~紅龍の夢~

巻の七 DIES IRAE ─怒りの日─

22.戦の帰結(5)

「何、タナトスが死んだじゃと!?
()く戻れ、詳しく報告するのじゃ!」
ゼデキアは叫び、それに応えてラジエルが船内に駆け戻るのと、ミカエルがドアを開けるのとは同時だった。
「天帝様! 今のをお聞きになられましたか!?」

「ただ今戻りました」
「あいさつはよい、詳細を述べよ、ラジエル」
ゼデキアはミカエルには眼もくれず、目の前にひざまずいた天使に尋ねた。

「……はは。一匹のケルベロスを発見し、わたしはそっと後をつけました。
ヤツは方々嗅ぎ回っておりましたが、とある場所で、タナトスの名を呼んだのでございます。
敵の首魁(しゅかい)が生きているのかと慌てたわたしは、魔物を打ち倒し、周囲を捜しました。
するとタナトスは、巨大ながれきの下敷きとなり、事切れておったのです。
そこで、取り急ぎ天帝様にお知らせせねばと、戻って参りました次第でございます」

「……ふむ。悪鬼の長め、ついに死んだか」
ゼデキアは、感慨深げにあごひげをなでた。
「いやいや、あのタナトスが、それしきで死ぬなど、考えられませぬ。
我らを(あざむ)く方便やも知れませぬぞ、天帝様。
それより、ラジエル、貴様、何ゆえ彼奴(きゃつ)首級(しゅきゅう)を持参しなかった!」
ミカエルは詰め寄る。

「落ち着くがよい、ミカエル。
いくら彼奴とて、あの爆発で無事には済むまい。
ここには女子供もおる、無粋な首なぞ不要じゃ」
「天帝様の仰る通りでございますよ、ミカエル様。
荒廃した地に長居は無用、当初の計画通り、早く人界へ向かうべきです」
ラジエルは、静かに意見を述べた。

「何? それで、あやつが死んでいなかったらどうする!」
ミカエルは、天使をどやしつけた。
「いや、タナトスは、たしかに息絶えておりましたよ。
幾度も確認致しましたゆえ、誓って相違ございませぬ」

「ならば、わたしが確認に参りましょう、天帝様」
不毛な言い合いに割り込んだのは、ラグエルだった。
「よし、見て参れ。それでよかろう、ミカエル」
ミカエルに辟易(へきえき)していたゼデキアは、即答した。
「は……」
渋々ミカエルは折れた。

そのとき、サリエルが、おずおずと口を開いた。
「あの、天帝様、お願いが……」
「何じゃ?」
「あ、あの……タナトスの、髪の毛を、ほんの少し、持って来てもらっても、いいでしょうか?
父の髪と一緒に、持っていたいんです、形見として……。
敵ですけど、僕にとっては伯父、ですから……」
「「どうか、お願いします」」
サリエルと複製は、同時にぺこりと礼をした。

「わ、わたしからも、お願いします!」
アスベエルも慌てて頭を下げる。
「ひいお祖父様、わたくしからもお願い。
サリエルは心細いのよ、血縁が皆死んじゃったんですもの。
髪くらい、いいでしょ?
……誰かさんみたいに、生首を欲しがってるわけじゃないし」
フレイアは、顔をしかめてミカエルを見た。

「……まあよかろう、殊勝な心がけじゃ」
天帝は鷹揚(おうよう)に許可を与え、フレイアは顔を輝かせた。
「ありがとうございます。よかったわね、サリエル」
「「はい、ありがとうございます、天帝様」」
サリエル達は声を揃えて礼を述べ、頭を下げた。
「わたしからもお礼申し上げます」
アスベエルも(こうべ)を垂れた。

「それでは、行って参ります」
共に君主に会釈してから、ラジエルとラグエルは、元天使長に勝ち誇ったような表情を向けた。
ミカエルは当然、むかっ腹を立てた。
「天帝様、我も参ります。この眼で確かめねば、気が収まりませぬ」
「何? されど……」

「お言葉ですが、ここの守りが手薄になるのでは?」
ウリエルの危惧を、ミカエルは一蹴した。
「ふん、船は父祖の力に守られておるわ、貴様らなどいらぬほどにな」
「ですが、君子危うきに近寄らず、と申しますし……」
「左様、軽挙妄動(けいきょもうどう)は、この際、慎まれた方がよろしいかと」
ラグエルも口を添えた。

