~紅龍の夢~

巻の七 DIES IRAE ─怒りの日─

22.戦の帰結(4)

翌日、天界人達は、脱出艇の格納庫に集められた。
「リピーダ、一晩でようやった、()めて(つか)わす」
天帝は、銀色に輝く船を見上げた。
「有難き幸せ」
目の下にくまを作った女天使は会釈(えしゃく)し、天帝とフレイアを先頭に、皆は脱出艇に乗り込んだ。

真っ暗だった前方のスクリーンが不意に明るくなり、眼前に広がった情景に、天界人達は息を呑んだ。
長の年月、栄華を極めた彼らの都市、パンテオンは、見るも無残ながれきの山と化していたのだ。

顔を背けたフレイアを元気づけるように、アスベエルはそっと肩に触れた。
その手を握り返す女神の瞳はうるみ、サリエル達もまた手を取り合い、声もなく涙に暮れていた。

天使達も、動揺を抑えられずにいた。
ラジエルαは拳を握り締めて歯を食いしばり、ラグエルαは呆然とし、ウリエルαは、救いようがないと言わんばかりに頭を振り、ハニエルは顔を覆って肩を震わせた。

平然としていたのは、ゼデキアとミカエルだけだった。
「……ふむ。ここは未だ天界じゃな。
リピーダ、直接、人界へ飛ぶのではなかったのか」
天帝の問いかけに、呆然と画面を見ていたリピーダは我に返った。
「あ、も、申し訳ございません、天帝様、ただ今、確認を……」

慌ただしくキーを押し、手元のパネルを見た女天使は眉を寄せた。
「あら、これは……」
「いかがした?」

「は、はい、一旦地表に出てからでなければ、次元移動は出来ないようでございまして……地下からの直接移動にはリスクが伴う、とのことで……。
行き先の座標軸を再設定しなければなりませんが、何分、不慣れなものでございますので、少々時間がかかるかと……」
リピーダは、おどおどと答えた。
 
「相分かった。間違いのないよう、ゆるりと入力するがよい」
なだめるように、ゼデキアは言う。
だが、ミカエルは顔をしかめた。
「ですが、天帝様、その間に、魔物どもの残党に見つかると厄介ですぞ。
リピーダ、この船には、武器類は搭載されておらぬのだったな?」

「は……ですが、機体には、光学迷彩……つまり、肉眼では見えない処置が施されておりますので、敵の残党に見つかる恐れはございませんかと……」
リピーダは、額の汗をぬぐった。
「ふむ。ならばその間に、誰ぞ、外の様子を見て参れ」
天帝は命じた。

「それでは、わたしが」
真っ先に名乗りを上げたラグエルαをさえぎったのは、ミカエルだった。
「貴様では駄目だ。ラジエルではいかがでしょう、天帝様」
「よかろう、行って参れ」

「かしこまりました」
指名された天使は会釈し、むっとした顔つきのラグエルαの肩を軽くたたいてから、ドアに向かった。

「うっ……」
外へ出たラジエルαは、思わず顔をしかめ、口に手を当てた。
辺りには様々ながれきが散乱し、崩壊した建物はまだくすぶっていて、焦げ臭い煙が立ち昇っている。
息苦しくなった彼は羽ばたき、空へと逃れた。

しかし、上からの眺めは、さらに彼を滅入(めい)らせた。
何もかもが破壊され、ばら撒かれた残骸が、爆発の凄まじさを物語っている。

(これでは、生き残りもいるかどうか、だな。
せっかく自由になれても、魔族が滅んでしまっては、元も子もないのだが……)
つぶやいた時、崩れかけた建物の陰で、何かが動いた。

それは、一頭の三つ首の犬だった。
しかし、彼の存在を感知したのか、その姿は一瞬で消えてしまった。
「おい、待ってくれ、話を聞いてくれ!」
慌てたラジエルは、大急ぎで魔犬がいた辺りに舞い降りた。

(あ、これは……)
刹那、天使は、ぎょっとした。
彼が乗っているがれきは、かつて女神とよく待ち合わせをし、散策などした公園の噴水にあった銅像の成れの果てだったのだ。

(くそ……滅茶苦茶だ、何もかも……!)
歯噛みしたとき、頭の中に、混乱したような念話が響いた。
“お前はラジエルではないか、死んだはずの……しかも、その信号……何がどうなっているのだ?”

