20.最終戦争(3)
「よし、ホムンクルスに伝えよ、かねての手はず通り結界の外側に出て、
メタトロンは命じた。
「かしこまりました!」
伝令は、急ぎ戻って行った。
「復旧した結界は、ようやく三個……。
彼奴らが一つ壊すのに一日半ほどかけていたことを考えると、七大天使全員と神々が相手では、突破するのに数日かかろうが……」
ウリエルの複製は顔をしかめた。
「ええ、その間に、何としても、転移装置の修復を終えなければいけませんわね」
ガブリエルの複製はうなずく。
「……わたしも修復に加わらねば」
責任を感じたラグエルは、大股で部屋を出て行った。
「この際、万一のことも考え、神々には避難して頂いた方がよろしいのでは……?」
ラジエルの複製からの提案に、メタトロンはうなずく。
「うむ。アスベエル、お前が一番地下通路に詳しい、避難の誘導をしてくれ。
特に女神方は、魔物どもの毒牙より死守せねばならぬ」
「はい……けど、魔物が攻めて来たこと、天帝様にお知らせしなくていいんですか?」
彼が訊くと、書記官は首を横に振った。
「いや。今日くらいは、お休み頂いても支障はあるまい」
「そうですね……あ、避難すると言っても、地下の通路はそれほど広くないし、大勢が一緒にいられるような場所もないですけど」
「分かっている。とりあえず、数カ所に分かれて待機して頂いて……まあ、ないとは思うが、戦況次第では荒野へお連れし……最悪の場合、密林へ入り、不可視結界を張ればよい」
「了解しました、では、行ってきます」
アスベエルは戸口に向かう。
「されど、ミカエル様には、魔物の侵攻をお知らせしておかねばなるまいな。
ガブリエル……いや、それぞれ三体いるのだったな、されば、ここにいる皆のことは
書記官に指名された女天使の顔色が、さっと変わった。
「まあ、ごめんこうむりますわ。どなたか、他の方にお願いして下さいませ」
「何?」
メタトロンが面食らったのはもちろんだが、他の者達も絶句し、アスベエルも思わず足を止めてしまった。
「さ、されど……いつもは、率先してミカエル様に……」
「ええ。たしかに本体はそうでしたわ。ですが、このわたしは」
ガブリエルの複製は、自分の胸に手を当てた。
「……そう、彼女の双子の妹とお考え下さい、記憶は共有しておりますけれど、別人ですわ。
そして、わたしは、ミカエル様とは関わりたくございません」
きっぱりと言い切られて、メタトロンがさらに困惑したとき、ウリエルの複製が、女天使をかばうように前に出た。
「その気持ちは、わたしにはとてもよく理解出来ますよ。
彼女には、アスベエルと共に、女神様方の警護に回ってもらえばよいのでは?
かてて加えて、ミカエル様には、メタトロン様がお伝え頂きたい。
あのお方のことだ、我らホムンクルスの言葉など、歯牙にもかけぬでありましょうよ」
「むう……たしかにな」
気が重そうに、メタトロンは同意した。
「ならば、α全員でアスベエルを手伝い、神々を避難させてくれ。
わたしは、ミカエル様と細かい打ち合わせをしに参るゆえ」
「相分かりました」
天使達は、急ぎ部下を集め、市街に向かう。
しかし、着いてみると、通りは無人だった。
「あれ……誰もいない?
またにぎやかになった……はずなのに」
アスベエルは、人影がない街路を見回す。
「……最近は皆様、朝は遅くまで眠っておられるようでな」
そう答えたのはラジエルαだった。
「まあいい、手分けして、避難を呼びかけよう。
まずは、中央広場に集合して頂き、そこから地下へご案内するのだ」
ラファエルαが言い、皆は四方に散った。
アスベエルも屋敷を訪ねて回り、事の次第を伝えたが、神々は重い腰を上げようとはしなかった。
中には、魔族が攻め込んで来たら、投降すればいいことだと言い切る神までもがいる始末だった。
昼近くになって、疲れ切った彼は、道端のベンチに力なく腰を下ろした。
「この分じゃ、皆もこんな感じだろうな……あ、」
あることを思いついた彼は、自分の中にいるサマエルに尋ねた。
“もしかして、あなたが神々を……?”
