~紅龍の夢~

巻の七 DIES IRAE ─怒りの日─

20.最終戦争(1)

突然の大きな音と、汎神殿を揺るがす地響きに、アスベエルは弾かれたように立ち上がる。
「な、何だ!?」
立て続けに音と揺れが五回続き、サリエル達が心配そうに寄って来た。
「今の、何?」
「地震かな?」
「いや、何か爆発したみたいな……そうだ、フレイア様は!」

“フレイア様! ご無事ですか!?”
走って彼女の部屋に向かいながら、念を送る。
“ええ、大丈夫よ、メタトロンと一緒……”
応答を受けてほっとしたのも束の間、それをさえぎるように、天帝の思念波が届いた。
“アスベエル、中枢転移装置の見張り役、ラグエルと連絡が取れぬ。
即刻、見て参れ!”
“は、はい!”

彼は、追って来た義弟達を振り返った。
「お前達、フレイア様のところに行っててくれ!
俺は、天帝様のご命令で、中枢の転移装置を見て来るから!」
「うん、分かった」
「気をつけて」

「ああ。──ムーヴ!」
アスベエルは、すぐに装置近くの回廊へ移動した。
「うっ!?」
思わず彼は息を止める。回廊には、煙と土ぼこりが充満していたのだ。
急いで結界を張って呼吸を確保しつつ、視界が悪い中を進むと、転移装置のある部屋の扉は吹き飛び、壁も崩れてしまっていた。

「ひどいな、一体何が……あ、おい、大丈夫か!」
大きながれきの下敷きになっている天使を、彼は助け出した。
「しっかりしろ、何があったんだ!?」
「ラ、ラグ、エル、様が……ご、乱心……」
それだけ言うと、天使は気を失った。
「──キリエイ・アレイアサン!」
彼は傷を癒してやり、平らな場所に運んでやった。

(ラグエル様が? ……まさかな)
彼は首をかしげたが、天使が気づくまで待てず、中に入ってみることにした。
内部の破壊はさらにすさまじく、結界を張り、浮いて移動する外なかった。
「ラグエル様、どこですか!」
もうもうと上がる、熱い煙に向かって呼びかけながら、彼は前進する。

“……あ、アス、……”
そのとき、彼は、弱々しい返事を感じた。
「ラグエル様!?」
気配のする方へ、大急ぎで進む。

床に描かれた魔法陣は無残にも打ち砕かれ、それを覆うように緑色の炎が、天井にも達する勢いで燃え盛り、崩れ落ちた壁は、熱で溶け始めていた。
「ラグエル様!? どこです!?」
彼は必死で探し回り、ようやく、隅にうずくまる天使を見つけ出した。

「ラグエル様、……あ、ケガを!?」
結界を解いたアスベエルが触れると、手にべっとりと血糊がついた。
「う……」
「あ!」
顔を上げた天使を見て、彼は驚いた。
ラグエルだと思っていた相手は、セリンだったのだ。

「セリン、何でここに……!? あ、そうか、成功したんだね!」
“しっ……だ、誰が、聞いているか、分かりません、よ”
“そ、そうだな。えっと、ラグエル様は……?”
アスベエルも念話に切り替え、周囲を見回す。
“……死、に、ました……わたしが、……く、薬を、盛って……”
“薬!? そういや、乱心したって……”

“……薬で……幻覚を、見て……彼が……魔、法陣を、破壊し、たのです……。
わ、たしは……他の、見張りと、止める、ふりを……して、とどめを……”
“……そうか。待ってろ、今、治してやるよ”
“い、いえ……わたし、は……もう……駄目、です……”
“何言ってる、しっかりしろ、お前が死んだら、エレアはどうなる!”

