21.故郷への帰還(5)
「……今のは、もしや」
ミカエルは、天帝に眼を向けた。
「うむ」
うなずいて見せるゼデキアの手は、操縦レバーを目一杯押し下げている。
大天使はにやりとし、砂嵐のようなスクリーンの映像に向けて手を振った。
「ふん、今頃現れたとて遅いぞ、サマエル。
見よ、パンテオンと共に
『ふ、ふふ、あははは……!』
刹那、悪霊は声を上げて笑い始めた。
「な、何がおかしい!」
大天使は顔を真っ赤にし、怒鳴りつけた。
『ふっ、愚か者。これしきのことで、魔族が滅びるとでも?
さて、敵がここに隠れていると、知らせに行くとしよう』
「さ、左様なことをしてみろ、貴様の息子の命はないぞ!」
ミカエルは脅し文句を吐くものの、それが意味をなさないことは、そこにいる誰もが知っていた。
『おやおや、性格だけでなく、記憶力まで悪いのだな、お前は。殺せばいいと前にも言っただろうに。
まあ、皆にますます嫌われるだけ、だろうがね』
言い捨てて、幽霊は消えようとした。
「ま、待ってくれ、サマエル!
たとえ魔族が生き残っていても、ここを教えるのはやめてくれ!」
そう叫んだのは、ウリエル
王子の霊は、優しい眼差しを彼に注いだ。
『ウリエルか、久しぶりだね。達者で何よりだ』
「いや、わたしは……」
複製は、悲しげにうなだれる。
『知っているさ、ホムンクルスだということは。
それでも、生きているお前の姿を眼に出来るのは、私にとっては喜びだよ』
サマエルは優しく微笑んだ。
「な、ならば……」
ホムンクルスは、すがるような眼をした。
『そうだね……お前に免じて、知らせるのはよしてもいいが。
まあ、私が何もせずとも、いずれここも見つかる、逃げる準備をしておくことだね、ふふ』
「お前さえ黙っていてくれれば、左様な事態にはなるまい!
ここにいてくれ、さすれば、サリエルとも共に暮らせるのだぞ!」
生前と変わらず妖艶に笑う姿に、ウリエルは思わず口走っていた。
「な、何を言い出す、ウリエル! 悪趣味な真似はやめろ!」
ラファエルは叫ぶ。
そのとき、天帝は意外な台詞を吐いた。
「ふむ、それもよかろう。手元に留めておくがよい」
「て、天帝様!?」
「考えてもみよ、ラファエル。陰で悪巧みなどされても面倒じゃ」
言いながら、天帝はミカエルの眼を捉えた。
大天使はかすかにうなずき、そろそろと移動を始める。
ウリエルαは礼をし、幽霊に手を差し伸べた。
「お許しも出た、サマエル、頼む、どうか、ずっとここに……そうだ、実体化してくれ、お前に触れたい」
『むう……ずっとは無理だが、ちょっとの間なら……』
天使の必死な表情に夢魔の霊もほだされたのか、肩をすくめると実体化して、その手を取ろうとした。
「甘いぞ、サマエル!
