15.魔天戦役(4)
その夜、天界にて。
「ご報告致します……。我が軍はほぼ壊滅……わたしのホムンクルスも、討ち死にとのことで……」
天帝は、渋い顔をして、天使長の報告を受けた。
「相わかった。して、結界を解くよう命じておいた工作員どもは、いかが致した?」
大天使は、うなだれた。
「……は。いまだ連絡はなく、……」
「そちらも失敗、か」
「いえ、今少しご
ミカエルの弁解が耳に入った風もなく、天帝は首をひねった。
「むう、何ゆえじゃ?
我が計画は完璧のはず……よもや、内通者でも……」
大天使は顔色を変えた。
「ま、まさか、そのような。
強固な天界の結界越しに、魔界と連絡を取ることが出来る者がいようなどとは思えませぬ」
「……ふむ、たしかにそうじゃ、考え過ぎかの。
では、一晩対策を練るゆえ、明朝一番で会議を召集致すとしよう」
「心得ました」
「ところでじゃ。そちは、サマエルの死体を埋めるに、立ち会ったのであろう?
まこと、
「無論でございます。丸裸にし、隅々まで検分致しました、しかと相違ございませんでしたとも」
ミカエルの声は、いかにも心外だと言う響きを帯びていた。
天帝は額に手を当て、ため息をついた。
「ならばよいが……。
しぶとい夢魔め、我が眠りに
天界は
「夢ごときをお気になさるので!?」
ミカエルは思わず大声を出した。
「やめよ、頭に響くわ」
天帝は眉をしかめた。
「も、申し訳ございませぬ」
慌てて、大天使は頭を下げた。
「例の、呪いの言葉があるゆえじゃ。
死に際の念は最も強い……まして、あやつは紅龍、気にもなろうと申すもの」
一瞬首をかしげた後、ミカエルはまくしたて始めた。
「左様なことより、出撃命令を
必ずや、勝利をもたらしてご覧に入れましょうぞ!」
天帝の表情は苛立たしげになった。
「何を申すか、複製が討ち死にしたのならば、そちが出陣しようとも、結果は同じであろうが。
もうよい、大儀であった」
「は……失礼致します」
ミカエルもまた、不機嫌な顔で退去した。
「くそ、面白くない……お、そうだ」
不意に足を止めた大天使は、ニヤリと笑い、再び歩き出した。
着いたのは、サリエルの部屋だった。
「通るぞ」
「許可なき入室は禁止されております、天使長“様”」
監視役の大天使は、敬称であるはずの“様”を、
「貴様、何だ、その態度は! 天使の長たる我に向かって!」
ミカエルは吼えたが、監視役はひるまない。
「ご自分の胸にお聞きになればよろしいでしょう。
ともかく、許可がなくばお通し出来ません!」
「うるさいわ!」
「ぐあっ」
ミカエルは、天使を思い切り殴り飛ばし、手荒くドアを開けた。
ソファで話していたサリエルと彼の複製、そして、アスベエルは、突然の乱入に息を呑んだ。
「ホムンクルス!」
どちらが本物のサリエルか分からなかったミカエルは、苛立たしげに呼ばわった。
「は、はい、天使長様。わたしですが」
慌てて、リナーシタは立ち上がった。
「貴様、天界に反逆を企てているのであろう、正直に白状しろ!」
「……何のことですか?」
天使長に指を突きつけられたホムンクルスは、きょとんとした。
アスベエルも立ち上がり、かばうように前に出た。
