~紅龍の夢~

巻の七 DIES IRAE ─怒りの日─

22.戦の帰結(1)

「ええい、敵に見つかったくらいでうろたえるな!」
ミカエルが叫んだ瞬間、リナーシタをつかむ手が緩んだ。
彼はその隙を突き、大天使を振りほどいて駆け出した。
「待て!」

「リナーシタ!」
「早くこっちへ!」
サリエルが彼を抱き止め、アスベエルは二人を後ろにかばった。

「くそ、逃げるな、ホムンクルス!」
焦って獲物を取り返そうとするミカエルの前に、フレイアが立ちふさがる。
「いい加減になさい、そんなことをしてる場合じゃないでしょ!」

「ミカエル、静かに致せ!
皆の者も浮足立つな、この隠れ家は完全に遮蔽(しゃへい)されておる、呪文も知らぬ彼奴(きゃつ)らに、見つける手立てはないのじゃ!」
ゼデキアは、天使達を叱咤(しった)し、使い魔を通じた映像に切り替えた。

闇の中に浮かび上がったのは、首が三本ある、四つ足の魔物だった。
すべての鼻を地面につけ、嗅ぎ回っているところを見ると、臭跡をたどって来たものらしい。

全員が固唾(かたず)を呑み、スクリーンを見つめた。
敵はしばらくの間、隠し通路の入口付近をうろついていたが、何も発見出来ずに引き上げて行き、皆は胸をなで下ろした。

「余の申した通りじゃろう。
さて、よく聞くがよい、皆の者。
ここはな、星辰(せいしん)の彼方より、我が始祖を天界へ運びし恒星船、その居住区の一部なのじゃぞ」
天帝は胸を張った。

「えっ、ご先祖様の船の中、ですって……?」
フレイアは眼を丸くして、辺りを見回す。
サリエル達もぽかんと口を開け、きょろきょろしていた。
アスベエルもそうしたかったが、皆の手前、ぐっとこらえた。
「ほう……ここがですか?」
これはミカエルも初耳だったようで、改めて室内を見直していた。

「左様。後で、中を案内してやろうな、フレイア、ミカエル。
さあ、今は疲れを癒やすがよい」
天帝は、下がれという身振りをした。
そこで、皆は礼をし、それぞれ自室に引き取った。

戻ったアスベエル達は、興味津々で室内の探索にかかった。
三人に割り振られたそこは、汎神殿で軟禁された部屋と瓜二つで、様々な備品も、同じように取り揃えられていた。

「ねえ、この船、今でも飛べると思う?」
サリエルが、窓を指で弾く。地下のため、外には土の壁が見えるだけだった。
アスベエルは肩をすくめた。
「さあ。でも、どこも新品みたいにピカピカだし、現役っぽい感じはするけどな」

「もし飛べるんなら、戦争なんかやめて、別な星に移住すればいいのにね。
僕、宇宙に行ってみたいな」
「僕も……!」
サリエルとリナーシタは、うっとりと、遙かな宇宙の旅に思いを馳せた。
アスベエルは、暗い空間を背景にして、銀の粒をまき散らしたように輝く星の大河を思い浮かべ、フレイアとの旅を切に願った。

“アスベエル、お願いがあるんだけど。
サリエル達も連れて、ちょっとこっちに来てくれない?”
不意に念話が届き、彼は我に返った。
“あ、はい、すぐ行きます、フレイア様”

入室した三人に女神は椅子を勧め、自分はアスベエルの隣に座り、テーブルに両肘をつくとため息をついた。
「どうなさいました?」
「ミカエルって、ひいお祖父様の息子だったのねぇ。
……まあ、薄々感じてはいたけれど」

アスベエルはうなずく。
「天帝様は、やたらミカエル様に甘かったですからねぇ」
前から知っていたとは、さすがに言えなかった。
「ええ。それより、パンテオンを灰にしたっていう方が気になるわ。
まさかと思うけれど、ミカエルならやりかねないって、ハニエルは言うのよ、ね?」

大天使はうなずいた。
「はい。根拠は、さっきの音と地響きです。
こんな地下まで届くなんて、よほど大きな爆発だと思いませんか?
それに天帝様も、否定なさいませんでしたし」

「え、でも、神々も残っておられたし、いくら敵を倒すためでも、そこまでは……。
ミカエル様のハッタリ、だと……」
言いながら、アスベエルは自信がなくなっていく。
「いくら切羽詰まっても、都市ごと爆破なんてするかな……」
「うーん、ミカエルの言うことだから……」
サリエルとリナーシタも考え込んだ。

