~紅龍の夢~

巻の七 DIES IRAE ─怒りの日─

22.戦の帰結(2)

『ふふ、お困りのようだね、私でよければ相談に乗るよ?』
「き、貴様、よくも抜け抜けと! 誰が亡霊の力など借りるか!」
ラファエルα(アルファ)は、サマエルの亡霊を怒鳴りつけた。

『……おやおや、すごい剣幕だね。
だが、考えてもご覧、お前達がこれから乗る船は、過酷な宇宙空間を旅して来た上、長らく地中に埋まっていたのだ、ちゃんと動くかどうかも怪しいぞ。
そんな物に、揃って命を預けるとはな』
幽霊は肩をすくめた。

「減らず口を! ここの施設が眼に入らぬか!
遥かな時を経ても、こうして、当時のままに保たれているのだ、我らが父祖を甘く見るな!」
ラファエルαは、手を大きく振り回した。

『施設の保存状態と、駆動装置が正常に作動するかどうかはまた別の話だ。
それと、運よく人界にたどり着けたとして、お前達の待遇がよくなるとはとても思えないがね』
死霊は平然と言ってのけた。

「……く!」
ラファエルαが歯噛みをするのと同時に、ウリエルαは空中に浮かぶ霊に向かって手を差し伸べた。
「サマエル、頼む、どうか、良い知恵を貸し……」
「馬鹿、それ以上言うな、死ぬぞ!」
ラファエルαは乱暴に義兄をさえぎる。

そのとき、ラジエルαが話に割り込んで来た。
「わたしはウリエルに同感だ。
無論、造反など考えてもおらぬが、知恵を借りるくらいはよいのではないか?」
「たしかに」
ラグエルαもうなずく。
「何を言い出すのだ! それでも七大天使の一員か!」
ラファエルαは、青筋を立てて二人をなじった。

「我らはホムンクルス。もはや七大天使ではない」
ウリエルの表情は悲しげだった。
「その通りですわ。ミカエル様は、ほとぼりが冷めたらきっと、わたしを……。
それに、フレイア様もお気の毒で見ていられません……」
ガブリエルαは首を横に振った。
「むう……」
同僚達の話ももっともで、ラファエルαは頭を抱えた。

『ふふ、七大天使にまで愛想を尽かされては、ゼデキアもお終いだな。
まあ、それも自業自得だ、今までのことを(かんが)みればね。
皆がそのつもりなら話は早い、私が虫を取り去ってやろう』
サマエルはにっこりした。

「ふ、不可能だ! 魔法を使えば、その瞬間に……!」
ラファエルは、心臓に虫が食らいつき始めてでもいるかのように胸を押さえ、声を震わせる。
他の天使達も、不安げに顔を見合わせた。

『大丈夫だ、すでに魔族は、魔法不要の虫退治法を編み出している。
捕虜の天使達も、今頃は自由の身だろう』
「捕虜を自由に!? そ、そんなデタラメ、誰が信じるか!」
『嘘だと思うなら、まずはお前から……』
幽霊は手を伸ばす。

「や、やめろ! わたしは謀反(むほん)人にはならぬ、寄るな!」
ラファエルは金切り声を上げ、後ずさりした。
『勘違いしないで欲しいな、私は裏切りを強要する気はない。
ただ、天界と魔界のどちらにつくか、自由意志で選ばせてやりたいだけさ』
亡霊は穏やかに微笑む。

「何だと?」
ラファエルαはぽかんとした。
『まあ、味方が続々と造反し、孤立していく苦しみを、ゼデキアに味わわせてやりたいという気持ちもあるがね。
どちらにつこうと虫は取り除いてあげよう、偽善者とののしりたくば勝手にするがいい、感謝の押し売りはしない。
これは、私の自己満足さ、ふふふ……』
サマエルは妖艶に笑った。

「む、むう……!
さ、されど、アスベエルには酷なことだ、魔界が勝てば、天帝様の血を引くフレイア様の身が危うい。
たとえ虫から解放されても、造反など出来まいよ、そうだろう?」
ラファエルはアスベエルを見た。

