6.光の檻(4)
交代の時間が来て、天使達は、看守の詰め所に戻った。
「不思議な人ですね。魔物どころか、まるで、さらわれて来たお姫様みたいじゃないですか……」
ベリアスは、うっとりしていた。
「お前……」
看守長は不審げに部下を見、力天使は、慌てて言い直した。
「あ、いえ、誤解しないで下さい、守ってあげたくなるような人だな、ってことですよ」
アスベエルは肩をすくめた。
「たしかに。最凶の力を持つ悪魔なのに、見た目は、
「邪悪の
ミカエル様が、彼の色香に迷って拉致し、紅龍に仕立て上げた、なんてことは……」
看守長は深く息をついた。
「……あながち、否定も出来ないから困るな。
あの方は、昔、サッキュバスと出来てるとか、噂になったらしいし。
いずれにしろ、あの王子も気の毒に。
魔界の王族が、皆、彼みたいなら、シェミハザ達が寝返るのも当然かもな」
交代でサマエルと接するうち、他の看守達も同様に感じ始めた。
二日と経たないうちに、天使達は、女王に仕える働き蜂よろしく
五日が経ち、ミカエルが来るというので、寝具も包帯も取り払われた頃には、彼の傷は、ほぼ完治していた。
天使長は、その回復ぶりに眼を剥くと同時に、サマエルの腰布に気づいて怒鳴り散らした。
「看守長、どういうつもりだ! 誰が、こんな物を着せていいと言った!」
しかし、アスベエルは落ち着き払っていた。
「ですが、天使長様。わたしにも、規律を正す義務と、自分の身を守る権利がありますので」
「何だと!?」
「こやつは、部下達に変な流し目をくれたり、舌でいやらしく唇をなめ回してみたり、挙句、淫らな格好で腰を振ったりまでするのですよ。
もし、誘惑され、逃亡を手助けする者が出たりしたら、職務
アスベエルは、すらすらと言ってのけた。
これは、彼自身の考えではなく、サマエルの入れ知恵だった。
しかし、それが、天使長の憤激を買う結果となってしまった。
「こ、この忌まわしい悪魔めが!
あれほど痛めつけてやったと言うに、懲りておらぬとは、もはや勘弁ならぬわ!」
ミカエルは、滅茶苦茶に鞭を振るった。
傷口が開き、血があふれ出しても大天使は手を止めず、狂ったように打ちすえる。
そうまでされても、魔族の王子は、声一つ立てるでもなく耐え、弱音を吐くこともない。
「くそ、なめおって! こうなったら!」
天使長は、サマエルを仰向けに寝転がして手枷を鉄の輪に留めると、腰布を乱暴にむしり取った。
その眼は血走り、欲望でぎらついていた。
「分かるか、我がこれから貴様に、何をするつもりでいるか」
「……この、態勢で、裸にして……か? これで、やることと、言ったら、一つ、だろう……」
肩で息をしながらも、落ち着いた声で、サマエルは答えた。
ミカエルはカッとなった。
「く、我の清浄なこの体で、貴様の
泣いてもわめいても自白しようとも途中ではやめぬ、吐くなら今のうちだぞ!
くそ、今すぐ貴様を女に変えて、
だが、サマエルは、血に染まった唇で、くすりと笑う余裕があった。
「ふ、実の兄にも同じことを言われたぞ、お前ごときに、この私を、
誓っても、いいぞ、最上級、インキュバスの、この私を、一言でも、
「その誓い、忘れるなよ! 後悔して吠え面かくな!」
天使長は、魔物の王子の体に覆いかぶさっていった。
やがて、刻々と時は移り、もうじき、夜が明けるという頃合になった。
「くそ、くそ……! 啼け、声を出さぬか、この、しぶとい魔物め……!」
大天使は、荒々しく魔物をなぶり続けていた。
どんな仕打ちを受けようとも、サマエルの食いしばった口から出るのは、荒い息遣いだけだった。
それでも、本当の父親はこの男ではないかと疑っていたら、彼も、平常心ではいられなかったかも知れない。
だが、もう、今は、疑念が心にきざす余地はなく、彼はただ、敵に拷問を受けているという感覚でいた。
また、ミカエルが自分を襲うことも予想済みで、さらに、こうした無理強いに慣れているということも、彼の冷静さのよりどころとなっていた。
むしろ、予定より遅いと感じ、アスベエルに知恵をつけ、天使長を
「く……こ、この……汚らわしい、魔物、め! き、今日は、ここまでに、して、おいてやる……!