「それで、ひいお祖父様に確かめたいと思ったのよね。
でも、わたくしやハニエルだけではちょっと……、あ、サマエルの話を真に受けたわけじゃないのよ、でも、何というか……」
フレイアは言葉を濁す。

たしかに、曽祖父が自分に子供を産ませる気でいるなどと聞いたら、まさかとは思っても、二人きりになるのはためらわれる。
猜疑心(さいぎしん)を植え付けるサマエルの作戦は、功を奏したと言えた。

アスベエルは顔を上げた。
「つまり、俺達がご一緒すればいいんですね?」
「そうよ、さ、行きましょ」
フレイアは立ち上がり、五人で天帝の部屋へと向かった。

近くまで来たとき、ののしり合う声が室内から聞こえ、それが急に悲鳴へと変わった。
「ひいお祖父様!?」
フレイアは慌ててドアを開け、一行は中へなだれ込む。
彼らの眼に映ったのは、(あけ)に染まったメタトロンが、崩折れて行く姿だった。
「きゃあ、エノク!」

「ふん、売国奴めが」
そばには、ミカエルが血まみれの剣を持って立ち、その後ろの椅子には、(うれ)い顔の天帝が腰掛けていた。
「ひ、ひいお祖父様、一体……?」
フレイアの足は震え、前に進むことが出来ない。

「メタトロン様!」
「動くな!」
倒れた天使に近づこうとしたアスべエルを、ミカエルは剣でさえぎった。
「きゃ!」
紅い(しずく)が散り、フレイアは飛び退いた。

「フレイアか。実はな、メタトロンが、もはや争うは不毛、降伏せよなどと……」
「寝言をほざきおって!」
ミカエルが、虫の息のメタトロンを足蹴にした途端、フレイアの中で何かが弾けた。
「やめて!」
彼女は叫び、倒れた天使に駆け寄る。

「フ……イア、様……」
メタトロンは、辛うじてまだ息があった。
「しゃべっちゃ駄目。今、傷をふさぐわ」
「おっと、いけませんな、女神様」
呪文を唱えようとした彼女の腕を、ミカエルは捕らえた。

「放しなさい、無礼者!」
「こやつは反逆者、天帝様から処刑の許可も得ておりますゆえ、大人しく……痛!」
突如、ミカエルは彼女を放した。
フレイアが、腕に噛みついたのだ。

「エノク、しっかりして!」
取りすがる彼女に、メタトロンは血まみれの手でしがみつく。
「フレ、ア様……お気を、つ……て……天帝、は……ご両親、を……」
それだけ言うと、彼は息絶えた。
「嫌っ、死んじゃ嫌よ、エノク!
わあんっ!」
女神は、動かない体にすがって泣いた。

(フレイア様……うぐ……!)
アスベエルは、吐き気をこらえるのに必死だった。
眼の前の情景に、過去の惨劇が重なる。
鼻を突く生ぐさい臭い、真っ赤な血溜まりに横たわるウリエル、悪鬼のようなミカエルの顔……。
それらがぐるぐると回転を始め、気が遠くなっていく。

そのとき、心の中から声がした。
“大丈夫かい、アスベエル”
同時に、ひやりとした手が額をなでるような感触があり、彼は自分を取り戻した。
いつの間にか、サマエルが体内に戻って来ていた。
 
“サマエル様……”
“お前がしっかりしなくてどうする、ご覧”
はっとして顔を上げると、義弟達とハニエルが、泣きじゃくるフレイアを守って寄り添っていた。

(くっ……! 何やってんだ、俺は……!)
彼は頭を振ってはっきりさせ、三人の前に出て、天帝とミカエルをきっと睨んだ。
「これはどういうことですか、天帝様!
今は、仲間割れをしている場合じゃないですよ!」

「黙れ、アスベエル!
こやつは天界を裏切った反逆者、死んで当然だ!」
ミカエルは、血まみれの剣で死者を示した。

「嘘! エノクはお母様の従兄なのよ、そんなわけないわ!」
フレイアが叫んだとき、ゼデキアが立ち上がり、近づいて来た。
女神は思わず身を硬くし、アスベエルの陰に隠れる。
「フレイア、部屋に戻れ。気を休めた後、ゆるりと話そう、な?」
彼女は首を横に振った。
「嫌……エノクを生き返らせて……!」

「蘇生なぞより、複製を創ればよいことじゃ」
「何ですって!?」
フレイアは、異物を見るかのような顔で、曽祖父を見た。
「何ですか、それ! 命を物みたいに扱うなんて、間違ってます!」
思わず、アスベエルは言い返した。