「た、たしかに、そうですけど……」
名指しされた彼は、思わずサマエルに視線を送る。
“初めは拒否し、徐々に説得されたように振る舞ってくれ”
サマエルは念話で伝え、それから、皆に聞こえるように声を出した。

『信じてくれ、アスベエル、悪いようにはしない。
お前は息子の義兄弟だ、責任を持って話をつける。
若い恋人同士を引き裂き、息子を権力の座に就かせようとするゼデキアのやり方は、タナトスも気に入らないはずだ』

「そんな口約束、信用出来るか。言うだけならタダだからな」
言われた通り、彼は提案をはねつけた。
「アスベエル、お願い、父上を信じてあげて!」
「父上、フレイア様を助けて!」
何も知らないサリエルとリナーシタは、必死に嘆願する。

『大丈夫だよ、無慈悲なゼデキアと違って、タナトスは無闇に命を奪ったりはしない。
アスベエル、お前も魔界で兄に会ったのなら、分かるはずだ』
神族同士の婚姻から子は生まれない、だから、フレイアを生かしておいても不都合はないと兄に告げたことなど、サマエルはおくびにも出さず、言った。

「ふん、どうだかな! 夢魔の口車には乗らぬぞ!」
ラファエルは、魔界の王子に指を突きつけた。
『いや、元々、我らは神族を滅ぼす気はない。
古の予言に従い、呪いを解くためには、神族との結びつきが必要不可欠なのだ』

サマエルが説得を試みても、ラファエルαの懐疑的な態度は変わらない。
「嘘つきめ! 代々、魔物どもは神族を憎み、恨んで来たはずだ!
それを今さら、滅ぼす気がないだと!?」
『恨むのも当然だ。祖先を虐殺された上、故郷までも奪われたのだぞ、恨み骨髄に達しているとも。
それでも、相手を憎んでいるだけでは、何も始まらないさ』

「ふん、本音が出たな」
『では、聞くが。お前、ウリエルを、また死なせたいのか?』
「何だと!?」
ラファエルは顔色を変えた。

『このままいけば、ミカエルが次期の天帝の座に就くことになり、天界人はヤツの奴隷に成り果てる。
ウリエルに限らず、お前達全員が慰み者にされて、殺される公算が高いのだぞ。
それでもいいのか?』

「う……だ、だからといって……」
『ラファエル。もしかして、お前、自由になるのが怖いのか?』
「そんなわけはない!
お前こそ、他人のお節介を焼くより、自分の心配をしろ!」
『いや、私はもう死んでいるし。
せめて、お前達だけでも助けたいのだ、後悔するのは私だけでいい』

「ラファエルさん、父上を信じて下さい!」
「「お願いします!」」
サリエルとリナーシタは、揃って頭を下げた。
「く……お前はサマエルの息子、命は保証されよう、されど、我らは!
魔族が勝てば、天帝様と共に処刑されるに決っている!」

「そんな!」
「父上がそんなことさせませんよ!」
「く、わたしは騙されぬぞ!」
『仕方ないな。そうまで言うのなら、第三の選択肢もあるぞ』
根負けしたようにサマエルは提案したが、天使はそっぽを向いた。

『まあ、話だけでも聞いてくれ。
お前達、革命を起こす気があるか?
ゼデキアを廃し、新しい帝を立てるのだ。そして、魔界と和平を結べばいい』

「そっか、フレイア様を新しい女帝にするんだな!」
アスベエルは眼を輝かせた。
『だが、それには、彼女を説得しなければならないぞ。
曽祖父を裏切ることになるのだからな』

「大丈夫だ、さっき、何があっても俺に付いて来てくれるって……たとえ、天帝様と対立することがあってもって、言って下さった」
「アスベエル! 甘い言葉に踊らされるな!」
ラファエルαは苛立つ。

