万じゃ!」
ごまかし切れないと悟ったか、ゼデキアは開き直った。
「じゃ、じゃあ、ひいお祖父様、ほ、本当に……!?」
呆然とする女神の顔は、血の気がなかった。

「息子は、ことごとく余に逆らいおった。
政務にあれこれと口出し、余の裁定を覆すことすらあり、ついには譲位を迫ったがゆえ、病死させたのじゃ。
同じ(てつ)は踏むまいと、孫には幼少の(みぎり)より、我が思想を刷り込んだ。
されど、フレイアが生まれた後、やはり孫夫婦揃って余に逆らいおった!
我が意に沿ってさえおれば、死なずに済んだのじゃぞ!
フレイア、そちに帝王学など教えなんだは、なまじ知識を得れば逆らうやもと思うたゆえじゃ、されど、学問など関わりなかったな」

「そんな、そんな、何てことなの……ああ、お母様、お父様、お祖父様まで……」
「危ない!」
あまりの衝撃を受けた女神はふらりと倒れかけ、アスベエルは慌てて、その体を支えた。
「フレイア様!」
彼が揺さぶると、彼女は眼を開けた。
「ああ、アスベエル、わたくし……」

『分かったかい、フレイア。これがこいつの正体だ。
キミやリピーダ、アスベエルやサリエル達……いや、犠牲になった天使達、全員の仇だね。
……さあ、覚悟するがいい、ゼデキア。
戦の帰趨(きすう)はすでに決した。
天界ではなくお前一人が……いや、お前と息子ミカエル、両名だけが負けたのだ』
「く、この悪霊めが、何をたわけたことを!」

『サマエルの言う通りだ!
貴様の負けだ、諦めろ、ゼデキア!』
不意に、コンソールパネルのスピーカーから声が流れ出た。
前方のスクリーンには、タナトスの顔が大写しになっている。

『ふふ、馬鹿だねぇ、ゼデキア。
気づかなかったようだが、今の話は、外に筒抜けだったのだよ』
紅い唇に笑みは貼り付いてはいたが、サマエルの眼はまったく笑っていなかった。
「な、何じゃと!?」

リピーダもまた微笑みながら、スイッチの一つを示した。
「この船のスピーカーは双方向、つまり会話が出来るようになっているのよ。
今の話、神々はどう思われたでしょうね」

がんめい-ころう【頑迷固陋】

頑固で視野が狭く、道理をわきまえないさま。
また、自分の考えに固執して柔軟でなく、正しい判断ができないさま。頭が古くかたくななさま。
「頑迷」はかたくなで道理に暗いこと。「固陋」はかたくなで見識が狭いこと。また、頑固で古いものに固執すること。「迷」は「冥」と書くこともある。

ふんこつ-さいしん【粉骨砕身】

力の限り努力すること。また、骨身を惜しまず一生懸命に働くこと。骨を粉にし、身を砕くほど努力する意から。
「砕身粉骨さいしんふんこつ」ともいう。(新明解四字熟語辞典)