7.紅龍の息子(2)
もしや、昨夜会ったことが天帝に知られたのではないかと、サマエルを始め皆が気を
看守長は、檻の前で頭を下げた。
「済みません、遅くなりまして。実は……」
「僕が、天帝に呼び出されていたんですよ。
父上のことも聞かれて、ひやりとしましたが、別におとがめもなしでした」
サリエルの話に、一同は胸をなで下ろした。
「そうか、よかったな。
お前が来るまでの間、色々考えてみたのだが、やはり、どうにかして一度は魔界と連絡を取った方がいいと……ああ、そんなところに突っ立っていないで、ここに来てお座り」
サマエルは、息子を手招く。
言われた通りに中に入り、サリエルが隣に座った刹那、彼は言った。
「ところで、お前は誰かな?」
サリエルは、父親似の紅い眼を見開いた。
「え? 何を仰るのです、父上。サリエルですよ、昨夜も会ったじゃないですか」
「いいや、お前は息子ではない! やはり天帝に知られたのだな!」
サマエルは、いつもの物静かさとはかけ離れた動きでサリエルに飛びかかり、その腕を後ろにねじり上げた。
「痛、痛い……! 放して、父上……!」
「一体どうなさったのです、サマエル様!」
檻に駆け寄るアスベエル達に向かって、サマエルは叫んだ。
「こいつは偽者だ! ホムンクルスとすり替えられたのだ!」
「ええっ!?」
「言え、サリエルをどうした! 殺したのか、私の息子を!」
サマエルは、息子の姿をした少年を床に押さえつけ、詰問した。
「ちっ! ばれちゃあ仕方ない!
僕に危害を加えると、本物のサリエルの安全は保障しないぞ、放せよ!」
ついに、偽者は正体を現し、脅し文句を吐いた。
サマエルは、無言でホムンクルスを解放した。
「……ふう、まったく、すごい力だ。人は見かけによらないとは、よく言ったもんだな。
こんなに早く、どうして分かった?」
偽サリエルは、肩をさすりながら訊いた。
「顔だ」
サマエルの答えは短く、表情は冷ややかだった。
「え? 僕は複製、本物とすっかり同じ顔のはずだぞ?」
「いいや、違う。
昨夜会った息子は、母の処刑や自分の投獄、さらには父親の捕縛……心労続きで頬はやつれ、眼の下には
なのに、お前は血色がよく、頬もふっくらして、眼にも力がある。
女神が生きていたならともかく、たった一晩で、それほどまでに回復出来るわけがない」
偽者は肩をすくめた。
「なるほど。僕は、培養槽から出されたばかりだしな。
記憶はともかく、体の状態まで同じとはいかないってわけか」
「……息子は生きているのだな」
「ああ。記憶をかき回されたショックで、気絶してるけど。
当分生かされるようだよ、まだ利用価値があるってことでね」
サマエルは安堵し、ほっと息をついた。
「そうか、よかった……」
「そんなに心配してもらえるなんて、本物がうらやましいよ……。
僕は任務に失敗した……せっかく生まれたのに……」
サリエルの複製は、うなだれた。
「任務? 息子として私と接し、色々と聞き出すということか」
「……そんなの言えるわけないだろ、本物ならともかく、僕らは敵なんだぞ」
ホムンクルスは、上目遣いに言った。
「そうかな? お前は、オリジナルの息子の、私に対する感情をそのまま持っているはずだ。
なのに、話せないのは、脅されているか、それとも洗脳……精神を支配されているからだろう」
「……」
「話せないか。だろうな。
では、アスベエル、彼の体を透視してみてくれないか?」
「い、嫌だ……」
偽のサリエルは後ずさった。
「お前は、体を透視されるな、と言う命令を受けているのか?」
ホムンクルスは首を横に振った。
「ならば、大丈夫だ。