“その通りだよ。神々はもう、魔族と戦う気を完全になくしている”
すぐに答えが返って来た。
“えー、だったら、教えてくれればよかったのに”
彼は子供っぽく口をとがらせた。
“怠けて怪しまれては困るだろう?
だが、もういい頃合いだ、後は適当にやればいい。
私も行動を起こすよ、ウリエルを仲間に引き入れよう”
“でも、どうやるんですか?”
“彼は今、ちょうどこの近くにいる。
一芝居打つから、悲鳴が聞こえたら駆けつけて、話を合わせてくれ”
返事も待たずに、サマエルは、すっと彼から抜け出し、消えた。
次の瞬間、女性の短い悲鳴と、ウリエルαの叫びが聞こえた。
「よせ! サマエル、女神を放せ!」
アスベエルが声のした方に駆けて行くと、女神を捕らえ、その口をふさいでいるサマエルの姿が眼に飛び込んで来た。
「ど、どうしたんですか、これは!?」
彼は本当に驚いて、叫んだ。
“……動くな、二人共。騒ぎ立てるなら、女神を殺す”
サマエルの心の声が響く。
「や、やめよ!」
“大声を出すな、ウリエル。女神がどうなってもいいのか!”
サマエルはぴしゃりと言った。
震える女神を抱きすくめている悪霊の背後からは、氷のオーラが立ち上り、紅い眼の中には、闇の炎が燃え上がって、唇には凄みのある笑みが張りついていた。
「お、落ち着け、サマエル。
俺達、騒がないから、女神様には手を出さないでくれ……な?」
アスベエルは、敵意のない印に両手を上げた。
「女神を放せ」
ウリエルも手を上げつつ言ったが、サマエルはそっけなく答えた。
“嫌だね。せっかく、これから食事にありつこうというときに”
「何だと!」
“ふふ、お前達のどちらかが、代わりになってくれるというなら、解放してもいいが”
「えっ!?」
アスベエルは眼を見開く。
「何と理不尽な……!」
ウリエルの複製は顔をしかめた。
“嫌なら、それでもいいさ。
この獲物をどこかに連れ込み、完全に狂うまで……いや、やはり、それでは足りない、精気を吸い尽くし、干からびたミイラになるまで楽しませてもらうとしよう”
サマエルは、にやりと笑った。
「むぐ、うう……!」
女神は青ざめ、口をふさがれたまま、必死にもがいた。
長い金の髪は
「この鬼畜めが!」
ウリエルαは気色ばんだ。
“静かにしろと言ったはずだ!”
