~紅龍の夢~

巻の七 DIES IRAE ─怒りの日─

18.天界の堕天使(5)

「遙かなる太古、わが父祖が、未だ“始まりの地”に住まいし折のことじゃ。
当時の帝、アレフには、九人の皇子と一人の皇女がおった。
中でも第八皇子アークは、見目麗(みめうるわ)しい上に利発じゃったことから、父帝の寵愛(ちょうあい)を一心に受けておったそうじゃ。
兄皇子達は無論、快く思っておらなんだが、アークが兄を立て、第一皇子セラフィを(すべから)く次期の帝にと申しておったがゆえ、兄妹仲は悪くはなかったのじゃ。
当時、“始まりの地”の太陽は巨大化し、遠からず()の地が飲み込まれるは必定(ひつじょう)となり、移住先の探索が急務となっておった。
様々な手段を講じ、ようやく居住可能な星を見出したのも束の間、アーク皇子が何者かに殺害されてしもうた」

「えっ……もしかして、兄皇子の誰かが?」
思わず口を挟んだアスベエルを(とが)めることもなく、天帝は続けた。
「アレフ帝も左様に考えた。
何となれば、ゾシムスと申す家臣が、皇子達が全員でアークを刺したと奏上(そうじょう)致し、裏付けとなる映像をも見せたそうじゃでな。
帝は激高し、弁明にも耳を貸さず、皇子達の首を()ねてしもうた……」

「そんな……たった一人の証言を鵜呑みにして、皇子様達を皆殺しに……!?」
アスベエルは呆然とした。
「左様。アレフは大層、気性(きしょう)が荒い帝じゃったそうでな。
されど、ほどなく帝は、おのれの過ちに気付かされたのじゃ、犯人は皇子達ではなく、讒言(ざんげん)した当の家臣であったと」
「……やっぱりそうだったんですね」

「うむ。奸智(かんち)()けたゾシムスは、言葉(たく)みに、皇子達に空音(そらね)を信じ込ませたのじゃ。
帝は、アーク以外の皇子達を“始まりの地”へ置き捨てる心算でおると……左様に焚きつけたは、アークであるともな」
「そんなわけ、ないでしょうに……」

「されど、いかに瞋恚(しんい)に燃ゆるとも、皇子達は、兄弟である第八皇子の殺害をためらったそうじゃ。
そこでゾシムスは、みずからアークを手にかけ、さらには、秘密を共有すると称して皇子達に遺体を刺させ、その姿を盗撮して帝に見せたのじゃ」
「な、何て悪いヤツなんだ……!」

「アーク皇子のみが、ゾシムスの佞悪(ねいあく)さに気づいておったようでな。
ゾシムスは、出世の妨げとなるアークを消し、その罪を他の皇子達になすりつけ、皇女を(めと)った上で、アレフ帝を暗殺……帝位簒奪者(さんだつしゃ)となる野望を抱いておったのじゃ」
「……とんでもない家臣ですね」

「真実を知ったアレフ帝は、奸臣(かんしん)ゾジムスを斬って捨てたが、時すでに遅し……悲しむ父親を見かねた皇女アケイシアが、おのれの命と引き換えにアークを蘇らせようとするも、帝はやめさせたのじゃ。
皇女可愛さも無論あったが、妹を犠牲にしての蘇生と知ったなら、アークが(なげ)くに相違あるまい?」

「……そうですね」
アスベエルはうなずいた。
セリンが言った通り、一度死んだ者を生き返らせて拷問にかけるという話は、やはり、脅し文句に過ぎなかったのだ。

「新天地に渡った後、アレフ帝は皇子達を恋しく思い、ホムンクルスを創らせ、身の回りの世話をさせたそうじゃ。
やがて、再び移住せねばならなくなると、帝は複製を天使として使役する許しを与えた……その時分にはもはや、皇子達を覚えておる者はおらなんだゆえな。
そして、帝はその地に残り、ホムンクルスと共に最期を迎えたと聞く」
「なるほど、そんな言われが……」

「しこうして、九人の皇子の名が位階の名称と相なった……位階の八番目、大天使にのみ、婚姻の自由が与えられることとなったのは、アークは妻帯しておらなんだゆえ、帝が不憫(ふびん)に思うたのじゃろう。
その時より、天使同士の婚姻は禁じられておる……分かるな、アスベエル。
近親婚を避けるためにじゃ」