心配しなくていい、私は、本物の息子だけでなく、お前のことも助けたいのだよ」
「どうして? 僕は複製に過ぎない。
それに、サリエルのホムンクルスはもう一体いるし……全部で三体創られたんだ、僕らは」
「では、そのもう一人も助けよう」
「な、何を言い出すんだよ、頭おかしいんじゃないか、あんた!」
サリエルは叫ぶも、その眼はうるんでいた。
「三つ子だと思えばいいさ。
失ったとばかり思っていた息子が、実は三人もいたのだと思えば、幸せな気分だよ」
サマエルはにっこり笑い、偽サリエルだけではなく、看守達もあっけにとられた。
「さあ、アスベエル、頼む」
「あ……は、はい、かしこまりました」
アスベエルは気を取り直し、ホムンクルスを手招きした。
「じゃ、外へ出てくれよ、サリエル……じゃなかった、えっと……そうだな、お前のことはアルファって呼ぼう。
さあ、早く。中じゃ魔法が使えないの、知ってるだろ」
「あ、そ、そう、だね……」
複製は檻から出て、おずおずと看守長に近づいていき、アスベエルは透視を開始した。
「……んー、何もない……みたいですねぇ」
「もっとよく見てくれ。多分、頭か心臓辺りに、何か仕掛けられていると思うのだが」
アスベエルは眼を凝らした。
「……ええと、頭……には、何もないですね。
次は……おや、これは……? 心臓の中に、豆粒みたいなものがありますよ」
「取り出せるか?」
「やってみます。サリエル、じっとしててくれよ。
──カンジュア!」
ホムンクルスの胸に当てられたアスベエルの手が、白く輝く。
一瞬のち、金色の小さな球体が、看守長の手の中に現れた。
「見せてくれ」
「は、はい……」
アスベエルは、心なしか震える指先でそれをつまみ、檻に入るとサマエルに渡した。
球体はすぐに割れ、小指の先ほどの金色の虫が顔を出した。
掌の上で、もぞもぞと動く何かの幼虫を、サマエルは凝視した。
「……虫……使い魔か、それとも呪術の一種か?
命令に背けば、こいつが、心臓を食い尽くすという寸法か……。
──痛っ!」
突如、彼は虫を振り落とした。
「うわ!?」
足元に飛んだ虫をよけ、アスベエルが飛びのく。
サマエルの指先から一筋、紅い糸のように血が流れていた。
「こんなに小さいのに凶暴だ、噛みつかれたよ」
「だ、大丈夫ですか!?」
「ああ。毒を持つ虫だとしても、私には耐性があるからね」
途端に、檻の外にいたホムンクルスの瞳から、涙があふれた。
「あ、ありがとうございます、これで僕は死なずに済みます、父上……あ、いえ、あの……」
「父と呼んでおくれ、息子よ。それで、この虫は、どういうものなのだね?」
「分かりません……それに、どうして死なずに済むと思ったのか……」
複製の少年は、そう言って、頭を振るばかりだった。
「そうか、精神支配も受けているのだな」
「………」
やはり返事はなく、途方に暮れた眼差しが返って来る。
「……なるほど。ではそれも解こう。……おや?」
気づくと、金色の虫は、床の上で溶け始めていた。
サマエルは、かがみ込んで虫を観察した。
「……ふむ。おそらくこいつは、魔族の体内では生きられないのだ。
ましてや、私は紅龍、血液には、強い毒が含まれているからね」
青ざめたアスベエルも、溶けゆく虫の最期を見ていた。
「天帝は、こんなもんで、ホムンクルスを操る気だったんですか。
……わ、まだ動いてる……気色悪……!」
「まだ試作段階なのだろう、それで、すぐ取り出せたのさ、幸運なことに。
看守長は、感銘を受けたようにうなずいた。
「試作品……なるほど、それでうまく
「それより、サリエル、もう一度ここへおいで。精神支配も解いてあげよう」
