20.最終戦争(4)
“ラファエルか? わたしはここにいるぞ”
ウリエルαから念話が届き、前方のドアが開いた。
「あそこか!」
ラファエルの複製はスピードを上げる。
後を追うアスベエルは、ガブリエルαが一人、遅れていることに気づいた。
振り返ると、困惑の表情を浮かべているのが見て取れた。
(……そうか、そうだよな……)
自在に実体化出来る淫魔の王子の幽霊と、その彼に一目惚れした大天使が二人きりでいる……そんな室内の状況を想像すると、女性では気が引けるのも無理はない。
「ウリエル! かようなところで、何をしておるのだ!」
その間に、ラファエルαが部屋に突入し、ラジエルが続く。
ようやく彼らに追いつき、こわごわ入室したアスベエルは、眼をぱちくりさせた。
「……あれ?」
「お前達、いかがした? 面妖な顔をして」
彼らを出迎えたのは、きちんとローブを着込んだウリエルαだった。
てっきり、サマエルとベッドにいるものと思い込んでいた天使達は、肩透かしを食らった格好となった。
そこは応接室らしく、大理石の床に、二対の革張りソファを挟んで一枚板の長テーブルが置かれ、その向こうには紅い光を発する魔法陣があり、何者かがうずくまっていた。
「あ、あれは……もしや、サマエルか!? 何があったのだ、一体!?」
ラファエルαは面食らい、義兄と魔物を見比べる。
慌ててアスベエルは、ラジエルαに念話を送った。
“サマエル様が捕まってる、助けなきゃ!”
“いえ、それは待った方が。何かお考えがあるのやも”
“そ、そうかも知れないけど、……”
「まあ、これは?」
そのとき、ガブリエルが入って来た。
我に返ったラファエルは、魔法陣に近づき、封じられた悪霊を眺めた。
「ふん、悪鬼め、ウリエルを誘惑しそこねて、返り討ちに遭ったか」
“それは違う。私が入れてくれと言ったのだ、害意がないことを示すために”
サマエルは顔を上げ、答えた。
「ふん、負け惜しみを」
“他の天使を呼ぶなんて、よほど私は信用がないのだな……”
王子がつぶやくと、ウリエルの複製は
「誤解だ、わたしは呼んでなどおらぬ」
「す、済みません、ウリエル様。俺が……」
とりあえず、アスベエルは頭を下げた。
「すぐ戻るゆえ案ずるな、左様に申したではないか」
「何を申すか、最凶の悪鬼と差し向かいなぞ、アスベエルでなくとも不安を抱くわ!」
ラファエルαは、憤然と彼をかばう。
「……そう申せば、ウリエル殿の遺体の第一発見者は、彼でしたな」
ラジエルαが思い出したように言い、勢いづいたラファエルαは、さらに追い打ちをかけた。
「左様、現場は
「……むう。それは済まなんだな、アスベエル」
「い、いえ……こちらこそ、約束破って済みません、ウリエル様」
彼は、再びぺこりと礼をした。
「それはもうよい。
わたしはホムンクルスだ、本体はすでに
ウリエルの複製は悲しげだった。
「いーえ、あなたはウリエル様です!
サリエルの複製だって、俺にとっちゃ、もう一人の弟なんですから!
俺は、天帝様みたいに、複製さえいれば、誰が死んでも困らないなんて、そんなこと思えないですよ!」
アスベエルは、思わず大声を出していた。
それは、彼の本心だった。
「……」
ラジエルの複製も顔をしかめた。
たしかに天帝は、彼やラグエルの本体が死んでも、平然としていたのだから。
ここぞとばかり、サマエルが話に割り込む。
“お前達、いい加減に目を覚ましたらどうだ。
いくら身を粉にし、献身的に働いても、使い魔同然に切り捨てる……身勝手な天帝に忠誠を尽くすなんて、馬鹿馬鹿しいと”
「黙れ、貴様に何が分かる!」
ラファエルが怒鳴りつけても、サマエルは気にした風もなく、続けた。
“お前達も、天帝一族の
ウリエルに至っては、女神の血も引いていて……だからこそ、天帝も、彼をフレイアの伴侶にと考えたのだろう?
