13.死刑台の紅龍(2)
「ま、それも一興だが。
このままいけば、アスベエルは、私と同じ……もう一頭の紅龍へと変化を遂げ、お前に復讐を始めるかも知れないぞ」
サマエルは、声に
一瞬ぎくりとしたものの、ラファエルは、顎を突き出し虚勢を張った。
「ふ、ふん、誰が、そんな脅しに乗るか」
「それだけでは飽き足らず、自分という存在を産み出した、この世界に復讐を……。
む、まずいな、紅龍に変化するならまだしも……」
不意に口ごもり、サマエルは眉を曇らせた。
「まずいとは、どういう意味だ」
「我らは、『おのれとは、このようなものである』と考えることにより、自分自身を規定しているものだ。
だが、何もかもが
資格なき者は、死ぬしかない……が、例外もある。
あまりにも恨みや憎しみが強い場合、混沌に漂う何者ともつかない姿を取り込んで
そうなれば、制御出来る分、紅龍の方がまだまし、ということにもなりかねない、だが、……」
魔界の王子は考え込んだ。
「……わたしを憎むあまり、紅龍よりも
まさか……」
ラファエルは、半信半疑でつぶやく。
「彼は、一旦は戻って来られた……並みの者より魔力は高いはず。
ただ、怨恨や憎悪より、哀しみの方が勝っている気はするが……」
サマエルは首を横に振る。
さっきまで、のた打ち回っていたアスベエルは、今はもう、意識を失って横たわっており、時折、びくびくと
その腕は、ラファエルではなく、サマエルに向け伸ばされている。
「可哀想に、もうすぐ彼は死ぬ……もしくは、彼でなくなる……。
助けてやりたいけれど、……」
床に固定されたまま、サマエルは、恨めしげにラファエルに視線を送る。
「く、くそっ、何とかしろ!」
大天使は、すらりと剣を抜き、サマエルの喉元に突きつけた。
彼は眼を閉じた。
「彼を心配してはいるのだね。
……それとも、言い訳のためか? 自分はこうまでしたのに、という」
「違う!」
ちくりとした痛みと共に、剣の切っ先が喉に刺さり、わずかに血が流れる。
「……たった一つ、望みを叶えてくれるだけでいいのに。
何を約束し、実行しても、私はもうすぐ死ぬ、死人に口なしだ……」
「く、!」
次の瞬間、サマエルは手荒に引き起こされ、看守長の元へと引っ立てられた。
「早く助けてやれ!」
「無論だ」
アスベエルの額に手を当て、彼は、するりと心の中に滑り込んだ。
刹那、怒涛のように押し寄せて来るカオス、並みの者なら一瞬で飲み込まれてしまうだろう激流に逆らい、彼は必死に看守長を捜した。
“アスベエル、どこだ!?”
時折、稲妻のように記憶が閃き、その瞬間は、さすがの彼もひるんでしまう。
“く……アスベエル! どこにいる、返事をしてくれ!”
手遅れだったかと、ほぞを噛む思いで懸命に探し回っているうち、遠くに一筋、スポットライトのように光が差している箇所が見えて来た。
“あ、あれはもしや……”
光り輝く白い羽毛が舞う中に、天使が独り、膝を抱えてうずくまっていた。
“やはり!
──アスベエル!”
死に物狂いで近づきながら、サマエルが呼びかけると、天使はびくりと顔を上げた。
“だ、誰……?”
“私だ、サマエルだよ、分かるか?”
“あ、あ……サマエル様ぁ!”
泣きながら飛びついて来る少年を、彼は抱き締め、ほっとした。
“よかった、間に合った……よく無事でいたね”
“いえ、あの、俺、滅茶苦茶振り回されて、溺れたみたいに苦しくて、もう、何が何だか分かんなくなってたんですけど、さっき急に止まって、あったかくなって。
もう、天国へ来ちゃったんだと思ってました……”
“……そうか。
お前を守っていたこれは、かつて、お前の両親だったものかも知れないね……未練を残して死んだがゆえに、カオスに取り込まれたのか……”
サマエルが広げた掌に、輝く羽が落ちて来ては、淡雪のように融けてゆく。
“え? これが両親?”
