~紅龍の夢~

巻の七 DIES IRAE ─怒りの日─

21.故郷への帰還(5)

「……今のは、もしや」
ミカエルは、天帝に眼を向けた。
「うむ」
うなずいて見せるゼデキアの手は、操縦レバーを目一杯押し下げている。

大天使はにやりとし、砂嵐のようなスクリーンの映像に向けて手を振った。
「ふん、今頃現れたとて遅いぞ、サマエル。
見よ、パンテオンと共に灰燼(かいじん)に帰した、魔物どもの最期を」

『ふ、ふふ、あははは……!』
刹那、悪霊は声を上げて笑い始めた。
「な、何がおかしい!」
大天使は顔を真っ赤にし、怒鳴りつけた。
『ふっ、愚か者。これしきのことで、魔族が滅びるとでも?
さて、敵がここに隠れていると、知らせに行くとしよう』

「さ、左様なことをしてみろ、貴様の息子の命はないぞ!」
ミカエルは脅し文句を吐くものの、それが意味をなさないことは、そこにいる誰もが知っていた。

『おやおや、性格だけでなく、記憶力まで悪いのだな、お前は。殺せばいいと前にも言っただろうに。
まあ、皆にますます嫌われるだけ、だろうがね』
言い捨てて、幽霊は消えようとした。

「ま、待ってくれ、サマエル!
たとえ魔族が生き残っていても、ここを教えるのはやめてくれ!」
そう叫んだのは、ウリエルα(アルファ)だった。
王子の霊は、優しい眼差しを彼に注いだ。
『ウリエルか、久しぶりだね。達者で何よりだ』

「いや、わたしは……」
複製は、悲しげにうなだれる。
『知っているさ、ホムンクルスだということは。
それでも、生きているお前の姿を眼に出来るのは、私にとっては喜びだよ』
サマエルは優しく微笑んだ。
「な、ならば……」
ホムンクルスは、すがるような眼をした。

『そうだね……お前に免じて、知らせるのはよしてもいいが。
まあ、私が何もせずとも、いずれここも見つかる、逃げる準備をしておくことだね、ふふ』
「お前さえ黙っていてくれれば、左様な事態にはなるまい!
ここにいてくれ、さすれば、サリエルとも共に暮らせるのだぞ!」
生前と変わらず妖艶に笑う姿に、ウリエルは思わず口走っていた。

「な、何を言い出す、ウリエル! 悪趣味な真似はやめろ!」
ラファエルは叫ぶ。
そのとき、天帝は意外な台詞を吐いた。
「ふむ、それもよかろう。手元に留めておくがよい」
「て、天帝様!?」

「考えてもみよ、ラファエル。陰で悪巧みなどされても面倒じゃ」
言いながら、天帝はミカエルの眼を捉えた。
大天使はかすかにうなずき、そろそろと移動を始める。

ウリエルαは礼をし、幽霊に手を差し伸べた。
「お許しも出た、サマエル、頼む、どうか、ずっとここに……そうだ、実体化してくれ、お前に触れたい」
『むう……ずっとは無理だが、ちょっとの間なら……』
天使の必死な表情に夢魔の霊もほだされたのか、肩をすくめると実体化して、その手を取ろうとした。

「甘いぞ、サマエル!
──昇天せよ!」
まさにその瞬間、二人の死角に回っていたミカエルが、力任せに剣を振るい、サマエルの首を()ねた。
首は勢いよく床に転がり、噴き出した大量の血は周囲の天使達を紅く染め、体は前のめりに倒れた。

「ふん、他愛もない」
全身に返り血を浴び、赤鬼さながらとなったミカエルは、満足気な笑みを浮かべ、剣を振って血の雫を払った。
「サマエル! あああ……!」
愛する人の首を拾い上げ、ウリエルαは悲嘆に暮れた。

陰惨な情景に、天使達が声もなくおののいていたとき、ドアがノックされ、開いた。
「ひいお祖父様、失礼しますわ。
今さっきの音と揺れは……きゃっ!」
室内の惨状を一目見た、フレイアが悲鳴を上げた。
その後ろで、アスベエルとサリエル達が凍りついていた。