「で、でも、それから、すごく時間が経ってますよね、もう、血のつながりなんてないに等しいんじゃ?」
「マトゥタもそう申しておった。
されど、余の代にて、連綿と続く伝統を断ち切ることは決断出来なんだ。
それゆえ、そちのみを生かすことに致したのじゃ」
「そうですか……」

「この際、腹を割って話すが、そちは、余の最初の息子に瓜二つなのじゃ。
長ずるに従い、ますます似て来ておってな……」
「え、わ、わたしが?」
アスベエルは眼を丸くした。
「……詰まるところ、余とそちは血縁じゃ。ゆえに、息子と容貌(ようぼう)相似(そうじ)もあり得よう。
左様に思うても、心は揺れての……さりとて、私情で法は曲げられぬ……」
天帝は苦しげな表情を浮かべた。

「な、ならば、天帝様!
最期にせめて、一目なりと、彼を、フレイア様にお目通りさせてやって下さいませ!」
それまで黙っていたラジエルの複製が、たまりかねたように話に割り込んで来た。
「ミカエル様が女神様の話を持ちださねば、アスベエルが逆上し、刃傷沙汰(にんじょうざた)に至ることもございませんでしたでしょう、ぜひとも……」
「何じゃ、ホムンクルスの分際で」
天帝は、眉根を寄せて複製を見た。

“わたしからもお願い致します、天帝様”
そのとき、本物のラジエルからの念話が届いた。
“ラジエルか、戦況はいかがした”
“魔物どもを押し返し、残党狩りを致しておるところでございます、何とぞ、彼の望み、叶えてやって下さいませ……”
「……」
天帝は、アスベエルをちらりと見た。

「そら、お前もお願いしないか」
ラジエルの複製は、彼の頭に手を当て下げさせた。
「はい……さっき、何も望まないって言ったのは嘘です、天帝様。
本当は、フレイア様にお会いしたくて、お会いしたくて……うっ」
アスベエルは声をつまらせた。

「……ううむ」
さすがに天帝も、息子そっくりの少年の涙にほだされたのだろう、一息つくと呪文を唱えた。
「──カンジュア!」
刹那、空中に現れた腕輪を、天帝はアスベエルの手に落とした。
「──リーゴゥ!」
そして、再び魔法を使い、魔封じの(かせ)で、彼の手首を(いまし)めた。

「こ、これは……!?」
彼は、手の中の腕輪を凝視した。
「余が形見として渡すつもりでおったが、そち自身がフレイアに、はめてやるがよい」
「あ、ありがたき幸せ!」
彼はそれを押し頂いた。

「ホムンクルスよ、アスベエルを小宮殿まで連れて行き、フレイアに目通りさせた後、地下へ連行せよ。
これが命令書じゃ」
天帝は羊皮紙にサインをし、渡した。
「かしこまりました」
「これにて、余は戻る。もはや、(わずら)わせるでないぞ」

天帝が魔法で去るのを見届けたアスベエルは、ふっと気が遠くなった。
「お、おい、大丈夫か!?」
ぐったりとうずくまった彼を、慌ててラジエルの複製が揺り起こす。
「あ、す、済みませ……」
彼はすぐに正気づいたが、立ち上がれなかった。
「無理もない、地下研究所行きは、死刑宣告にも等しいゆえな……」

「いえ……そんなんじゃなく……俺、さっきミカエル様を……この手で……」
わななく手を、アスベエルは差し上げて見せた。
「どうして……あの方は、あんな簡単に、酷いこと……人を殺したり出来るんでしょう……?」

「それはまあ……お前が生まれる前から、魔族と戦っていらしたゆえな……」
「……敵なら、仕方ないかも、知れません……でも、味方の……それも弱い者を……」
身震いする彼を抱き上げ、ホムンクルスは、そばのベンチに寝かせた。
そして、破壊されたがれきの前に立ち、呪文を唱えた。
「──リグレディオール!」

みるみる、噴水は元の美しい姿を取り戻していく。
「これでよし。見事な造形美を、壊れたままにしておくのは忍びないゆえな」
「あ……ありがとう、ございます」
アスベエルは、どうにか体を起こした。
「大丈夫か? この屋敷も見納めだ、少しなら見て回ってもよいぞ」

彼は首を振った。
「いえ、さっき済ませました。もう行きましょう」
「左様か、では」
複製は彼を助け起こし、二人はマトゥタの屋敷を後にした。

「ところで、さっき、俺が魔法習ってたのは、本物のラジエル様でしたよね……?」
夕闇迫る無人の街路を歩きながら、アスベエルは尋ねた。
「ああ、本物は、ミカエル様がお前を尾行していることに気づいた直後、援軍要請が来て、急きょ出撃せねばならなくなってな。
我らが魔界より戻って以降、魔族の攻撃は激しさを増しているゆえ……」
「あ、それで、あなたが代わりに?」