慌てて、アスベエルは舞い散る羽に触れようとしたが、そのときにはもう、光は消えてしまっていた。
“ああ、……”
すべてが闇に飲まれるかと思いきや、代わりにサマエルの体が輝き始めた。
“サマエル様が光ってる……!?”
“ああ。私は混沌に飲み込まれることはない……すでに、この一部なのでね”
サマエルは、手でゆっくりと弧を描き、周囲を示した。
“そ、そうなんですか”
“それにしても、親の愛とは素晴らしいものだな、あんな状態でも、息子が分かるのだから。
ご両親の分も、頑張って生きなければね、アスベエル。
……さ、現実世界へ戻ろう”
“はい”
答えた途端、意識が戻り、看守長はぱちりと眼を開けた。
「大丈夫か、アスベエル!」
サマエルを押しのけ、ラファエルが彼の手を取った。
その眼は、うるんでいるようにも見える。
「あ、ラファエル様……俺は……」
「こやつのせいで、死にかけたのだ!」
大天使は、忌々しげに、魔界の王子の方へ手を振る。
「済まなかったね、巻き込んでしまって。
まだ休んでいた方がいい、かなり消耗しているはずだ」
「お前に言われるまでもない!」
ラファエルはさっと彼を抱き上げ、檻を出た。
「約束を忘れるなよ、ラファエル」
その背中に声をかけても、大天使は振り返りもせず、歩き続ける。
「ふん、夢魔ごときと約束事などした覚えはないわ」
「……おやおや、やはり、神族は嘘つきだな」
肩をすくめる魔界の王子は、大して落胆した風でもなかった。
「あの、ラファエル様、約束って……?」
つぶらな瞳で、アスベエルは大天使を見上げる。
「お前を助ける代償に、願いを一つ叶える約束をしたのさ。
まあ、
サマエルが教えた。
「黙れ、魔物と取引などはせぬ。お前のせいなのだから、無条件で助けて当然だ」
「待って下さい、あいつの願いって何なんです?」
アスベエルは尋ねた。
「知らぬ。知りたくもないわ」
ラファエル返事は取り付く島もない。
「けど、内容くらい、聞いてもいいんじゃ?
……だって、俺のせいで、ラファエル様が、嘘つき呼ばわりされるのは……」
助けてくれた魔界の王子に、礼も出来ない自分の立場を心の中で密かに嘆き、アスベエルは涙ぐんだ。
「むう……」
そうとも知らず、ラファエルは足を止める。
「彼の言う通りだ、話くらい聞いても、罰は当たるまい」
サマエルも口を添えた。
「ならば申してみよ、その望みとやら」
渋々、大天使は振り返り、サマエルを見た。
「簡単だよ。処刑後、私の死体は、このウィリディスの大地に埋めて欲しい、それだけだ」
ラファエルはぽかんと口を開けた。
「……何、それだけ?」
「ああ。何を想像していたのだ?」
彼は、不思議そうに尋ねた。
「いや……お前は淫魔だ、てっきり、いかがわしいことを要求して来るものだとばかり……」
きょとんとするのは、今度はサマエルの番だった。
「……いかがわしい? そんなこと、まったく考えもしなかったぞ?