なのに、命を落とした途端、今までの功績も評価されなくなるなんて。
お前達が、そんな待遇に甘んじている意味が分からないな”
「たしかに、理不尽やも知れぬが……」
答えようとする義兄を、ラファエルは、語気荒くさえぎる。
「相手にするな、ウリエル!」
「落ち着け、ラファエル。彼と話をさせてくれ」
「されど!」
「話すだけなら害にもなるまい、違うか?」
いきり立つ義弟をなだめ、ウリエルも魔法陣に歩み寄った。
「我らが仮に、寝返りを決めたとしよう……」
「ウリエル!」
叫ぶラファエルを目顔で制し、大天使は続けた。
「しかしながら、魔物達との確執が多々ある我ら……七大天使では、寝返った後の処遇に不安を覚える、というのが正直なところでな。
たとえ魔族が勝利したとしても、我らには処刑が待っているのみ、なのではないかと」
サマエルは肩をすくめた。
“本物の七大天使なら、そうだろうね。
最近はさほどでもないが、お前達は、ミカエルを中心として魔族狩りを行い、かなり恨みを買っている。
それでも、今のお前達はホムンクルス、それこそ、本人ではないのだからと言い抜けられるさ”
「……
ウリエルは眉をひそめた。
“そんなことはない、私が言えば、必ずタナトスは聞く耳を持つ。
お前達にその気があるのなら、私は喜んで……”
「やめろ! ウリエルはともかく、わたしは騙されぬぞ!
転移装置さえ修復すれば、魔物なぞ、吹き飛ばしてくれるわ!」
鼻息も荒く、ラファエルは言い放つ。
“修復出来れば、ね。あれではもう、無理だろう”
悪霊の
「し、白々しい! 貴様がラグエルを操り、破壊させたのだろうが!
利用した挙句、殺しておきながら、いけしゃあしゃと!」
怒り心頭に発したラファエルは、サマエルに指を突きつけた。
“やったのはセリンだ。
妹の命と引き換えに、破壊工作を引き受けたのだよ”
冷静に、魔族の王子は答える。
「な、何!?」
ラファエルは一瞬絶句し、それから勢いよく否定の身振りをした。
「貴様らとセリンは相容れぬはず、でたらめを申すな!」
「けど、彼はすごく悩んでましたよ。
ハニエルの例もあるし、今度こそ、妹がミカエル様の餌食にされるんじゃないかって」
アスベエルは澄まして言う。
その隙に、サマエルは女天使に語りかけた。
“ガブリエル、女性のキミなら、エレアの立場も分かるだろう?
いつ襲われるか気が気でない、そんな落ち着かない生活を、ずっと強いられているのだよ”
「何が分かると言うの? お前となんて、口も利きたくないわ」
ガブリエルは、きりりと
“分かるさ、キミが……いや、キミの本体が、ミカエルにどんな目に遭わされたか、私は知っているのだから”
サマエルの口調は優しげで、声は彼女にだけ聞こえたが、女天使の顔は紙のように白くなった。
“や……やめて!”
“大丈夫、誰にも言わないよ。
でも、このままでは犠牲者が増すばかりだ、あんなヤツを放っておいていいのかい、私以上に女性の敵なのに……”
「されど、セリンは死んだ。
約束も
ラファエルは冷ややかに言った。
“いいや、たとえセリンが死んでも、妹は助けると、私は明言した。
それに、彼は必ず約束が履行されるよう、複製に記憶を移した……ただし、死んだ彼も、オリジナルではなかったけれど、ね”
「何、セリンも複製だったのか?」
興味を惹かれたように、ウリエルが尋ねた。
“そうだよ。昔、『黯黒の眸』に操られたセリンが私や兄と闘い、敗れたとき、彼は石化し、粉々に砕けた……あれでは再生など不可能だ。
つまり、セリンは天界に来たときには、すでにホムンクルスだったのだ……ミカエルに殺された、元のエレアも同様にね。
彼女は、それ以前に焼死していて、当然、蘇生など出来なかっただろう”
「左様なことはどうでもよい、わたしは、決して寝返ったりはせぬぞ!」
ラファエルは断固として言ってのけた。
サマエルは、にっこりした。
“さすがだね、ラファエル。
お前のように、しっかりと自己を確立し、おいそれとは周りに流されない者が私は好きだな”
「ふん、気色悪い、おだてても無駄だぞ」
“おだててなどいないよ。
ただ、私は、お前達を、今の奴隷のような身分から解放することが出来る。
なぜなら”
サマエルは言葉を切り、ラファエルの胸に指を突きつけた。
“私だけが、あの忌まわしい虫を、取り除くことが出来るのだから!”
