15.魔天戦役(2)
一方、亜空間への魔法陣が設置してある小惑星に着いたタナトス達は、以前の
そこへ、斥候の一人が現れ、片膝をついた。
「タナトス様、今回、敵は、ここへは足を踏み入れておりません」
ほぼ同時に、朱龍と碧龍の念話が届く。
“こっちは異常ないです、伯父上”
“うん、罠みたいなのはないわ、伯父様”
“よし、お前達は戻れ。斥候は、引き続き見張りを”
「は!」
戻った二人が人型になるのを見届けた黔龍は、白い息を吐き出し、陣の周囲に半透明の
これは、結界であると同時に、亜空間の様子を映し出すスクリーンを兼ねている。
前回の戦いのとき、この幕を張ったのは紅龍で、サマエルの不在を、改めて強く印象付けることとなった。
(ふん、思った通り、軍団を引き連れて来ているな、ミカエルめ)
帷幄に映し出された情景を見てつぶやき、魔界王は人型へ戻った。
それを待ちかねていたように、“紅龍軍”の副総帥ゼパルが、さっと片膝をつき、頭を下げた。
「タナトス様、紅龍軍を代表致しまして、わたくしをご一緒させて頂きたく存じます。
我ら、サマエル様が人界へ参られてより、まったくお役に立てず……しかも、亡くなられたとあっては……」
タナトスは、じろりと家臣を見た。
おそらく怒鳴りつけられ、殴られるか、あるいは魔法で思い切り吹き飛ばされるものと、ゼパルは覚悟を決めていた。
それでも、言わずにはおれなかった。
これは、彼だけではなく、後ろに整列している、紅龍軍の兵士全員の思いでもあったのだから。
魔界王は、険しい面持ちではあったものの、相手の肩にぽんと手を置いた。
「ゼパル。貴様の気持ちはよく分かる。
だが、連中を不用意に警戒させるのはまずい。ここで大人しく待っていろ、必ず、貴様らの出番は来る」
そうして、タナトスは、待機している部隊に向き直った。
「──皆の者!
それぞれ思うところはあるだろうが、天界へ攻め入る折には、こやつらの顔を立て、先陣を切らせてやれ、いいか!」
「は!」
間髪を要れず、兵士達は声を揃える。
「ありがたき幸せ!」
副総帥は、くずおれるように平伏した。
「では、行って来るぞ」
「はは! ご武運を!」
ゼパル並びに家臣達は皆、頭を下げた。
タナトスはマントを
亜空間では、天使の大軍団が待ち構えていた。
「遅かったな、魔物ども。
されど、貴様も様々未練もあろう、魔界の王から、我らの虜囚へと堕ちねばならぬのだからな、我は寛大ゆえ、貴様の心持ちを考慮し……」
ミカエルの
「うるさい、黙れ! それより弟はどこだ、さっさと返せ、愚天使!」
「そんな態度を取っていいのか、貴様。
……まあいい、サマエルをここへ」
むっとしたように彼を睨みつけたものの、大天使はすぐに我に返り、合図を送った。
すぐに、さるぐつわと手枷で縛められた銀髪の男が、後方から引っ立てられて来た。
「サマエル!」
「「お父さん!」」
『サマエル!』
偽者だと分かっていても、タナトス達は、思わず声を上げてしまう。
「さあ、こちらへ来い、タナトス。人質交換だ」
魔界王が歩み出そうとしたとき、黄金のライオンが念話で言った。
“我に確かめさせてくれ、前に言ったろう、我なら確実だ”
“む……だがな、貴様も、その身で感じたろう、あいつの死を……。
それに、複製といっても、何もかも本体と同じなのだぞ、どうやって……”
“遺伝子は同一でも、偽者はカオスの力を持たぬ、すぐに分かるはずだ。
心の整理をつけたいのだ……頼む、魔界の王よ……”