『……おやおや、子供達に、ひどいところを見せてしまったな。
トラウマにならなければいいのだが』
ホムンクルスの腕の中で、生首が口を利いたのはそのときだった。
「サ、サマエル……?」
ウリエルαは眼を見張る。
『忘れたのかい、私は、すでに死んでいるのだよ』
笑みを浮かべた首は、ふわりと浮き上がり、体の方へ漂っていく。

「待て! 逃さぬぞ!」
ミカエルは剣を振り回し、生首をたたき落とそうとした。
それをかいくぐって首は胴体にくっつき、サマエルはむくりと起き上がった。
「ち、父上!?」
「な、何が!?」
我に返ったサリエルとリナーシタが声を上げる。

『ああ、お前達。
ウリエルと握手しようと実体化したら、ミカエルが私の首を刎ねたのだよ。
……お陰で、この有り様さ。私はもう死人なのだから、無駄なのに、ね』
サマエルはにっこりしたが、唇の端や首の傷からは血が流れたままで、陰惨なその姿にサリエル達は足がすくみ、近づくことも出来ない。

「く、こ、この化け物め!
大人しく昇天せよ、さもなくば……!」
「きゃ!?」
ミカエルは、サリエルの一人に跳びかかり、その首に剣を突きつけた。

「おやめなさい、ミカエル!」
「や、やめて下さい、ミカエル様!」
近寄ろうとするフレイアとアスベエルに、大天使は叫んだ。
「来るな!」

『……やれやれ』
サマエルは、あきれたように大きく息をついた。
『真正の愚者だな、お前は。
息子を殺せば、悪霊が増えるだけだと、まだ分からないのか』

「そうよ、馬鹿!
ひいお祖父様、ミカエルに言ってやって下さいませ!
こんなことしても、何にもならないわ!」
フレイアは大天使に指を突きつけ、曽祖父を振り返った。

「そうですよ、ミカエル様。
大体、今あなたが捕まえてるのは、複製の方ですし」
アスベエルも、あきれたように指摘する。

「な、何だと、貴様!
我が不利になるようなことを、暴露するとは何事だ!
土台、魔物ごときに、本当の息子かどうかなど、分かるはずがなかろうが!」
カッとなったミカエルは、大声でアスベエルをののしった。

『……あくまでも自分の非を認めないつもりだな、つくづく愚かなことだ。
残念ながら、私には息子達の区別はちゃんとつくぞ』
冷ややかに、サマエルは言ってのける。

「わたくしにだって分かるわよ。
ひいお祖父様、早く、ミカエルにやめさせて下さいませ」
フレイアは口を尖らせたが、天帝は渋い顔をした。
「ミカエルの好きにさせてやるがよい」

「えっ!? ひいお祖父様、何を仰るの!?」
「そちが友人と思うておるのは、本物のサリエルじゃろう、ならば、複製の一体ごとき、玩具としてくれてやればよいのじゃ」

「で、でも、いくら複製でも、そんな可哀想なこと……」
女神は眉を曇らせる。
『……やはり、ひ孫より息子か』
死霊はつぶやいた。

「リナーシタ!」
「待てよ、サリエル。
天帝様、お考え直し下さい! 彼はもう、サリエルの弟なんです!」
助けに行こうとする義弟を引き止め、アスべエルは嘆願する。
「ふ、さすがは天帝様、分かっていらっしゃる」
逆にミカエルは、勝ち誇ったように笑った。

珍しくも、サマエルは不快感をはっきりと(おもて)に表した。
『むう。さすがの私も、今の一幕は腹に据えかねるぞ、ミカエル、ゼデキア』
「何とでも言え、たかが、複製の一匹や二匹」
大天使は、怯えるホムンクルスを放そうとはしない。

『……お前達がその気なら、私にも考えがある』
サマエルは険しい顔で、くるりと女神に向き直った。
『フレイア。心優しいキミに、こんな話は聞かせたくなかったのだがね。
曽祖父が、自分よりミカエルに甘いと感じたことがあるのではないか?
その感覚は正しい……なぜなら、ミカエルは、ゼデキアの隠し子なのだから。
ひ孫より実子優先、というわけさ』
サマエルは、元天使長と、天帝を交互に手で示した。

