~紅龍の夢~

巻の七 DIES IRAE ─怒りの日─

20.最終戦争(5)

その瞬間、天界の外で戦っていた朱龍リオンと碧龍シュネもまた、異変を感じ取り、手を伸ばせば触れられそうなほど近くに迫る青い天体に、紅い火柱が走ったのを見逃さなかった。
彼らは、人型でいるときより、格段に視力が上がっていたのだった。

“今の、見た?”
“うん。何かしら……あれれ?”
二頭の龍は、周囲の天使達に動揺が広がっていることに気づいた。
明らかに戦意喪失し、それでも逃げることは出来ず、浮き足立っている。

“様子が変だね。やっぱり、あっちで何かあったんだな”
リオンは、ウィリディスに向けて前足を振った。
“セリンが転移装置を壊せたってことかしら”
シュネの言葉に、リオンは首をかしげる。
“……どうかな。でも、罠もないみたいだしね”

“そうね。タナトス伯父さんに、大丈夫って知らせていいかも。
……あ、あの天使!”
シュネは、混乱気味になっている敵の軍勢の中に、ずっと気になっていた天使を見かけ、指差した。
それは、ミカエルに殺されたはずのウリエルだった。

最初に敵と対峙した時、リオン達は、捕虜になったガブリエル、タナトスが倒したラファエルをも揃った七大天使を眼にして、動揺した。
それでも、彼らに例の虫が埋め込まれていることに気づいて、ホムンクルスとすぐに分かったのだが。

その後、戦闘が始まると、ウリエルは、他の複製達とは少し違う態度を見せた。
天使達は皆、死に物狂いで戦っていたが、ウリエルにはそんな様子はなく、かといって、ミカエルのように戦闘を楽しむ風でもなかった。
それどころか、あからさまでこそないものの、不必要に相手を傷つけようとしない姿勢が垣間見えた。

“ね、リオン兄さん、あたし、ずっと引っかかってたのよ、あの天使の態度。
何か言いたそうな感じじゃない?”
“あ、キミも? 何か訴えてるような目つきだよねぇ。
よし、捕まえて聞き出してやる”
言うなり、リオンは、天使の背後に瞬間移動した。

「うあ!?」
後ろを取られたウリエルが慌てて振り返ろうとした刹那、今度はシュネが前側に移動し、二頭は見事なコンビネーションで彼を捕獲した。
龍達に、しっかりと捕らえられてしまった天使は、逃れようともがく。
「は、放せ!」

“暴れないで。あたし達に、何か言いたいことがあるんでしょ?
戦ってる時だって、相手にあんまりケガさせないようにしてたみたいだし”
シュネが声をかけると、ウリエルはびくりとし、動きを止めた。

そのとき、天使の心が、彼らの中に流れ込んで来た。
“……こ、この人……!?”
“まさか……サマエル父さんを……?”
「よ、よせ、貴様ら、サマエルと同じことを……わたしの心を読むな!」
またもウリエルは暴れた。

二頭は、逃げられないよう天使をつかみ直し、リオンが念話を送る。
“タナトス伯父さん、ついさっき、天界で何かあったらしくて、火柱が見えました、敵は浮足立ってます!
それと、ウリエルの複製を捕まえたら、サマエル父さんのこと、色々知ってるみたいなんです、罠は心配ないみたいですから、来て下さい!”

“よし、よくやった、すぐ行く。
──全軍、進撃開始!”
命令を発すると同時に、黔龍(けんりゅう)は二人の元へ移動した。
その肩には、黄金のライオンが乗っている。

“さあ、ウリエル。サマエルのこと、一切合切、吐いてもらうぞ!”
捕らえられた天使に顔を近づけ、黒い龍は言った。
「……」
ウリエルは顔を背けたが、シュネとリオンは彼を解放した。
天使が逃げる気はないと、分かっていたのだ。

タナトスは、天使の額に指をあてがい、その心を読み取った。
シンハもまた、彼を通じてウリエルの記憶を読む。

“……ふん、()れ者めが。
七大天使ともあろうものが、敵の王子に一目惚れし、その延命を求めた挙句、命を落としただと?
こんな大馬鹿、聞いたこともないわ”
軽蔑し切った顔つきで鼻を鳴らし、タナトスは変身を解いて人型となった。
稀代(きだい)の大うつけ、そう申しても過言ではなかろうな』
シンハもまた肩をすくめ、重々しく言った。

