~紅龍の夢~

巻の七 DIES IRAE ─怒りの日─

11.黄金の女神(4)

誰が止める間もなく、サリエルは光の檻に激突した。
「ぎゃっ!」
悲鳴と(まばゆ)い閃光が交錯し、立ち昇る焦げ臭い煙に混じって、黒い羽が舞い散る。
「サリエル!」
思わず、サマエルは叫んだが、どうすることも出来ない。

跳ね飛ばされた黒い翼の少年は、歯を食い縛って立ち上がり、よろけながらも、再び檻へと近づいて来る。
「アスベエル、止めてくれ!」
切迫したサマエルの声に、我に返った看守長は、義弟を捕まえた。
「サリエル、やめろ! 死んじゃうぞ!」

「放して、放してよ、アスベエル! 死んでもいいんだ、僕は父上のところに行く!」
サリエルはもがき、義兄の腕から逃れて、またも檻に突進した。
「わああっ!」
電光の輝きが視界を満たし、再度、サリエルは床にたたきつけられた。
ぐったりした義弟を、アスベエルは助け起こした。
「大丈夫か、しっかりしろ!」

「あ、……」
だが、正気づいた少年は、彼を押しのけ、這いずるようにして檻に近づこうとする。
「よせ、ホントに死ぬぞ!」
「やめなさい、サリエル!」
サマエルも、気が気ではない。
この時ほど、囚人の身をもどかしく思ったことはなかった。

そのとき、フレイアが鋭く命じた。
「アスベエル、檻を開けなさい!」
「あ、はい!」
鍵が開くと少年は檻に飛び込み、サマエルに抱きついた。
「父上、父上ぇぇっ!」
「ああ……何て無茶を、サリエル……」
火傷だらけの息子を抱き止めた勢いで、床に倒れ込んだサマエルは、焦げてちりちりになった金髪をなでた。

「サリエル! そやつから離れよ!」
ラファエルが槍を突きつけると、サリエルは、大天使をきっと睨んだ。
「嫌です、離したいなら殺せばいい!
どうせ、僕はすぐ死ぬんだ、だったら、父様と一緒に逝きたい、そして天国で、母上と三人で仲良く……」

「駄目よ、サリエル、落ち着いて。そこをおどきなさい、ラファエル」
いつの間にか、看守長と他の二人を従え、女神が檻の中に入って来ていた。
「で、ですが、フレイア様……」
「いいから」
抗議する大天使を押しのけて、女神は腰をかがめ、サリエルと眼を合わせた。
「聞いて、サリエル」

「嫌です、フレイア様のお言葉でも聞けません、僕は父上といるんだ!」
駄々をこねる子供のように、サリエルは激しく頭を振る。
「……まだ、何も言っていないじゃないの、困った子ねぇ。
三人で泥んこになって遊んでた頃から、ちっとも変わってないのね、お前は」
フレイアは、看守長の方へ手を振る。

「済みません、女神様、俺が言い聞かせますから」
アスベエルは、義弟の腕をつかむ。
「来るんだ、サリエル。そこにいちゃいけない、おいで」
引き起こそうとしても、サリエルはぎゅっと父親にしがみつき、頭を振った。
「嫌だ、僕、ここにいる!」

「わたしが手伝ってやろう、そら」
ラファエルが反対の腕を引く。
「痛い、痛い、嫌、嫌だよぉ!」
少年は泣き叫び、ますます強く父親に抱きついて、放すまいとする。

「待ってくれ、そんなに引っ張ったら、サリエルの腕が千切れてしまうよ。
女神様、お願いします、せめて今宵だけでも、この子と一緒に過ごさせて頂けないでしょうか」
見かねて、サマエルは頼んだ。

「何だと、甘やかすな、サマエル!」
ラファエルは手を離したものの、父子を睨みつけた。
「甘やかしではない、言ったろう、サリエルは精神の成長が遅れていて、幼いままなのだよ。
女神様、私も、この子の親です。ちゃんと言い含め、明日には必ず戻らせます。どうか、一晩のご猶予(ゆうよ)を……」
サマエルは頭を下げた。