──昇天せよ!」
まさにその瞬間、二人の死角に回っていたミカエルが、力任せに剣を振るい、サマエルの首を
首は勢いよく床に転がり、噴き出した大量の血は周囲の天使達を紅く染め、体は前のめりに倒れた。
「ふん、他愛もない」
全身に返り血を浴び、赤鬼さながらとなったミカエルは、満足気な笑みを浮かべ、剣を振って血の雫を払った。
「サマエル! あああ……!」
愛する人の首を拾い上げ、ウリエルαは悲嘆に暮れた。
陰惨な情景に、天使達が声もなくおののいていたとき、ドアがノックされ、開いた。
「ひいお祖父様、失礼しますわ。
今さっきの音と揺れは……きゃっ!」
室内の惨状を一目見た、フレイアが悲鳴を上げた。
その後ろで、アスベエルとサリエル達が凍りついていた。
『……おやおや、子供達に、ひどいところを見せてしまったな。
トラウマにならなければいいのだが』
ホムンクルスの腕の中で、生首が口を利いたのはそのときだった。
「サ、サマエル……?」
ウリエルαは眼を見張る。
『忘れたのかい、私は、すでに死んでいるのだよ』
笑みを浮かべた首は、ふわりと浮き上がり、体の方へ漂っていく。
「待て! 逃さぬぞ!」
ミカエルは剣を振り回し、生首をたたき落とそうとした。
それをかいくぐって首は胴体にくっつき、サマエルはむくりと起き上がった。
「ち、父上!?」
「な、何が!?」
我に返ったサリエルとリナーシタが声を上げる。
『ああ、お前達。
ウリエルと握手しようと実体化したら、ミカエルが私の首を刎ねたのだよ。
……お陰で、この有り様さ。私はもう死人なのだから、無駄なのに、ね』
サマエルはにっこりしたが、唇の端や首の傷からは血が流れたままで、陰惨なその姿にサリエル達は足がすくみ、近づくことも出来ない。
「く、こ、この化け物め!
大人しく昇天せよ、さもなくば……!」
「きゃ!?」
ミカエルは、サリエルの一人に跳びかかり、その首に剣を突きつけた。
「おやめなさい、ミカエル!」
「や、やめて下さい、ミカエル様!」
近寄ろうとするフレイアとアスベエルに、大天使は叫んだ。
「来るな!」
『……やれやれ』
サマエルは、あきれたように大きく息をついた。
『真正の愚者だな、お前は。
息子を殺せば、悪霊が増えるだけだと、まだ分からないのか』
「そうよ、馬鹿!
ひいお祖父様、ミカエルに言ってやって下さいませ!
こんなことしても、何にもならないわ!」
フレイアは大天使に指を突きつけ、曽祖父を振り返った。
「そうですよ、ミカエル様。
大体、今あなたが捕まえてるのは、複製の方ですし」
アスベエルも、あきれたように指摘する。
「な、何だと、貴様!
我が不利になるようなことを、暴露するとは何事だ!
土台、魔物ごときに、本当の息子かどうかなど、分かるはずがなかろうが!」
カッとなったミカエルは、大声でアスベエルをののしった。
『……あくまでも自分の非を認めないつもりだな、つくづく愚かなことだ。
残念ながら、私には息子達の区別はちゃんとつくぞ』
冷ややかに、サマエルは言ってのける。
「わたくしにだって分かるわよ。
ひいお祖父様、早く、ミカエルにやめさせて下さいませ」
フレイアは口を尖らせたが、天帝は渋い顔をした。
「ミカエルの好きにさせてやるがよい」
「えっ!? ひいお祖父様、何を仰るの!?」
「そちが友人と思うておるのは、本物のサリエルじゃろう、ならば、複製の一体ごとき、玩具としてくれてやればよいのじゃ」
「で、でも、いくら複製でも、そんな可哀想なこと……」
女神は眉を曇らせる。
『……やはり、ひ孫より息子か』
死霊はつぶやいた。
「リナーシタ!」
「待てよ、サリエル。
天帝様、お考え直し下さい! 彼はもう、サリエルの弟なんです!」
助けに行こうとする義弟を引き止め、アスべエルは嘆願する。
「ふ、さすがは天帝様、分かっていらっしゃる」
逆にミカエルは、勝ち誇ったように笑った。
珍しくも、サマエルは不快感をはっきりと
『むう。さすがの私も、今の一幕は腹に据えかねるぞ、ミカエル、ゼデキア』
「何とでも言え、たかが、複製の一匹や二匹」
大天使は、怯えるホムンクルスを放そうとはしない。
『……お前達がその気なら、私にも考えがある』
サマエルは険しい顔で、くるりと女神に向き直った。
『フレイア。心優しいキミに、こんな話は聞かせたくなかったのだがね。
曽祖父が、自分よりミカエルに甘いと感じたことがあるのではないか?