「だって、フレイア様は、政略結婚させられそうなんですよ!
たとえ一緒になれなくたって、俺は、あの方をお助けしたいんです!」
アスベエルは本心から叫んだ。

「ラファエル、この際だ、サマエルを信じようではないか」
たまりかねたように口を挟んだのは、ウリエルαだった。
「同感です」
ラグエルが手を上げた。
「わたしもだ」
「わたしもですわ」
ラジエルαとガブリエルαも声を揃えた。

「く、皆、寄ってたかって、わたしを悪者にして!
話にならぬわ、もう知らぬ!」
ラファエルは叫び、勢いよくドアを開け、部屋から出て行ってしまった。

「待て、ラファエル!」
後を追おうとしたウリエルを、引き止めた手があった。
サマエルが実体化し、彼の腕をつかんだのだ。

「何ゆえ止める、サマエル?」
『私に任せてくれないか、ウリエル。考えがある。
皆は、部屋に戻っていてくれ』

回廊に出ると、サマエルは、息子達やアスベエル、ラグエルαにも念話を送った。 
“お前達の虫も、皆と同じ時に抜いたことにしておこう。
和平使節のときから魔族と通じていたとは知られない方がいい、立場が悪くなるかも知れない”

そうしてから、サマエルは、ラファエルαを捜し始めた。
魔法で移動したのか、それとも、同じドアがずらりと並んだ広い居住区の、空き室にでも入り込んだのだろうか、その姿はどこにもない。
おそらく、彼は頭を冷やすために、一人になりたかったのだろう。
しかしそれは、サマエルにとっても好都合だった。

魔界の王子は、わざとゆっくり、時間をかけて捜し、彼の隠れ場所を発見した。
空き部屋の壁を抜けると、天使はベッドに腰かけ、物思いにふけっていた。
『捜したよ、ラファエル』
その声に、彼はバッと立ち上がった。
「き、貴様! いつの間に……!」

『単刀直入に言わせてもらうが。
私をウリエルから遠ざけるには、ゼデキアとミカエルを亡き者にするしかないぞ。
連中が生きている限り、私とウリエルとの縁も切れない。
お前の想いが届くこともないわけだ』

「お、想い? 何のことだ……」
『ふふ、とぼけても無駄だよ。
お前は、ウリエルを愛……』
「ち、違う! 我らは義兄弟だと言ったはずだ!」

『いやいや、私には分かっているよ、お前の気持ちは。だからこそ、手を貸そうと言うのさ。
死んだ私などにかまけて、みすみす彼が不幸になるのを見たくない。
さあ、まずは虫を取ってやろう、話はそれからだ』

「いや、いらぬ。わたしは裏切る気などないし、ウリエルは兄で……」
『……やれやれ。ならば、踏ん切りがつくようにしてやろう!』
あきれたように首を振ったサマエルは、素早く実体化して天使に飛びかかり、ベッドに押し倒した。
「な、何をする!」

『ふふ、お前を私のものにすれば、もう嫌とは言えまい?』
「や、やめろ!」
ラファエルは暴れるが、亡霊は、女性のような見かけにそぐわぬ強い力で、彼を押さえつけた。

『いいではないか、どうせ、ウリエルへの告白は諦めているのだろう?
ふふ、そんな顔をして。……ぞくぞくするね。
お前、私を甘く見過ぎだよ、私は悪霊化した夢魔、言わば悪の権化なのだぞ。
意に沿わぬ者には、実力行使あるのみだ』
亡霊はにやりと笑い、ラファエルαに口づけると、ぎりぎりまで精気を吸った。

『これでもう、助けを呼ぶことは出来ない。
後は、お前が私の意のままになるまで、たっぷりと楽しませてもらおう』
悪霊は、天使の衣をゆっくりと脱がせ始めた。
「うう……!」
体に力が入らないラファエルαは、されるがままになる他ない。

すべて剥ぎ取ってしまうと、淫魔の王子は、なめるような眼差しで、天使の裸体を眺め回した。
『……ふふふ、美味そうだ。
一晩かけて美天使を思い通りに出来るとは、淫魔として生を()けたことも、あながち悪くはない』
悪霊は舌なめずりをし、自分も衣服を脱ぎ捨てて、天使の清らかな体に覆いかぶさっていった。