「そうね。構わなくてよ、一晩くらいなら。
でも、その子は結構頑固よ、戦死なさったマトゥタ様も、苦労なさってたわ……あ、ご免なさい、サリエル。思い出させてしまったわね」
その瞬間、サリエルは彼の腕の中で身を固くし、アスベエルは、驚いたように眼を見開いた。
他の大天使達は、そっと目配せし合っていた。

(なるほど、マトゥタは、公式には戦死と発表されているのだな)
心の中でうなずき、サマエルは、何食わぬ顔で礼をした。
「ありがとうございます、フレイア様。
ご心配には及びません、こう見えましても、私は、子育てには慣れております。
妻と共に四人の子、孫も加えると、十人以上を育て上げましたから。
それと、出来ましたら、見張りは立てないで、親子水入らず……」

「何を図々しい!」
メタトロンは荒々しく話をさえぎり、父子に向かって指を振り立てた。
「分かった、その隙に逃げ出すつもりなのだな!?」
「そうだ、そんな口車に、誰が乗るものか!」
ラファエルも、便乗するように声を張り上げた。

対するサマエルの口調は、あくまでも穏やかだった。
「何度も言うが、出来るものなら、とっくに逃げ出しているよ。
これは単純に、サリエルを興奮させないための措置だ。
そんな風に、お前達に怒りをぶつけられていては、この子も落ち着けるわけがない。
見張りが必要なら、檻の外に使い魔を置けばいいだろう」

ラファエルは、感情を抑えるつもりがないようだった。
「ふん、使い魔相手なら、容易に逃亡出来ると思っているのか、なめられたものだな!」
フレイアは顔をしかめ、大天使をたしなめた。
「もう、ラファエルったら、もっと穏やかに話せないの?
サリエルがお前になつかないのは、いつも、そうやって、がみがみ怒鳴ってるからでしょ。
それに、使い魔で監視なんて、覗きみたいなことはおやめなさい。
看守だっているのだし、厳重にしたいのなら、光の塔の出入り口に、見張りを置けばいいことだわ」

「女神様、それが彼の勤めですから。
ラファエル、お前が自分で監視したいと言うなら、それでも構わないさ。
ただし、何を見ても、私達の邪魔はしないと約束してくれるなら、だがね」
サマエルは、大天使に微笑みかけた。
不機嫌な顔で、彼と眼を合わせたラファエルの瞳に、一瞬、理解の色が(ひらめ)き、天使は眉間(みけん)からしわを消した。
「……相分かった、見張りは置かぬ。ただし一晩だけだぞ」
「お、おい、ラファエル」
メタトロンが、少しうろたえて彼を小突く。

「仕方なかろう、ご命には逆らえぬし、考えてみれば、この親子も哀れだ」
ラファエルは答え、それから、サリエルの眼を捉えた。
「サリエル、父親の言うことには従うのだぞ」
「え、は、はい……」
急変した相手の態度に戸惑いつつも、サリエルはうなずく。

「では、フレイア様、参りましょう」
ラファエルは、いんぎんに、檻の出口を手で示した。
「ええ、戻らないとね。サリエル、父君に、うんと甘えておくのよ」
「はい、フレイア様」
「ありがとうございます、女神様」
サマエルは、息子から腕を外して立ち上がり、深々とお辞儀をした。

「さ、お前もお礼を言いなさい、そしてお別れも。皆さんにもだよ」
「はい、父上。フレイア様、ありがとうございます、さようなら。
アスベエルと、ラファエルさん、それからラグエルさん、ラジエルさんも、さようなら」
言われた通り、サリエルも立ってあいさつをし、一人一人に頭を下げた。

「ああ、じゃあな」
看守長は片手を上げて答え、ラファエルは厳粛(げんしゅく)な面持ちで、無言のままサリエルの頭に、ぽんと手を乗せた。
残る二人の大天使は、軽く目礼する。
「じゃあね、サリエル」
手を振って女神が檻を出、その後をついて天使達がぞろぞろと去っていく。