“な、何も、そこまで言わなくたって……”
リオンは、思わず天使をかばう。
“そんなひどいこと言っちゃ可哀想、優しい人なのよ、きっと”
シュネも抗議するが、当の天使は反論もせず、ただうなだれていた。

「……だがな、一人くらい、そんな男がいてもよかろうと思う。
俺は、貴様が嫌いではない。
それどころか、礼を言うぞ、ウリエル。
敵でありながら、よくぞ、そこまで弟に惚れ込んでくれた……!」
そうして、魔界の王は大天使を抱き寄せ、口づけた。

「……うぐ!?」
ウリエルは眼を剥き、身をもぎ放す。
「やめろ、何をするのだ、いきなり……!」
「そういきり立つな、インキュバス流の礼だ。
貴様はたったの二度だが、俺は、数限りなく弟を抱いて来た。
……ふむ、たしかに中々美味だな、貴様がサマエルにべた惚れということを割り引いても、弟がお代わりを所望するほどはあるわ」

タナトスが唇をなめ、にやりとした、そのとき。
突如、ウリエルの胸に、奇妙なものが生えた。
それは、朱に染まった刃だった。
「ぐあっ! な、何者……!?」
背中から一突きされたウリエルが振り向く視線の先には、返り血を浴びた、元天使長の顔があった。
「ミ……ミカエル、貴様、……!」

「この裏切り者めが、死ね!」
ミカエルは憎々しげに言い捨て、剣を引き抜く。
「貴様、いつの間に!」
“こ、こいつ!”
タナトスが驚きの声を上げ、朱龍は素早くミカエルを捕らえた……はずだったが。

『あれを見よ!』
シンハの示す前足の先にも、同じ天使がいた。
「くそミカエルどもめ!」
舌打ちし、ウリエルの元へ行こうとするタナトスの行く手を、次から次へと湧き出すように現れるミカエルのホムンクルスが(はば)む。

「邪魔だ、どけ、うっとうしい!
シンハ、シュネ、ウリエルを!」
タナトスは、黔龍(けんりゅう)へと変化して黒い炎を吐き、ミカエルの複製を片っ端から焼き殺し始めた。

天使を助けに向かおうとするライオンと碧龍も、数を増すホムンクルスに邪魔されて、身動きが取れない。
その間にも、ウリエルは刺された傷から大量に出血し、弱っていく。

“ミカエル!
貴様、一体どういうつもりだ、あやつは貴様の同胞だろうが!”
タナトスが怒鳴りつけると、ミカエル達は、一斉に答えた。
「うるさい、敵方に内通するような裏切り者は、成敗されて当然だ!」

“内通なんて、あの人はしてないわ!
あたしらは、サマエル父さんに関する記憶を読んだだけよ!”
シュネが抗議の声を上げる。
“そうだよ、彼の心臓には金の虫がいるんだろ、裏切った瞬間に死んでるはずじゃないか!”
死んだホムンクスルを放り投げ、リオンも叫ぶ。

「ウリエル、死ぬな!」
次の瞬間、ラファエルが現れて、鮮血に染まった義兄のローブに取りすがり、悲痛な叫びを上げた。
「今、癒してやる!
──キリエイ……ぎゃっ!」
だが、呪文を唱え終わることは出来なかった。
彼もまた、ミカエルの凶刃(きょうじん)餌食(えじき)となったのだ。

「ぐっ、……き、貴様、な、何ゆえ……」
唇の端から血を流し、ラファエルは、元天使長を睨みつける。
「貴様も死ね、ラファエル! 邪魔だ!
手柄を上げるのは、我だけでよいのだ!」
ミカエルは、引き抜いた血みどろの剣を、天高く突き上げた。

“ゆ、許せん!”
怒り心頭に発した黔龍を始め、朱龍と碧龍とが、突進して来たホムンクルスをズタズタに引き裂く。
そして、ミカエルの複製達を一掃した彼らは、ようやく瀕死の天使達の元へたどり着いた。

「さ、触る、な!」
『落ち着け、我らは、汝らを救いたく思うておるのだ』
シンハがなだめるが、ラファエルは受け入れようとはせず、義兄を守ろうと、もう完全にぐったりとして宙に漂う体に覆いかぶさる。