「ミカエル様、何を仰っているんですか。
こいつには、ご自身でマインドコントロールを施し、虫も埋め込んだんでしょうが。
お忘れなんですか?」
そのどちらもが、とうの昔に取り払われていることなどおくびにも出さずに、彼はあきれた風を装った。
大天使は言葉に詰まった。
「む……。だが、天帝様が、内通者がいるのではないかと仰って……」
「ですが、裏切ったら、生きてられませんよ」
「だが、調べる価値はある、こやつは、サマエルめの息子の複製なのだぞ!」
天使長は、憎々しげに複製を揺さぶる。
「そう仰いますが、そもそも、天界の結界越しに、どうやって魔界と連絡を取るんです?」
「黙れ! 天使の長たる我が
つい先ほど、天帝と同じ会話を交わしたミカエルは苛々ついて怒鳴ったが、すぐにニヤリと、またも嫌な笑みを浮かべた。
「なぁに、何もなければ返してやる。
さあ、来い!」
「ちょ、ちょっとお待ちを、天使長様……!」
止める看守長を振り切って、大天使は乱暴にドアを開け、引きずるように複製を連れていった。
「まったく……あ」
眉をひそめてそれを見送ったアスベエルは、回廊に倒れている天使に気づき、揺さぶった。
「おい、どうした、大丈夫か?」
「う……入室を断ったら、いきなり殴られて……つっ」
監視役の天使は、顔をしかめて頭を振り、槍を支えに立ち上がろうとして、よろめいた。
「痛むのか? 中で少し休むといい」
「……済まない」
アスベエルは、監視役に肩を貸し、部屋のソファに座らせた。
その天使の顔を、心配そうにサリエルが覗き込む。
「大丈夫?」
「いえ、大したことは。申し訳ない、サリエル殿。監視の役に立てず……」
サリエルは首を振る。
「ううん、僕が逃げないように見張るのがお役目なんだから、仕方ないよ。
でも……内通なんて口実で、ベッドに連れ込む気なんじゃないかな……。
ミカエルはいつも、なめ回すようないやらしい眼で、僕を見てるんだ……」
自分の肩を抱き、少年はぶるっと身を震わせた。
「ええっ、体目当て!?」
アスベエルが眼を剥くと、サリエルは暗い顔になった。
「言っとくけど、お前も狙われてるよ。
毛色が変わってて楽しめそうだとか、舌なめずりしてたことがあるし……」
「げげっ、嘘だろ……!?
それだけはごめんこうむりたいぜ……ああ、もう、誰か、マジに何とかして欲しいよ……!」
看守長は、
「……本当に体目当てなら、生きて帰って来られない、かもな」
監視役の天使はつぶやいた。
「えっ?」
「どういう意味だよ!」
振り返ったサリエルとアスベエルに、天使は別の答えを返した。
「わたしの妹は、あいつに殺された……」
「何だって!?」
アスベエルは息を呑む。
「
しかも、蘇生をお願いしたら、ホムンクルスは対象外、と来たものだ……!」
天使は歯噛みした。
「何だよ、それ?」
「……わたしは騙されていたのだ。妹だと思っていたのは、ホムンクルスだった……。
魔族と敵対していたわたしを取り込むために、天帝様は妹の複製を創り、……いや、そのことはもういい……だが、」
監視役の天使は、頭を抱えた。
アスベエルは義弟と顔を見合わせ、それから尋ねた。
「なあ、セリン。よかったら、詳しく話してくれないか?