「は、はい」
「よし……心を静めて、私の眼をご覧。怖がらずに、私を受け入れて……」
サマエルは、息子のホムンクルスの額に二本、指を当てた。
魔界の王子の紅い眼に、闇の炎が燃え上がる。
魔眼を持つ同士、本来なら効力はないはずだが、本人が受け入れようとするときには、その限りではないのだ。
二人は、しばらく、そうやって見つめ合っていた。
「……よし、これでいい、お前はもう完全に自由だ。
さあ、部屋へお戻り、息子よ。悟られぬよう、うまくやるのだよ」
「はい、父上、ありがとうございました」
サリエルのホムンクルスは、深々と頭を下げ、来たときよりも遙かに軽い足取りで、帰路に着いた。
「……さて、もう朝だ。
お前達、昨日も私に付き合ってろくに寝ていないだろう、戻って休んだらどうかな?」
サマエルが提案すると、看守達は同意し、各自の部屋に戻り始める。
皆と同じく去って行こうとする看守長に、彼は声をかけた。
「ああ、アスベエル。
済まないが、お前とは少し、ホムンクルスのことで打ち合わせておきたいことがある、すぐ終わるから、こちらに来てくれないか」
「はい」
他の者が全員帰ったことを確認して、サマエルはアスベエルに問いかけた。
「さて、お前はこの後、どこへ行くつもりでいたのかな?」
看守長は、不思議そうな顔をした。
「……え?
俺は、一旦看守の詰め所に戻り、何か少しつまんでから出直して来ようと思ってましたが」
「ホムンクルスの正体が露見し、その上、虫どころか精神支配までも解除されてしまいましたと、天帝様にご注進、というわけか?」
サマエルは、大天使の顔を凝視しつつ、言った。
アスベエルは、はっと息を呑んだ。
「な、何を仰います、俺はスパイなんかじゃ……!」
「お前が間者だなんて、考えたくもなかったが。
サリエルが私に会いに来たことを、天帝に感づかれたのが早過ぎるのだよ。
彼の監視役が知らせたにせよね」
「そ、そんな、俺を疑うなんて……今まであんなにサマエル様にお仕えして来たのに、あんまりです!」
「嘘をつくと、ためにならないぞ……!」
サマエルは、つかつかと大天使に近づき、前に立ちはだかった。
冷ややかな光が紅い眼に浮かぶと同時に、闇の力が、黒い霧のように身体から立ち昇り、広がってゆく。
そのあまりの暗さに、あれほど眩かった檻の光さえ、押し退けられていくようだった。
「さ、サマエル様……」
魔界の王子が初めて見せた力の片鱗に、天使はたじたじと後ずさった。
「見くびらないでもらいたいな、これでも私は魔界の参謀と称せられていたこともあるのだぞ。
通常、捕虜の口を割らせるには、アメとムチを使う。つまり責め役と、
愚かなミカエルがやり過ぎないよう、あいつの監視役もお前は兼ねているのだろう?」
「ち、違います、サマエル様、信じて下さい!」
必死の面持ちでアスベエルは訴えた。
だが、返事の代わりに、闇の炎が、魔族の王子の瞳に燃え上がり、天使は震え上がった。
「まだ認めないつもりか?
ならば、教えてやろう、私が、どうやってお前の裏切りを知ったかを。
私は精神支配の解除と同時に、偽サリエルの心を読み、天帝が科した任務を知ったのだ。
さらに、本物のサリエルを天帝に引き渡したのが、お前だと言うこともな。
私は、彼に頼み事をしている。
それが終わるまでは、天帝の元へは行かせない、ここにいてもらおう」
荒ぶる瞳とは裏腹に、サマエルの口調は、あくまでも静かだった。
「……」
アスベエルは唇を噛み、うつむいた。
その期を逃さず、サマエルは猫のように素早く看守長に飛びかかり、マントの紐で両手を縛り上げ、さらに床の輪に結わえつけてしまった。