~紅龍の夢~

巻の七 DIES IRAE ─怒りの日─

21.故郷への帰還(3)

『やめよ!』
「うわっ!」
シンハはベリアスに飛びかかり、床に引き倒した。
「よくやった!」
タナトスは叫び、操縦レバーを上げる。
スクリーンに映る景色の動きは止まり、パンテオンは、ゆっくりと上昇を始めた。

「……よし」
タナトスは汗をぬぐう。
「は、放せ、放せっ!」
暴れる力天使に全体重をかけて押さえつけ、シンハは尋ねた。
『ベリアスとやら。何ゆえ、かようなことを?』

「そうだぞ、お前の中には、もう虫は……」
シェミハザの言葉を、ベリアスは激しくさえぎる。
「虫なんて関係ない! わたしが裏切れば、ハニエル様がどんな目に遭うか!」
「ハニエルだって? 彼女がどうかしたのか?」
「……」
力天使は、ぷいと横を向いた。

「ちょっと待ってくれ」
アザゼルが話に割り込んだ。
「もしやお前、彼女のことを想っているのか?
ならば心配はいらない。汎神殿にいる女天使には手出しせぬよう、タナトス様が手配して下さったぞ」

ベリアスは、かすかに(かぶり)を振った。
「……いえ、あの方はもう、ここにはいません。
フレイア様の侍女として、天帝様方と一緒に……」
「人質として連れて行かれた、というのか?」

「その話はもう、いいですから」
ベリアスは眼を閉じ、諦めたように体の力を抜いた。
「……ともかく、パンテオンをここに着地させて下さい、誰も死なせずに済みます……神々だけでなく、あなた方も……」 
「何だって?」

『それはいかなる意味か?』
シンハが、大人しくなった力天使を解放するのと、タナトスが彼を押しのけるのは同時だった。
「どけ、シンハ! 貴様、今のはどういう意味だ!」
胸倉をつかまれたベリアスは、首を横に振った。
「い、言えません……」
「貴様!」

『待つがよい、サタナエル。
この者からは、かすかなれど、カオスの力の残り()が感じ取れる。
ルキフェルと関わりがあるのであろう、看守ゆえに』
シンハにいさめられた魔界王は、渋々手を放す。
「ち!」

「大丈夫か、ベリアス」
「立てるか?」
シェミハザとアザゼルは力天使を助け、立ち上がらせた。
「も、申し訳……」

『ベリアスよ、何やら仔細(しさい)有り気だが、悪いようにはせぬ。
話せるところまででよいゆえ、申してみよ』
「……あ、ああ……!」
だが、シンハと眼が合った瞬間、力天使は頭を抱えてうずくまってしまった。
『いかがした?』

「おい、どうした?」
……危ない!」
肩に手をかけた途端、力天使は前のめりに倒れそうになり、シェミハザは慌てて支えた。
「しっかりしろ!」
アザゼルが揺さぶるも、反応は返って来ない。

「シンハ、貴様、何をした?」
魔界王の問いかけに、ライオンは肩をすくめた。
『何もしておらぬ』
「ふむ、貴様の眼力には、天使でも魂を抜かれるか」

『待て、動かすでない。我が()てやるゆえ、そこに寝かせよ』
シンハは前足で床を示した。
「は、はい、お願いします」
シェミハザは、気を失った力天使をそっと横たえた。

シンハは紅い瞳を光らせ、ベリアスを透視した。
『……身体の方は大事ない。虫も、しかと消滅しておる。
今少し経てば、おのずと目覚めるであろう』
「そ、そうですか」
「ありがとうございました」
堕天使達は、ほっとして頭を下げた。

「シンハの眼って、吸い込まれそうになっちゃうからなぁ」
「無理ないわ。心臓の虫をやっつけたばっかりで、体も弱ってたんでしょ」
リオンとシュネが倒れた天使を覗き込んだとき、ベリアスが意識を回復した。
「あ……おお、あなたは……サマエル様……」