私の母の遺体は、この地に埋められている、そして、私がここに葬られれば、母、アナテは、冥界で安らかに眠りにつくことが出来るだろうと……」
「アナテだと? たしかお前の母は……」
「前世の母親だよ。私は、魔界の女神アナテの息子にして、夫だったモトの生まれ変わりなのだ。
アナテはお前達の先祖に虐殺され、
今度で、もう三度目、これが最後であって欲しいよ……」
「ふうむ……」
「……ラファエル様、あいつの処刑はもうすぐなんですか?」
おずおずとアスベエルが尋ねた。
「ああ。三日後、の予定だ」
「ええっ……!?」
看守長は青ざめた。
義弟を案じてのことだろうと、大天使はとがめはしなかった。
魔界の王子は、眉一つ動かさなかった。
「そうか。フレイアが来たときに、そろそろだと思ったよ。
では、その後、荒地にでも埋めてくれ。墓石などいらない。私はただ、故郷の地に同化したいだけだ」
「相分かった、その約束、必ず果たそう」
厳粛な面持ちで、大天使は
「ありがとう、ラファエル」
サマエルは微笑んだ。
「お礼に教えておこう、私を処刑するなら、火あぶりは無駄だよ、炎に耐性があるからね。
縛り首とか溺れさすとか、窒息系も駄目だ、すぐ蘇生してしまう。
斬首が一番だと思うが、それでも、首と胴体は離しておかないと、すぐにつながってしまうから……」
彼は、自分の首を斬る真似をして見せた。
大天使は眉をしかめた。
「お前、もしや、それらを全部、試してみたのか……?」
魔界の王子は、にっこりした。
「さっき、私の心を読んだろう?」
「う……」
「それから、もう一つ、告白しておこうか。たしかに私は、息子の記憶を書き換えた」
「何、やはり、お前……」
思わず、大天使は身を乗り出す。
「最後まで聞け。その理由は、サリエルが泣いたからだ……泣きわめいた、と言った方が正確か。
お前、私が、親子心中を図る気でいると知っていたろう」
「えっ!?」
思わず声を上げるアスベエルを尻目に、ラファエルは肩をすくめた。
「まあな。今朝、わたしが食事を持って来たのも、アスベエルにショックを与えまいとしたがゆえだ」
「心中……お、俺のため……!?」
アスベエルは、おろおろと、天使と悪魔を見比べる。
「……それで?」
大天使は続きを促す。
「ああ……それで、昨夜、息子に話を切り出したところ、案の定、死ぬのは嫌、怖いと大泣きされて、仕方なく眠らせたのだよ……。
やつれた寝顔を見て、心中は思い留まったが、父親との最後の夜に眠ってしまったと後で知ったら、きっと、この子は悲しむだろう、後追い自殺など企てるのではと案じられてね……。
それでも、せっかくよく寝ているのを無理に起こすのも……だから、一晩中、私と話していたという記憶を植えつけたのだよ。
何も嘘は入れてはいない、息子が起きていたら聞かせた話だ、すべて……」
サマエルは、さも本当のことのように、しんみりと語って聞かせた。
「あのぉ、ラファエル様。
もし……あいつが、本当に見境のないヤツだったら、息子なんかより、もっと身近な、俺ら看守や……そうだ、フレイア様にだって、襲いかかったんじゃないですかね……?」
おそるおそる、アスベエルが口を挟む。
「むう……」
看守長の尻馬に乗る形で、魔族の王子は言った。
「正直、アスベエルがいるから、
「むうう……相分かった、何もなかったということにしてやる。
わたしとて、サリエルを死なせたくはない」
大天使は、看守長を抱いたまま、くるりと背を向け、去って行った。
一人残されたサマエルは、大きく息を吐いた。
「“人は真実より、自分にとって都合のいい嘘を信じる”というのは、けだし
ああ、やっと……! あと、たった三日で、私は死ねる……!」
彼は、顔がほころぶのを抑えられなかった。
そのとき、磨き立てられた檻の壁に、妻の面影が浮かび、彼は笑みを消した。
「済まない、“焔の眸”……私は、どうしても死んでしまいたいのだよ……!
お前達が悲しむのが分かっていながら……ああ、許しておくれ……!」
彼は顔を覆った。
眉(まゆ)を曇(くも)らす
心配そうな顔つきをする。
かててくわえて【糅てて加えて】
ある事柄にさらに他の事柄が加わって。その上。おまけに。多く、よくないことが重なるときに使われる。
よるべ【寄る辺/寄る方】
頼みとして身を寄せるところや人。また、頼みとする配偶者。
ほんりゅう【奔流】
勢いの激しい流れ。
よすが【縁/因/便】
《「寄す処(か)」の意。古くは「よすか」》
1 身や心のよりどころとすること。頼りとすること。また、身寄り。血縁者。よるべ。
2 手がかり。手だて。方法。
うつしよ【現し世】
この世。現世。
けだし【蓋し】
1 物事を確信をもって推定する意を表す。まさしく。たしかに。思うに。
しげん【至言】
事物の本質を適切に言い当てている言葉。