「もうやめろよ、こんなこと、サリエルが聞いたら悲しむぞ」
アスベエルが声をひそめると、幽霊は肩をすくめた。
“言えばいいさ、息子の命も長くない……もうすぐ私の同類になり、お前達を苦しめることだろう”
「もうよい。わたしが代わりになるゆえ、女神様を解放するのだ、サマエル」
ウリエルαは、こらえ切れずに言った。
「だ、駄目ですよ、ウリエル様……!」
「女神様をお助けするためだ、致し方ない。
このことは、皆には黙っていてくれ」
「けど……!」
「お前だから、頼むのだ。
さあ、サマエル、女神をこちらへ」
“お前がここへ来るがいい。
あらかじめ言っておくが、私は、実体化と幽体化が自在に出来る。
お前が裏切った瞬間、女神の首を切り落とし、壁に溶け込んで消えることも出来るのだぞ”
「……左様なことはせぬさ、お前は。
ともかく、裏切ったりはせぬゆえ、女神様を解放してくれ」
言いながら、ウリエルαは進んで行く。
すぐそばで彼が立ち止まると、サマエルは、無言で女神を突き飛ばした。
「きゃ!」
そして、よろける彼女の後頭部に、目にも留まらぬ早さで手刀を繰り出す。
「よせ、乱暴は!」
叫ぶウリエルαの腕を後ろにねじり上げ、サマエルは拘束した。
とっさにアスベエルは駆け寄り、何とか女神を抱き止め、サマエルを睨んだ。
「何するんだよ!」
“ケガはさせていない、騒がれると面倒だからな。
さて。これでお前は、私のものだ……おや、ちょうどいい、この屋敷は無人だったな、ここを使おう”
幽霊は、青ざめた頬に笑みを浮かべた。
「ほ、本気なのか!? ウ、ウリエル様……」
おろおろした風を装い、アスベエルは、幽霊とホムンクルスを見比べた。
「案ずるな、サマエルは、わたしに危害を加えたりはせぬ。
くれぐれも、誰にも話さぬように……わたしに恥をかかせたくなくば」
ウリエルの複製の表情は、あくまで平静だった。
「は、はい……で、でも……」
アスベエルは、あくまでも心配そうな表情で口ごもる。
「心配いらぬ、少ししたら戻るゆえ」
“さあ、行こうか、ウリエル、ふふふ”
悪霊は舌なめずりをし、ホムンクルスを連れて屋敷内に消えた。
その後、正気づいた女神は、サマエルが記憶を消したのか、何も覚えておらず、アスベエルは屋敷まで送って行った。
それから、ラファエルや他の複製達に念話で状況を尋ねてみたが、やはり皆、徒労に終わっていた。
彼らは一旦呼びかけをやめ、中央広場で落ち合って対策を練ることにした。
周りを噴水に囲まれた時計台の前でアスベエルが待っていると、真っ先にやって来たラファエルαが、開口一番、尋ねた。
「アスベエル。ウリエルを見なかったか?
念話にも応答がないのだ」
「えっ、あ、あの、いえ……」
思わず彼は、しどろもどろになる。
ラファエルの複製は、一瞬眉を寄せ、それから彼に詰め寄った。
「お前、何か知っているな?」
「えっ? い、いえ、俺は何も……」
「下手な嘘をついて、何を隠しているのだ!」
ラファエルは彼の胸ぐらをつかむ。
「や、やめ……」
ちょうどそのとき、ラジエルとガブリエルのホムンクルスもやって来て、もみ合う二人に割り込んだ。
「いかがされた、ラファエル殿」
「乱暴はおやめなさいな」
解放されたアスベエルは、大急ぎでサマエルに念話を送った。
“サマエル様、済みません、ラファエルに気づかれました、ウリエルのこと。
他の天使も来て、もうごまかせません……”
“分かった、皆連れておいで。私が何とかしよう”
サマエルはすぐに答えた。
「あの、落ち着いて聞いて下さい、ラファエル様。
実は……」
そこで、アスベエルは、サマエルの幽霊が女神を人質に取ったため、やむなくウリエルが身代わりとなったてんまつを語った。
「何、淫魔と、無人の屋敷に……!?」
案の定、ラファエルαは顔を真っ赤にし、わなわなと体を震わせた。
「さ、左様な一大事、何ゆえ黙っていたのだ、今まで!」
「す、済みません、でも、ウリエル様が、自分に恥をかかせたくなかったら、皆には黙ってろって……」
「──恥!?
くうっ……と、ともかく、すぐに行かねば、案内致せ!」
ラファエルは勢いよく飛び上がり、アスベエルも慌てて羽ばたいた。
「わたし達も参ります!」
ホムンクルス達も後を追う。
「あ、あそこです」
彼が指差す屋敷の前庭に、墜落するように降り立ったラファエルは、ドアを壊さんばかりの勢いで開き、ずかずかと入って行った。
「ウリエル、どこだ!?
ここにいるのは分かっているぞ、忌まわしき淫魔め、ウリエルを返せ!」