「貴様! 無礼だぞ、天帝様に向かって!」
ミカエルは、今度は彼に向かって剣を突きつける。
「彼の言う通りよ、おかしいわ!
さっきも、魔族ごとパンテオンを灰にしたなんて!
神々も、複製を創れば済むと仰るの!?」

天帝は、(いかめ)しい顔でうなずく。
「左様、遺伝子さえあれば、余に従わぬ者なぞ不要じゃ。
船の駆動系の機能は失われておるが、幸い、脱出艇は使用可能ゆえ、整備が済み次第、我らは人界へ転移する。
愚かなる人間どもを駆逐(くちく)し、新たなる天界と成すのじゃ。
パンテオンも再構築して神々の複製を住まわせれば、すべてが元通り、何の問題もあるまい。無論、メタトロンの複製も創ってやるつもりじゃ」

「え……ええ!?」
フレイアは自分の耳を疑った。
それはアスベエルを始め、付き添いの者達も同様だった。
「じ、人界も滅ぼす気なんですか!?」
サリエルも声を震わせた。

「では、本当に、神々は……?」
彼女の顔は蒼白で、その目つきは、化け物を見るときのそれだったが、天帝は、ひ孫の動揺を意に介さなかった。

「左様。その後、神族の復興を祝し、そちとミカエルの祝言(しゅうげん)()り行うゆえ、心積りしておくがよい」
「ええっ!?」
「そんな!」
フレイアとアスベエルは同時に叫んでいた。

天帝は、そんな二人をじろりと見た。
「アスベエルをこの地に置き去りにしても良いが、いかような仕打ちが待っておることやらな。
淫魔の王に気に入られるのも、難儀なことと思えるが、いかがじゃ。
さあ、余は忙しい、去るがよい」

天帝に命じられてしまうと、血刀(けっとう)を手に、(すご)むミカエルがいることもあって、誰も反抗出来ない。
五人は、すごすごと退去するほかなかった。

フレイアは涙に暮れ、アスベエルは唇を噛む。
すべてを打ち明けようと決意したそのとき、ラファエルαの念が届いた。
“今の一幕、使い魔を通して聞かせてもらった。
まずは、女神様をお部屋へ。
わたしは他の天使達を集めて伺うゆえ、後で話そう”
“あ、はい……”
答えるアスベエルの背中から、黄金のカブトムシが飛び去って行く。

そこで、彼らは部屋に行き、女神をベッドに寝かせた。
「フレイア様、何があっても、俺を信じて付いて来て下さいますか」
アスベエルは真剣な顔で、彼女の手を取った。
「もちろんよ」
「……天帝様と決別することになっても?」

フレイアは大きく息を吸い、それから答えた。
「ええ、構わないわ。
ひいお祖父様は、ひ孫なんかより、息子の方が大事なのよ。
それに、メタトロンや、神々まで……酷い、酷すぎるわ。
複製がいればいい、なんて。ひいお祖父様もミカエルも、どうかしてるわ……!」

「俺がお守りします、何があっても。お約束します」
「ええ、お前を信じるわ」
「今はお休み下さい。皆と話し合って来ます」
ハニエルに世話を頼み、彼は義弟達と寝室を出た。
 
応接室に入って行くと、ラファエルα(アルファ)から話を聞いた者達が、悲嘆に暮れていた。
「正直、もう、天帝様方にはついていけません。
ですが、裏切りは、即、死につながりますし……」
ガブリエルは、自分の胸に手を当てる。
「まったくだ。虫さえいなかったら……」
ラファエルやラジエルも、首を振った。
ラグエルも他の複製達に合わせ、絶望の表情を作っていた。

「……血は争えぬ、か」
ウリエルαは大きく息を吐いた。
「実はな、アスベエル。
天帝様はかつて、お前の母親に、罪を許す代わりに愛人になれと迫ったそうでな」
「ええっ!?」
「拒否された腹いせにお前まで殺そうとし、それで、マトゥタ様が……」

「あ、それ、前に捕まったとき、ミカエルも言ってました。
でも、嘘だと思って……黙っててごめんなさい」
リナーシタは、ペコリと頭を下げた。
「いや、お前は悪くないよ」
(かぶり)を振る。
「そうだよ、あいつ、嘘つきだし」
サリエルも言った。

『この親にしてこの子あり、か』
突如、青白い亡霊が現れて言った。
「き、貴様っ!」
「サマエル!」
ラファエルとウリエルが叫ぶ。
「「父上!」」
サリエル達は眼をうるませた。

せい‐しん【星辰】

ほし。星宿。星座。