さ、されど、今度は、こうは、いかん、ぞ!」
ついに力尽きたミカエルは、そう言い捨てて、酒に酔ったようにふらつきながら、檻を後にした。
その姿が見えなくなると、アスベエルが大急ぎで鍵を開け、ベリアスが飛び込んで来て手枷を外した。
「大丈夫ですか、サマエル様!」
「恥ずかしいところを見せてしまったね……。
敵の……それも、男に体を許すなんて、あさましいと思うだろう……?」
助け起こされた彼は、千切れたマントで、散々汚された裸身を隠そうとした。
しかし、それは無駄な努力だった……と言うより、布の裂け目から覗く魔界の貴族の
「い、いえ、あなたは……何も悪くありませんよ……。
あ、あいつの方こそ、まるきり発情した雄猫だ、同じ天使として、お恥ずかしい、限りで……」
ベリアスの声が喉にからんだ。
「ど、どうぞ、これを……」
「ありがとう、酷い格好が隠れて助かるよ」
だが、布地越しに王子の肌に触れた途端、看守長は、熱い物に触ったかのようにびくっとし、顔も赤くなった。
何も気づかぬ振りをしながら、サマエルは
「べ、ベリアス達が、看守になったのは最近だから、よく知らないだろうが、ミカエルは本当に、見境のないヤツで……」
そう話すアスベエルの声は上ずり、眼は吸いつくように魔族の王子から離れず、ミカエルの名に“様”をつけ忘れたことにも気づかない。
「知ってますとも、有名ですから……」
同じくサマエルに釘付けになり、荒い呼吸をしているベリアスの答えも、上の空だった。
今、檻は、淫魔のフェロモンで一杯になっている。
興奮した彼らが、襲いかかって来るのも時間の問題だった。
もてあそばれることには慣れている。
だが、自分を抱くことで、この純朴な天使達がミカエルのようになってしまうのが、少し悲しいと彼は思った。
二人の天使の手が、ほぼ同時に肩に触れる。
押し倒されて、それから……止めようと入って来た天使達も、きっと……。
そして、後は、昼となく夜となく、九人の男達に……。
(済まない、“焔の眸”。私は、夫としては失格だな……)
彼は眼を閉じた。
その時だった。
檻の外の看守達が、一斉に天使長の悪口を言い出して騒然となったのは。
「あ、あれ……俺は?」
「な、何だか、頭が……」
途端に、呪縛は解け、看守長達は我に返った。
ほっとしたサマエルは、パンパンと手をたたいて皆を黙らせた。
「おやめ、陰口など。おのれの品位を下げるだけだよ。
まあ、私も、他人のことは言えないが。
たしかに、鬼畜にも等しい所業には違いないが、一つ……いや、二つだな、いいこともあったしね」
「あ、そ、それは何でしょう、サマエル様」
夢から覚めたように、ベリアスが訊いた。
王子はいつもの、彼らを魅了してやまない微笑を浮かべた。
「一つは、ミカエルの精気を、たっぷりと頂けたことさ。
さすがは天使の長、上質で強力……味はまあ、二の次だけれど。
そのお陰で、ほら、ご覧……」
サマエルは手早く髪をひとまとめにし、前に流して後ろを向いた。
マントをはらりと落とす。
その晩受けた鞭の傷は、跡形もなく消えていた。
残っているのは、無惨にもぎ取られた翼の傷跡だけ。
そこから、黒いものが顔を出し、植物の芽が伸びるように、見る見る大きくなってゆく。
やがて、完全に成長が止まると、サマエルはコウモリ状の翼を大きく広げ、羽ばたいてみせた。
「素晴らしい!」
「おめでとうございます、サマエル様!」
「我ら一同、大喜び申し上げます!」
さすがは魔界の王子、すばらしい再生力で!」