複製はうなずいた。
「連絡を受けたとき、わたしはまだ培養槽には戻らず、ルピーダ所長の手伝いをしておった。
それゆえ、お前を追尾していた使い魔に導かれ、すぐに、この屋敷に着くことが出来たのだ。
されど、噴水が爆破された時点で一人では手に余ると思い、天帝様の指示を仰いでいたのだが……もっと早く、助けに入るべきだったな」

アスベエルは否定の仕草をした。
「いいえ、俺がいきなり刺すなんて、分かるはずありませんから。
それより、お礼を言わなくちゃ。フレイア様に会えるのはあなたのお陰です、ありがとうございました」
頭を下げる彼を、ちらりと複製は見た。
「お前、死ぬのが怖くないのか?」

「まさか、怖くないわけないじゃないですか。
でも、両親もマトゥタ様もウリエル様も、皆、天国にいますしね」
彼は無理に笑顔を作る。
「そうだ、サリエルには、先に行ってるから、なるべくゆっくりおいでって言っといて下さい。
それと、形見にこれを……」
言いながら、彼は自分の髪をつまんで見せた。

「相分かった」
複製は短剣を出し、黒い巻き毛を一房、切り取った。
「必ず渡してやるゆえ、安心致せ」
「はい、よろしくお願いします」
アスべエルはうやうやしく礼をし、その後、二人は黙々と歩いた。

汎神殿の門をくぐり、城内を進む。
周囲を見回し、すべてを眼に焼きつけておこうとするアスベエルを、複製のラジエルは急かすことはなかった。
小宮殿の衛兵に天帝の命令書を見せて通してもらい、ようやく、フレイアの部屋へ着いた。

ここでも命令書を見せると、見張りの兵士の一人が、ドアをノックした。
「ラジエル様とアスべエル様が、ご面会です」
「どうぞ」
魔法医の一人が扉を開けた。

だが、入室しようとしたアスベエルは、突然動けなくなってしまった。
「えっ、な、何……!?」
「む……ああ、そうか。おそらく、お前の中にある“カオスの力”に、結界が反応しているのだろう。
メディクスよ、この結界を一旦、解いてくれぬか」
ラジエルの複製は頼んだ。

「いつ、夢魔めが襲って来るか知れないこの状況で? ご冗談を」
魔法医は取り合わなかった。
「これがあるのにか」
ホムンクルスは、命令書を突きつけた。
「お言葉ですが、結界を解けという指示はございません」
メディクスは譲らない。

複製は顔をしかめた。
「く……新しくご命令を頂きたくとも、天帝様は、もう(わずら)わせるなと仰ったのだ。
この後、彼を、地下研究所まで連行せねばならぬし……」
「ち、地下へ!? ですが、アスべエル様は、七大天使にお就きになったばかりのはず……?」
メディクスは、複製と彼とを見比べた。

「ミカエル様を刺したんですよ、俺」
アスベエルが言うと、魔法医だけでなく、兵士達も顔をこわばらせた。
「何ですと!?」
「刺した!?」

すべからく【須く】

多くは下に「べし」を伴って、ある事をぜひともしなければならないという気持ちを表す。当然。

ざんげん【讒言】

事実を曲げたり、ありもしない事柄を作り上げたりして、その人のことを目上の人に悪く言うこと。

そらね【空音】

2 いつわりの言葉。うそ。

しんい【瞋恚/嗔恚】

《連声(れんじょう)で「しんに」とも》
1 怒ること。いきどおること。
2 仏語。三毒・十悪の一。自分の心に逆らうものを怒り恨むこと。

ねいあく【佞悪】

心の曲がっていること。また、そのさま。

かんち【奸知/奸智/姦智】

悪賢い知恵。悪知恵。

かんしん【奸臣/姦臣】

邪悪な心を持った家来。

簒奪(さんだつ)

本来君主の地位の継承資格が無い者が、君主の地位を奪取すること。あるいは継承資格の優先順位の低い者が、より高い者から君主の地位を奪取する事。ないしそれを批判的に表現した語。
本来その地位につくべきでない人物が武力や政治的圧力で君主の地位を譲ることを強要するという意味合いが含まれる。(Feペディア)