「何だと、不可能だ!」
“いや、可能だよ。
近年、天帝が改良に成功し、お前達に植えつけ始めたあの虫は、元々、
魔族は進化の過程で、あれに対抗出来る体質を身につけた。
だが、他星から来た神族がそんな手段を持つわけもなく、あたかも魔族の恨みの念が乗り移ったかのように、金蚕はお前達の先祖に寄生し、心臓を
異常な繁殖力と薬剤耐性を併せ持つ金蚕の退治は困難を極め、神族は、結界で囲まれた都市での生活を余儀なくされた。
周りにどれだけ広大な土地があろうとも、守護された狭い市街でしか生きられない……哀れな種族さ、お前達は”
幽霊は、天使達に向けて手を振った。
「く……!」
ラファエルは、歯を食いしばる。
“ところで、アスベエル、お前はどうだ?
和平使節として兄に会い、サリエルの義兄として気に入られたらしいし、魔族狩りに加わったこともないのだから、脈はあるぞ”
言いながら、サマエルは目配せした。
一芝居打つつもりだと悟った彼が答えようとすると、ラファエルが、それを乱暴に制した。
「彼は寝返ったりはせぬ、なぜなら、フレイア様は、貴様らの手に落ちたら最後、処刑されるのが目に見えているゆえな。
百歩譲って、左様な取引が成立したとしても、彼の裏切りを、フレイア様はいかに思われるであろう?
天界を裏切るのは、天帝様をも裏切ること。ただ一人の肉親を死に追いやる行為……それを思えば、百年の恋も冷めてしまうであろうよ」
アスベエルは、思わず息を呑んだ。
フレイアが、自分を許してくれないかも知れない、それは考えてはいたが、改まって言われると、やはり彼の決意は揺らいだ。
しかし、魔界の第二王子は、すべてお見通しだという笑みを浮かべた。
“いいや、私には切り札がある。
さもなくば、こんな風に、のこのこと姿を現すわけがないさ”
ラファエルは、鼻にしわを寄せた。
「ふん、どうせ、ハッタリだろう」
“では、なぜ神々は、魔族と戦う気をなくしたのだ?
天帝の秘密を知り、あやつを見限ったからだよ”
「貴様、神々に、嘘八百を信じ込ませおったな!」
“いや、完全なる真実だ。
嘘だと思うなら、天帝の心を覗いてみるがいい”
サマエルは、自信たっぷりだった。
「天帝様の秘密とは、いかなるものだ?」
ウリエルが口を挟む。
「左様なこと、聞きたくもないわ!」
ラファエルはそっぽを向くが、ウリエルはさらに尋ねた。
「ともかく、話してくれ。その後で、
“さすがに話が早いね、ウリエル。
では、教えよう……”
サマエルが言いかけたとき。
突き上げるような地響きが、彼らを襲った。
さんび【酸鼻】
むごたらしくいたましいこと。また、そのさま。
鬼籍(きせき)に入(い)る
死んで鬼籍に名を記入される。死亡する。この句の場合、「入る」を「はいる」とは読まない。
鬼籍とは、死者の名前や死亡年月日などが書き記されている帳簿のこと。
閻魔大王をはじめ冥界の官人が管理しているとされるが、日本では一般的に、寺院にある過去帳のことを指す。
鬼籍に入るとは、帳簿に死者として記録されることを表すため、「死亡する」を遠回しに表現する際に用いられる。
閻魔大王が持つ「閻魔帳(えんまちょう)」が、鬼籍の由来と言われている。
閻魔帳には、死者の生前の名前や行動、罪悪などが記録されており、閻魔大王はこれを参考に天国行き・地獄行きを決めるという。閻魔帳の別名が、漢語の鬼籍。鬼は死者、籍は名簿・戸籍簿を指す。
きべん 【詭弁】
間違っていることを,正しいと思わせるようにしむけた議論。道理にあわない弁論。