21.故郷への帰還(1)
決死の覚悟を決めて突入したリオンとシュネが出た先は、地上ではなかった。
羽ばたく彼らの足下には、さっきまでよりもぐんと大きく近くなった球体が、青く輝いている。
肩透かしを喰らった碧龍と朱龍は、顔を見合わせた。
“……変だな、てっきり、城の中に出ると思ってたのに”
“あ、あたしもそう思ってた。
ええっと……汎神殿って、あそこにあるのよね?”
シュネは、ウィリディスを指差す。
“そ、そうだね、探して偵察しなきゃ”
今のところ、敵の姿は見えなかった。
それでも二頭は、いつ攻撃されても即座に反撃出来るよう、最大限の注意を払いつつ、敵の都市の探索にかかった。
そうして、彼らがウィリディスを半周したとき。
“あ、あの丸いの、そうじゃない?”
遙か前方、何もない荒野のど真ん中に、半透明の球体を見つけたのは碧龍だった。
“うん、多分あれだね。
けど、見つけてくれと言わんばかりだなあ、隠す気もないのか……ともかく、気づかれないように偵察しよう”
“そうね”
二頭は警戒しながら、高度を下げずに、ゆっくりと近づいて行く。
“何も起きないな……不気味なくらい、静かだね”
静かに羽ばたきながら、リオンは眉を寄せた。
“ええ、ホント。ひょっとして、あれじゃないのかしら”
シュネも小首をかしげる。
“いや、これで合ってると思うよ、都市は一つしかないって聞いたし”
“でも、見張りもいないなんて、おかしくない?”
“そうだね、たしかに変だ。
……神族のヤツら、ぼくらに
朱龍は眼を細め、球体の中を
抜群の視力を
“あたし達のこと、気づいてないだけかも。とにかく、伯父さんに知らせましょ”
二頭は、結界がギリギリ視界に入るくらいまで後退し、念話を送った。
彼らの報告を、タナトス達と共に聞いたシェミハザは、首をかしげた。
「……妙ですね、転移門は、汎神殿の塔に直通していたはずですが」
『ゼデキアは用意周到だ、あらかじめ座標を変えておいたのであろう、我らが容易に攻め入れぬようにな』
シンハが重々しく答えた。
「ともあれ、わたし達がいた頃、パンテオンを覆う結界は、さほど強力なものではありませんでしたよ。
風土病や害虫などを防ぐのが、主な役目でしたから。
さすがに、今は強化されているでしょうが」
そう口を挟んだのは、アザゼルだった。
「ふん、病害虫よけか。
俺達と立場が逆になることなど想像もしなかったか、間抜けめが」
タナトスは、馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
「とはいえ、この非常時に、見張りさえ置かないというのは怪しいです。
我らを罠に誘い込む算段なのでは……」
心配そうに、シェミハザは眉を曇らせた。
“ふん、罠ごとき、蹴散らすまでよ。
どの道、俺達はウィリディスに帰還するのだからな。
──全軍、整列! 移動を開始するぞ、俺に続け!”
黔龍の後をついて、魔軍は次々に転移門へ入って行く。
全員が転移を終えても、やはり、敵からの攻撃はない。
タナトスは、軍団を従えてウィリディス上空を半周し、二頭と合流する。
“リオン、シュネ、ご苦労。敵の様子は?”
“異状なしです”
“罠もありません”
“よし。
これより我らは、故郷、ウィリディスへの帰還を果たす!
敵の襲撃に備え、陣形を乱すな!
──行くぞ!”
魔界王の号令一下、魔物の軍勢は、地表目がけて降下を開始する。
その様子は、あたかも炎の尾を引くおびただしい数の流星群でもあるかのように、地上からは見えたことだろう。
皮肉なことに、その光景は、遥かなる太古、神族が大挙して攻めて来た時、フェレス族が眼にしたものに酷似していた。
そうして、魔軍は、敵の本拠地をぐるりと囲んだ。
『見よ、敵のお出ましだ』
シンハの言葉に、皆は結界の中に眼を凝らした。
さすがに彼らの侵攻に気づいたか、それまで無人だった街路に、天使と思しき影が現れて、みるみる数を増していく。
“まずは、俺達が結界に突撃する!
結界消滅と同時に、マルショシアス軍と紅龍軍を先頭に、敵陣に突入だ!
ただし、無駄に街を破壊することは許さんぞ!
重ねて言っておく、女は殺すな、男でも無抵抗なら生け捕れ!
それが守れんヤツは、俺が成敗する、分かったな!
よし、リオン、シュネ、行くぞ!”
黔龍を筆頭に、朱龍と碧龍が結界に突っ込んで行く。
三頭が一斉に体当たりを食らわすと、結界はシャボン玉のように
当然、激しい抵抗があるものと思われたが、ここでも肩透かしを喰らう結果となった。
敵の反撃は、意外なものだったのだ。
天使達はただひたすら、体当たり特攻をしかけて来るだけで、それは攻撃とは呼べないくらい、手応えがなかった。
悲鳴に近い声を上げながら、決死の形相で飛びかかって来る天使達を、タナトスは、羽虫でもあしらうかのように、前足でたたき落としつつ、舌打ちした。
“──ち。何だ、こやつら、まったく歯応えがないぞ。
投身自殺しているとしか思えん”
シンハは肩をすくめた。
『まさしく身投げであろうさ。
連中は、命を賭して、天帝一族が逃げ延びるまでの時を稼いでおるに過ぎぬ』
“くそ、ゼデキアめ! 天使どもを盾に、おのれは逃げ出すつもりか!”