「な、何ですって!?」
「で、でたらめじゃ! フレイア、耳を貸すでないぞ!」
声を張り上げる天帝を無視して、サマエルは続けた。
『掟により、大天使の子は神に列せられることはない、そこで、血筋のキミと結婚させ、名実共に後継者にしようとしたわけだ』

「う、嘘だ!」
たまりかねて、ミカエルが口を挟む。
「天帝様は、初め、ウリエルとの縁談を進めようとなさったのだぞ、それが破談となったがゆえに、我と……」

『ふっ、その頃のゼデキアは、まだまともで、お前よりウリエルの方が有能だと分かっていたし、フレイアの幸せも考慮に入れていたのさ。
だが、私の母に想いを寄せたせいで、お前は精神が不安定になり、ゼデキアは、天使の長たる自覚を持たせようとして、真実を告げてしまった。
お前は増長したが、天帝の血を引いてはいても、帝位には()けない。
そこで、お前は執拗(しつよう)に彼女との婚姻を求め、息子可愛さに、ゼデキアも同意した……フレイア、失礼ながら、キミは女帝の器ではないからね』

「ほ、本当なの、ひいお祖父様……」
フレイアは蒼白な顔で、曽祖父を仰ぎ見る。
「い、いや、すべて偽り、創作じゃ、騙されるでない、フレイア。
こやつは敵、しかも悪霊、我らの間に(くさび)を打ち込み、分断する魂胆なのじゃ!」

『くくく……フレイア、信じるか否かはキミ次第だが、私はゼデキアの夢に入り込み、すべてを見て来たのだよ。
ついでに言えば、ミカエルとの婚儀が成り立たなかった場合、ゼデキアは、キミに、自分の子を産ませるつもりでいるのだがね』
爆弾的な発言を、さらりとサマエルは言ってのけた。
「な、な、なん……!?」
フレイアは目を白黒させる。
 
『さて、これで話は終わりだ。
サリエル、リナーシタ、もうすぐタナトスが迎えに来るよ、待っておいで。
ウリエルも、私のことなど、さっさと忘れておしまい。
そして、皆、幸せになっておくれ。いいね』
最後の言葉は、アスベエルにも向けられていた、それは彼にも分かった。

「あ、父上!」
「待って下さい!」
「サマエル!」
三人が駆け寄った時には、幽霊は壁の中に吸い込まれ、消えてしまっていた。

「何が……どうなってるの……」
呆然と、フレイアは曽祖父を見る。
「フレイア、騙されるでない……」
「いやっ……!」
ゼデキアはひ孫に近寄ろうとするが、フレイアはアスベエルの影に隠れた。

「アスベエル、お前だけよ、信じられるのは。
教えて、何が真実なの?
ミカエルは、本当に、ひいお祖父様の息子なの?
それに、子供……わたくしに……」
女神は、血の気が引いた顔で涙を浮かべ、取りすがる。

「あ、その……」
言葉に詰まるアスベエルの代わりに答えたのは、メタトロンだった。
「フレイア様。生まれる前のことゆえ、彼は知らぬと存じますよ。
無論、ゼデキア様が、あなた様に子供を……のくだりは、サマエルの捏造(ねつぞう)でございましょう、されど、ミカエル様がご落胤(らくいん)というのは、知る人ぞ知る、公然の秘密で……」

「何を申すか、メタトロン、すべてがヤツの捏造じゃ!
噂ごときを真に受けるでないわ!」
天帝に叱責された書記官は、軽く頭を下げたものの、反論した。
「遺憾ながら、わたしはすべてを知っております。本人から聞きましたもので。
されど、天帝様のお気持ちも分かりますゆえ、今まで黙っておりましたが」

「むう……」
天帝が顔をしかめたその時、地下研究所の所長、リピーダが駆け込んで来た。
「て、天帝様、大変です、敵がすぐ近くまで!
お逃げ下さい!」