21.故郷への帰還(3)
『やめよ!』
「うわっ!」
シンハはベリアスに飛びかかり、床に引き倒した。
「よくやった!」
タナトスは叫び、操縦レバーを上げる。
スクリーンに映る景色の動きは止まり、パンテオンは、ゆっくりと上昇を始めた。
「……よし」
タナトスは汗をぬぐう。
「は、放せ、放せっ!」
暴れる力天使に全体重をかけて押さえつけ、シンハは尋ねた。
『ベリアスとやら。何ゆえ、かようなことを?』
「そうだぞ、お前の中には、もう虫は……」
シェミハザの言葉を、ベリアスは激しくさえぎる。
「虫なんて関係ない! わたしが裏切れば、ハニエル様がどんな目に遭うか!」
「ハニエルだって? 彼女がどうかしたのか?」
「……」
力天使は、ぷいと横を向いた。
「ちょっと待ってくれ」
アザゼルが話に割り込んだ。
「もしやお前、彼女のことを想っているのか?
ならば心配はいらない。汎神殿にいる女天使には手出しせぬよう、タナトス様が手配して下さったぞ」
ベリアスは、かすかに
「……いえ、あの方はもう、ここにはいません。
フレイア様の侍女として、天帝様方と一緒に……」
「人質として連れて行かれた、というのか?」
「その話はもう、いいですから」
ベリアスは眼を閉じ、諦めたように体の力を抜いた。
「……ともかく、パンテオンをここに着地させて下さい、誰も死なせずに済みます……神々だけでなく、あなた方も……」
「何だって?」
『それはいかなる意味か?』
シンハが、大人しくなった力天使を解放するのと、タナトスが彼を押しのけるのは同時だった。
「どけ、シンハ! 貴様、今のはどういう意味だ!」
胸倉をつかまれたベリアスは、首を横に振った。
「い、言えません……」
「貴様!」
『待つがよい、サタナエル。
この者からは、かすかなれど、カオスの力の残り
ルキフェルと関わりがあるのであろう、看守ゆえに』
シンハにいさめられた魔界王は、渋々手を放す。
「ち!」
「大丈夫か、ベリアス」
「立てるか?」
シェミハザとアザゼルは力天使を助け、立ち上がらせた。
「も、申し訳……」
『ベリアスよ、何やら
話せるところまででよいゆえ、申してみよ』
「……あ、ああ……!」
だが、シンハと眼が合った瞬間、力天使は頭を抱えてうずくまってしまった。
『いかがした?』
「おい、どうした?」
……危ない!」
肩に手をかけた途端、力天使は前のめりに倒れそうになり、シェミハザは慌てて支えた。
「しっかりしろ!」
アザゼルが揺さぶるも、反応は返って来ない。
「シンハ、貴様、何をした?」
魔界王の問いかけに、ライオンは肩をすくめた。
『何もしておらぬ』
「ふむ、貴様の眼力には、天使でも魂を抜かれるか」
『待て、動かすでない。我が
シンハは前足で床を示した。
「は、はい、お願いします」
シェミハザは、気を失った力天使をそっと横たえた。
シンハは紅い瞳を光らせ、ベリアスを透視した。
『……身体の方は大事ない。虫も、しかと消滅しておる。
今少し経てば、おのずと目覚めるであろう』
「そ、そうですか」
「ありがとうございました」
堕天使達は、ほっとして頭を下げた。
「シンハの眼って、吸い込まれそうになっちゃうからなぁ」
「無理ないわ。心臓の虫をやっつけたばっかりで、体も弱ってたんでしょ」
リオンとシュネが倒れた天使を覗き込んだとき、ベリアスが意識を回復した。
「あ……おお、あなたは……サマエル様……」
「え? ああ、よく似てるって言われるけど、ぼくはリオンだよ。こっちは……」
彼は、妹分を手で示す。
「あたし、シュ、シュネよ。あたし達、サマエル父さんの……」
「サマエル様の縁者の方ですね、よく似ておられます」
「え? 知ってるの? 父さんのこと……あ、看守だから当たり前か」
リオンは頭をかいた。
「はい……すべて思い出しました。
あの方は、わたし達の身を案じ、暗示をかけて記憶を封じて下さったのです……シンハ様の眼を見たときに、それが解けるようにして」
「そ、そうだったの」
「さすが、父さん」
「なるほどな、ヤツのやりそうなことだ。
となると、当然、貴様も、我らに
タナトスが尋ねた。
「は、はい、左様で……」
「ふん。ではなぜ、こんなことをしたのだ?」
「それは……その、パンテオンは、一度離陸させたら、元の場所には戻せないのです……、着地した瞬間、大爆発を起こしてしまうので……」
「何だと!?」
「ええ!?」
「爆発だって!?」
彼の言葉に、全員が凍りついた。
「わたしは……魔族が城内に突入するのを見計らい、自爆せよと命ぜられておりました……市街に居残る神々も、
仮に、自爆前に見つかってしまった場合は、寝返った振りをして、天帝達が逃げる時を稼ぐようにと……」
「人質取って自爆させるなんて、ひどい……!」
「同族の命を、逃げる時間稼ぎに使うなんて!」
シュネやリオンも抗議の声を上げる。
「むう、いざとなったら、神々も捨て駒か」
「言語道断としか言えないな……、気分はどうだ、ベリアス」
嘆きを口にしつつ、シェミハザとアザゼルは、起きようとする力天使を、両側から助け起こした。
「はい、もう平気です……」
『ふむ。神々は、ゼデキアを見限った。
それゆえ、ヤツの方でも、もはや神々など不要と考えたのであろうな』
シンハは、やり切れない表情で、ぶるぶると体を揺すった。
たてがみからはぜる火の粉が、執務室に敷き詰められた上質な絨毯に落下し煌めき消えた。
「……その通りです。
ですから、わたしは決意致しました、皆様を別な場所にお連れし、わたし一人が残って、パンテオンを爆発させようと……。
その音や振動を感じれば、天帝も油断し、地上へ戻って来るでしょう、どうか、わたしの命と引き換えに、ハニエル様をお助け下さい!
