22.戦の帰結(1)
「ええい、敵に見つかったくらいでうろたえるな!」
ミカエルが叫んだ瞬間、リナーシタをつかむ手が緩んだ。
彼はその隙を突き、大天使を振りほどいて駆け出した。
「待て!」
「リナーシタ!」
「早くこっちへ!」
サリエルが彼を抱き止め、アスベエルは二人を後ろにかばった。
「くそ、逃げるな、ホムンクルス!」
焦って獲物を取り返そうとするミカエルの前に、フレイアが立ちふさがる。
「いい加減になさい、そんなことをしてる場合じゃないでしょ!」
「ミカエル、静かに致せ!
皆の者も浮足立つな、この隠れ家は完全に
ゼデキアは、天使達を
闇の中に浮かび上がったのは、首が三本ある、四つ足の魔物だった。
すべての鼻を地面につけ、嗅ぎ回っているところを見ると、臭跡をたどって来たものらしい。
全員が
敵はしばらくの間、隠し通路の入口付近をうろついていたが、何も発見出来ずに引き上げて行き、皆は胸をなで下ろした。
「余の申した通りじゃろう。
さて、よく聞くがよい、皆の者。
ここはな、
天帝は胸を張った。
「えっ、ご先祖様の船の中、ですって……?」
フレイアは眼を丸くして、辺りを見回す。
サリエル達もぽかんと口を開け、きょろきょろしていた。
アスベエルもそうしたかったが、皆の手前、ぐっとこらえた。
「ほう……ここがですか?」
これはミカエルも初耳だったようで、改めて室内を見直していた。
「左様。後で、中を案内してやろうな、フレイア、ミカエル。
さあ、今は疲れを癒やすがよい」
天帝は、下がれという身振りをした。
そこで、皆は礼をし、それぞれ自室に引き取った。
戻ったアスベエル達は、興味津々で室内の探索にかかった。
三人に割り振られたそこは、汎神殿で軟禁された部屋と瓜二つで、様々な備品も、同じように取り揃えられていた。
「ねえ、この船、今でも飛べると思う?」
サリエルが、窓を指で弾く。地下のため、外には土の壁が見えるだけだった。
アスベエルは肩をすくめた。
「さあ。でも、どこも新品みたいにピカピカだし、現役っぽい感じはするけどな」
「もし飛べるんなら、戦争なんかやめて、別な星に移住すればいいのにね。
僕、宇宙に行ってみたいな」
「僕も……!」
サリエルとリナーシタは、うっとりと、遙かな宇宙の旅に思いを馳せた。
アスベエルは、暗い空間を背景にして、銀の粒をまき散らしたように輝く星の大河を思い浮かべ、フレイアとの旅を切に願った。
“アスベエル、お願いがあるんだけど。
サリエル達も連れて、ちょっとこっちに来てくれない?”
不意に念話が届き、彼は我に返った。
“あ、はい、すぐ行きます、フレイア様”
入室した三人に女神は椅子を勧め、自分はアスベエルの隣に座り、テーブルに両肘をつくとため息をついた。
「どうなさいました?」
「ミカエルって、ひいお祖父様の息子だったのねぇ。
……まあ、薄々感じてはいたけれど」
アスベエルはうなずく。
「天帝様は、やたらミカエル様に甘かったですからねぇ」
前から知っていたとは、さすがに言えなかった。
「ええ。それより、パンテオンを灰にしたっていう方が気になるわ。
まさかと思うけれど、ミカエルならやりかねないって、ハニエルは言うのよ、ね?」
大天使はうなずいた。
「はい。根拠は、さっきの音と地響きです。
こんな地下まで届くなんて、よほど大きな爆発だと思いませんか?