シュネは人型に戻り、話しかけた。
「ね、聞いて。あたし達、あなた方を助けたいのよ。
早くしないと、二人共死んじゃうわ」

それでも、ラファエルは、弱々しく首を横に振った。
「……い、いらぬ。
たとえ、今、命永らえたと、しても……天界に、戻れば……ミカ、エルの、慰み者……再び、殺される……」

「天使さん、諦めないで。
生きていたら、きっと、いいことがあるから」
シュネは天使の手を取る。
その若葉色の眼からは、涙が流れていた。

「放、せ……! 空涙、ごときで、騙されは、せぬ……!」
振りほどこうとするその手から、シュネの思いが注がれる。
“金の虫は取り出せるのよ、そしたら、自由になれるわ”
だが、ラファエルは、またも否定の身振りをした。
「い、らぬと、申して、おろうが……!」

「分からず屋!」
こうなったらと、強引に呪文を唱えようとした彼女の口を、気力を振り絞り、天使は手でふさいだ。
「ま、待て……!」
「むぐ!?」

「お、お前の……心根に、免じて……ひ、一つ……教えて、やろう……先ほどの、振動は……転移、装置の……修理が……失敗した、ため、だ……魔物ども、を、巻き込み……人界へ、転移……する、はず……だった、のに……」
大天使の手から、力が抜けた。
「天使さん、しっかりして!」

『無駄だ、もはや事切れておる』
シンハが言い、シュネは、もう一人の天使にも触れてみたが、すでに息はなかった。
「ああ、死んじゃってる……」

『サタナエル、いかがする。蘇生させるか?』
シンハの問いかけに、人型に戻ったタナトスは答えた。
「やめておけ。
どうせ、複製は一体だけではなかろう。
シュネ、そんな顔をするな、敵なのだぞ、こやつらは」

うなだれるシュネの肩に、人型に戻り、リオンは手を置いた。
「気を落とさないで。今度会えたら、絶対助けようよ」
「そうね……」
 
「ラファエルは、修復が失敗したと言ったな。
さしずめ、セリンが破壊した装置の修繕途中で、手違いが起きたというところか」
タナトスは肩をすくめた。
シンハは重々しくうなずく。
『その線で間違いなかろう。
かように貴重な情報を敵に漏らすとは……ベリルの涙にほだされたな』

そのとき、魔界王直属の黔龍軍、ビフロンズ将軍から切羽詰まった念話が届いた。
“タナトス様、一大事でございます!
ミカエルの複製どもが、何ゆえか、味方であるはずのラジエルとメタトロンを(ほふ)りましてございます!
しかも、彼奴らは数を増し、我らの手に負えませぬ、どうか、ご加勢を!”

次いで、紅龍軍の副総帥ゼパルも、念を送って来た。
“申し上げます!
ミカエルの複製が、ガブリエルに襲いかかり、あろうことか、着衣を脱がせ……”
“何ぃ!? 戦の最中にか!?”
タナトスはあきれ返る。
“は……あまりの浅ましさに、シェミハザとアザゼルが助けに入りましたものの、女天使は自害しており……”

さらに、堕天使代表の一人、アルマロスが状況を伝えて来た。
“タナトス様、恐れながら申し上げます、ラグエルが、ミカエルの複製に刺されました!”
“貴様のところもか。他の七大天使も、全員死んだ”
“左様で……あ、ラグエルの方は一命を取り留めました。
されど、ミカエルの複製に阻まれ、捕虜の護送が難しい状況でございます”

“相分かった、今行く!”
タナトスは、家臣達にそう伝え、それから声に出した。
「生き残ったのは、ラグエルだけだ。
あちこちで、くそミカエルの複製が湧いている、加勢に行くぞ!
リオンは黔龍軍、シュネは紅龍軍、俺は、一番手薄なアルマロスの陣だ!
来い、シンハ!」
龍に変身した三人は散開し、それぞれ受け持ちの陣に向かった。

きょうじん【凶刃/兇刃】

人を殺傷するために用いる刃物。

ほふる【屠る】

1 からだを切りさく。また、きり殺す。
2 敵を破る。打ち負かす。