ベリアスは、床に頭をこすりつけた。
(ち、また色恋沙汰か)
タナトスは、心の中で舌打ちした。
彼の顔色を読んだように、アザゼルもまた、ベリアスの隣に平伏した。
「タナトス様、わたしからも、お願い申し上げます!
他人事とは思えません、何とぞ、よしなに!」
シェミハザもまた、二人の横に手をついた。
「どうぞ、ベリアスの願い、叶えて頂きたく!」
「……ふん……」
とっくに心は決まっていたが、タナトスは腕組みをし、考えている振りをした。
「伯父さん、助けてあげて下さい!」
「ぼくからもお願いします!」
シュネとリオンも、揃って頭を下げた。
爛々と瞳を燃え上がらせた魔界のライオンと眼が合うと、タナトスは肩をすくめた。
“分かっておるわ、誰に何を言われるまでもない。
女の一匹や二匹で、事がうまく運ぶのなら、安いものだ”
そっけなく意思を伝え、タナトスは訊いた。
「ベリアスといったな。どこに爆薬が仕掛けられているか分かるか?」
「……土台に仕掛けがあり、パンテオンが地下入り口に再接触すると、爆発するようになっていると聞きました……ただし、それが爆薬なのか、魔法なのかまでは……」
「ふん。ならば、まずは元の場所近くまで飛ばせ。
そして、パンテオンは空中に浮かせたまま、地下入り口に細工して、そこだけを爆発させればいいだろう」
『うむ。巨大な爆発が地表にて起きれば、地殻変動……地震、噴火等を誘発しかねぬな』
神託を下すように、シンハは重々しく言った。
「その通りだ。せっかく、念願叶って戻って来れたというのに、故郷を汚したくはない。
それに、捕虜の収容場所も必要だからな。
ベリアスよ。首尾よく行ったら、褒美としてハニエルは貴様にくれてやる、生きて俺に仕えろ」
「はは、ありがたき幸せ!」
「「ありがとうございます!」」
三人の元天使は、頭を床につけたまま、礼を述べた。
「よかった!」
「ありがとう、伯父さん!」
リオンとシュネも、手を取り合って喜んだ。
「さあ、そうと決まれば忙しいぞ。
ベリアス、席に戻ってパンテオンを動かせ。
シェミハザ達は、神どもに経緯を話して来い。
ますますゼデキアに愛想が尽き、女神達を引渡す気になるかも知れん」
「は!」
「分かりました」
『どの道、一旦は、皆を地上に降ろした方がよかろう。
ベリアスが知らぬだけで、パンテオン内部に仕掛けがあるやも知れぬゆえな』
シンハは言い、タナトスはうなずいたく。
「ふん、たしかにな」
堕天使二人に支えられるようにして、席に戻ったベリアスは顔色を変えた。
「う!? タ、タナトス様、操縦装置がいうことを利きません!」
「何だって!?」
「……くう、う、本当だ」
慌てたシェミハザとアザゼルが加勢したが、レバーはまったく動かない。
『されど、見よ、パンテオンは移動しておるぞ』
シンハは、スクリーンに映る景色を前足で示した。
「何だと!? 俺に貸せ!」
タナトスも駆け寄り、レバーをわしづかみにするが、やはりびくともしない。
「くそ! 一体どういうことだ!」
「わ、分かりません、さっきまでは、たしかに……。
あ、そ、そういえば」
ベリアスは、はっと顔を上げた。
「何だ、心あたりでもあるのか」
「はい。ミカエルの言葉を、今、思い出しました。
たとえお前が
「ちぃ! くそミカエルめ!」
『やはりか。何かあると思うたが、ベリアスに操縦を任せたも罠の一環か』
魔界の王族達は、険しい顔になった。
“全軍に告ぐ!
パンテオンは現在、ゼデキアの企みにより地上より切り離され、空中にある!
何が仕掛けられているか分からん、一旦外に出るぞ!”
タナトスが念話でそう言った途端、斥候から念が届いた。
“タナトス様、報告致します!
パンテオン全体に、再び結界が張られました、しかも、先ほどより強力で、脱出は困難かと思われます!”
“結界だとぉ! そんなもの、破壊してやる!”
荒っぽく通信を打ち切り、タナトスは叫んだ。
「忌々しいゼデキアめ、また結界を張りおった!
リオン、シュネ! 一緒に来い! 結界を破壊し、皆を脱出させるぞ!」
「「はい!」」
「シェミハザは神どもを、アザゼルは、他の堕天使達に手伝わせて天使の残党
をすべて逃がせ!」
「「は!」」
“全軍に告ぐ、汎神殿から出ろ、大至急だ! 捕虜も連れて来い、急げ!
ゼデキアは結界で俺達を封じ込め、パンテオンごと爆破する気だ!
俺達が結界を破壊する、命の惜しいヤツは、速攻で離脱しろ!”
念話の最後は、魔族だけではなく、パンテオンにいる神族にも向けられていた。
矢継ぎ早に命令を下しながら、タナトスは扉に突進して、室外に出る。
魔界の王は龍へと変化し、シンハが肩へ飛び乗ると、黔龍は大きく羽ばたいて、市街を目指した。
二頭の龍と魔物達がその後へ続き、堕天使達は命令を遂行すべく飛び立ち、散開して行った。