それに天帝様も、否定なさいませんでしたし」
「え、でも、神々も残っておられたし、いくら敵を倒すためでも、そこまでは……。
ミカエル様のハッタリ、だと……」
言いながら、アスベエルは自信がなくなっていく。
「いくら切羽詰まっても、都市ごと爆破なんてするかな……」
「うーん、ミカエルの言うことだから……」
サリエルとリナーシタも考え込んだ。
「それで、ひいお祖父様に確かめたいと思ったのよね。
でも、わたくしやハニエルだけではちょっと……、あ、サマエルの話を真に受けたわけじゃないのよ、でも、何というか……」
フレイアは言葉を濁す。
たしかに、曽祖父が自分に子供を産ませる気でいるなどと聞いたら、まさかとは思っても、二人きりになるのはためらわれる。
アスベエルは顔を上げた。
「つまり、俺達がご一緒すればいいんですね?」
「そうよ、さ、行きましょ」
フレイアは立ち上がり、五人で天帝の部屋へと向かった。
近くまで来たとき、ののしり合う声が室内から聞こえ、それが急に悲鳴へと変わった。
「ひいお祖父様!?」
フレイアは慌ててドアを開け、一行は中へなだれ込む。
彼らの眼に映ったのは、
「きゃあ、エノク!」
「ふん、売国奴めが」
そばには、ミカエルが血まみれの剣を持って立ち、その後ろの椅子には、
「ひ、ひいお祖父様、一体……?」
フレイアの足は震え、前に進むことが出来ない。
「メタトロン様!」
「動くな!」
倒れた天使に近づこうとしたアスべエルを、ミカエルは剣でさえぎった。
「きゃ!」
紅い
「フレイアか。実はな、メタトロンが、もはや争うは不毛、降伏せよなどと……」
「寝言をほざきおって!」
ミカエルが、虫の息のメタトロンを足蹴にした途端、フレイアの中で何かが弾けた。
「やめて!」
彼女は叫び、倒れた天使に駆け寄る。
「フ……イア、様……」
メタトロンは、辛うじてまだ息があった。
「しゃべっちゃ駄目。今、傷をふさぐわ」
「おっと、いけませんな、女神様」
呪文を唱えようとした彼女の腕を、ミカエルは捕らえた。
「放しなさい、無礼者!」
「こやつは反逆者、天帝様から処刑の許可も得ておりますゆえ、大人しく……痛!」
突如、ミカエルは彼女を放した。
フレイアが、腕に噛みついたのだ。
「エノク、しっかりして!」
取りすがる彼女に、メタトロンは血まみれの手でしがみつく。
「フレ、ア様……お気を、つ……て……天帝、は……ご両親、を……」
それだけ言うと、彼は息絶えた。
「嫌っ、死んじゃ嫌よ、エノク!
わあんっ!」
女神は、動かない体にすがって泣いた。
(フレイア様……うぐ……!)
アスベエルは、吐き気をこらえるのに必死だった。
眼の前の情景に、過去の惨劇が重なる。
鼻を突く生ぐさい臭い、真っ赤な血溜まりに横たわるウリエル、悪鬼のようなミカエルの顔……。
それらがぐるぐると回転を始め、気が遠くなっていく。
そのとき、心の中から声がした。
“大丈夫かい、アスベエル”
同時に、ひやりとした手が額をなでるような感触があり、彼は自分を取り戻した。
いつの間にか、サマエルが体内に戻って来ていた。
“サマエル様……”
“お前がしっかりしなくてどうする、ご覧”
はっとして顔を上げると、義弟達とハニエルが、泣きじゃくるフレイアを守って寄り添っていた。
(くっ……! 何やってんだ、俺は……!)
彼は頭を振ってはっきりさせ、三人の前に出て、天帝とミカエルをきっと睨んだ。
「これはどういうことですか、天帝様!
今は、仲間割れをしている場合じゃないですよ!」
「黙れ、アスベエル!
こやつは天界を裏切った反逆者、死んで当然だ!」
ミカエルは、血まみれの剣で死者を示した。
「嘘! エノクはお母様の従兄なのよ、そんなわけないわ!」
フレイアが叫んだとき、ゼデキアが立ち上がり、近づいて来た。
女神は思わず身を硬くし、アスベエルの陰に隠れる。
「フレイア、部屋に戻れ。気を休めた後、ゆるりと話そう、な?」
彼女は首を横に振った。
「嫌……エノクを生き返らせて……!」
「蘇生なぞより、複製を創ればよいことじゃ」
「何ですって!?」
フレイアは、異物を見るかのような顔で、曽祖父を見た。
「何ですか、それ! 命を物みたいに扱うなんて、間違ってます!」
思わず、アスベエルは言い返した。
「貴様! 無礼だぞ、天帝様に向かって!」
ミカエルは、今度は彼に向かって剣を突きつける。
「彼の言う通りよ、おかしいわ!