その時、がやがやと声が聞こえて来た。
「おうい、誰かいないか!」
「ひどい有様だな、まずは火を消せ!」
「けが人がいるぞ! 運び出すんだ!」

“と、とにかく、治療してやるから”
手をかざし、呪文を唱えようとするアスベエルを振り払い、セリンはふらりと立ち上がる。
“お、おい、セリン、じっとしてろって”
“わた、しは……天界に、来る、前……すでに、一度、死んで……いる、のです、よ……”
「えっ!?」

“つ、まり……この、わたし、も……ホムン、クルス……。
です、から……エレア、も……さほど、悲し、まずに、済む、でしょう……。
……培養槽の、複製に……き、記憶を……移して、おき、ました……虫の、ダミーも、一緒に……。
エ、レアを、頼み、ます……!”

そう言うと、セリンは残る力を振り絞り、業火の中に飛び込んだ。
“よせ、セリン!”
“どうか、エレアを、どうか……”
かすかな念が届き、すぐに途絶えてしまった。
「セリーン!」

彼が助けに入ろうとした時、天使が四、五人、駆け寄って来た。
「どうした!?」
「大丈夫か!」
「……あ、アスベエル様!」
「あなた様も見張を!?」

「いや、俺は……くそ、セリンを助けなきゃ!
──アクア・ウィータ!」
アスベエルは唱えた。
サマエルが体内にいるせいなのか、以前より威力を増した大量の水が逆巻き、あれほど燃え盛っていた緑色の炎を、あっという間に消した。

「……さすがですな、アスベエル様」
「それより、セリンはどこだ!?」
「あ、あそこに誰か、倒れています!」
一人の天使が指差し、アスベエルは真っ先に駆け寄った。
「セリン!」

だが、遅かった。
遺体は面影もなく、元が何だったのかさえよく分からないほど焼け焦げて、真っ黒く炭化していたのだ。
「うわ……こりゃひどい」
「セリン殿でしょうか?」

「う……ああ、そうだ……」
吐いてしまいそうになるのをこらえ、アスベエルは、懸命に頭を働かせた。
「彼は……ラグエル様を、止めようとして……」
「え? どういうことですか?」
天使の一人が訊く。

「さっき、炎の中から、セリンの声がして……ラグエル様が、ご乱心されて、装置を壊したと……その爆発に、彼は巻き込まれた、んだ……」
それは、半分は真実だった。
「ええっ!?」
「ラグエル様が!?」
「そ、そんな馬鹿な!」
天使達は、次々に声を上げる。

「……俺だって信じたくないが、入り口に倒れてた見張りも、同じこと言ってたぞ。
と、とにかく、俺は天帝様に報告しに行くから、お前達はラグエル様を捜して、彼が見つかるか、見張りの意識が戻ったら、知らせてくれ。
あと、彼の遺体は……崩れないよう、そっと安置所へ運ぶんだ。
人手がいるな、もっと応援を呼んで」
「分かりました」

爆発現場を後にしたアスベエルは、洗面所で顔を洗い、気分を落ち着けた。
そうして、執務室へ行こうとしたとき、叱りつけるような念が届いた。
“アスベエル、遅いぞ、報告はいかがした!”
“て、天帝様、……魔法陣は破壊され、炎上していました……。
犯人は……申し上げにくいのですが……ラグエル様とのことで……火はすぐに消し止めましたが……”

“何じゃと!?”
さすがに、天帝の念も乱れた。
“疾く戻れ、詳しく報告せよ!”
“は!”
アスベエルは、当然、言われた通りにした。

「ふうむ……」
話を聞いた天帝は、難しい顔になった。
「く……ラグエルの件は、無論、サマエルの仕業に決まっておろうが、問題は転移装置じゃ……もはや猶予なしの、かような時に。
……修復は、出来そうじゃったか?」
魔族の進撃のため、天界を守る結界はもう、残り二つとなっていた。

「どうでしょう……魔法陣は、木っ端微塵(こっぱみじん)になって、緑の炎を出して燃えていましたけど……」
アスベエルはあいまいに答えたが、緑の炎、それは、装置が完全に壊れてしまった証だった。
「あれは中枢、しかも、他の五つの魔法陣もが……破壊されたと報告が……むうう」