そう黔龍が叫ぶ間にも、天使達はひたすら飛び込んで来ては、三頭の龍に撃墜され続ける。
死体は地面に折り重なり、止めどなく流れる血潮とも相まって、パンテオンの町並みは、ひどい有様となり果てていた。
『……
ゼデキアは、我らの罪状を増やし、さらに
ライオンは鼻にしわを寄せた。
“くそっ、投降しろ、天使ども! 貴様らが死ぬ必要などない!”
タナトスは叫んだが、それも耳に入らないのか、天使達の身投げは留まるところを知らなかった。
『哀れなる者共よ、金蚕が埋め込まれておるゆえ、投降も逃亡も叶わぬのだ。
されど、このままにては無駄に時が移ろう。
致し方あるまい、かくなる上は、……我に任せてはもらえぬか、サタナエル。
幸か不幸か、我が魔力の源は無尽蔵……この状況ではな』
シンハは険しく顔をしかめたまま、魔界王に同意を求めた。
“分かった、許可する、好きにしろ”
黔龍王は、すぐに許しを与えた。
『御意。
──アクタス・オウラム!』
シンハが呪文を唱えると、地中から、金色に輝く無数の針が飛び出して来て、敵に襲いかかって行った。
「ぎゃっ!」
「うわあ!」
「た、助けて!」
天使達は逃げ惑うも、次々に悲鳴を上げて胸を押さえ、倒れてゆく。
やがて、動く敵は一人もいなくなった。
魔族の兵士達は皆、呆然と事態の成り行きを見つめていた。
“あ、あの、シンハ、こ、これって、その……
気を取り直して、シュネが口を開いた、そのとき。
「……何と
その声と共に、広間のそばの塔から地上へと降り立ったのは、ヤヴィシュタ神だった。
宇宙空間で魔族と戦ったときより、ずっと年を食っているところを見ると、これが本体なのだろう。
“寝言は寝てほざけ、これは戦だぞ。
長年に渡り、もっと酷い仕打ちを我が同胞にして来たくせに、何を今さら”
黔龍は、険しい眼差しで、ヤヴィシュタの顔を覗き込む。
「かような有り様では……せめて女神達には慈悲を、という願いも受け入れて頂けぬであろうな……」
火の神は、うなだれた。
“ふん、虫のいいことを。
無論、女は戦利品として俺達が頂く。
貴様ら男どもは魔界に幽閉だ、俺達がどんな気持ちで今まで過ごして来たか、身を以って知るがいい!”
タナトスは、荒々しく神に指を突きつけた。
そのときだった。
「う、く……」
ヤヴィシュタのそばに倒れていた天使が、唸るような声を上げ、身じろぎしたのは。
火の神は、はっとして天使に触れた。
「ま、まだ息がある……!
タナトス陛下、どうか、この者だけでもお助け下され……これ、この通り」
ヤヴィシュタは片膝をつき、うやうやしく頭を垂れた。
“何を言う。そやつだけではないぞ、生きているのは。
シンハは、誰一人、命を奪ってなどおらんわ。
むしろ救ってやったのだ、あのくそ忌々しい虫からな”
黔龍は腕組みをする。
「な、何と!?」
ヤヴィシュタは慌てて、周りに倒れている者達の呼吸を確かめる。
たしかに、かなりの数の天使達に息があった。
『
されど、当然、衝撃はあるゆえ、皆、いっとき気を失ったのだ』
シンハは、神託を告げるように、
すると、物陰に隠れて成り行きを見守っていた神々が、ぞろぞろと広場に集まって来た。
「……我らは全員、投降致します。
ゼデキア様はいざ知らず、我らには、もはや戦う理由などはございませぬ」
ヤヴィシュタが代表して言い、神々は一斉にひざまずいた。
“ふん、殊勝な心がけだな。
俺達は元々、抵抗する者以外は、命を奪う気はない。
だが、ここにいるのは男ばかりだな。女はどうした”
「そ、それは……女神達の安全を保証して頂けなければ……」
“図々しい! 貴様らはすでに捕虜だぞ!
いや、そんなことより、ゼデキアはどこだ!”
黔龍は吼えた。
「……おそらく、汎神殿の地下のいずこか、かと……。
七大天使達は、我らに避難を呼びかけ申した。
されど、我らは、もはやゼデキア様に付き従うことは出来ぬと考え、かくのごとく、貴殿方をお待ち申し上げておった次第……」
ヤヴィシュタは、
『……ゼデキアに、
シンハは疑わしそうな表情だった。
“まあいい、女は後回しだ、ここは一隊に任せ、俺達は汎神殿に向かうぞ!
ゼデキアを引きずり出し、まずは積年の恨み晴らしに、死なない程度にぶちのめしてくれるわ!
──者共、行くぞ!”
魔界の君主を先頭に、魔軍は、
やがて、彼らの目の前に、その意気をくじくようにそびえ立つ、巨大な城門が現れた。
“何だ、こんなもの!”
しかし、固く閉じられていたパンテオンの門は、黔龍の体当たりによって、すさまじい音と共に、
「「わたしどもが露払いを!」」
次の瞬間、
“よし、先行を許可する!
皆の者、彼らに続け!”
タナトスは命じ、魔物達はついに、敵の