「さぞや、ご不自由でございしましたでしょう!」
看守達は口々に喜びを
「お前達、こんな醜い、真っ黒な翼が生えたのを、喜んでくれるのかい?」
「な、何を仰います、醜いなどと、そんなわけが!」
勢い込んでベリアスが言った。
「そうですよ、我らは同じ翼ある者として、心から同情してました。
白か黒かなんて、単に、色の違いですよ」
アスベエルが言った。
「ありがとう……うれしいことを言ってくれるね」
サマエルはまた、にっこりした。
「そう言えば、もう一つあると仰っておいででしたが」
ベリアスが再び尋ねた。
「ああ、それは、ミカエルがしばらくは動けないと言うことだよ。おそらく一週間かそこら。
たっぷりと、絞り取ってやったからね。
しかし、私を抱けばどうなるか、分かっていたはずだが。
……それほど、想いを遂げたかったのかな、あいつは」
「え!? まさか……」
看守の一人が眼を丸くした。
「いや、あいつの想い人は、私の母だ。
私が生まれる前、人界に里帰りした母をさらい、監禁したこともあるほどだ。
それでも、手も触れずに帰してくれたようだったから、今回だけは大人しく抱かれてやったのさ」
「ええっ、遂げられなかった想いを、その息子で果たしたというのですか!?
ああ、だからさっき、女にしてとか……信じられませんよ、まったく!」
アスベエルが憤然として言った。
「まあ、そのお陰で、自由に行動できる時間が一週間ほど出来たのだ。
せっかく、天界にもぐり込めたのだから、内側からしかできないやり方で、私なりに戦おうと思う。
皆、協力してくれるか」
「はい!」
「もちろんです!」
看守達は声をそろえた。
「ありがとう。では……そうだな、我が息子、サリエルに会ってみよう。
味方につけることが出来れば、かなり有利だ。
彼はどうしている? 先日の戦いの時のマトゥタとサリエルは、どうせ偽者だったのだろう?」
「は……たしかにそうです……が」
看守長は、顔を曇らせた。
サマエルは、かすかに眉を寄せた。
「どうしたのかな」
「言いにくいんですが……本物の女神マトゥタは、すでに処刑されていまして……」
「え、処刑!? どうして? サリエルは無事なのか?」
さすがに動揺し、サマエルは矢継ぎ早に尋ねた。
「ご安心下さい、サリエルは大丈夫ですよ。
一時は投獄されていましたが、今は釈放されています、監視つきですが。
女神の処刑は、最初の出陣の直前で、理由はよく分かりませんが、噂では、天帝様への反逆を企てた、とか……。
でも、女神は貴い存在、天帝様の意に逆らったとしても、今までは処刑に至ったことなど……」
「……なるほど。やはり、彼とは会わなければならないね。
天界内部で、何かが起こっているようだ」
「サリエルの監視は、俺の直属の部下なので、話はつけやすいですよ」
「よし、では、さっそく渡りをつけてくれ。
……ああ、もう、すっかり夜が明けてしまったな。
早い方がいい、出来れば、今夜にでも会いたいが」
「はい、では、取り急ぎ段取りをつけて参ります」
看守長は、足早に出て行った。
その間に、サマエルは折られた角を再生し、眠りについた。
いたけだか【居丈高】
(「威丈高」とも)人に対して威圧的な態度をとるさま。
そそ【楚楚】
清らかで美しいさま。可憐(かれん)で美しいさま。多く若い女性についていう。
うぶ【初/初心/産/生】
1 (初・初心)世間ずれがしていないこと。ういういしいこと。また、そのさま。
2 (初・初心)まだ男女の情を解しないさま。