その感覚は正しい……なぜなら、ミカエルは、ゼデキアの隠し子なのだから。
ひ孫より実子優先、というわけさ』
サマエルは、元天使長と、天帝を交互に手で示した。
「な、何ですって!?」
「で、でたらめじゃ! フレイア、耳を貸すでないぞ!」
声を張り上げる天帝を無視して、サマエルは続けた。
『掟により、大天使の子は神に列せられることはない、そこで、血筋のキミと結婚させ、名実共に後継者にしようとしたわけだ』
「う、嘘だ!」
たまりかねて、ミカエルが口を挟む。
「天帝様は、初め、ウリエルとの縁談を進めようとなさったのだぞ、それが破談となったがゆえに、我と……」
『ふっ、その頃のゼデキアは、まだまともで、お前よりウリエルの方が有能だと分かっていたし、フレイアの幸せも考慮に入れていたのさ。
だが、私の母に想いを寄せたせいで、お前は精神が不安定になり、ゼデキアは、天使の長たる自覚を持たせようとして、真実を告げてしまった。
お前は増長したが、天帝の血を引いてはいても、帝位には
そこで、お前は
「ほ、本当なの、ひいお祖父様……」
フレイアは蒼白な顔で、曽祖父を仰ぎ見る。
「い、いや、すべて偽り、創作じゃ、騙されるでない、フレイア。
こやつは敵、しかも悪霊、我らの間に
『くくく……フレイア、信じるか否かはキミ次第だが、私はゼデキアの夢に入り込み、すべてを見て来たのだよ。
ついでに言えば、ミカエルとの婚儀が成り立たなかった場合、ゼデキアは、キミに、自分の子を産ませるつもりでいるのだがね』
爆弾的な発言を、さらりとサマエルは言ってのけた。
「な、な、なん……!?」
フレイアは目を白黒させる。
『さて、これで話は終わりだ。
サリエル、リナーシタ、もうすぐタナトスが迎えに来るよ、待っておいで。
ウリエルも、私のことなど、さっさと忘れておしまい。
そして、皆、幸せになっておくれ。いいね』
最後の言葉は、アスベエルにも向けられていた、それは彼にも分かった。
「あ、父上!」
「待って下さい!」
「サマエル!」
三人が駆け寄った時には、幽霊は壁の中に吸い込まれ、消えてしまっていた。
「何が……どうなってるの……」
呆然と、フレイアは曽祖父を見る。
「フレイア、騙されるでない……」
「いやっ……!」
ゼデキアはひ孫に近寄ろうとするが、フレイアはアスベエルの影に隠れた。
「アスベエル、お前だけよ、信じられるのは。
教えて、何が真実なの?
ミカエルは、本当に、ひいお祖父様の息子なの?
それに、子供……わたくしに……」
女神は、血の気が引いた顔で涙を浮かべ、取りすがる。
「あ、その……」
言葉に詰まるアスベエルの代わりに答えたのは、メタトロンだった。
「フレイア様。生まれる前のことゆえ、彼は知らぬと存じますよ。
無論、ゼデキア様が、あなた様に子供を……のくだりは、サマエルの
「何を申すか、メタトロン、すべてがヤツの捏造じゃ!
噂ごときを真に受けるでないわ!」
天帝に叱責された書記官は、軽く頭を下げたものの、反論した。
「遺憾ながら、わたしはすべてを知っております。本人から聞きましたもので。
されど、天帝様のお気持ちも分かりますゆえ、今まで黙っておりましたが」
「むう……」
天帝が顔をしかめたその時、地下研究所の所長、リピーダが駆け込んで来た。
「て、天帝様、大変です、敵がすぐ近くまで!
お逃げ下さい!」