ライオンはうなだれた。
その心境は、タナトスにも痛いほど分かった。
“……好きにしろ”
「どうした、
ミカエルは腕組みをする。
「その前に、そいつが本物かどうか、シンハに確認させろ。そちらとこちらの中間でな。
俺の首をくれてやるのに、偽者を引いたとしたら眼も当てられんわ」
「構わぬぞ、我は寛大なるがゆえにな、くくく」
その言葉を予期していたかのように、ミカエルは嫌な笑い方をし、捕虜を押し出すように歩き出す。
「よし、貴様は下がれ」
ライオンと共に中間地点で二人と会ったタナトスは、大天使を遠ざけ、銀髪の男のさるぐつわを外した。
「大丈夫か、サマエル」
タナトスは、一応、声をかけてみた。
「く、タナトス、シンハ……逃げろ、これは罠だ……」
姿形はもちろん、かすれたその声も、弟にそっくりだった。
『……やはり偽者だ、タナトス王』
絞り出すような、ライオンの言葉を聞くまでもなかった。
弟の身体を常に覆っていた禍々しい力が、この男からはまったく感じられない。
「それは分かっている、だが、くそ忌々しい、この……!」
死んでしまった弟そっくりの面差し、すがるような眼……それに促されるようにタナトスは、いつの間にか手枷を外してしまっていた。
『よせ、タナトス!』
シンハが叫んだ刹那、偽のサマエルは懐から短剣を取り出し、彼目がけて突き出した……ように見えた。
だが、次の瞬間、短剣の鋭い切っ先は、複製自身の胸元に、ざっくりと食い込んでいたのだ。
「貴様……!?」
どっとあふれ出す血しぶきを浴びたタナトスは、面食らった。
「私、の前に……創り、出された、複製達、は……記憶、を……注入、されると……皆、自害、した……。
天使達、は……自殺、防止に、私を縛り……私も、これ以上……複製が……創られる、のを、良しとしなかった……から、わざと……死なずに、いた……そう、すれば、……」
「もういい、口を利くな、早まったことをしおって。
俺達は、罠と知りつつここに来た、サマエルが命を落としたことを、感じ取っていたのだ」
「わ、分かって、いながら、来た、……?」
ホムンクルスは、血まみれの手で、魔界の王にしがみついた。
「ああ。敵が連れて来る複製、つまり、お前だけでも助けてやろうと思ってな。
さ、癒してやる」
「わ、私を……!?」
男の、見開いた紅い眼から、涙が流れ出た。
それは、この男が複製だということを
「そうだ、さあ……」
呪文を唱えようとしたタナトスを、複製はさえぎった。
「よせ、無駄だ……!
こ、この体は……す、数日しか、い、生きられない、ように……創られて、いる、のだから……」
「何!?」
「父さん!」
「サマエル父さん!」
思わず駆け寄るリオンとシュネ。
「ああ、お前達……」
ホムンクルスは、蒼白な顔に笑みを浮かべ、タナトスに支えられながら二人に触れる。
そして、悲しげなライオンにも手を差し伸べた。
「“焔の眸”……」
『いや、我は……』
シンハは、ぶるんと首を振る。
「分かっ、ている、よ……化身達に、伝え、てくれ……本、物の、サマエルは……最後、まで、お前達を、愛して、いた、と……。
ああ……私も、一目、ダイア、デムに……会いた、かった、な……」
刹那、ライオンの姿が輝き、紅毛の少年の姿になった。
『これでいいか?』
「あ、あり、がとう……。
タナ、トス……もう、楽に、してくれ……どうせ、すぐ、散る命、だ……」
「分かった、本体の後を追え、ホムンクルス!