「え? ああ、よく似てるって言われるけど、ぼくはリオンだよ。こっちは……」
彼は、妹分を手で示す。
「あたし、シュ、シュネよ。あたし達、サマエル父さんの……」
「サマエル様の縁者の方ですね、よく似ておられます」

「え? 知ってるの? 父さんのこと……あ、看守だから当たり前か」
リオンは頭をかいた。
「はい……すべて思い出しました。
あの方は、わたし達の身を案じ、暗示をかけて記憶を封じて下さったのです……シンハ様の眼を見たときに、それが解けるようにして」
「そ、そうだったの」
「さすが、父さん」

「なるほどな、ヤツのやりそうなことだ。
となると、当然、貴様も、我らに(くみ)する気があるのだな?」
タナトスが尋ねた。
「は、はい、左様で……」
「ふん。ではなぜ、こんなことをしたのだ?」

「それは……その、パンテオンは、一度離陸させたら、元の場所には戻せないのです……、着地した瞬間、大爆発を起こしてしまうので……」
「何だと!?」
「ええ!?」
「爆発だって!?」
彼の言葉に、全員が凍りついた。

「わたしは……魔族が城内に突入するのを見計らい、自爆せよと命ぜられておりました……市街に居残る神々も、一蓮托生(いちれんたくしょう)だ、と……。
仮に、自爆前に見つかってしまった場合は、寝返った振りをして、天帝達が逃げる時を稼ぐようにと……」

「人質取って自爆させるなんて、ひどい……!」
「同族の命を、逃げる時間稼ぎに使うなんて!」
シュネやリオンも抗議の声を上げる。

「むう、いざとなったら、神々も捨て駒か」
「言語道断としか言えないな……、気分はどうだ、ベリアス」
嘆きを口にしつつ、シェミハザとアザゼルは、起きようとする力天使を、両側から助け起こした。
「はい、もう平気です……」

『ふむ。神々は、ゼデキアを見限った。
それゆえ、ヤツの方でも、もはや神々など不要と考えたのであろうな』
シンハは、やり切れない表情で、ぶるぶると体を揺すった。
たてがみからはぜる火の粉が、執務室に敷き詰められた上質な絨毯に落下し煌めき消えた。

「……その通りです。
ですから、わたしは決意致しました、皆様を別な場所にお連れし、わたし一人が残って、パンテオンを爆発させようと……。
その音や振動を感じれば、天帝も油断し、地上へ戻って来るでしょう、どうか、わたしの命と引き換えに、ハニエル様をお助け下さい!
後生(ごしょう)でございます……!」
ベリアスは、床に頭をこすりつけた。

(ち、また色恋沙汰か)
タナトスは、心の中で舌打ちした。
彼の顔色を読んだように、アザゼルもまた、ベリアスの隣に平伏した。
「タナトス様、わたしからも、お願い申し上げます!
他人事とは思えません、何とぞ、よしなに!」
シェミハザもまた、二人の横に手をついた。
「どうぞ、ベリアスの願い、叶えて頂きたく!」

「……ふん……」
とっくに心は決まっていたが、タナトスは腕組みをし、考えている振りをした。
「伯父さん、助けてあげて下さい!」
「ぼくからもお願いします!」
シュネとリオンも、揃って頭を下げた。

爛々と瞳を燃え上がらせた魔界のライオンと眼が合うと、タナトスは肩をすくめた。
“分かっておるわ、誰に何を言われるまでもない。
女の一匹や二匹で、事がうまく運ぶのなら、安いものだ”
そっけなく意思を伝え、タナトスは訊いた。

「ベリアスといったな。どこに爆薬が仕掛けられているか分かるか?」
「……土台に仕掛けがあり、パンテオンが地下入り口に再接触すると、爆発するようになっていると聞きました……ただし、それが爆薬なのか、魔法なのかまでは……」