念の主は、おそらく、さっきのケルベロスだろう。
天使は、さりげなく周囲を探る振りをしながら、返事をした。
“ありがたい、信号を受け取って頂けましたか。わたしは、ラジエルの複製です。
サマエル殿下に……ご存知でしょうか、金蚕という虫を取って頂いたお陰で、寝返ることが出来、あなた方についたのです”

“……ふん、寝返っただと? お前達天使は信用ならん”
姿を現すこともなく、ケルベロスは鼻を鳴らした。
“いえいえ、決して嘘はついておりませぬ、どうか、わたしを信じて頂きたい”
天使は懸命に訴えるも、魔犬の答えは冷ややかだった。
“この有り様を見よ、敵も味方もこの都市も、すべてが死に絶えてしまったのだぞ。
狂った君主に盲従する者など、到底信用出来ぬわ”

たしかに、いくら切羽詰まったと言っても、神族は、敵味方見境なく、自分達の棲み家ごと爆破するなどという暴挙に出たのだ。
天帝の命令なら、どんなことでもためらいもなく遂行する狂った集団、そう受け取られても仕方がない。

ラジエルαはそう思いつつも、話を続けた。
“わたし達は、何も知らされていなかったのです。まあ、爆破を阻止しようとしたら、命はなかったでしょうが。
ときに、生き残ったのは、あなただけですか?”

相手はそれには答えず、逆に尋ねて来た。
“先ほどから感じる奇妙な気配、それと異様な臭い……お前は何か知っているか?”
“さすがですね。脱出艇の存在を感じ取られたとは”
“……脱出艇?”

“神族の祖先が遺した船でして、光学迷彩とかで、肉眼では見えないようになっているのです。
人界へ移動するため、それに乗り、地上に出て来たところなのですよ”
“ふん。ならば、天帝やミカエルも、共にいるのだな?”

“ええ、おります”
ラジエルαは、相手の警戒心を解くため、詳しく話すことにした。
“その他に、フレイア女神、サマエル殿のご子息とその複製、七大天使の複製……ああ、メタトロンはミカエルに殺されましたので、今は六大天使ですが。
それと、使節として魔界に行ったことがあるアスベエル、あとは女天使が二人……ハニエルとリピーダ、この計十四人が搭乗しております。
そのうち、機械に詳しいリピーダが操船しておりますが、人界の座標を入力するのに手間取るようでして、その間、わたしが偵察を命じられたのですよ”

“ふむ……”
魔物は、しばし考えた。
“ならば、その船とやらに案内してもらおう、さすれば信じてやってもよいぞ”
そう話す相手の姿は、やはり見えないままだった。

“分かりました。
では、怪しまれぬよう、この辺を少し巡ってから戻ります、どうぞ、ついていらして下さい”
ラジエルは、がれきから降り、ゆっくりと歩き始めた。

一方その頃、脱出艇内のリピーダは、まだ作業を終えられずにいた。
それというのも、苛々が募ったミカエルが声を荒らげたせいで、手元が狂い、せっかく途中まで入力した座標が消えてしまったからだった。
激怒した天帝につまみ出されたミカエルは、険しい表情で、回廊を行ったり来たりしていた。

「あ、戻って参りましたよ」
張り詰めた空気の中、スクリーンを凝視していたラグエルが声を上げた。
ラジエルは、墜落するように脱出艇の直ぐ側に降り、叫んだ。
『た、大変です、天帝様!
タナトスの死体を発見致しました!』
その声は、外部のマイクを通じて、船内に響き渡った。