さっきも、魔族ごとパンテオンを灰にしたなんて!
神々も、複製を創れば済むと仰るの!?」
天帝は、
「左様、遺伝子さえあれば、余に従わぬ者なぞ不要じゃ。
船の駆動系の機能は失われておるが、幸い、脱出艇は使用可能ゆえ、整備が済み次第、我らは人界へ転移する。
愚かなる人間どもを
パンテオンも再構築して神々の複製を住まわせれば、すべてが元通り、何の問題もあるまい。無論、メタトロンの複製も創ってやるつもりじゃ」
「え……ええ!?」
フレイアは自分の耳を疑った。
それはアスベエルを始め、付き添いの者達も同様だった。
「じ、人界も滅ぼす気なんですか!?」
サリエルも声を震わせた。
「では、本当に、神々は……?」
彼女の顔は蒼白で、その目つきは、化け物を見るときのそれだったが、天帝は、ひ孫の動揺を意に介さなかった。
「左様。その後、神族の復興を祝し、そちとミカエルの
「ええっ!?」
「そんな!」
フレイアとアスベエルは同時に叫んでいた。
天帝は、そんな二人をじろりと見た。
「アスベエルをこの地に置き去りにしても良いが、いかような仕打ちが待っておることやらな。
淫魔の王に気に入られるのも、難儀なことと思えるが、いかがじゃ。
さあ、余は忙しい、去るがよい」
天帝に命じられてしまうと、
五人は、すごすごと退去するほかなかった。
フレイアは涙に暮れ、アスベエルは唇を噛む。
すべてを打ち明けようと決意したそのとき、ラファエルαの念が届いた。
“今の一幕、使い魔を通して聞かせてもらった。
まずは、女神様をお部屋へ。
わたしは他の天使達を集めて伺うゆえ、後で話そう”
“あ、はい……”
答えるアスベエルの背中から、黄金のカブトムシが飛び去って行く。
そこで、彼らは部屋に行き、女神をベッドに寝かせた。
「フレイア様、何があっても、俺を信じて付いて来て下さいますか」
アスベエルは真剣な顔で、彼女の手を取った。
「もちろんよ」
「……天帝様と決別することになっても?」
フレイアは大きく息を吸い、それから答えた。
「ええ、構わないわ。
ひいお祖父様は、ひ孫なんかより、息子の方が大事なのよ。
それに、メタトロンや、神々まで……酷い、酷すぎるわ。
複製がいればいい、なんて。ひいお祖父様もミカエルも、どうかしてるわ……!」
「俺がお守りします、何があっても。お約束します」
「ええ、お前を信じるわ」
「今はお休み下さい。皆と話し合って来ます」
ハニエルに世話を頼み、彼は義弟達と寝室を出た。
応接室に入って行くと、ラファエル
「正直、もう、天帝様方にはついていけません。
ですが、裏切りは、即、死につながりますし……」
ガブリエルは、自分の胸に手を当てる。
「まったくだ。虫さえいなかったら……」
ラファエルやラジエルも、首を振った。
ラグエルも他の複製達に合わせ、絶望の表情を作っていた。
「……血は争えぬ、か」
ウリエルαは大きく息を吐いた。
「実はな、アスベエル。
天帝様はかつて、お前の母親に、罪を許す代わりに愛人になれと迫ったそうでな」
「ええっ!?」
「拒否された腹いせにお前まで殺そうとし、それで、マトゥタ様が……」
「あ、それ、前に捕まったとき、ミカエルも言ってました。
でも、嘘だと思って……黙っててごめんなさい」
リナーシタは、ペコリと頭を下げた。
「いや、お前は悪くないよ」
「そうだよ、あいつ、嘘つきだし」
サリエルも言った。
『この親にしてこの子あり、か』
突如、青白い亡霊が現れて言った。
「き、貴様っ!」
「サマエル!」
ラファエルとウリエルが叫ぶ。
「「父上!」」
サリエル達は眼をうるませた。
せい‐しん【星辰】
ほし。星宿。星座。