「ふん。ならば、まずは元の場所近くまで飛ばせ。
そして、パンテオンは空中に浮かせたまま、地下入り口に細工して、そこだけを爆発させればいいだろう」

『うむ。巨大な爆発が地表にて起きれば、地殻変動……地震、噴火等を誘発しかねぬな』
神託を下すように、シンハは重々しく言った。

「その通りだ。せっかく、念願叶って戻って来れたというのに、故郷を汚したくはない。
それに、捕虜の収容場所も必要だからな。
ベリアスよ。首尾よく行ったら、褒美としてハニエルは貴様にくれてやる、生きて俺に仕えろ」

「はは、ありがたき幸せ!」
「「ありがとうございます!」」
三人の元天使は、頭を床につけたまま、礼を述べた。
「よかった!」
「ありがとう、伯父さん!」
リオンとシュネも、手を取り合って喜んだ。

「さあ、そうと決まれば忙しいぞ。
ベリアス、席に戻ってパンテオンを動かせ。
シェミハザ達は、神どもに経緯を話して来い。
ますますゼデキアに愛想が尽き、女神達を引渡す気になるかも知れん」
「は!」
「分かりました」

『どの道、一旦は、皆を地上に降ろした方がよかろう。
ベリアスが知らぬだけで、パンテオン内部に仕掛けがあるやも知れぬゆえな』
シンハは言い、タナトスはうなずいたく。
「ふん、たしかにな」

堕天使二人に支えられるようにして、席に戻ったベリアスは顔色を変えた。
「う!? タ、タナトス様、操縦装置がいうことを利きません!」
「何だって!?」
「……くう、う、本当だ」
慌てたシェミハザとアザゼルが加勢したが、レバーはまったく動かない。

『されど、見よ、パンテオンは移動しておるぞ』
シンハは、スクリーンに映る景色を前足で示した。
「何だと!? 俺に貸せ!」
タナトスも駆け寄り、レバーをわしづかみにするが、やはりびくともしない。
「くそ! 一体どういうことだ!」

「わ、分かりません、さっきまでは、たしかに……。
あ、そ、そういえば」
ベリアスは、はっと顔を上げた。
「何だ、心あたりでもあるのか」

「はい。ミカエルの言葉を、今、思い出しました。
たとえお前が怖気(おじけ)づき、逃げ出そうとしても無駄だ。こちらでもパンテオンを動かせるのだからと……にやつきながら……」
「ちぃ! くそミカエルめ!」
『やはりか。何かあると思うたが、ベリアスに操縦を任せたも罠の一環か』
魔界の王族達は、険しい顔になった。

“全軍に告ぐ!
パンテオンは現在、ゼデキアの企みにより地上より切り離され、空中にある!
何が仕掛けられているか分からん、一旦外に出るぞ!”
タナトスが念話でそう言った途端、斥候から念が届いた。

“タナトス様、報告致します!
パンテオン全体に、再び結界が張られました、しかも、先ほどより強力で、脱出は困難かと思われます!”
“結界だとぉ! そんなもの、破壊してやる!”
荒っぽく通信を打ち切り、タナトスは叫んだ。

「忌々しいゼデキアめ、また結界を張りおった!
リオン、シュネ! 一緒に来い! 結界を破壊し、皆を脱出させるぞ!」
「「はい!」」
「シェミハザは神どもを、アザゼルは、他の堕天使達に手伝わせて天使の残党
をすべて逃がせ!」
「「は!」」

“全軍に告ぐ、汎神殿から出ろ、大至急だ! 捕虜も連れて来い、急げ!
ゼデキアは結界で俺達を封じ込め、パンテオンごと爆破する気だ!
俺達が結界を破壊する、命の惜しいヤツは、速攻で離脱しろ!”
念話の最後は、魔族だけではなく、パンテオンにいる神族にも向けられていた。

矢継ぎ早に命令を下しながら、タナトスは扉に突進して、室外に出る。
魔界の王は龍へと変化し、シンハが肩へ飛び乗ると、黔龍は大きく羽ばたいて、市街を目指した。
二頭の龍と魔物達がその後へ続き、堕天使達は命令を遂行すべく飛び立ち、散開して行った。