妹って……えと、エレノアだっけ? 彼女が複製だって?」
すると、セリンは、ゆっくりと顔を上げた。
金髪
「エレアだ。……そうだな、サリエル殿とお前になら、話してもいい。
わたしは、てっきり、人界で死んだ妹が蘇生されたのだとばかり思っていたのだ。
……あ、わたしが人族出身だと言うことは?」
アスベエルはうなずく。
「ああ、知ってるよ。二人が天界に来たときは、かなり話題になったし」
「女性が、女神じゃなく大天使になった、っていうのも珍しかったもんね」
サリエルも
「そう、物珍しさも手伝ってか、妹は、神のお一人に見初められ……とんとん拍子に話は進み、式の日取りも決まって……その矢先だった、ミカエルに襲われたのは……。
偶然、塔の上からそれを見かけた、神のお一人が、助けに向かって下さり……わたしも、妹の念話を聞いて駆けつけた……が、時すでに遅く……ううっ」
セリンは顔を覆った。
「だ、大丈夫?」
「……ごめん、辛い話をさせたな、もういいよ」
サリエルとアスベエルが、両側から天使の背をさする。
「いや、いいのだ。取り乱して済まない」
涙をぬぐい、セリンは再び話し始めた。
「お相手の神は、エレアが複製と知ると、蘇生の嘆願を取り下げてしまった……。
納得出来ず、食い下がったわたしに、天帝様は、こともあろうに、戦で
そんなものはいらない……天界で苦楽を共にした“あのエレア”こそが、妹なのに……うう……エレアを返せ、返してくれ……!」
天使は、むせび泣き始めた。
「分かるよ。僕も……リナーシタはもう弟だから。
新しい子をくれるって言われても……うっく」
サリエルも、もらい泣きしていた。
「……くそ、もう我慢できない!」
アスベエルは、すっくと立ち上がった。
「ど、どうしたの、アスベエル?」
驚いて、サリエルが泣きやむ。
「俺、天帝様に報告して、リナーシタを取り戻して頂くよ」
「天帝様に!? 殺されるよ!」
「直訴は死罪だぞ!」
サリエルとセリンは、同時に叫んだ。
「行っちゃダメ! 死なないで、アスベエル!」
ひしと取りすがる義弟の体が、小刻みに震えている。
「そうだ、みすみす殺されに行くなど!」
セリンも体の痛みを忘れて起き上がり、彼を止めにかかった。
「大丈夫だよ、二人共、落ち着いてくれ。
元々、天帝様から、ミカエルの監視を命ぜられてたんだ。
報告なんだから、手討ちにはされないさ」
「そ、そうだったね……」
サリエルは、ほっと息をつく。
セリンも力を抜いた。
「……そうか。気休めになるか分からないが、たとえお前が死ぬことになっても、蘇生はされない、無闇に苦しめられる心配はないと、教えておこう」
「そうだな、俺は
「いや、そうではなくね。
天帝様が仰ったのだよ、蘇生は命を削る危険な術だ、たかが複製ごときに使えるか、と。
そのとき、悟ったのだ。自殺者を蘇生させ、地下室で切り刻むなどとは真っ赤な嘘、子供をベッドに追いやる
セリンは静かに言った。
「ふうん……それを皆、真に受けてたってわけか。
あ、そういや、俺達が知ってる蘇生の術は、自分の命と引き換えだもんな……何で、今まで誰も気づかなかったんだろう」
「多分、わたしが外の世界の出身だからだよ。
中では見えない事も、視点を変えれば見えて来る……」
「なるほどな……あ、俺、もう行くよ、リナーシタが心配だ」
「あと一つ、ミカエルのせいで、女天使達がパニックを起こしかけている、そう申し上げてくれ」
「え、パニック? 何で?」
「神に見初められれば、玉の
まして、抵抗すれば命まで……となったら?
皆、エレアが複製とは知らないし、わたしも口止めされている」
「……そうか、報告しておくよ」
「アスベエル、必ず帰って来てよ」
眼に涙を溜めて、サリエルは彼の手をぎゅっと握る。
「ああ、大丈夫だって」
アスベエルは、無理に笑みを浮かべて
べっしょう【蔑称】
相手や第三者、またはその動作や状態をさげすんでいう言い方。
怖気(おじけ、おぞけ)をふるう
恐怖で体がふるえる。こわがる。
「ふるう」は「振るう」「震う」両方書く。
(注)久しぶりに登場した『セリン』は、「巻の二/ジュエル・ベアラー/貴石を帯びし者」で、“黯黒の眸”に操られていた、“三つの大陸”の王です。
あの時、天使となって彼を迎えに来たのは、エレア本人ではなく妹の複製だった、ということになるわけです。