諭されたミカエルは激昂(げっこう)した。
「複製ごときが何を言う! 我を行かせたくないとは、やはり怪しい!
天帝様、ぜひとも我に、こやつらの監視をお言いつけ下さいませ!」
「いい加減になさい、そんなに味方が信用出来ないの!?」
うんざりした女神の声は、つい甲高くなる。

「よい、フレイア。
ミカエル。それほど申すのであれば、行くがよい」
天帝は、面倒臭そうに許しを与えた。
「はは。ありがたき幸せ」
ミカエルは得意顔で、二人について出て行った。

「さて、ようよう静かになったの。
リピーダよ。これにて作業に集中出来よう、慌てずともよい、確実にこなせ」
天帝は命じた。
「あ、はい」
ミカエルを送り出したのは、(てい)の良い厄介払いかと、一同は合点がいった。

しかし、このままでは、タナトスの生死も分からぬまま、人界に行くことになる。
アスベエルが、念話でウリエル達に相談を持ちかけようとした時、リピーダがつぶやいた。
「……おかしいわ、数値は合っているはずなのに……」
その声は、静まり返っていた艇内に、意外と大きく響いた。

「いかがした、リピーダ。何か不都合でもあるか」
「はい、天帝様、それが、どうもおかしいのです。
この数値を何度入れても、エラーが出てしまいまして……」
女天使は、手にしたメモ書きを示す。
「ふむ。ならば誰か、代わりに入れて見よ」

「では、わたしが」
ガブリエルがメモを受け取り、数値を入力する。
他の者達にも、長い数字の羅列を確認させた後で、キーを押す。
だが、画面には、やはりエラーが表示された。
「あら、やっぱり駄目ですわね」
「そもそも、それで合っておるのか?」
ゼデキアは尋ねた。

「はい。地下でもこれを入力致しましたので。
それでも、やはりおかしいですわ。
地上からでないと次元移動出来ないのでしたら、最初からそう表示されるのではないでしょうか」
「……むう、たしかにな」
ゼデキアは考え込み、天使達も考えている振りをした。

『くくく……』
そのとき、聞き慣れた忍び笑いと共に、なじみの姿が部屋の中央に現れた。
『それは、私が、この船の計器を狂わせたからだよ』
「「父上!」」
サリエルと複製は、一緒に声を上げた。
「き、貴様の仕業か、この悪霊めが!」
ゼデキアも叫んだ。

『お前がミカエルを厄介払いしたことは、私にとっても好都合だった。
今頃、魔族に捕らえられている頃だろうさ』
「何じゃと!?」
『そして、この船もすでに発見されている、見るがいい』
死霊は、前方のスクリーンを指差した。
画面には、脱出艇を取り囲む、三頭の龍が映し出されていた。

「あり得ないわ、この船には光学迷彩が……!」
リピーダは叫ぶ。
『くく、リピーダ。もういいよ、お芝居は終わりだ』
すると、女天使は態度を豹変させ、死人に微笑みかけた。
「はい、サマエル様。
わざとのろのろして、ミカエルを(あお)るのは楽しかったですわ」

「……!?」
天帝は目を白黒させ、その顎はがくりと落ちた。
彼女も味方になっていたのかと、天使達も驚く。

『ゼデキア、もうお前は終わりだ。
神々もお前を見限っている……自業自得だがね』
サマエルは、再びスクリーンを示す。
悪魔達と共に、爆破に巻き込まれて死んだはずの神々もまた、脱出艇を取り巻いていたのだった。

しゅきゅう【首級】

《中国の戦国時代、秦の法で、敵の首を一つ取ると1階級上がったところから》討ち取った首。しるし。

しゅかい【首魁】

1 かしら。特に悪事・謀反などの首謀者。張本人。:デジタル大辞泉

けいきょ-もうどう【軽挙妄動】

軽はずみに何も考えずに行動すること。是非の分別もなく、軽はずみに動くこと。
「軽挙」は深く考えずに行動すること。
「妄動」は分別なくみだりに行動すること。:新明解四字熟語辞典