そして、伝えろ、俺達は全員、お前を愛していたと!」
魔界王は、複製の胸に刺さったままの短剣の柄を握り、力任せに押し込んだ。
「ぐ、うっ!」
ホムンクルスは、くぐもった叫びを上げ、魔界王の腕の中で事切れた。
「父さん!」
「わあん!」
『サマエル!』
リオンとシュネ、そして、紅毛の少年は、思わず、その体に取りすがる。
「ふん、役立たずめ、もうくたばったか」
それを見ていたミカエルが、冷ややかに言い捨てた。
複製の死体をそっと地面に横たえ、タナトスは、大天使を睨みつけた。
「貴様! もう一度言ってみろ!」
大天使は、どうでもよさげに肩をすくめた。
「茶番だな。
サマエルの死が気づかれていたのは予想外だが、複製と分かっておるのに、何ゆえ、左様に騒ぎ立てるものやら」
「貴様!」
「何だって!?」
「ひどい!」
『待て、落ち着け、お前達』
詰め寄ろうとするリオンとシュネを、紅毛の少年が制した。
そんな彼らを尻目に、ミカエルは、憎々しげに続ける。
「ふ、そんなこともあろうかと手を打っておいたゆえ、戦況には何の影響もないわ!」
「ち、負け惜しみを! 俺達だけで来たとでも思っているのか!
皆の者、出番だぞ!」
タナトスは眼を怒らせ、腰に帯びた剣で空間を切り裂く。
途端に、待ちかねていた魔界の軍勢は、続々と出撃して来た。
「負け惜しみなどではない、前回同様、貴様らが援軍を連れて来ることなど、百も承知よ」
ミカエルは、動揺を見せるどころか、にやりとした。
「さても、今回は、さらに大勢の兵を引き連れて来ておるのであろう、今度こそ、我らとの決着をつけねばならぬと意気込んでな。
されど、人員をこちらに裂けば、魔界の守備が手薄になるは必定……さても、今頃魔界では、何事
「ふん、貴様らが魔界付近に伏兵を潜ませていることなど、先刻お見通しだ!
結界がある限り、蚊トンボどもが何匹騒ごうが、魔界には到達出来んわ!
まったく学習せんようだな!」
タナトスが吼えても、大天使は、いやらしい笑いを消すことはなかった。
「くくく、では、その大事な結界が、消滅したとしたらどうだ?」
「な、何!?」
タナトスは、一瞬、顔色を変えたものの、すぐに気を取り直した。
「ふん、こけおどしも大概にしろ。
あの結界が破られるはずがない、我が妃、“黯黒の眸”がいる限りはな!」
だが、大天使は嫌な笑いを浮かべたまま、さらに言い続ける。
「ふ、ではその、妃とやらに何かあったとしたら?」
「何だと!? 貴様、何が言いたい!?」
「くく、魔界で何が出来しようとも、貴様ら全員、すぐにこやつの後を追うことになるゆえ、関わりあるまいが!
──カンジュア!
ミカエルは呪文で桶を出すと、蓋を開け、中に手を突っ込んで持ち上げた。
「とくと見よ、魔物ども!」
「──!」
魔族達は全員、息を呑んだ。
それは、唇から一筋血を流した生首だった。
閉じられた目蓋は落ちくぼみ、銀髪は血に汚れ……たった今
「サマエル!」
「父さん!」
『サマエル!』
「ああ、……」
「シュネ、しっかり!」
倒れかかる義妹を、慌ててリオンが支える。
「くそ、貴様……俺の弟を……!」
ぎりぎりと、タナトスは歯を噛み鳴らした。
「ふん、こんなもの、家畜の餌にでもしようと思ったが、毒があるゆえ、豚も食わぬわ」
銀髪をわしづかみにし、大天使は、生首をゆらゆらと揺らして見せた。
「返して欲しいか? ならば戦って取り戻すがよい。
結界の保持にそれほど自信があるのならば、何も問題なかろう?
……くくく」
「上等だ!
皆の者、戦闘開始!」
「──おう!」
魔界王の命令一下、魔界の軍勢は
タナトス、リオンが龍に変化し、気を取り直したシュネも龍となり、戦場へとなだれ込む。
いあく【帷幄】
[1] 垂れ幕(帷)と引き幕(幄)。幕。[2] 陣営に幕をめぐらしたことから、作戦をねる場所。大将の陣営。