「ああ、サリエル!」
ようやく二人きりになることが出来、その瞬間を待ちかねていたサマエルは、息子を固く抱き締めした。
抱擁(ほうよう)を返したものの、サリエルは、ばつの悪い顔をした。
「あの……ご免なさい、父上、でも僕……」

それとは逆に、サマエルは、飛び切りの笑みを息子に向けた。
「よくやった。私はずっと、どうすればお前と二人きりになれるかと、そればかり考えていたのだよ」
サリエルは眼を丸くした。
「え、僕、てっきり怒られるかと……」
「いやいや。それより、私の方こそ済まなかったね。
いきなり、長く生きられない、などと言われて、ショックだったろう」

「あ、いえ、……」
「たしかに、現時点ではお前は短命だ、だが、寿命を伸ばすことは可能だと、私は考えている。
お前には、長く生きて、マトゥタと私の仇をとってもらいたい、そのため、連中には、お前はいずれ死ぬのだから、わざわざ殺すまでもないと思わせておいた方がいいだろうと思ったのだよ」
サマエルは、早口にまくし立てた。

「え、父上、僕、すぐ死んじゃうわけじゃ、ないんですか……?」
話が飲み込めずに、サリエルは眼をぱちくりした。
「ああ……済まない、私としたことが焦ってしまって。
こうなっては、私の処刑は、時間の問題だからね……」
「そんな、父上!」
父親譲りの紅い眼がまた涙でうるみ、サリエルは父親にひしと抱きついた。

「泣いて駄々をこねても、現実は変えられないよ。
お前も成長していくのだから、きちんと現実を受け止め、強く生きて行っておくれ、さあ、顔を上げて」
彼は優しく、だが、毅然(きぜん)と言い(さと)した。
「はい、……」
サリエルは、眼をこすって涙をふいた。
「それで、寿命を延ばすのって、どうやるんですか?」

すると、サマエルの表情が少し曇った。
「それが……少々難しくてね。
希望を持たせておいて悪いが、その方法でも、必ず成功するとは限らないのだよ。
だが、長命となる可能性は、何もしないよりも、ずっと高くなると思う……」
「え、成功するとは限らないんですか……?」
サリエルは、肩透かしを食らったような表情をした。

「そう、精神的にも肉体的にも苦痛を受けた挙句に、ね……。
神族なら、ふしだらとか、倫理にもとるとか、不道徳だとか思ってしまうだろうし……」
サリエルは、きょとんとした。
「ふしだら? 不道徳? どういうことですか、それって」

それには直接答えず、サマエルは言った。
「お前は、神に近過ぎる。
身も心も、すべてを魔に作り変えるのだ……神族としてのお前は短命でも、魔族となったお前は、どうだろうね……?」

「僕が魔族に!? 父上と同じになれるんですか!?
そしたら、長く生きられるんですよね!」
顔を輝かせてサリエルは尋ねるが、魔界の王子は眼を伏せた。
「……そう。うまくいけば。
お前は私の血を継いでいるから、可能性はある、とは思うのだが……」

言葉を濁す父親に、サリエルは再び問いかけた。
「もしかして、アルファみたいに、大蛇になるってことですか?
……アスベエルに 記憶を見せてもらいましたけど」

サマエルは、頭を振った。
「それなら分かるだろう、あれは残りの命を燃やし、最後の逆襲をするためだけのものだよ。
文献には、別の……魔族としての資質を、もっとゆるやかに目覚めさせる方法もあって……」
サマエルは、ちらりと息子を見て言葉を切った。

「何です、別な方法って。焦らさずに教えて下さい!」
「いや、焦らしているわけではないのが……」
サマエルは言いよどみ、ためらう。

ややあって、必死な表情の息子にほだされ、彼はようやく口を開いた。
「その方法とは……分かりやすく言えば……ミカエルが私にしたようなこと、だよ」
「ええっ!?」
さすがにサリエルも顔色を変え、身を固くした。