天帝が唸った時、伝令の天使が、執務室に飛び込んで来た。
「て、天帝様、一大事でございます!
ラジエル様が、魔族に討ち取られました!」
「ええっ!?」
「何ぃ、まことか!? かような時に、ラジエルまでも!?」
アスベエル同様、天帝も動揺を隠せない。

「結界も破られ、残るは一つだけでございます!
ただし、魔物どもは、天帝様に、首を洗って待っているようにとの捨て台詞を残し、撤退致しました!」
「く……!
何という屈辱……されど、今は、助かったと言わざるを得まい……!」
拳を握った天帝は、全身をわなわなと震わせていた。

「天帝様、色々手を打てば、時は稼げます、その隙に……」
彼が言いかけた時、念話が聞こえて来た。
“アスベエル様、ラグエル様のご遺体が発見されました”
「ラグエル様のご遺体が?」
思わず、彼は声に出す。

“……は。他の者達の遺体は、比較的、損傷が少なかったのですが……”
天使は口ごもった。
“つまり、セリンと同じくらいひどいってことか”
“……それ以上で”
“分かった。ご遺体は、安置所にお運びしておくように”
“は”

「天帝様、……」
アスベエルの言葉を、天帝はさえぎった。
「皆まで申すな。あれが死んでも、ホムンクルスがおるわ」
「は……」
彼はひざまずき、頭を垂れて、ラグエルとラジエルの冥福を祈る。
伝令の天使も同じようにした。

それから、彼は立ち上がり、提案した。
「天帝様、今こそ、神々のホムンクスルを総動員しましょう。
それと、魔物どもが戻って来るまでに、結界の修復をしてはいかがですか。
転移装置も、何とかして直せないか、やってみませんと」

天帝は、はっとしたように彼を見、大きく息を吸うと、口を開いた。
「……ルピーダに伝えよ、即刻、七大天使のホムンクルスを目覚めさせ、転移装置の修繕をさせよと。
神々のホムンクルスも全員覚醒させ、戦闘に備えるのじゃ」
「は!」
伝令は、大急ぎで出て行った。

“メタトロン、ラジエルが討たれた!
残る結界は一つのみじゃ、魔物どもは撤退致したゆえ、そちが指揮を取り、迅速に結界を修復致すのじゃ!
フレイアは、執務室へ参れ!”
矢継ぎ早に命令を下すと、がっくりと肩を落とした天帝は、深く椅子に体を沈めた。
「よもや……天界での決戦になろうとは……無論、もしやの時に備え、準備は怠らずにおったが……」

「ひいお祖父様」
サリエル達を引き連れ、フレイアが入室して来た。
「おお、フレイア……」
天帝は、何と切り出していいものか迷い、無意識にアスベエルを見た。

「フレイア様、……転移装置が、破壊されました。
ラグエル様が、サマエルに操られて……お命までも……。
それと、たった今、ラジエル様戦死の報告が……」
「怖い! わたくし、怖いわ、アスベエル!」
フレイアは真っ青になり、ひしと彼にすがりついた。

「大丈夫ですよ、天帝様も、俺も、サリエル達もいますから。
神々のホムンクルスも、天界を守って下さいますよ」
「でも、皆、よぼよぼのおじいさんじゃない!
戦えそうなのは、ヤヴィシュタ様と、せいぜい、二、三百人くらいだわ!」
彼にしがみつき、女神は叫ぶ。

「案ずるな、複製は皆、全盛期の肉体で創っておるゆえ、魔物どもに引けなぞ取るまいぞ。
左様なことより、どさくさに紛れ、アスベエルに抱きつくでない」
天帝は渋い顔で言った。
「はあい……」
女神は、渋々、彼から離れた。

「かくなる上は、ミカエルも牢より出さずばなるまい、異議は認めぬぞ、フレイア」
天帝は、先手を打って言った。
「……仕方ありませんわね。
では、あいつの複製も全部、戦いに出して下さいな。
行き会うたびに、いつもわたくしをじろじろ見るんですもの、気味が悪くてたまらないわ」
フレイアは、さも嫌そうに顔をしかめた。